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中高年の「元気が出るページ」2017年2月号                   ①うにのおうちごはん歳時記第5回  節分と蕗の薹 山田うに            ②安曇野発 信州村めぐり34生まれ故郷「旧・南安曇郡安曇村」を歩く 加藤雅博  ③181回シネマトーク西部劇は20世紀の遺物ではない 西島雄造

(((181回 シネマトーク))))

【西部劇は20世紀の遺物ではない

 
西島雄造


 映画の全盛期、そしてハリウッドが活力に満ちていた時代、西部劇はスクリーンに君臨していた。西部劇ファンはジョン・フォード(1894-1973)の映画をこよなく愛した。両親はアイルランド移民。1917年、30分の無声西部劇『颱風』で監督デビューする。『男の敵』(1935)『怒りの葡萄』(1940)、アイルランドを舞台にした『わが谷は緑なりき』(1941)『静かなる男』(1952)で4度のアカデミー監督賞を手にしている。
 筆者の記憶にある初めてのフォード作品は戦前の海外で観た『ハリケーン』(1937)だ。主題曲「マナクーラの月」のメロディーは今も耳に残っている。作曲したアルフレッド・ニューマン(1901-1970)はアカデミー賞を9度受賞し、ノミネートは32度にのぼるハリウッド映画音楽界の重鎮だった。『大空港』(1970)が最後の作品となる。
3「駅馬車」.jpg


 ジョン・フォードの名を忘れられないものにしたのは『荒野の決闘』(1947)だ。映画は芸術ではないかと漠然と思った。以来、監督賞受賞作はもとより『駅馬車』、フォード初のカラー作品『モホークの太鼓』(いずれも1939)『アパッチ砦』(48)『黄色いリボン』(49)『リオ・グランデの砦』(50)、そして『ミスター・ロバーツ』『長い灰色の線』(いずれも1955)『リバティ・バランスを射った男』(1962)…と見逃すことはなかった。
 フィルモグラフィーを見ると、手掛けた作品140本(1917-1966)のうちサイレント時代に40本。トーキーに入って最初のころは普通のドラマやコメデイもあるが、1939年の『駅馬車』で西部劇に回帰する。アカデミー作品、監督賞にノミネートされたが、勝者は『風と共に去りぬ』だった。太平洋戦争に突入すると、陸海軍関連のドキュメンタリーに専念し、『12月7日』といった作品も残している。俳優としての出演作も19本(1913-1916)。戦いが終わると『荒野の決闘』を世に問うた。戦後に撮った西部劇は15本である。
 《映像の詩人》と敬愛されたフォード監督だが、時代の変遷とともにインディアンという呼称さえ、ネイティヴ・アメリカンにとって代わる。AFI=American Film Instituteが選ぶ《ベスト100》に連ねるフォード作品は、21位にJ・スタインベック原作の『怒りの葡萄』、63位にやっと『駅馬車』、『捜索者』(1956)が96位である。
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「マグニフィセント・セブン」

 『マグニフィセント・セブン』が1月27日から公開されている。言うまでもなく、ジョン・フォードに影響を受けたという黒澤明監督の最高傑作『七人の侍』(1954)を下敷きにした西部劇。アントワーン・フークワ監督の今作に並ぶ七人は、治安官にデンゼル・ワシントン、クリス・ブラッドがガンマンにしてギャンブラー、南北戦争のトラウマを背負った狙撃手にイーサン・ホーク、山男にヴィンセント・ドノフリオ、ナイフを武器にするイ・ビョンホ、メキシコ人のガルシア・ルルフォ、そしてインディアンにはマーティン・センズメアといずれ劣らぬ面構え。悪役ボーグにピーター・サースガード、これがすこぶるいい。
 西部の開拓者の町ローズ・クリーク。金採掘のため住人たちを不埒な暴力で追い詰める悪党一味に対抗しようと、夫を殺されたエマ(ヘイリー・ベネット)が助っ人を探し求める。事態は緊迫しボーグが援軍を呼ぶ。到着までの7日間に銃を握ったことのない町民に戦い方を教え、罠を仕掛ける。敵は1861年に開発された多砲身のガトリング砲で狙い撃ちしてくるが…。インディアンという呼称を躊躇うことなく使うが「インディアンの恥を知れ」と先住民に敬意を忘れない。主題は言うまでもなく勧善懲悪。正真正銘の西部劇をお勧めする。
1「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」 (2).jpg
「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」

 ティム・バートン監督の新作『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』は大人をも不思議、奇妙な世界に導く。登場するのはミス・ペレグリン(エヴァ・グリーン)、主人公の16歳の少年ジェイク(エイリ・バターフィールド)と祖父のエイブ(テレンス・スタンプ)、不死身になるためにミス・ペレグリンたちを捕まえにかかる邪悪なバロン(サミュエル・L・ジャクソン)、鳥に変身するミス・アヴォセット(ジュディ・デンチ)。空気より軽い少女、巨大な野菜を育てたり、巻き毛の後頭部に鋭い歯を持っていたり、顔のない少年や頭から爪先まで白い布で覆われた名無しの双子もいる。様々な能力を秘める子どもたち。
 ミス・ペレグリンの屋敷で展開する(悪)夢のような出来事の数々。ときに神秘的、ときに意表を突く想像力と創造性に満ちた127分。終幕はイングランド・ランカシアーのリゾート地Blackpoolに移る。ブラックプールタワーやイルミネーション・ビーチが目を奪う。バートン監督ならではのファンタジーに満ちた世界だ。サミュエルの怪演も見もの。
 世界を震撼させたEDWARD SNOWDEN、1983年6月21日生まれ。2004年に米軍の特殊部隊に入り、過酷な訓練で両足を骨折して除隊。のちNSA=アメリカ国家安全保障局、CIA=中央情報局で実体験した、コンピュータ・ネットに不正侵入してデータを改ざんするクラッカー、また諜報活動、破壊行為といったサイバー戦争の現実に幻滅した。2011年6月、米国務長官は「外国によるサイバー攻撃は戦争行為と見なす」と断じる状況にあった。
 スノーデンは2013年6月、香港で英ガーディアン紙、ワシントン・ポスト紙、サウスチャイナ・モーニング・ポストの取材、インタビューを受け、NSAによる個人情報収集やPRISM計画について告発した。PRISM計画はマイクロソフトやグーグル、ヤフーなどのフェイスブック、YouTube、ユーザーの電子メール、文書、写真、利用記録、通話の情報を収集するNSAの極秘監視プログラムである。米司法当局は時を移さずスノーデンに対する逮捕命令を出すが、スノーデンはロシア移民局から滞在許可証を得てロシアに身を移す。
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「スノーデン」

