So-net無料ブログ作成
検索選択
前の10件 | -

中高年の「元気が出るページ」2017年8月号                    ①うにのおうちごはん歳時記第11回 夏の鯵 山田うに               ②安曇野発39 信州都市めぐり③  飯田市 加藤雅博                 ③186回シネマトーク【お帰り!新しいスパイダーマンは高校生】 西島雄造      ④番外編 YouTube 黒部アルペンルート

(((187回 シネマトーク))))

【お帰り!新しいスパイダーマンは高校生】

 
西島雄造


1「スパイダーマン ホームカミング」.jpg

『スパイダーマン ホームカミング』

 スパイダーマンが帰ってきた。『スパイダーマン ホームカミング』。ニューヨークのクイーンズに住む、まだ15歳の高校2年生。すでに『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(アンソニー・ルッソ&ジョー・ルッソ監督2016)に、自作のコスチューム姿でヒーローを演じていたスパイダーマン=ピーター・パーカーを、憧れのアイアンマン=トニー・スタークがNYのサイトで見てスカウトした。
 ある夜、爆発事件が発生する。駆けつけたピーターはハイテク武器の取引を目撃する。そこへトゥームス(マイケル・キートン)が現れる。トゥームスは巨大な翼を自在に操る怪人バルチャーと同体。捕まったピーターは湖に投げ込まれるがアイアンマンに救われる。手柄を立ててなんとかアベンジャーズの一員になろうと、ピーターは武器の取引現場がフェリーであることを突き止めるのだが…。クライマックスで、このフェリーが大きな見せ場に。
 ピーターには思いを寄せる同級生リズ(ローラ・ハリアー)がいるのだが、思いがけない事実もわかって。ワシントンD.C.の有名なモニュメント、コニー・アイランド、マンハッタンフェリーで結ばれるスタテン島など豊富なロケも見どころ。短いカットのつなぎが素晴らしい。撮影を『ダ・ヴィンチ・コード』(2006)などロン・ハワード監督と仕事を共にしてきたサルヴァトーレ・トチノ、編集に『アイアンマン』シリーズのダン・レペンタール。コミック雑誌のページをめくっているような雰囲気を醸している。
 今作ではアメリカのコミック・ヒーローが集結する仮想世界・MCU=マーベル・シネマティック・ユニバースに本格的に参入して新たなヒーロー像を見せる。スパイダーマンの歴史はすでに40年。1977年にニコラス・ハモンド主演でCBSTVに登場。2002年にはサム・ライミ監督でトビー・マグワイアが演じ3作続いた。続く『アメイジング・スパイダーマン』1、2はマーク・ウエブ監督。『ハクソー・リッジ』(メル・ギブソン監督2016)で主役のアンドリュー・ガーフィールドが登場。
 新しいスパイダーマンのトム・ホランドは英国出身。コメディアンの父と写真家の母のもとに生まれた四人兄弟の長男。ヒップホップ・ダンスから始め、2008年、ロンドンのウェストエンドで上演されたミュージカル『ビリー・エリオット』で、ビリーの親友を演じている。好きな映画は『プライベート・ライアン』(スティーヴン・スピルバーグ監督1998)だという。『スパイダーマン ホームカミング2』も2019年の完成が予定されている。
2「ビニ—信じる男」.jpg

『ビニー/信じる男』

 ボクシングの世界を描いた映画には名作が少なくない。戦後最初に見たのが『鉄腕ジム』(ラオール・ウォルシュ監督1942)。エロール・フリンが演じたのは実在したジェームズ・J・コーベット(1866-1933)。ヘビー級で鳴らし紳士で名高かった。晩年は映画にも出演し、フィルムは失われたがジョン・フォード監督の『The Prince of Avenue A』などで主役を張った。弟のジョーは大リーグで活躍している。ほかにもロバート・ワイズ監督で『罠』(1949)『傷だらけの栄光』(1956)、マーク・ロブスン監督の名作『チャンピオン』(1949)、マーティン・スコセシ監督『レイジング・ブル』(1980)、そしてロッキー・シリーズ…。
 『ビニー/信じる男』(ベン・ヤンガー監督)のビニー・パジェンサも実在のボクサー。1962年生まれ、1983年にデビューして初勝利を飾り、2004年3月に引退するまで60試合を闘って50勝、うち30試合がKO勝ちだった。だが交通事故で首を骨折し、二度と歩けなくなるだろうと医師に言われながら、リスクを冒してハロー(HALO PLACEMENT)という金属の装具を頭につけながら、ひそかにトレーニングを再開し、13か月後にリングに立った。相手はドミニカ出身のルイス・サンタナ。ビニーはみごと勝利し「史上最高の復活」と言われた。ビニーにマイルズ・テラー、トレーナー役のアーロン・エッカートが渋い。マーティン・スコセシが製作総指揮をとっている。 
「フェリシーと夢のトウシューズ」.jpg

『フェリシーと夢のトウシューズ』

 仏ゴーモン社=Gaumontが手がけたフランスとカナダ合作のアニメ『フェリシーと夢のトウシューズ』は絵作りがとてもシック。ゴーモン社はリュミエール兄弟がパリのグラン・カフェで初めて映画を上映した1895年と同じ年に創立された最古の映画会社。グラン・カフェはいまホテル・スクリープ・パリとして営業を続けており、オペラ座(ガルニエ宮)のすぐ近くにある。
 このオペラ座がアニメの舞台でもある。大西洋に面したブルターニュ地方の修道院の施設にいたフェリシーとヴィクターは、パリに出てバレリーナーと技術者になる夢を抱き脱走するところから始まる。やってきた19世紀終わりの頃のパリ。パリ万国博覧会のモニュメントを目指すエッフェル塔はまだ建設の途上(完成は1889年)、フランスからアメリカ建国100年記念に贈られる自由の女神像がようやく完成(1884)したころだ。
 すぐさまオペラ座に向かったフェリシーは稽古場に飛び込む。身体能力には恵まれていたが、バレエの基礎が出来ておらず、厳しいレッスンについてゆけそうもない。一方のヴィクターはエッフェルの仕事場に潜り込む。二人の夢はかなうのか。「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」などのバレエが演じられる舞台は、2016年秋にオペラ座の芸術監督に就任したオレリー・デユポンが振付に携わっているだけに見事だ。つま先立ちで回転するピルエット=Pirouetteやアラベスク=Arabesqueも正確そのもの。もっともチャイコフスキー作曲の「白鳥の湖」の初演は1877年だが、「くるみ割り人形」は1892年だから、やや整合性を欠いている。監督はエリック・サマーとエリック・ワリン。
4「カーズ クロスロード」.jpg

『カーズ クロスロード』

 ディズニーとピクサーの新作『カーズ クロスロード』(ブライアン・フィー監督)は、胸が躍る作画だ。2006年に始まったシリーズの3作目。第1作はゴールデングローブのアニメーション映画賞を獲得した。第2作には銀座や渋谷、新宿、皇居から富士のサーキットまで登場。
 主人公はいうまでもなく天才レーサーのマックィーン。だが時代は大きく進歩し、最新テクノロジーをふんだんに操る新世代が闊歩していた。とりわけ連戦連勝のジャクソン・ストームに、マッキーンは競り勝とうとするあまり暴走してクラッシュ事故を起こしてしまう。初めて人生の岐路=クロスロードに立ったマックィーンは、どのような道を選ぶのか。
5「少女ファニーと運命の旅」.jpg

『少女ファニーと運命の旅』

 『少女ファニーと運命の旅』はフランスの女性監督ローラ・ドワイヨンの作品で、やはり実話をもとにした過酷な時代が描かれる。ナチス占領下の1943年のフランス。ユダヤ人の子どもは親から離され支援組織の施設で育てられていたが、密告があって閉鎖されイタリア占領地域に移され、さらに権勢をふるったムッソリーニが逮捕されたとのニュースに、スイスへ逃れることになる。
 施設で料理番をしていたエリーとファニー(レオニー・スーショー)と妹たち9人は、目的としていたフランスとスイスの国境、フランス・アルプスの北部にあるアンヌマスにたどり着くが…。強い精神をもった13歳のファニーの行動力と統率力もまた、戦争が培った力に違いない。実在のファニー・ベン=アミは、戦争が終わっても家族には会えずじまいで、いまはイスラエルで暮らしている。「ファニー 13歳の指揮官」は児童書として岩波書店から刊行。
6「夜明けの祈り」.jpg

『夜明けの祈り』

 『夜明けの祈り』は1945年12月のポーランドを舞台にしたフランスとポーランドの合作。もとになったのはマドレーヌ・ポーリアック=Madeleine Pauliac(1912-1946、ワルシャワで交通事故死)のストーリー。修道院の女性が闇の林を駆け抜け、フランス赤十字の医療スタッフの門をたたく。ソ連兵が修道院に乱入し、手籠めに合った修道女7人が体内に命を宿した。困り果てた若い修道女が助けを求めたのだ。
 学生時代にはパリでレジスタンスにも加わった看護師マチルド(ルー・ドゥ・ラージュ)は、身を挺して修道院に通い施術を行った。「マチルド、私たちを見捨てないで」「マチルド、あなたは救世主よ」という必死の叫び。「信仰は24時間の疑問と1分の希望」のもとに展開する悲壮な物語である。監督はアンヌ・フォンテーヌ、『ココ・アヴァン・シャネル』(2009)や『ボヴァリー夫人とパン屋』(2014)など意表を突いた作品がある。
7「きっと、いい日が待っている」2.jpg

『きっと、いい日が待っている』

 『きっと、いい日が待っている』は2016年のデンマーク映画。1967年、コペンハーゲンのゴズハウン=godhavnの男子児童施設で起こった実話をもとにしている。主役のエリックとエルマーの兄弟は、父親が首を吊り、母親は病みがちだったので施設に入れられた。施設では子どもたちに、きちんとしたしつけや教育を施し、技術を身につけさせて社会に送り出すためと称し、校長以下が虐待や強制労働を日常的に行っていた。映画は不屈の兄弟が最後は敢然と行動に出た結果、検査が入り施設を出てゆく。
 デンマークは19世紀の終わりから社会福祉を展開し、世界一幸福な国とされているが、40年前のこととはいえ、どんなに立派な福祉行政も進めるのは人間にほかならない。この事実を掘り起こしたデンマーク・ナショナル・テレビジョンが「The Boy’s Home」と題したドキュメンタリー番組を放送したことがきっかけで、世間に知られることとなった。描かれている内容は、まるで強制収容所並みで、子どもが暴力を振るわれる場面には胸が痛む。監督はイェスパ・W・ネルソン、社会派の演出家だ。兄弟を演じるアルバト・ルズベク・リンハートとハーラル・カイサー・ヘアマンが達者だ。
8「君はひとりじゃない」.jpg

『君はひとりじゃない』

 『君はひとりじゃない』は2015年のポーランド映画。監督は女性のマウゴシュカ・シュモフスカ。第65回ベルリン国際映画祭で銀熊賞・監督賞を受賞している。検察官のヤヌシュ(ヤヌシュ・ガヨス)は妻に先立たれ、娘のオルガ(ユスティナ・スワラ)と二人暮らし。オルガは摂食障害になって日々やせ細り心も閉ざしている。生きる気力をなくしたような父親ともうまくゆかない。父親は娘を精神病院に入れ、そこでセラピストのアンナ(マヤ・オスタシェフスカ)と出会う。そのアンナも息子を失い喪失感に陥っている。やがて起こる信じがたい出来事。ヤヌシュは亡妻との交霊を始める…。超常現象は起こるのだろうか。3人がたどり着くのは「君はひとりじゃない」ということに尽きる。
9「君の膵臓をたべたい」.jpg

『君の膵臓をたべたい』

 『君の膵臓をたべたい』は大阪在住の、もうすぐ30歳に手が届く男性作家住野よるの原作。2016年の本屋大賞で宮下奈都『羊と鋼の森』に次いで2位。ちなみに芥川賞受賞の又吉直樹『火花』は10位にとどまった。
 滋賀県の高校を舞台にした爽やかな青春小説。ヒロインの山内桜良(浜辺美波)は膵臓を病み余命は短い。いつしか図書委員の僕(北村匠海)が気になる存在になる。恋人ではない、ただの友達でもない…微妙な関係も心は互いに離れられなくなる。桜良が生きているうちにしたいこと…思い切って新幹線を乗り継ぎ博多への旅も思い出作りにふさわしい。桜良を心から親友と思っている恭子(大友花恋)は少しやきもきし僕につらく当たる。
 そんな関係がいつまでも続くはずはない。二人の最後は…。月川翔監督の演出は手堅い。少し意外な終幕も病気ものにありがちなお涙頂戴にはしない。美意識とは程遠いと思っていた題名が、やがて重みを増してゆく。主役の二人がとてもいい。歳月が経ち12年後の二人を小栗旬と北川景子が演じる。逆光やソフトフォーカスの撮影(柳田裕男)が純な主題に効果的だ。
10「ロスト・イン・パリ」 (2).jpg

『ロスト・イン・パリ』

 『ロスト・イン・パリ』は仏・ベルギー合作。監督・脚本・主演を、夫婦手を携えて『アイスバーグ』『ルンバ』と撮ってきたドミニク・アベルとフィオナ・ゴードンが、93分の喜劇にまとめている。吹雪のカナダに住むフィオナのもとに、パリのおばから手紙が届く。老人施設に入れられそうだとのSOS。外界を知らずに生きてきたが決然と飛行機に。夏模様のパリ、アパートを訪ねるが、おばの姿は見えない。どうしたものか。気はあせるが観光気分も捨てきれず、セーヌの橋の上でエッフェル塔を見て記念写真をと通りががりの人に頼んだばかりに、バックパックの重みで川にドボン。中にはパスポート、財布、携帯も入れてある。
 一方、川岸でテント暮らしのホームレス風のドミニクは、水面に浮いているバックパックを拾い上げ、財布の金で船上レストランへ行き豪華シャンペンを楽しむが、フィオナとぱったり。当然、ひと悶着が起こるのだが、そこはパリ、二人はダンスまでして気分が高まってゆく。それはいいとして、やっとたどり着いたおばの消息は、二日前に他界していた…。このおばを演じるのが、アラン・レネ監督『二十四時間の情事』(1959)で岡田英次と共演したエマニュエル・リバ。2010年にはミヒャエル・ハネケ監督の『愛、アムール』に、ジャン=ルイ・トランティニャンと出演していたが、今年の1月に89歳で亡くなった。エリック・サティの「ジムノペディ」など多様な音楽が奏でられる。
11「ボン・ボヤージュ〜家族旅行は大暴走〜」.jpg

『ボン・ボヤージュ~家族旅行は大暴走~』

 『ボン・ボヤージュ~家族旅行は大暴走~』(二コラ・ブナム監督)もフランスからのコメディ。最新型のクルマを買い込み、家族でヴァカンスに出かけることになった。それなのに車ときたらスピードは上がるがブレーキがきかない。販売店に問い合わせてもラチがあかない。おじいちゃんと子ども二人に身重の妻。途中で同乗させた若い女。高速を並走する車をかき分けながら走りまくる92分のドタバタ。ジョゼ・ガルシアが喜劇にぴったりのキャラクターで笑わせる。
 『獣道』(内田英治)の題名から、試写に足を運ぶのをためらっていたが、どこか琴線にふれるところがある。物寂しさも感じる。実話が下敷きにあるという。山梨県の男女高校生の生態に、かつて世間を騒がせたカルト教団風の集まりも描かれている。これも人間の姿には違いない。突き詰めれば寂しい心を描いているように見える。
12「海の彼方」.jpg