 こうした事実をもとに新作映画『スノーデン』は作られた。監督は社会派のオリバー・ストーン。これ以前にローラ・ポイトラス監督『シチズンフォー スノーデンの暴露』が、第87回アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を得ている。ジョセフ・ゴードン=レヴィットがスノーデンに扮した新作も、スリリングに展開する。人は人を疑う。疑えば監視し、疑惑は増幅される。コンピュータという魔法の器械は洗練され進化するうちに自己撞着と自己破壊を起こし、サイバー戦争に発展しているようだ。もっとも今日的な主題に違いない。
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「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」

 『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』(ジャン=マルク・ヴァレ監督)は、冷たい風が吹き抜けるような、微妙な心のひだを描いている。妻が運転中に事故死する。金融家の娘と結ばれた貧しかった青年デイヴィス(ジェイク・ギレンホール)。義父(クリス・クーパー)に見込まれ要職に就いて、前途洋々のニューヨーク・ウォール街のエリート銀行員になっていたのだが。数字だけが仕事の日々に、いつしか感情を喪失していたジェイク。妻の死さえも現実としてとらえることが出来ないでいた。
 乱れた感情の淵から這い上がるにはどうすればいいのか。地位を捨て財産も住んでいる家さえも、それまでの生活をすべて壊すことで、気持ちを吹っ切ろうとする。喪失の悲しみは他者には理解できない。そんなときに出会ったシングルマザー(ナオミ・ワッツ)。『ダラス・バイヤーズクラブ』(2013)の監督のもとで、もともと目に力のあるギレンホールが、これまでのスタイルを脱ぎ捨てた深い演技を見せる。原題のDemolitionは特権などの打破、破壊、建物などの取り壊し、作り上げたものをひきずり下す(ラテン語)などを意味する。
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「ドクター・ストレンジ」

 『ドクター・ストレンジ』(スコット・デリクソン監督・脚本)の舞台は魔術の世界。Marvelが創り出した新たなスター、ドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンパーバッチ)は天才外科医だったが、交通事故で両手の機能を喪失してしまう。一瞬にしてキャリアも名声も富もなくした男は、腕を治せる魔術師がいるというカトマンズのカマー・タージ寺院を目指した。魔術を会得しようと身をささげる者の聖域。時空を超えた魔術に関する知識を収めた図書館もある。ドクター・ストレンジは修業のすえ魔術師としてマスターの位とともに<人類を守る>運命を与えられる。
 さまざまに奇妙、奇天烈、それらしい言葉がちりばめられる。アストラル次元、異次元をも見通す護符アガモットの目、あらゆる場所への通過口を現出させる装飾具スリング・リング。時間に関する魔術の本<カリオストロの書>。医師にして錬金術師、また詐欺師でもあるアレッサンドロ・ディ・カリオストロ(1743―1795)が知られる。
 登場人物もドクターの兄弟子、魔術所の番人、世界を破滅させようとする闇の魔術師、そしてティルダ・スゥィントン扮する神秘の力の守護者。ドクターのもとの恋人で救命救急医にレイチェル・マクアダムス。MARVELとディズニーがタグを組み、最高水準の映画術を駆使し、時空を超えた映像で、最もファンタスティックな魔術の世界を展開する。
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「ザ・コンサルタント」

 『ザ・コンサルタント』(ギャビン・オコナー監督)の主役クリスチャン・ウルフ(ベン・アフレック)は自閉症気味で幼時を過ごした。軍人の父親は幼い主人公と弟に、危機的状況での戦い方を徹底的に習得させる。数字に対する並外れた記憶力が役立ち、長じて有能な会計士になる。一方でその集中力が機能して有能な狙撃手に育っていた。
 仕事が舞い込む。ロボット製造で業界をリードする会社だが、経理に不正が発見され、巨額の金が流出している。一夜にしてそのからくりを解きほぐすが、調査は一方的に打ち切られ、クリスチャン自身も闇の顔を追及され始める…。ベン・アフレックの新境地を楽しめばいい。J・K・シモンズと、珍しやジョン・リスゴー、アナ・ケンドリックも出ている。
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「愚行録」

 『愚行録』の原作は貫井徳郎の2006年の小説。題名通り大学生たちの愚かな人間関係が物語を紡ぎ始め、やがて一家殺人に収斂してゆく。人間は時に承知、不承知にかかわらず、愚かな行為に走り思わぬ結果に直面することがある。細部をていねいに描いた向井康介の脚本を、石川慶監督が正攻法で映像化している。
 このところの妻夫木聡は『怒り』(李相日監督)『ミュージアム』(大友啓史監督)と一作ごとに成長を遂げており、屈折した週刊誌記者役を淡々と演じている。妻夫木の妹を演じる満島ひかりのみずみずしい感性は得難い。小出恵介は表情で細やかに演じ分けている。臼田あさ美、市川由衣、松本若菜ら他の俳優もみな巧い。それぞれが持つ資質か、演出の力か。
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「僕と世界の方程式」

 『僕と世界の方程式』(モーガン・マシューズ監督)はイギリスから届いた愛の物語。イングランド中部のシェフィールドに住むネイサン(エイサ・バターフィールド)もまた自閉症気味の少年だ。こと数学に関しては図抜けた資質を持っていた。理解者だった父親マイケルが交通事故で他界して、いっそう引きこもりがちなネイサン。母親は9歳のネイサンに数学の個人教授を頼み、かつて数学オリンピックにも出ながら多発性硬化症を患って挫折したマーティンとの交流が始まる。
 指導が実り、ネイサンは国際数学オリンピックのイギリス代表チームの選抜候補となり、台湾でのトレーニングに参加し、中国チームの少女とパートナーを組むことになったのだが…。高校生が対象の国際数学オリンピックは、毎年開催される。シェフィールドには国立大学があり、過去にノーベル生理学・医学賞と化学賞に各3人の受賞者を出している土地柄。映画は友情、師弟、母と息子、ガールフレンド、父親との思い出を描いてさわやかだ。
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「マギーズ・プラン―幸せのあとしまつ―」

 『マギーズ・プラン』(レベッカ・ミラー監督)のマギー(グレタ・ガーウィグ)は、ニューヨーク・マンハッタンの大学で芸術とコマーシャルの橋渡しをしている。子ども願望で、ブルックリンで野菜を商っている大学の同級生の精液をもらい人工授精を目論む。ひょんなことから、さっそうとしたキャリアウーマンながら家事はカラキシというジョーゼット(ジュリアン・ムーア)と別れた文化人類学者で小説家志望のジョン(イーサン・ホーク)と出来てしまい娘を授かる。
 そして第二幕。理屈っぽい脚本だが、面白くこなれており、最後は…。監督のレベッカ・ミラーは『セールスマンの死』のアーサー・ミラーの娘。舞台になるニュースクール大学は1919年創立の名門校で、エレノア・ルーズベルトやテネシー・ウイリアムズらも在籍、レベッカ自身の母校でもある。イーサン・ホークがコメデイもこなす達者なところを見せる。
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「海は燃えている イタリア最南端の小さな島」