『海の彼方』

 『海の彼方』(黄インイク監督)。1930年代、台湾がまだ日本の統治下にあったころ、約60世帯の農家が沖縄の石垣島に移住した。この映画に登場する玉木家の玉代も、夫と共に渡ってきた。サツマイモすら満足に口に入らない極貧の歳月を経て戦後、沖縄が日本に返還されたことに合わせて帰化。
 夫は他界したが70年の間に3男4女をもうけ、さらに孫が20人、ひ孫が37人の大家族をなした。2015年春、米寿を迎えた玉代オバアのもとに一族が集まり、祝いのパーテイーが催された。さらにオバアと連れ立って5人が台湾の旅に出る。描かれるのは肉親の絆。題材は悪くないが123分の長尺を巧くこなしきれず、ドキュメンタリーというよりもプライベート・フィルムに終わっている。もう少し脚本なりコンテなりをしっかり書いて、100分ほどに編集すれば、すっきりした作品になっただろうに惜しまれる。
 
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

中高年の「元気が出るページ」2017年8月号                    ①うにのおうちごはん歳時記第11回 夏の鯵 山田うに               ②安曇野発39 信州都市めぐり③  飯田市 加藤雅博                 ③186回シネマトーク【お帰り!新しいスパイダーマンは高校生】 西島雄造      ④番外編 YouTube 黒部アルペンルート

安曇野発38  信州都市めぐり③ 飯田

加藤 雅博


今年はまったくヘンな気候の連続です。空梅雨だと思ったら九州地方や東北・新潟方面の豪雨、連日の真夏日の襲来、梅雨明け“宣言”と同時に梅雨前線の停滞…。気象学的にはブロッキング現象というようですが、偏西風の流れが大きく乱れ、日本ばかりでなく、世界的に異常な気象が起きているようです。北米や、イタリアでの大規模山火事の発生、ヨーロッパの集中降雨、季節外れの降雪など海の向こうからも困った気象ニュースが届いています。これも人為による地球温暖化の影響でしょうか。
ida 0001.jpg

(飯田市の地図)

信州都市めぐりを続けます。3回目は飯田市です。前回、県内最北の飯山市だったので、今回は最南の飯田市。韻を踏んだわけではありませんが、「飯」を含むのは偶然。連日の真夏日のさなかを縫って向かいました。安曇野から長野道~中央道を経て1時間半強で中心部に到着します。
ida 0022.jpg

(天竜川の淵に臨む奇岩「龍角峯」)
 
ida 0023.jpg

(吊り橋と天竜川)

南アルプスと中央アルプスに挟まれ、そのど真ん中を流れる天竜川に沿った河岸段丘の丘の上に発達した城下町。6月1日現在の人口は100,329人(男47,956人、女52,373人、37,961 世帯)。長野、松本、上田市に続き4番目に人口の多い市です。今のところ10万人を維持していますが、ここ数年の推移を眺めると、漸減傾向。何とか歯止めをしたいところです。
ida 0002.jpg

(飯田市役所と市章)
 
ida 0003.jpg

(飯田市のシンボルりんご並木)
 
ida 0004.jpg

(植わっているリンゴの銘柄)

 飯田市を端的に紹介するキャッチコピーは「りんご並木のまち」「人形劇のまち」でしょうか。りんご並木は市の中央部の大通りに400メートルにわたって植え込まれたています。その歴史は敗戦直後にさかのぼります。昭和22年(1947)4月飯田に大火が発生し、おりからの強風で市の中心部の8割を焼失してしまいました。

この大火からの復興過程で当時の市立飯田東中学校の生徒たちの提案から生まれたのがりんごの植樹運動。大火から6年後、まず40本が植樹され、並木が誕生しました。以来今日まで70年間、代々中学生たちをはじめとする市民の手で守られ、育てられてきました。

入手困難な苗木から並木にするまでの苦労、初めての結実と盗難、励ましと次第に知れられていった並木、時代の変化の中で直面した様々な危機などなど、当初の「大火から復興」のシンボルから「飯田市のシンボル」としていまや全国に知られるようになりました。現在30もの団体が連携するネットワークを形成、各種のイベントが開かれています。
 
もう一つの市のキャッチコピー「人形劇のまち」の起源は300年前までさかのぼります。飯田は、京と江戸の中間に位置したことから、西と東の両様の文化が流れ込む山の都でした。この地域に、人形浄瑠璃が伝わったのは江戸時代半ば。上方で活躍していた人形遣いたちが、伊那谷に流入、各地区で熱狂的に受け入れられすっかり定着しました。一時期は伊那谷に30から40もの人形座があったといわれるほどです。
ida 0005.jpg

(今田人形座の拠点と人形)

このうち、龍江地区の今田人形が始まったのは宝永元年(1703)。起源の実年代が明らかな人形座として伊那谷では最古といわれています。龍江地区は天竜峡に面した丘陵地にあります。古くから紙漉き業が盛んで、明治以降は養蚕業が栄えました。そのころの明治21年(1888)に今田人形座を結成。戦争期にすっかり衰退しましたが、当時の龍江村長らが中心になって青年団に呼び掛け、復活、中学生たちの育成や「夕鶴」など新作物を創作、座員の若返りと継続につながりました。
ida 0006.jpg

 (今田人形の館)

 今では20余人の座員がいて、プロによる義太夫や三味線の研修を受けるなど、仕事の合間に技を磨いています。定期公演は、毎年大宮八幡宮の秋季大祭で上演。その前夜には和蝋燭を点しての幻想的な公演が行われています。八幡宮脇にある「今田人形の館」は人形浄瑠璃の保存伝承を目的に建設され、定期公演に使われています。

もう一つの黒田人形もやはり元禄年間(1688~1703)ころ、黒田地区で盛んになり、人形浄瑠璃発祥の地とされる淡路島からプロの人形遣いも訪れ、芸は本格的なものとなってきました。天保11年(1840)には旧舞台を取り崩して、四間に八間総二階の舞台を再建しました。この舞台は人形浄瑠璃の専用舞台として、専門的な工法による建造物であり、日本最大で最古といわれています。
ida 0007.jpg

(黒田人形専用舞台)

黒田人形は、江戸時代から受け継がれる三人遣いの人形浄瑠璃で、本家の淡路島でもやらなくなった「三番叟(さんばそう)」の技・芸をはじめ、独特なものが伝承されています。そしてこの技を受け継ぐべく、地元の市立高陵中学校の人形部の生徒たちによってもその技の伝習がおこなわれています。下黒田諏訪神社境内の専用舞台と人形浄瑠璃は昭和49年(1974)、国の重要文化財に指定されています。
ida 0008.jpg

(黒田人形浄瑠璃伝承館と人形)
 
ida 0018.jpg

(飯田駅前にもフェスタの看板)
 
ida 0019.jpg

(飯田市美術博物館)

この江戸時代から培われてきた人形劇の風土の上にいわば必然的に登場してきたのが「いいだ人形劇フェスタ」。毎年8月に数日間開かれている人形劇の祭典で、実は今年は通算すると39回になりますが、フェスタの前身である「人形劇カーニバル飯田」がスタートしたのは昭和54年(1979)です。全国各地の人形劇人たちが集まり、企画した初めての人形劇のお祭りでした。

市民と劇人、行政が一体となった実行委員会を組織し、企画運営に当たり、劇人はプロもアマも経費を負担して参加料を払うという「自主参加方式」を採用する画期的なシステムでした。参加者は1枚で何回でも観られる「ワッペン」を購入する方式です。
ida 0010.jpg

(国際糸操り人形館)
 
ida 0017.jpg

(人形劇フェスタの看板と文化会館)

昭和63年(1988)の第10回カーニバルには世界人形劇フェスティバルを併開、日本の人形劇のまちとして海外でも知名度が高まり始めました。平成元年(1989)の11回のカーニバルで行われた人形劇「三国志」公演に合わせて、作者でもある川本喜八郎さんが初めて飯田市を訪れました。
ida 0011.jpg

(人形館と使われる人形)

高い芸術性を備えた人形アニメーションを生み出し多くのファンを魅了した人形美術家・川本さんは、人形に情熱を傾ける飯田の人々が発した「人形が生きている」という言葉に深い感銘を受けます。この飯田こそ「人形たちに一番ふさわしい場所」と、「三国志」「平家物語」など自作人形を飯田市へ寄贈することを申し出ました。
ida 0009.jpg

(川本喜八郎人形美術館と川本作の人形)

飯田市は「人形劇のまち」の新たな拠点施設として、交流人口を増やし、人形劇文化の振興を目指した美術館建設を計画。平成19年(2007) 3月に「川本喜八郎人形美術館」を開館して川本さんを館長に招請しました。

美術館は、飯田市のシンボル「りんご並木」に隣接した再開発ビル内という絶好の立地です。約200体の人形のうち67体が、昭和57~59年(1982~1984)NHKテレビで放映された「三国志」の人形たちのほか、「平家物語」の人形、人形アニメなどが展示されています。館長に就任してから3年後の平成22年(2010)、川本さんは死去しましたが展示品の一体一体に川本さんの人形に寄せた熱い思いが残されています。

もう一つ、「人形劇のまち」にきわめてふさわしいと思われる施設が平成10年(1998)建てられた「竹田扇之助記念国際糸操り人形館」です。竹田扇之介さんは飯田市に隣接する喬木村の出身。400年もの歴史のある糸操り(あやつり)の「竹田人形座」の第10代目として引き継いだ、糸操り人形遣いの名手です。

映画・TV・ショービジネスに活躍、竹田の名跡を世界に位置づけ、今世紀最高の人形劇人7人の中に選ばれました。竹田さんは平成2年(1990)、故郷である飯田に移って竹田練場を再建、内外で収集したコレクションと共に練場を飯田市に寄贈しました。飯田市は、竹田家代々の功績を記念し、人形劇による国際貢献の中核的施設として、平成10年(1998)のフェスタにあわせ建設されました。

人形館は、元善光寺の隣にある博物館。竹田人形座の代表作「ゆきんこ」など、いくつかの人形を、人形遣いの視点で間近に見ることができます。南アルプスの眺望が素晴らしく、名木のシダレザクラ、舞台サクラ、美しい庭園も楽しめるロケーションです。

暑さを縫って訪れた飯田市は人形劇フェスタの準備の真っ只中。いずれの施設ともクローズ状態で残念ながらナマの人形を見ることができませんでした。本物の出し物を楽しむには事前にしっかりした計画を立てることが必要であることがよくわかりました。来年はぜひのぞいてみたいものと痛感しました。
ida 0012.jpg

(旧小笠原家の書院)

「人形劇」以外にも見所は数多くありますが、そんな中の幾つかを。市の東部、伊豆木地区の小高い丘陵地にある「旧小笠原書院」は、江戸時代の旗本、小笠原家の居宅で唯一現存しているもので、江戸初期
(1624)ごろの建築と推定され、貴重な武家書院として昭和27年(1953)に国の重要文化財に指定されています。
ida 0013.jpg

(書院の内部)

全国の重要文化財の書院はほとんどが寺院などの所有で、一般に公開されていない中、数少ない屋内に入ることができる書院。また、江戸時代初期の武家住宅は二条城(京都市 重要文化財)と旧小笠原家書院しかないため、全国に5000家余りあったといわれる旗本のうち、屋敷が残されているのはこの旧小笠原家書院だけといわれています。これは一見の価値ありです。
ida 0014.jpg

(小笠原家資料館)

書院の向かいにある、小笠原家にかかわる資料を保存する「小笠原資料館」(平成11年建設)も必見。書院とは好対照の、大きなガラス張りの超モダン建築。母の実家が旧小笠原家という建築家の設計による因縁の建築物。金沢の「21世紀美術館」も設計し、金獅子賞を受賞したほか、建築界のノーベル賞ともいわれるプリッカー賞を2010年に受賞しています。
ida 0015.jpg

(開善寺の重文山門)
 
ida 0016 .jpg

(開善寺の重文鐘楼)
 
ida 0020.jpg

(菱田春草生誕の碑、横山大観の書)
 
ida 0021.jpg

(飯田線「天竜峡」駅)
 
ida 0024.jpg

(飯田名物水引と豪華な作品群)

このほか、やはり重文になっている開善寺の山門と鐘楼、飯田城跡、市美術博物館もぜひ回りたいところ。天竜峡と、市内に集中してある水引細工の工芸館も見逃せません。飯田市はバラエティに富んだ地です。
 
 これから本格的な暑さを迎えそうです。お大事にお過ごしください。では、また。   

                               草々
 
□■□■□■□■□■□■□■□■
 安曇野 無頼庵
  加藤 雅博
■□■□■□■□■□■□■□■□
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

中高年の「元気が出るページ」2017年8月号                    ①うにのおうちごはん歳時記第11回 夏の鯵 山田うに               ②安曇野発39 信州都市めぐり③  飯田市 加藤雅博                 ③186回シネマトーク【お帰り!新しいスパイダーマンは高校生】 西島雄造      ④番外編 YouTube 黒部アルペンルート

<うにのおうちごはん歳時記>


毎日いただくおうちごはん。春夏秋冬、季節の彩りにあふれた食材や料理を取り上げて食の歳時記として連載します。

写真と文:山田うに


編集者・トラベルライター。よみうりカルチャーの野外講座・料理教室講師。ほかに『大人のカルチャーガイド』で美術館・博物館の企画展案内などを執筆。



第 11 回 8月 夏の鯵


玉江嬢「鯵のお料理も色々ございましょうね」お登和嬢「ハイ、鯵の酢煮は一度白焼にしたものを酢と味醂と醤油とで煮て、摺り生姜をかけて出します。鯵の酢の物は三枚に卸して塩を振って塩の利いた時分に酢へ十分間ほど漬けて丁寧にすればそれを取り出して皮を剥ぎ小骨を抜いて甘酢をかけて山葵を載せて出します。」
上記は村井弦斎の著した明治時代のグルメ本のベストセラー『食道楽』から「第二百十八 鯵料理」の冒頭の部分です。この章で料理上手のお登和嬢は、ほかに鯵の蓼酢、蓼蒸し(たでむし)、味噌焼き、醤油干し、塩コショウを振りバターを載せて天火で焼くロース、姿酢、すり身汁などの鯵料理を紹介しています。
PH1マアジ.jpg
(マアジ)

鯵といえば一般的にマアジのこと。大きなものは体長40cmにもなります。「アジとは味なり、その味の美をいうなり」とは新井白石の言です(写真はHP「ぼうずコンニャクの市場魚介類図鑑」から転載)
PH2鯵の三枚おろし (1024x768).jpg

(鯵の三枚おろし)

大ぶりの鯵の三枚おろし。酢〆やパン粉焼き、フライなどにぴったりです
PH3鯵の酢の物 (1024x757).jpg

(鯵の酢の物)

お登和嬢が紹介する鯵の酢の物。塩は軽めに、酢に浸す時間も20分ほどとしました。お登和嬢の言う通り、三杯酢をかけ山葵を添えました

 鯵は暖流に分布するスズキ目アジ科の海水魚の総称。日本近海には春から夏に北上し、秋から冬に南下します。『大和本草』には「東南の海に生るもの、形肥大たり。夏秋肉多く、冬春美ならず。又、室鯵・島鯵あり味劣る」とあります。『和漢三才図会』では「春の末より秋の末に至りて、これを多く採る。鮓に作り、煮る、炙る、膾ともに味甘美なり」と紹介し、さまざまな料理法で食されたことが分かります。このように鯵の旬は夏で、江戸時代には朝とれた鯵を夕方に棒手振りが売る“夕鯵”が有名でした。
    夕鯵が来るか来るかと松もどき(誹風柳多留一二二別4)
    鯵売が来るべき宵だと茄子を買い(誹風柳多留五六19)
    蓼と酢で待つ黄昏の魚の声(誹風柳多留一三六12)
 三首の柳句はいずれも料理法が分かる句です。一句目の“松もどき”とは茄子を細かに切り油を加えて炒め煮にしたもの。二句目は茄子を付け合わせに、そして三句目は焼き魚または刺身を蓼酢につけて食べることを詠んでいます。
PH4鯵の香味蒸し (1024x675).jpg