 『海は燃えてる イタリア最南端の小さな島』(ジャンフランコ・ロージ監督)はイタリアとフランスの合作。人口5500人、チュニジアとマルタの間のシチリア海峡にあるランペドゥーサ島が舞台になる。北アフリカに近い地勢から、アフリカや中東からの移民や難民が当初の目的地に選んでいる。子どもたちは学び遊び、父親は漁に出る。主婦は手料理で食卓をにぎわす。そんなありふれた日常の暮らしが営まれている、この島に。
 日常というありふれた日々さえない民もいる。リビア、スーダン、シリア、リトアニア…の難民たち。船倉に閉じ込められ熱中症、脱水症にかかり瀕死の若者。女性や子供も生死のはざまにさらされる。遺体が運び出される。これが新天地を求める難民たちの日常なのだ。映画は今年のアカデミー最優秀長編ドキュメンタリー賞にノミネートされている。
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「アラビアの女王 愛と宿命の日々」

 ニコール・キッドマンが演じる『アラビアの女王 愛と宿命の日々』(ヴェルナー・ヘルツオーク監督)も実話をもとにしている。Gertrude Bell(1968-1926)はシリア、メソポタミア、アラビア、アジアと踏破し、イラク建国の立役者と言われる。1915年には外務省管轄のアラブ局諜報機関の情報員だった。アラビアのロレンス=トーマス・エドワード・ロレンス(1988-1935)と出会い、1911年にはロレンスの案内でメソポタミアとシリアに足を踏み入れる。また2度の世界一周では1899年と1903年に日本にも立ち寄った。
 勇気ある英国の女性は、今にして思えばロマンティシズムに満ちた波乱万丈の冒険家でもあった。知的な風貌のベルを演じるキッドマンは、砂漠の輝きの中であくまでも美しい。実らぬ恋の相手をジェームズ・フランコ、ロレンスにロバート・パティンソンが扮している。

 ほかに1600年代、伝説の詐欺チームと言われた『キム・ソンダル 大河を売った詐欺師たち』(パク・デミン監督)は、韓国版史劇スティング。よくまとまっている。直木賞受賞の黒川博之原作『破門 ふたりのヤクビョーガミ』(小林聖太郎監督)もよくできたブラックコメデイ。こなれた脚本で演出のテンポも快調。佐々木蔵之介と横山裕の極道バディが、歯切れのいい大阪弁で笑わせる。

 リアリティー無視のドラマ『相棒―劇場版Ⅳ』(橋本一監督)は、俳優たちのオーバーアクションになじめばコメデイとわかり、安心して見ていられる。ドキュュメンタリー『抗い 記録作家 林えいだい』(西嶋真司監督)は、主役の反権力に徹した生きざまが魅力だ。
 

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中高年の「元気が出るページ」2017年2月号                   ①うにのおうちごはん歳時記第5回  節分と蕗の薹 山田うに            ②安曇野発 信州村めぐり34生まれ故郷「旧・南安曇郡安曇村」を歩く 加藤雅博  ③181回シネマトーク西部劇は20世紀の遺物ではない 西島雄造

安曇野発 信州村めぐり34

 
生まれ故郷「旧・南安曇郡安曇村」を歩く


加藤 雅博



 信州村めぐりのシリーズは終盤にきました。人々の集まりの「自然村」として生まれ、成長してきた「村」は生活の場としての共同体の一つの基礎単位でした。集い、共同、協同の生活をし、助け合い、喜びや悲しみをともにしてきた村。明治になり、近代国家として政府が中央集権化のため、「自然村」の合併を推進し、より大きな「行政村」をつくっていきました。総務省のデータでは明治21年(1888)に市町村制ができる前の自然集落数は71,314。翌年の市制町村制施行令に基づいて2年間で行われた大合併によって市町村数は、15,859へ約5分の1に減少しました。
 
 さらに昭和53年(1953)年から8年間に行われた昭和の大合併により、市町村数は9,868から3,472へと約3分の1に減少しました。そして、平成11年(1999)から同⒙年(2006)の平成の大合併の結果、市町村数は3,229から1,821へと約2分の1に減少、その後も折々の合併特例法によって徐々に市町村数は減ってしまいました。

 平成の大合併では、とりわけ「村」をなくして市・町ㇸと“格上げ”する傾向が強くなり、明治22年の1万5820村から平成26年には183村へと実に100分の1近くまでになりました。自治体として「村」の存在しない都道府県も平成の大合併で11県増えて⒔県になってしまいました。現存する村183のうち、35村が長野県ともっとも多く、2位の沖縄県19、3位の福島県・北海道の15村を大きく引き離したダントツのトップです。

 この平成の合併劇のなかで、筆者の生まれた村も名前を消してしまいました。今回は番外編として、筆者の生まれ故郷だった「村」に足を踏み入れ、紹介しようと思います。その村は「旧南安曇郡(みなみあずみぐん)安曇村(あずみむら)」。平成17年(2005)松本市に吸収合併されました。生まれてから高校を卒業するまで丸18年間過ごし、学生時代とその後のサラリーマン時代を留守にしましたが、17年前、晩年を故郷の空気を吸いながら過ごしたいという気持ちが抑えがたく、安曇野に居を構えました。

 生まれ故郷とはいっても、父親が転勤族のサラリーマンだったため、「村」に生活基盤と手段はなく、村に居を構えて暮らすことは不可能で安曇野から時折訪れるだけでした。でもその度に懐かしさは衰えることがなく、その当時の思いがよみがえってきます。改めて村の歴史をひもとくと当時はまったく知らなかった村の姿が浮かんできます。

 安曇村は明治7年(1874)9月、大野田(おおのた)、嶋々(しましま)(現島々)、稲核(いねこき)、大野川(おおのがわ)の4つの村の合併で発足しました。松本平の西方にあり、東西22キロ、南北32キロ、400余平方キロの面積は長野市、大町市に次ぐ県下第3位の広さでした。岐阜県と境を接し、槍ヶ岳・穂高岳・焼岳・乗鞍岳を含む3,000mクラスの高山が領域といえばその広さが想像できるでしょう。
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江戸末期の安曇村の集落地
 
(地図、写真の上をクリックすると画像を大きくしてご覧いただけます。)