(鯵の香味蒸し)

酒塩をしてしょうがの千切りをのせた鯵を電子レンジで蒸して、白髪ねぎをのせ、熱したごま油をジュっとかけて醤油を一振り。香り美味な鯵料理です
PH5鯵の南蛮投げ (665x1024).jpg

(鯵の南蛮漬け)

体長7、8cmの豆鯵が手に入ったら南蛮漬けに仕立てます。カリッと揚げれば頭も中骨もぜんぶいただけます

 鰯、鯖と並んで庶民の食卓の友である鯵ですが、近年は各地でブランド化が進みました。有名どころでは大分の“関あじ”です。不動の人気は小田原や三浦、真鶴で獲れる相模湾の鯵。ことに西浦地域で獲れる鯵を小田原市では“小田原のあじ”とブランド化しています。また大分が関あじなら愛媛は“岬あじ”としてブランド化。関あじも岬あじも同じ豊予海峡で獲れた鯵なのですが、大分で揚げれば関あじ、伊予で揚げれば岬あじとなるのです。ほかに宮崎県延岡市北浦町の北浦灘アジ、長崎県五島灘のごんあじ、島根県浜田市のどんちっちアジなどがあります。庶民の味方の大衆魚、鯵が高級魚になっていくのは1960年代ころからといわれています。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

中高年の「元気が出るページ」番外編5

黒部アルペンルートツアーの最後に

長野の小布施にある癌封じの浄光寺に行った模様を紹介。

「 浄 光 寺 」


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

中高年の「元気が出るページ」番外編4


「黒部峡谷鉄道」トロッコ列車



2017年5月13日撮影

中高年の「元気が出るページ」番外編2


「 黒 部 ダ ム 」


2017年5月12日

中高年の「元気が出るページ」2017年7月号                    ①うにのおうちごはん歳時記第10回 うなぎと梅干し 山田うに            ②安曇野発38 信州都市めぐり2 飯山市 加藤雅博                 ③186回シネマトーク【メル・ギブソンが描く沖縄戦】 西島雄造

(((186回 シネマトーク)))

【メル・ギブソンが描く沖縄戦】

 
西島雄造



1「ハクソー・リッジ」.jpg

ハクソー・リッジ

 『ハクソー・リッジ』は太平洋戦争末期の沖縄戦を描いている。1945年3月26日から6月23日に至る、「軍事史の中で最も苛烈」と当時の英国首相ウインストン・チャーチルに言わせた90日。日本と、アメリカを中心にした連合国軍の戦死者を合わせると、集団自決の民間人を含め約20万人。5月末には首里の第32軍司令部が陥落し6月23日、牛島満中将(1887-1945、57歳)が自決して戦争は終わった。
 戦争の勝敗を描くことが主旨ではない。苛烈、凄惨、酸鼻を極める、虚しく愚かな人間の行為に切り込んでいる。主題は『プライベート・ライアン』(スティーヴン・スピルバーグ監督1998)にも通じる。139分の戦場描写は迫真に満ちている。ニュージーランド出身のサイモン・ダガンの執拗なカメラワークに負うところも大きい。脚本は『The Kentucky Cycle』(1992)でピューリッァ賞ドラマ部門受賞、テレビでは俳優としても活躍してきたロバート・シェンカンとアンドリュー・ナイトが書いた。
 主役デズモンド・ロス(アンドリュー・ガーフィールド)は実在した。1919年、大工の父親のもとに生まれ、キリスト教のセブンスデー・アドベンチストの学校で学んだ。父親の反対を押し切り「戦場が人を殺すにしても、助けるものも必要とされる。衛生兵として国に尽くすこともできるはず」と陸軍に志願。聖書を肌身離さず、入隊しても武器を持つことを拒んで軍法会議にもかけられた。
 そして激戦の地ハクソー・リッジへ。沖縄では前田高地と呼ばれる高さ150メートルの断崖。ハクソーは“糸のこぎり”のこと。弓なりに反りかえった崖の上に攻め上り、ばたばた倒れていく戦友たち。雨と降る弾丸を縫いながら、崖を行き来しては仲間を肩にかついで救命を続けた。こうして助けた同僚兵士75人。
 崖での戦いは5月9日に終わった。復員したドスは名誉勲章を受章、愛するドロシー(テリーサ・パーマー)と結ばれ、87歳で他界している。敗戦国の人間としては、まして沖縄の人たちには複雑な思いも残ろうが、戦場映画の白眉である。ウイリアム・ワイラー監督の『友情ある説得』(1956、1957年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドール)では、アンソニー・パーキンスが演じるクエーカー教徒の若者が南北戦争に従軍し、非暴力を唱えながら同じ若い敵兵を殺す場面があった。
2「パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊」.jpg
パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊

 『パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊』(ヨアヒム・ローニング&エスペン・サンドベリ監督)が7月1日から公開。海賊映画はハリウッドのお家芸だった。エロール・フリンとオリヴィア・デ・ハヴィランドの『海賊ブラッド』(マイケル・カーチス監督1935)『海の征服者』(ヘンリー・キング監督1942)『海賊バラクーダ』(フランク・ボーセージ監督1945)『海賊黒ひげ』(ラウォール・ウォルシュ監督1952)『深紅の海賊』(ロバート・シオドマーク監督1952)…これ等の作品にどれほど胸を躍らせたことか。1716年から26年頃は海賊の黄金時代と言われ、コロンブスが二度目の航海で発見したカリブ海のセント・マーチン島は、一般船や海賊船の水の補給地となっていた。黒ひげは1680年ごろに生まれ英国海軍戦隊で勇名をはせている。
 相変わらず“酔っ払い雀”のジョニー・デップ演じるジャック・スパロー。その敵“海の死神”サラザールを怪演するのはハビエル・バルデム、幽霊船サイレント・メアリー号を操り、ジャック・スパローに憎しみの炎を燃やす。もう一人の海賊、権勢を思うままに、さらなる力を求め伝説の秘宝ポセイドンの槍を手中にしようと<アン女王の復讐号>の船長におさまったキャプテン・バルボッサにジェフリー・ラッシュ。オーランド・ブルームとキーラ・ナイトレイも脇を飾る。壮大な海洋の撮影、わけても海が二つに割れる『十戒』(セシル・B・デミル監督1956)のような場面がラストに待っている。血沸き肉躍り、くすぐりも。
3「TAP THE LAST SHOW」 (2).jpg

TAP THE LAST SHOW

 水谷豊が監督・主演の『TAP THE LAST SHOW。』は水谷の思いがこもっている。メタルのカカトと爪先を床に激しく、あるいは軽やかにたたきつけるタップダンスは、アフリカで生まれて1800年代半ばにアメリカのボードビルやショウの舞台に広まった。Master Juba(1825-1852)は黒人として初めてステージに立った。John W. Bubbles(1902-1986)はリズム・タップの父といわれる。
13ビル“ボージャングル”ロビンソン.jpg

ビル“ボージャングル”ロビンソン

 そしてBill“Bojangle”Robinson(1878-1949)やSammy Davis Jr.(1925-1990)、Gregory Hines(1946-2003)、女性ではAnn Miller(1923-2004)ら忘れられないタップダンサーたち。ボージャングルの誕生日である5月25日は国際タップ・ダンス・デイと定められ、米ヴァージニア州リッチモンドには、その銅像がある。
 グレゴリー・ハインズはバレエのミハエル・バリシニコフと共演した『ホワイトナイツ/白夜』(テイラー・ハックフォード監督1985)や『タップ』(ニック・キャッスル監督1989)『Bojangles』(ジョセフ・サージャント監督2001)にも出演、来日公演でも見事な足さばきを見せた。こうしたことを念頭に置き、水谷が演じるダンサーを見ると味わいが深まる。
 渡真二郎、足に大けがを負ったばかりに酒を手放せない日々。そこへ劇場主の毛利(岸部一徳)からTHE TOPSの看板を下すことになり、最後のショウの演出をと声がかかった。オーディションにやってきたMAKOTO(清水夏生)のかかとの響きは、渡の胸を騒がせた。そして迎えた最後の夜…。出演者のエネルギーとわくわく感。水谷は『相棒』から新たな俳優の門出だ。邦画には珍しいショウビジネスの世界を巧く描いている。
4「アリーキャット」2.jpg
アリーキャット

 『アリーキャット』は気合の入った演出である。飼い猫の話から人間関係をつないでいくストーリー展開は巧みだ。社会の底辺に生きる者たち、闇社会に暗躍する無法者。繁栄の陰にありそうな挿話が広がる。母親となさぬ仲になった元ボクシング・チャンピオンの朝秀晃(窪塚洋介)は頭に後遺症をもちながら、警備員の仕事で日々を送っている。その素性を知った警備会社が、ストーカーにまといつかれているシングルマザー土屋冴子(市川由衣)のボディガードの仕事をさせたことから話は膨らんでゆく。猫を介して知り合った梅津(降谷建志)との奇妙な人間関係。
 幼い息子を抱えた冴子の過去には訳があり過ぎた。周辺に出没する経営コンサルタント、政治家とその走り使い、ボクサー時代に世話になった親分(日野正平)。バディ・ムーヴィーのような展開で朝、降谷が冴子の過去に巻き込まれてゆく。窪塚、降谷、市川の3人がとてもいい。日野正平の存在感はゆるぎない。
 多額の製作費と売れっ子スターを使い、拡大ロードショーで黙っていてもメディアが宣伝してくれるメジャー作品とは大違い。監督の榊英雄は俳優でデビュー、河瀬直美監督の『2つ目の窓』(2014アスミック・エース配給)などにも出演。2007年に絶望した高校生が主役の青春映画『GROW愚郎』で初監督。脚本の清水匡は『流し屋鉄平』(榊英雄監督2015)や『W~二つの顔を持つ女たち~』(藤田真一監督2015)などを書いている。製作・配給のアークエンターティンメントの専務坂上直行は、ヘラルド映画の宣伝部長で活躍した。映画の芯にアウトローな雑草魂がたぎって小気味がいい。
5「メアリと魔女の花」.jpg

メアリと魔女の花

 ロマンチック・ミステリーで知られる英国のメアリー・スチュアート(1916-2014)が初めて手掛けた児童書「小さな魔法のほうき」(1971)が原作の『メアリと魔女の花』(米林宏昌監督)は上々の出来栄えだ。米林監督に映画を作らせるため、スタジオジブリで『思い出のマーニー』(2014)のプロデユーサーをつとめた西村義明が設立したスタジオポノックの初めての作品。魔法はファンタジーの主題として王座にある。ヒロインのメアリはクロネコに導かれて森に入り、7年に一度しか開花しない紫に輝く魔女の花“夜間飛行”を手にしたことから魔法のほうきと出会い冒険が始まる。元気で勇敢な“魔女”メアリが、魔法世界の最高学府・エンドア大学の校長らの悪たくみに挑む。メアリの運命は…。名うてのスタッフが集まり、細密な作画、鮮やかな色調が全編を彩っている。
6「世界にひとつの金メダル」.jpg

世界にひとつの金メダル

 『世界にひとつの金メダル』の原題『Jappeloup』は実在の馬の名前。1975年生まれ、柄は小さめだが気性が強く跳躍力に秀で、障害飛越競技でフランスの国民的な人気を得た。むろん人馬一体の騎手ピエール・デュラン(ギヨーム・カネ)の物語でもある。舞台はフランスのドルドーニュ地方。ワインで名高いボルドーが位置するジロンド県の東隣にあり、広大な森とワイン醸造で知られる。
 主人公の父親セルジュ(ダニエル・オートゥィュ)は葡萄畑を手放して馬場を始める。ピエールは弁護士を志望していたが、障害競馬への思い断ちがたく、ジャップルーに騎乗する日々が始まる。1984年のロサンゼルス五輪では失敗に終わるが、1988年のソウル五輪では米国、西独を抑え金メダルに輝いた。監督のクリスチャン・デユゲイはカナダ出身、国内の障害ジュニア大会で優勝したことがあるという。ギヨーム・カネも父親は馬の飼育場を営んでいた。馬への情愛がよく伝わる。
7ジョン・ウイック チャプター2」.jpg

ジョン・ウィック:チャプター2

 『ジョン・ウィック:チャプター2』(チャド・スタエルスキ監督)はニューヨーク、ローマを舞台に、胸のすくゴージャスな活劇に仕上がっている。キアヌ・リーブス演じる伝説の殺し屋、鉛筆1本で三人を殺す暗闇の仕置き人。帰ってきたお洒落なジョン・ウィックが、カーチェイス、撃ち合い、格闘と思う存分に暴れる。カメラと編集のキレがいいから、122分、息もつかせない。ローマでは目いっぱい豪華。ますます男に磨きがかかったキアヌ・リーブスがお洒落の神髄を見せる。これではチャプター3も作らざるを得ないだろう。
8「ジーサンズ はじめての強盗」2.jpg

ジーサンズ はじめての強盗

 『ジーサンズ はじめての強盗』(ザック・ブラフ監督)の原題は『GOING IN STYLE』、胸を張って生きようとでも訳せばいいか。ジーサンズの3人はウィリー(モーガン・フリーマン)、ジョー(マイケル・ケイン)、アルバート(アラン・アーキン)。そろって40年間、働いてきた会社が代替わりし、老後に頼みの年金がフイになった。孫に会う金も底をつき、体の調子もはかばかしくない。そればかりかジョーのローンが3倍に跳ね上がり、銀行に相談してもけんもほろろ。そこへ銀行強盗発生。ジョーも財布を差し出すが、首に入れ墨の犯人は「年寄りを敬うのは社会の義務」と格好いい。
 ジョーが思い立ったのは、年金分を銀行から頂いちゃおう。人生最後の賭けの始まりだ。さあ付け焼刃ながらトレーニングのスタート。ウィリーは腎臓を病み移植を迫られている。アルバートには訳アリの女性(アン=マーグレット)がいて…などといった事情も絡み、首尾やいかに。80歳のモーガン、84歳のマイケル、83歳のアランとアカデミー賞受賞の3人が高齢社会を地で演じる。オチも上出来のハッピー・エンディング。紅一点になんとアン・マーグレット、『バイ・バイ・バーディ』(ジョージ・シドニー監督1963)『シンシナティ・キッド』(ノーマン・ジュイソン監督1965)のころの美しさがよみがえる。ディーン・マーチン(1917-1995)の持ち歌「Memories Are Made of This」とダイナ・ワシントンでヒットした「What a Difference a Day Made」が巧く使われている。
9「心に吹く風」.jpg

心に吹く風

 『冬のソナタ』(2002)で日本のお茶の間まで虜にした韓国のユン・ソクホ監督が、北海道・美瑛~富良野を舞台に撮った恋物語『心に吹く風』。高校の頃、淡い恋心を抱き合った男と女が23年後に再会した。ビデオアートの撮影で北海道に来た日高(眞島秀和)、春香(真田麻垂美)は結婚して子どもをもうけていた。改めて燃え上がる不倫の愛。しかし、ユン・ソクホ監督は不倫の匂いさえ感じさせない。北海道の自然を背景に美しく撮り上げている。自然の描写は絵画的でさえある。木の葉の揺れ、風鈴…心象的に風を感じさせる。眞島の感情を抑えた演技、小栗康平監督の『眠る男』(1995)でデビューした真田がきらめいている。とらえられた自然こそ主役のようだ。音楽を韓国のイ・ジス。
10「歓びのトスカーナ」.jpg