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旧安曇村の位置図


 4つの村は梓川・大野川渓谷沿いで、江戸時代から「入四か村(いりよんかそん)」と呼ばれ、大半が松本藩が管轄する御用杣(そま)業=木材薪炭などの山林業に従事する人びとで構成されていました。由緒ある”安曇”を冠した村名の由来は明確ではありませんが、合併時4か村が属していたのが安曇郡で、村名を決めるにあたって、江戸時代からまとまりがよく、郡の一番手の第1小区という意識が強かったため、異論もなく、郡内では最初に決まったようです。
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旧安曇村役場・現松本市安曇支所
 
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安曇村碑と村章 

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島々地区の全景
 
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島々地区の案内表示板
                  
 しかし、自分の山林ではなく御用林の仕事ですから、裕福だったとはいえず、寒村だったに違いありません。ところが、大正年代になって近代化とともに電力の需要が見込まれると、電力会社が、標高の高度差が大きく、急峻な峡谷を流れる梓川に着目したことで一転します。村を流れる本流の延長は50キロメートルに達し、山岳地帯から流れ込む豊富な水量を最大限に生かした水路式発電所を大正年代に4か所、昭和の初期に5か所建設、さらに昭和40年代には3つのダム建設と3つの発電所が新設されました。この電源開発によって村は山村から発電の村へと変身を遂げました。
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上高地までの山岳通、徳本(とくごう)峠への表示板
 
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上高地徳沢園の連絡事務所(島々地区)

 村がさらに大変身のきっかけとなったのが、昭和9年(1934)12月4日に制定された中部山岳国立公園。村のほとんど全域を包括する北アルプスを中心とする長野・富山・岐阜・新潟県にまたがる国立公園は、とくに昭和期以降の生活スタイルの変化ともあいまって観光ブームを引き起こしました。
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稲核地区のバス停 
 
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稲核の名物「風穴(ふうけつ)」
 
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風穴の内部
 
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国道沿いの道の駅「風穴の里」

 とくに昭和2年(1927)の春、それまで文人墨客やアルプスを目指す岳人たちぐらいにしか知られていなかった「上高地」が一躍脚光を浴びることになりました。大阪毎日・東京日日新聞社主催、鉄道省後援による「日本八景」の読者投稿による選定が行われ、投票数は必ずしも最多ではありませんでしたが、審査委員会の評議の結果渓谷の部として、堂々日本を代表する8景に入りその地名は一気に知れ渡りました。
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ウェストンのレリーフ(上高地)
 
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穂高神社奥社がある明神池(上高地)

 明治⒛年(1888)から3回、来日して宣教師として長期滞在し国立公園内の多くの山に山案内人と共に探検的登山を行ったイギリス人のウォルター・ウェストンの功績も認めないわけにはいきません。ウェストンは帰国後、書籍『日本アルプスの登山と探検』を出版して、世界中に日本アルプスの魅力を紹介していますから、海外からも注目される景勝地ともなりました。電源開発に伴う道路の整備も進み、第二次大戦後の登山ブームは、上高地を我が国の代表的な観光名所としてゆるぎないものとしてきました。
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3ダムの一つ安曇ダムと梓湖
  
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乗鞍岳と広がる高原
 
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白濁色の乗鞍高原温泉。日本秘湯の会推薦の温泉

 筆者が生まれて小学生時代まで過ごしたのは旧大野川村の沢渡(さわんど)地区。梓川沿いの発電所の一つ、霞沢発電所がある集落で、観光拠点の上高地と白骨温泉の分岐点にあたります。都会から上高地やアルプスを目指してやってきた登山者たちが一息入れる休憩地でもあり、夏のシーズンになると、2軒のお土産屋さんは松本方面から列を連ねるようにやってきたバスを降り立った登山客であふれかえりました。山の子どもたちにとって、彼らが運んでくる都会の風と香りはあこがれの的でした。
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3ダムの一つ水殿ダムと発電所
  
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3ダムの一つ稲核ダム
 
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大正池と穂高連峰

 ちなみに霞沢発電所は、大正4年(1915)の焼岳噴火でできた大正池 から取水した水を使っています。上高地から約8キロの隧道を通して発電所の上部の貯水場に貯め、落差453メートルを一気に落とす仕組みの水力発電所です。その落差は当時東洋1といわれ、最大出力3万1100キロワットの発電量もこの方式では国内最大級。霞沢発電所もまた観光資源としての役割を担ったことになりました。
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上高地の地形マップ
 
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乗鞍高原の名所「三本滝」
 
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三本滝の案内板

 沢渡地区にある学校は、本校のある大野川小学校の分校という扱いでした。教師3人が2学年ずつ受け持つ複式学級で、一学年が7~8人、全校でも50人足らずの小さな本当に小さな学校でした。中学校は大野川にありました。この山間の地区で過ごした12年間の体験は筆者に様々な形で浸みこんでいることに気付かされます。一年に幾度かこの村を訪れると、遠い記憶とともに胸の奥に熱いものがこみ上げてきます。

 電力需要の伸びとともに発電所の増設が決定すると、沢渡地区のすぐ下流でダムの建設が始まり、父が転勤することになりました。中学生になった筆者が移り住んだのは村の中でも都会にもっとも近い大野田地区でした。村内で隣接する島々地区が村の中枢部で、ここに村役場、郵便局があり、小学校と同じ校舎の安曇中学校がありました。また、道路が上高地まで開通するまでは、唯一の山岳道「徳本(とくごう)峠」越えの分岐点でもありました。上高地の山小屋のオーナーが住んでいたり、山小屋の連絡所があるのもこの地区です。
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乗鞍岳と水車小屋は筆者の原風景

 そしてこの時代になると杣業だけで生活する人は少なく、上高地での観光関連や電力関連の仕事に従事する人が多くなり、発電に加えて観光立村としても全国的に認知されていきました。ただ、梓川渓谷沿いの大野田、島々、稲核地区の狭隘さはいかんともしがたく、乗鞍岳山麓に広がる大野川地区の乗鞍・鈴蘭高原が例外で、雪質の良好さと温泉を謳い文句にしたスキー場、民宿や、ヒュッテ、ペンションなどが林立し国民休暇村も建設など観光開発が活発に行われ一時期は数多くの観光客を集めました。

 しかし、この20年来、スキーブームと登山ブームは下火になり、頼みの綱でもある上高地の集客力も一時期ほどの威力が薄れてきたようにも思います。国内の少子高齢化の影響もあって、観光と電力だけで今以上に発展することは難しい状態です。昨年から法律で8月11日が「山の日」に制定され、県土の約8割を森林が占める全国有数の森林県である長野県は国にさきがけ長野県独自の「山の日」を制定しています。

 観光立国をもくろむ国土交通省観光庁は、訪日旅行者の目標を2020年に4000万人と設定しており、観光客の誘致に力を入れています。その余波が旧安曇村に幾らかでも及んでくれれば村も少しは活気づくことでしょう。岳都を標榜する松本市の一翼としての旧安曇村の今後を見守っていくつもりです。

                                  草々


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 安曇野 無頼庵
  加藤 雅博
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<うにのおうちごはん歳時記>


毎日いただくおうちごはん。春夏秋冬、季節の彩りにあふれた食材や料理を取り上げて食の歳時記として連載します。
写真と文:山田うに


編集者・トラベルライター。よみうりカルチャーの野外講座・料理教室講師。ほかに『大人のカルチャーガイド』で美術館・博物館の企画展案内などを執筆。

第 5 回 2月 節分と蕗の薹


 斎藤月岑(げっしん)の『東都歳時記』も、菊池貴一郎の『江戸府内 絵本風俗往来』も、“節分”は12月の節季となっています。今年平成29年の節分は2月3日。現在の太陽暦のもとでは例年日にちが変わったりすることはほとんどありません。しかし江戸時代後期や明治時代初めはまだ太陰暦(旧暦)でしたから、年によって節分の日も異なるのでした。ちなみに今年の節分、2月3日は旧暦だと七草の日に当たります。
 さて節分とは立春の前日をいうのですが、『東都歳時記』には「今宵尊卑の家にて煎豆を散(うち)、大戟(ひいらぎ)鰯の頭を戸外に挿す。豆をまく男を年をとこといふ」と記しています。『江戸府内 絵本風俗往来』には「平年は大凡(おおよそ)十二月十二三日より廿八九日の頃までに寒も畢(おわ)り節分となるなり」と書き出しています。家々では煎り大豆を三方にのせて、年男はその豆を神棚と仏壇に供え、それから豆撒きをしました。掛け声は大声で「鬼バア外」と二度言い、次に「福ハアうち」と三度叫びました。家人たちはこぞってその豆を拾い、ひとしきり拾うと皆で福茶をいただき、奉公人は主人に、子弟は父兄に祝賀を申し述べました。今日家庭でこのような豆撒きを行なうところは稀かもしれません。が、行事として大々的に催されるのが社寺で行われる豆撒きです。有名タレントや俳優、力士などを起用し、参拝客は彼らの撒く豆の包みをこぞって受け止めます。
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節分の太巻き寿司
(節分の太巻き寿司と稲荷寿司)
奥は一合枡に盛った煎り豆ですこの節分の日に近年定着したのが“恵方巻き”です。太巻きの海苔巻き寿司を1本丸ごと、恵方を向いて無言で食すと福が授かるという風習。もとは関西での民間行事をあるコンビニエンスストアが大々的に訴求し、太巻き寿司の販売促進に。それが全国にすっかり定着したのでした。我が家でもこの日は太巻き寿司をいただきます。しかし丸ごと1本食べるような無謀なことはせず、切り分けていただきます。
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蕗の薹
(春に先駆けて出る里の幸、蕗の薹)

 まだまだ春の浅いこの頃、雪を押しのけて芽を出すのが蕗の薹です。雌雄異株で、オスの花は淡黄色、メスは白色で、オスの茎の肉は厚くておいしいが、メスのは薄くてまずいといわれます。フキノシュウトメという呼び名もあり、「麦と姑は踏むがよい」という俗説から、蕗の薹が芽吹いて畑の土を持ち上げてしまうのを踏んで押さえつけるのだと解されます。またその苦みから「姑は嫁に対して苦いものだ」という意味なのだとも解されます。

   蕗のとう出でて夜明けの心地なり 木村正光

   雪の上に膝ついて得し蕗のたう  稲垣陶石

 蕗の薹の味の醍醐味はその苦み。苦みが健胃に効き、痰をきり、咳を鎮めるといいます。早春一番、雪中に芽を吹き、大いなる生命力を感じさせますが、そのイメージとは裏腹に、蕗はほかの野菜に比べて栄養的に優れているとは言えません。ビタミン類などははなはだ少ないのです。しかし蕗の薹の天ぷらや味噌仕立ては迎える春を感じさせる贅沢な旬の一品なのです。
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蕗の薹と猫
(猫も苦みを感じるのであろうか? 初めて見る蕗の薹と明日葉を調べている)

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蕗の薹と明日葉の天ぷら
(いただいた明日葉とともに蕗の薹は定番の天ぷらに。もう一品は蕗の薹味噌。酒のすすむ料理です。奥は鮪の中落ちの山かけ)



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中高年の「元気が出るページ」2017年1月号                   ①うにのおうちごはん歳時記第4回 おせち料理と雑煮 山田うに           ②安曇野発 信州村めぐり29「上伊那郡泰阜村」 加藤雅博              ③180回シネマトーク[スカラ座・オペラ座、そしてJAZZ] 西島雄造

(((180回 シネマトーク))))


【スカラ座・オペラ座、そしてJAZZ】


 
西島雄造


 旅先で由緒ある街のそぞろ歩きは楽しい。大聖堂の荘厳なたたずまい、格式あるホテル、活気がみなぎる市場。そしてランドマークのような劇場。ウィーン国立歌劇場=シュターツオーパーはかつてのハプスブルク君主国にふさわしい。1869年に竣工し、モーツアルトの「ドン・ジョヴァンニ」で歴史を刻み始める。第二次大戦下の1945年3月には連合国軍による爆撃を受ける。正面階段を上ると三代目総監督グスタフ・マーラーの胸像が輝いている。
 イタリーのミラノを知ったのは、ヴィットリオ・デ・シーカ監督(1901-1974)がカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを手にした『ミラノの奇跡』(1951)を見てのことだ。イタリーには美しい街が数多いが、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を目の当たりに出来るサンタ・マリア・デル・グラツィエ教会や大聖堂、そしてスカラ座などの景観は格別である。
 スカラ座は1776年に開館した。1943年にはやはり爆撃を受けたが、1946年5月11日にはアルトゥーロ・トスカニーニの指揮で再開している。ミラノの守護聖人、聖アンブロジウスの記念日に合わせ、毎年12月7日にシーズンが幕を開ける。旧年は12月7日、スカラ座で1904年に初演されたプッチーニ(1858-1924)作曲の歌劇『蝶々夫人』で始まり、12月20日からはケネス・マクミラン振付のバレエ『ロメオとジュリエット』が1月19日まで演じられる予定だ。スカラ座の歴史を彩るまばゆいばかりの名指揮者や歌手たち。
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(パリ・オペラ座)

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(パリ・ノートルダム大聖堂の薔薇窓)