歓びのトスカーナ

 『歓びのトスカーナ』は自らもイタリア・トスカーナ州リヴォルノ生まれのパオロ・ヴィルズイ監督。ヒロインのベアトリーチェ(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)は気位が高く自意識も並ではない。人一倍口がたち鼻っ柱が強く「ディオールしか着ないの」と気どり、ときには相手かまわず怒鳴り散らす。そうかと思えばお節介も焼き、平気で他人のものに手を伸ばす。元夫は裕福な弁護士。
 精神科のグループホームに入れられ、出会った若い母親ドナテッラ(ミカエラ・ラマッツォティ)。子育ての力がないと男の子を取り上げられ、身も心も病んでいる。この二人が金もないのに施設を飛び出し、自動車まで盗んで織りなすドラマ。イタリア男の理想の女性像ではあるまいが、イタリア式人生哲学が感じられないでもない。
11「ライフ」.jpg

ライフ

 デンマーク国立映画学校で学んだダニエル・エスピノーサ監督の新作『ライフ』は宇宙を舞台にしたSF。国際宇宙ステーション=ISSが火星探査機の回収に成功し、ゼラチン状のサンプルから地球外生命体の存在を確認する。生命体は細胞分裂を繰り返しながら高い知性と思考力を持ち、急速に成長し始める。驚異的な生存能力を身につけ、変形しながら移動し闘争的でもある。この異生物を地球に侵入させないためのISS内での乗組員たちの闘いが後半の見せ場になる。ジェイク・ギレンホール、レベッカ・ファーガソン、ライアン・レイノルズに、真田広之も重要な役割を演じる。異星人が次第にタコに似てくるところは、半生記前の火星人の発想から抜け出していないが、面白く作っている。
 『いつまた、君と』の原作は、主演の向井理の祖母・芦村朋子の半生をつづったもので、学生だった向井が自費出版して卒寿の祖母に贈ったものだという。戦中・戦後に夫婦が懸命に生きる姿は、1982年生まれの向井にとって新鮮な驚きだったに違いない。しかし、当時を知る者には日本人の日々は、はるかに過酷だった。むろん1976年生まれの深川栄洋監督にとっても、すべてが未知・未体験の時代。それだけに細部の描写にはもの足りなさが残る。昭和22年(1947)、愛媛から茨城県へ移動することがどれほど至難だったか想像がつかないだろう。昭和23年、タイル販売に転じた吾郎が示す台所の模様替えの見本が、当時はアメリカ映画にしか見られないようなキッチンだ。物語はダメ男(に見える)吾郎(向井)としっかり妻子(尾野真千子)の夫婦愛。内容はとてもまじめだ。
12「忍びの国」.jpg

忍びの国

 『忍びの国』(中村義洋監督)は大作時代劇。織田信長の次男・信雄(知念侑李)が天下統一を目指して率いる織田軍と戦った、伊賀の忍び軍。主役は無門(大野智)。勝敗は…。和田竜の小説を自ら脚本化したが、大勢の役者それぞれが大芝居を演じ、少し主役がぼけた。無門の妻に石原さとみ、語りを山崎努。嵐が音楽を手掛けている。
 少年院や刑務所で若いころを過ごし、『暴走機関車』で知られる異色の作家・脚本家で俳優でもあるエドワード・バンカー(1933-2005)の小説を、ポール・シュレイダーが監督した『ドッグ・イート・ドッグ』。ニコラス・ケイジとウィレム・デフォー。監督も顔を出している。原題の意味は共喰い。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

中高年の「元気が出るページ」2017年7月号                    ①うにのおうちごはん歳時記第10回 うなぎと梅干し 山田うに            ②安曇野発38 信州都市めぐり2 飯山市 加藤雅博                 ③186回シネマトーク【メル・ギブソンが描く沖縄戦】 西島雄造

安曇野発 信州都市めぐり ② 飯 山 市

加藤 雅博

iym 0001.jpg

飯山市の位置図

2回目の都市めぐりは飯山市です。信州の最北部にあり、県下でも有数の豪雪地。歴史が古く、寺社が多い町並みは“雪国の小京都”と称される一方、2015年の北陸新幹線の開通によって駅周辺の整備にあわせた近代化の面影も見せる懐古とモダンが同居する市のようです。
 
飯山は古くから日本海と山国信濃を結ぶ交通の要所として栄え、塩、魚などの海産物の集散地でした。同時に大和朝廷時代には越後・出羽開拓の重要な駅路としての役割を担ってきました。戦国時代になると上杉謙信が川中島出陣に赴く際の前線基地として戦略的に重要な地となり、永禄7年(1564)には千曲川左岸に飯山城が築かれ、以後城下町として都市が形成されていきます。
 
明治維新後、廃藩置県によって飯山県、そして長野県に編入されます。市町村制で明治22年(1889)に飯山町が発足、昭和29年(1954)町村合併促進法で飯山町を中心に秋津村、柳原村、外様村、常盤村、瑞穂村、木島村に1町6村が合併飯山市が誕生。その後周辺の大田村、岡山村を編入、現在に至っています。
iym 0002.jpg

飯山市役所と市章
 
今年5月1日現在で人口は2万668人(男1万34人、女1万634人、7,343世帯)。県下19市の中で最少の人口です。 ちなみに飯山市を上回る町が上伊那郡箕輪町で2万5144人。飯山市の次に控える町が諏訪郡下諏訪町、上伊那郡辰野町、北佐久郡軽井沢町があります。どの地域も漸減傾向にありますが、軽井沢町だけはわずかながら増加しています。これは移住など社会増とも考えられるため、飯山市は早晩軽井沢町にも追いつかれるかも知れません。
iym 0003 .jpg

仏壇街と雁木
 
歴史のある城下町で、300年前に始まったといわれる仏壇作りは、仏教信仰の篤い土地柄と漆塗りに適した気候とも相まって飯山の代表的な伝統産業です。市街地の愛宕町には多くの店が軒を連ねて仏壇街を形成し、仏壇作りに携わる就業者数は150人ほど。年間1,000本もの仏壇が生産されています。
 
また、この通りは「雁木(がんぎ)」通りともいわれています。雁木とは雪国特有の雪除けの屋根のこと。冬を快適に過ごすための雪国ならではの知恵ですが、約300mにわたって雁木が再現された通りです。
 
市内には、仏教の地、仏壇の街にふさわしく多くの寺社が効率よく集まっていて、手短な寺巡りが可能です。飯山城址を中心に点在する寺社は22か所。各種のコースが用意され、時間の余裕と体力にあわせて散策できます。県の史跡に指定されている禅宗の名刹「正受庵」、藤村の『破戒』の舞台としても知られる「真宗寺」など由緒ある寺もあります。
iym 0004.jpg

映画セットのままの阿弥陀堂
 
寺巡りを終え、まだ時間と体力に余裕があったらお薦めしたいのが「阿弥陀堂だより」のロケ地見学です。2002年10月に封切された映画「阿弥陀堂だより」は南木佳士の同名小説が原作。パニック障害を病んだ妻(樋口可南子)を連れて帰郷した夫(寺田聰)と、阿弥陀堂を守る老女おうめ(北林谷栄)との交流を描いた小泉堯史監督の美しい映像と静謐に満ちた作品です。
 
1年に及ぶ長期撮影の実現で、奥信濃の豊かな四季の移ろいを見事にフィルムに収めた秀作。出演時92歳だった北林は、第26回助演女優賞に輝き、少女役で出演した小西真奈美は新人俳優賞を受賞しました。映画の大半は飯山市瑞穂福島地区の山間がロケ地で、セットされた阿弥陀堂が現在もそのまま建っています。
iym 0005.jpg
三部の棚田の石垣
  
iym 0006.jpg

棚田と飯山市
 
阿弥陀堂に隣接して「棚田の里 三部(さんべ)」地区があり、石垣で作られた棚田が素朴な景観を見せています。江戸時代に開発された新田です。この地区は石が多く掘り出されるため、その石を利用した手造りの棚田です。農水省の「日本の棚田百選」に選ばれています。
 