 パリにも薔薇窓の美しいノートルダム大聖堂、モンマルトルの丘からパリ市街を見晴るかすサクレ・クール寺院、パリ最古といわれるサン=ジェルマン=デ=プレ教会など見るべきものが多い。1875年1月に落成したオペラ座ガルニエを忘れるわけにはゆかない。エコール・ド・パリ時代に集ったマルク・シャガール(1887-1985)が、1964年に描いた天井画でも知られる。彫刻、装飾…あらゆる部分が華麗だ。オルセー美術館で模型を見ることが出来る。眺めていると『オペラ座の怪人』の物語が妙に現実味を帯びる。
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(「ミラノ・スカラ座 魅惑の神殿」のマリア・カラス)

 新年の本題を始めよう。『ミラノ・スカラ座 魅惑の神殿』(ルカ・ルチーニ監督)が上映中である。102分のドキュメンタリーの登場人物は豪華絢爛。パリ管弦楽団、シカゴ交響楽団、そしてスカラ座の音楽監督の経歴をもつ指揮者のダニエル・バレンボイム、テノール歌手プラシド・ドミンゴ、ソプラノ歌手ミレッラ・フレーニ、アメリカン・バレエシアターとミラノ・スカラ座で華やかに舞ったアレッサンドラ・フェリ…。
 ほかにも指揮者のトスカニーニ、ムーティ、アバド、オペラ歌手マリオ・デル・モナコ、レナータ・テバルディ、そして20世紀の歌姫マリア・カラス(1923-1977)、映画監督ルキノ・ヴィスコンティ。日本舞台芸術振興会にあって数多くの海外バレエ、オペラを招聘し、モーリス・ベジャール振付の『ザ・カブキ』とともに東京バレエ団を世界の檜舞台に乗せながら、昨年4月に他界した国際人・佐々木忠次氏の名前も出てくる。102分の間、至福と陶酔の映像が流れ続ける。
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(ミルピエ~パリ・オペラ座に挑んだ男~)

 やはりフランスのドキュメンタリー『ミルピエ~パリ・オペラ座に挑んだ男~』(ティエリー・デメジェール&アルバン・トゥルレー監督)も上映されている。バンジャマン・ミルピエ、1977年、フランス生まれ。バレエ・ダンサーだった母親の手ほどきで幼くしてダンスに親しみ、ニューヨーク・シティ・バレエ団などで活躍。2014年11月から2016年7月まで、パリ・オペラ座で史上最年少の芸術監督をつとめた。
 映画はコレオグラファー=振付家としてのミルピエの一挙手一動作を丹念に追い、語られる言葉を拾う。ジョージ・バランシンやジェローム・ロビンスを敬愛する男の振付ぶりは軽やかでエレガントでさえある。イヴ=サン・ローランやヴァン・クリーフ&アペルなどのコマーシャル・フィルムまで手掛け、あふれる才能と感覚を身にまとっている。さらに名前を高めたのが映画『ブラック・スワン』(ダーレン・アレノフスキ―監督2010)でデイヴィッドを演じ、やがて主役のナタリー・ポートマンと結ばれたことだ。
 ジュリアード音楽院修士課程を首席で卒業したニコ・マーリーの音楽に刺激を受ける姿。ミルピエを継いでオペラ座バレエ団の芸術監督となった、かつての花形オーレリー・デュポンをはじめ、来日したこともあるレオノール・ポラックやロレーヌ・レヴィ、そしてオペラ座が創立されて以来、舞台に立った初めての褐色のダンサー、レティツィア・ガローニらが鳥のように羽ばたき、蝶のように舞う。
 Jazz好きな映画ファンならルイ・マル監督の『死刑台のエレべーター』(1958)に、即興でトランペットを奏でたマイルス・デイヴィス(1926-1991)を忘れないだろう。1944年にディジー・ガレスピーやチャーリー・パーカーらと出会い、ジュリアード音楽院に入学するが2年で退学した。1949年の「クールの誕生」は新しいJazzの夜明けとなる。手元にある「ザ・モダン・ジャイアンツ」(1954~1956)「死刑台のエレべーター」(1957)「ポーギーとベス」(1958)などを改めて聴くと、突き抜けるような透き通った音色が響き渡る。
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(MILES AHEAD マイルス・デイヴィス空白の5年間)

 そのマイルスが1975年に突然Jazz界から退き、5年後に復帰してレコーディングにとりかかる。『MILES AHEAD マイルス・デイヴィス空白の5年間』は、その5年間を描いている。10歳のころからマイルスのファンというドン・チードルが初めて監督し、自らマイルスを演じる。慢性的腰痛、ドラッグとアルコールに依存する日々。そこへローリング・ストーン誌の記者(ユアン・マクレガー)が扉をたたく。マイルスの脳裏をよぎるのは女神のようなダンサー、フランシス・テイラー(エマヤツィ・コーリナルディ)と過ごした時間。そして意外なマスターテープの発見。音楽を担当したのは2012年「Black Radio」でグラミー賞最優秀R&B賞のロバート・グラスパー。ハービー・ハンコックやウェイン・ショーターらも顔を見せ、Jazzファンにはこの上ないお年玉だろう。晩年のマイルスはしばしば来日し、紙ナプキンなどに描いたペン画を嬉しそうに披露したものだ。
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(阿古屋)

 東京にもランドマーク劇場の歌舞伎座がある。1889年、東京・京橋区木挽町に開場。関東大震災で被災し、1945年5月25日の東京大空襲では新橋演舞場とともに焼失・損壊するが、1951年によみがえった(「松竹九十年史」)。その歌舞伎座で一昨年10月に公演された『阿子屋』が、松竹シネマ歌舞伎として正月7日から上演される。七代目市川門之助、四代目中村雀右衛門、六代目中村歌右衛門らが演じてきた『阿古屋』だが、1997年(平成9年)の国立劇場から坂東玉三郎が舞台を華やがせてきた。
 玉三郎のナレーションで<技術と体力と精神力>で夢の空間を観客に味合わせるという、歌舞伎に寄せる思いや、地方(じかた)や裏方たちの見えない努力が語られ、本舞台に続く。舞台の美しさは記すまでもない。琴、三味線、胡弓の演奏がハイライトになる。身にまとう花魁の正装、俎板帯の鮮やかさは舞台では繊細さが伝わりにくいが、カメラの大写しによる孔雀の刺繍文様が目を奪う。尾上菊之助の口跡がなめらかで、坂東亀三郎がよく演じている。これも歌右衛門の持ち役だった『籠釣瓶花街酔醒』の兵庫屋八ツ橋で、歌右衛門とは一味違った<玉三郎の見初め>を演じて以来、さらなる境地にたどり着いた大和屋である。
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(ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー)

 クリスマスから正月にかけての話題作は『ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー』。監督は『GODZILA』(2014)のギャレス・エドワーズ、脚本が『シンデレラ』(2015)のクリス・ワイツと『ボーン・レガシー』では脚本と監督のトニー・ギルロイ。『エピソード4』(ジョージ・ルーカス監督1977)のいわば外伝で、舞台はその少し前のことになる。
 帝国軍の究極の秘密兵器デス・スターの設計図を奪う任務の反乱軍の極秘チーム<ローグ・ワン>。チームに加わった設計者ゲイリン・アーソの娘で、銀河のアウトロー・ガール、ジン・アーソ(フェリシティ・ジョーンズ)のもとに集まってきた無法者たち。クライマックスは壮麗な宇宙バトル。まるでイラクかアフガニスタンもどきの射撃戦。ヨルダンとモルディヴで撮影したセットが見事で、宇宙の場面撮影も『エピソード1 ファントム・メナス』(1999)からさらに進化しているから、リアリティーに満ちた臨場感に引き込まれる。
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(バイオハザード ザ・ファイナル)

 大阪から発信されたBIOHAZARDゲーム。生物学的災害を意味するアドヴェンチャーゲームがファンをとりこにし、映画化されたのが2002年。以来、回を重ねて、ついに巨大企業アンブレラ社との最終決戦を迎えた。公開中の『バイオハザード ザ・ファイナル』はいかなる結末を迎えるか。主役アリスは、もちろんミラ・ジョヴォヴィッチ。すでに40歳を過ぎ、今作の監督でもあるポール・W・S・アンダーソンと家庭を営む2児の母でもある。『フィフス・エレメント』(1997)のころから成熟して威風堂々、タフさに舌を巻く。
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(TOMORROW パーマネントライフを探して)

 『TOMORROW パーマネントライフを探して 』(シリル・ディオン&メラニー・ロラン監督)は、常識と思い込んでいることを、ことごとく覆して見せるドキュメンタリー。国家、企業、農業、教育制度、民主主義までも。国や政府と企業の癒着が、結果的に消費者から搾取していると迷わず唱える、革命的ともいえる映画である。
 人口の膨張、資源の枯渇、環境の悪化、そうした21世紀に、地球と人類が滅びないために何をやるべきか。米デトロイト、ベルギー、フランス、インドと世界の各地を回りながら、解答を提示する。そのひとつがTotnes、英国で実践されている、これまでの価値観にとらわれない生活様式だ。Totnes Transition(移行、変わり目)は、化石エネルギーや農薬、化学肥料を使わずに生きる術を推進する。自転車を愛用し、パンを焼き、森を手入れしながら在来種の植物を保存する。野外で食物を採取し栽培もする。
 エコ発電、太陽熱の利用。地域通貨トットネス・ポンドを発行して自分たちのお金は地元に落とす仕組みをつくる。エリザベス王朝の衣服をまとい、ジャムやクッキーを売るマーケットで楽しんでいる。TTT=Transition Town Totnesは広がりを見せ、Transition Japanも行動している。提唱者のロブ・ホプキンスも登場する。地球の行く末や環境問題に関心のある人もない人も、一見の価値がある。
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(ダーティ・グランパ)

 『ダーティ・グランパ』(ダン・メイザー監督)。結婚を1週間後に控える若手の弁護士(ザック・エフロン)は祖母の葬儀に駆けつけるが、祖父(ロバート・デ・ニーロ)ときたら「40年の夫婦生活からやっと自由になった」と、セクシュアルなビデオを見ながら自慰行為に及んでいるではないか。目を回す孫をしり目に、他界した祖母との思い出の地であるフロリダへ人生を取り戻す旅へうながす。
 世のレーサーのメッカでもあるデイトナビーチ浜辺にたどり着くや、祖父はハチャメチャに舞い上がり、若い娘に秋波を送ってやりたい放題。渋々、祖父のアッシーをつとめた孫クンもいつしか同化され、パーテイーでは素っ裸のご乱行。いやはやの祖父と孫。ファックジジーを演じるデ・ニーロは、アクが抜けて何をやっても許される老年に。まもなく30歳に手が届くザック・エフロンは11歳から芸能畑に入り、名作ミュージカル『ピーター・パン』や『メイム叔母さん』にも顔を出している。小柄ながらハンサム、要マークの俳優だ。
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(こころに剣士を)

 『こころに剣士を』はフィンランド、エストニア、ドイツ合作の事実を基にしたヒューマンな物語。監督はフィンランドのクラウス・ハロ。エストニアは第二次世界大戦でドイツとソ連の戦場となり、交互の国に占領された。港湾都市である首都のタリンは通信システムSkypeを生んだ街として知られる。1944年、大戦末期にはソ連に占領、併合されている。
 戦争中、ドイツの兵士だった主人公のエンデル(マルト・アヴァンディ)はソ連の秘密警察に追われ、エストニア西海岸の保養地でもあるハープサルに来て学校教師になる。かつてフェンシングの選手だったこともあり、子どもたちに手ほどきし始める。スターリン政権時代に親から切り離された子供たちとの交流が始まり…。予定調和の物語だが実話だという。けれん味のない素直な描き方が感動をもたらす。
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(ブラック・ファイル 野心の代償)

 アル・パチーノ、アンソニー・ホプキンスとジョシュ・デュアメル、イ・ビョンホンがからむ『ブラック・ファイル 野心の代償』。『欲望という名の電車』(エリア・カザン監督1951)で知られるニューオーリンズが舞台。巨大製薬会社の臨床実験の偽造が発端で、国選弁護士から這い上がった若手弁護士ベン・ケイヒル(ジョシュ・デュアメル)が機密の臨床ファイルを受取ったことからサスペンスが展開する。
 企業のCEOを演じるホプキンスと弁護士事務所のボス、パチーノに話題が及びそうだが、1972年生まれのジョシュも端正な顔立ちの好漢。フットボールの選手をしていた筋肉体で、妻と子ども一人の家庭人でもある。これが監督デビュー作のシンタロウ・シモサワは、1972年シカゴ生まれの日系二世。演出は達者でカメラワークもいい。原題『MISCONDUCT』の意味は不行跡、密通、職権濫用、弁護士の不法行為…と筋書きにぴったり。
 『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(三木孝浩監督)は、京都を舞台にした変化球のラブストーリー。長い題名に辟易して試写をネグりかけたが、批判は見てからと思い直した。七月隆文の原作本がもとだから仕方がないことだが、映画の題名としてはなんとも長すぎる。京都精華大学卒のこの原作者には「俺がお嬢様学校に『庶民サンプル』として拉致られた件」とか「フェリシェラと、わたしと、終わりゆく世界に」といった作品もある。映画は逆光やソフトフォーカスを多用して、雰囲気をよく出している。福士蒼汰と小松菜奈も好感の持てるカップルだ。『青空エール』に続く三木監督の作品。
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(本能寺ホテル)