この地区が、水利条件の悪さに加え、コメの生産調整や、耕作不利条件による採算割れ、高齢化や後継者問題の深刻化し、棚田の荒廃化が問題となっていました。そんななか、同集落は、地元の有志14人が集まり、平成10年(1998)に福島棚田保存会を結成し 荒れた棚田の半分を復活させました。田植えや稲刈りシーズンには数多くのカメラファンが訪れます。
iym 0007.jpg

復活した万仏山案内
 
阿弥陀堂背後にある山が万仏山です。全山がごつごつした岩山で、幾万もの仏頭を集めたような景観から付けた名称のようです。参道沿いに観音像が山頂近くの万仏岩のお堂の横まで33体点在しています。江戸時代末期の弘化3年(1846年)から建立されはじめ、千手観音像が目立ちます。石仏に興味がある向きにば大層楽しめます。
iym 0008.jpg

参道に並ぶ観音像
 
万仏山を詣でる万仏講の風習が昭和の初期まで伝わっていましたが、近年すっかり途絶え、地図、ガイドブック、記録からも消えかかっていました。最近になってようやく地元の有志によって山道の整備が進められ、5月8日の山開きも復活しました。阿弥陀堂、三部の棚田、万仏山と33観音像が一体となって一大観光スポットとして注目を浴びるには十分です。
 
この万仏山と谷を一つ隔てた小菅山のふもとに広がる地区一帯は「小菅の里」と呼ばれています。実は今回の旅の主目的は、この里の訪問でした。3年前、小管の里と小管山周辺が国の重要文化的景観に選定されて以来、一度は訪れたいと願っていた地。長野県では7年前の「姨捨の棚田」の選定に次いで2件目です。
iym 0009.jpg

小菅神社入り口の案内板 

集落の中心である小菅神社は、かつては小菅山元隆寺(がんりゅうじ)といい戸隠や飯縄と並ぶ奥信濃の三大修験場として繁栄しました。開祖は白鳳8年(680)、小管山に開山。その後大同年間(806~810)に坂上田村麻呂による元隆寺の創建が起源とされています。その後平安時代後期、小管山に熊野修験が入り込んだことで修験場として確立したようです。
iym 0010.jpg

石畳の参道と杉並木 

戦国時代に入ると信濃全域が上杉氏と武田氏の争いの舞台となり、小菅山は上杉氏の庇護下に置かれたものの、武田の侵攻でほとんどを焼失、情勢が落ち着いたころ奥社本殿が再建されました。江戸時代に入り、世の中が安定し始めると杉並木、宗教建築が整備され、霊場としての小管の統治は寺院から里人の手に移り、明治時代の神仏分離によって同33年(1900)、改めて小菅神社として再出発しました。
iym 0011.jpg

参道に点在する奇岩。御座石
 
iym 0012.jpg

参道に点在する奇岩。御座石蝦蟇石
 
iym 0013.jpg

小菅神社奥宮。国の重文 

小菅山には奥社、里社、講堂、社殿など室町中期の建築様式を再生して保存してありますが、中でも奥社は小管山頂近くの岩場をそのまま利用して建てられた懸崖造りの建物。国の重要文化財です。三の鳥居から奥社までの参道はおよそ1時間のハイキングコース。県の天然記念物にもなっている180本の樹齢300年の杉並木800メートルを経て、途中数々の奇岩を眺め、霊場らしい“気”を感じ、森林から発せられるフィトンチッドを浴びながら汗を流しました。
iym 0014.jpg

里宮の講堂。阿弥陀三尊像を安置
 
iym 0015.jpg
小菅神社・仁王門
 
iym 0016.jpg

小菅神社・二の鳥居

集落を東西に走る参道の両脇に建てられた里社、講堂、社殿のほか菩提院、観音堂、大聖院、護摩堂、仁王門といった建築群と集落は「小菅の里」の風景にふさわしく、時間があったらゆったり見学したいところです。まっすぐに伸びる「カイド(街道の音訛)」を軸に左右に石垣を築き、家の敷地や田畑を造成した地割り、洗い物や消雪に利用するため各家に湧き水を引き込んだ「カワ」や「タネ」と呼ばれる池など集落と山が一体となった文化的景観が残されています。
 
石垣や水路の維持管理や共同作業を「オデンマ」と称し昔からの伝統に従って集落の共同体が運営する生活が、脈々と受け継がれてきています。小菅神社の例大祭として行われる「柱松柴燈行事(はしらまつさいとうしんじ)」は、修験道の柱松行事が完全な形で伝えられており、国の重要無形民俗文化財に指定されています。かつては毎年7月15日に行われていましたが、現在は3年に一度の開催になってしまいました。この祭りも一度は見学したいものです。小管の里には現在60世帯、153人が暮らしています。
iym 0017.jpg 

北陸新幹線と飯山線の飯山駅
 
iym 0018.jpg

市内の寺巡り案内
 
北陸新幹線の開通は東京金沢 大阪圏―金沢の交通圏と金沢市周辺の賑わいは目立ちました。新幹線と在来線の飯山線の駅舎一体化と駅周辺の整備と飯山の観光スポットの売り込みに力を注いできましたが、飯山は通過点に留まっていて、今一つ集客力が不足している感があります。
iym 0021.jpg

飯山市文化交流館「なちゅら」
 
iym 0022.jpg

木をふんだんに使った「なちゅら」 

観光スポットを3か所紹介しましょう。2020年開催の東京オリンピック新国立競技場を新た設計しなおした隈研吾さんが、飯山の新幹線飯山駅開業に合わせて建築したのが飯山市文化交流館「なちゅら」。質の高い音楽環境が整った芸術・文化振興の拠点、まちの交流、にぎわいの場として建設したそうです。飯山駅斑尾口のすぐそばです。
 
外装は不思議な形の建物で、外壁の仕上げは手前がカラマツ、奥が鋼ですが、全体に温かみを感じさせます。内部に入ると雁木にヒントを得た「なかみち」と呼ばれる自由通路があり、県産材のカラマツ、ヒノキがふんだんに使用され、木のぬくもりが伝わってきます。小ホールの内装には地元の「内山和紙」(経産大臣指定伝統的工芸品)が使用され、飯山らしさを主張しています。見学は自由。見ておいても損はありません。
iym 0019.jpg

人形館の案内 

2か所目は高橋まゆみ人形館。飯山在住の人形作家、高橋まゆみさんの手作り人形が展示されています。通信教育で基礎を学んだあと、日本の田舎暮らしの人々をモチーフに独自の作風を確立しました。中年を過ぎた人なら懐かしく、思い当たる風景と人物像が迫ってくる作品群。数多くのファンたちから圧倒的な支持をえています。飯山駅の近く。
iym 0020.jpg
 
アジサイ寺高源院と花の一部

もう1か所、花好きに見逃せないのが飯山の「アジサイ寺」情報。戸狩温泉スキー場のふもとにある曹洞宗の古刹高源院は、北アジサイ寺と呼ばれ親しまれています。27年ほど前から植え始め、約20種、600株、1万本のアジサイが咲き誇ります。北に位置するためか、遅くから+咲き始め比較的長い期間咲いているのが特徴。今回は時期がちょっと早すぎました。普段はいまごろからが最盛期で、およそ1か月の間、境内を彩ります。
iym 0023.jpg 

大町の国際芸術祭出品アート

iym 0024.jpg

大町の国際芸術祭出品アート

前回大町市で紹介した「北アルプス国際芸術祭」が市内5つのゾーンで7月いっぱい開かれています。ほんの一部ですが画像で紹介します。安曇野はどうやら空梅雨の気配濃厚です。

 では、また。          草々


□■□■□■□■□■□■□■□■
 安曇野 無頼庵
  加藤 雅博 
■□■□■□■□■□■□■□■□
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域
前の10件 | -