 『本能寺ホテル』が面白く出来ている。京都の<本能寺ホテル>を舞台にした一種のタイムスリップもの。主役の綾瀬はるかが、現代と本能寺の変が起こる天正十年六月二日(1582年6月12日)前後を行き来し、信長の変事に気をもむ。相沢友子の脚本がよく出来ており、鈴木雅之監督の演出もしっかりしている。織田信長の堤真一、森蘭丸の浜田岳はじめ風間杜夫、近藤正臣ら配役にも妙味がある。綾瀬がずっこけた役を楽しんでいる。ちなみに信長が好んだという金平糖は、1546年にポルトガルの宣教師から献上され、日本では京都の緑寿庵清水が弘化四年(1847)に創業して作り始め、いまも続いている。
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(ミシエル・モルガン)

 師走の20日にミシエル・モルガンが人生の舞台から消えた。パリ生まれの96歳。『霧の波止場』(マルセル・カルネ監督1938)、ジャン・ドラノワ監督の『田園交響楽』(1946)『愛情の瞬間』(1952)…思い出すのはその美貌である。シネマトグラフ誕生100年を記念した『リュミエールの子供たち』(1995)に、『天井桟敷の人々』(マルセル・カルネ監督1945)のアルレッティ(1898-1992)、イヴ・モンタン(1921-1991)らと顔を出している。
 
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安曇野発 信州村めぐり29

「下伊那郡(しもいなぐん)泰阜村(やすおかむら)」

 
加藤 雅博

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ほころび始めたシバザクラと有明山(安曇野)

 2016年も波乱に満ちた年でした。年末になって発生した糸魚川市の大火災は、安曇野と近接しているだけに他人事とは思えない災害でした。焼け出されて被災者たちが寒空の中で年始年末をそのように過ごすのか、想像するだに心が痛みます。人的被害がなかったことがせめても救いというほかありません。一日も早く再起することを祈るばかりです。

 そんな大災害をよそに、12月に入った安曇野は、寒さは厳しいものの、意外に好天に恵まれ、このところアルプスが端麗な姿を見せてくれています。大火災をもたらす強風を起こしたり、何とも美しい景観を形作ってみせたり、自然の振る舞いは御しがたいことを実感します。
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長野県全図

 残り少なくなってきた信州の村の紹介を続けます。今回向かったのは、下伊那郡泰阜村。南信州伊那地域の南部に位置します。周囲を飯田市、同郡下條村、天龍村、阿南町と接し、天竜川と中央アルプス、南アルプスに囲まれ、周囲から隔絶されたような山間の村です。

 長野道~中央高速を経て飯田山本インターで降りた後、約40分、安曇野からは2時間弱の距離です。長野市の県庁まで距離にして180キロ、速くても片道3時間30分もかかり、県内でも県庁までもっとも時間がかかる町村の一つ。2代前の田中康夫県知事が「在宅医療・福祉に力を入れている村に住民税を収めたい」と長野市に住居を残したまま住民票を移して、ひところ話題になった村です。

 元知事の住民票の移動に伴う、村の選挙人名簿に登録したことの適否をめぐっては、最高裁まで争った結果、「村に生活の本拠はなく登録は違法」とした長野地裁判決が確定する結果に終わりましたが、「自分が気に入った自治体に納税したい」という、今はやりの「ふるさと納税」を先取りしたものだったといえなくはありません。村を歩くとその気にさせられる雰囲気に満ちています。
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泰阜村役場と村章
 
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山村の役場らしい風情の薪のストック
 
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役場の入り口に立つ村の看板

 村には縄文時代の遺跡が多く、戦国時代は時の権力の支配領に置かれ、江戸時代は天領地としての時期が大半でした。維新後は、伊那県、明治4年(1872)には筑摩県管内に入り、同8年筑摩県下17村が合併して泰阜村を設立しました。村の名の語源は、自らの手で道を拓き豊かに栄えることを意味する漢詩の「泰山丘阜」からといわれます。明治22年(1889)の市町村制を経て長野県管内に入り現在に至る127年の歴史を誇ります。

 明治の末ごろから養蚕の隆盛で村の人口は昭和10年(1935)ごろに5,000人超でしたが、世界を襲った大恐慌は山村にも押し寄せ、繭価の暴落で多額の借金を抱えた農家は村外での働き場を探すほかに糊口を凌ぐ方法がありませんでした。昭和12年には600余人もの村民が出稼ぎに出たといわれています。それでも追いつかず、様々な経済更生計画が立てられ、その中心になったのが「満洲」への移住計画でした。

 同年10月に視察団を現地に派遣、翌年夏には満洲分村計画を村議会で決定し、第一次先遣として21人が渡満、以降昭和18年まで277家族、1,174人が入植したと記録され、入植者の比率の高い長野県の中でも渡満農民が多い村でした。しかし、敗戦とその後の過酷な逃避行、収容所での生活、極寒と飢えと病気などで638人が犠牲になってしまいました。

 戦後は入植者たちの引き揚げ対策を重点的に実施し、折からのベビーブームで昭和25年(1950)の4.620人まで回復しましたが、それをピークに減少の一途。平成28年(2016)12月現在1,698人(男796人、女902人)、722世帯と最盛期の半分以下の状態となっています。

 とくに泰阜村は昭和60年代(1985年代)、高齢化率が進み、独居高齢者、要介護高齢者増加が予測されながら行政の老人福祉への対応は不十分で、介護力や介護サービスの不足などの問題を抱えていました。昭和59年、村の診療所に赴任した新任の医師は大変な危機感を持ち、村に対し高齢者福祉事業や医療の在り方に関して様々に提言しました。

 社会の発展、村の発展に尽くした高齢者に、幸せな老後と最期を提供するのは、行政の責任・使命(村の責任)を理念に、高齢者福祉の中心を『在宅福祉』に据えその推進に取り組んできています。元長野県知事が泰阜村に魅かれたのは、彼の母がこの在宅医療の充実ぶりを知って伝えたからともいわれています。その真偽のほどはともかく、村の高齢者福祉対策の成果として新たに加わったのが9年前に発足したのが「高齢者協同企業組合 泰阜」です。
5大町市郊外鷹狩山からのアルプス
 30数年前、この村を訪れ、大自然の美しさと、残されている日本の原風景を一遍で気に入った社会福祉研究者の本田玖美子さんが理事長を務めています。本田さんがスエーデンの過疎地で行われていた住民運営の共同住宅をモデルに、「高齢者には地域の仲間の支えと生活の中に継続したリハビリが必要」というアイディアをもとに国交省のまちづくりの交付金を得て作られました。
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地域交流センター悠々の全景
 
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総ヒノキ造りのセンター内部 

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センターのリビングルーム
 
 同組合が運営する事業が、地域交流センター「悠々」と共同住宅「悠々長屋」です。総ヒノキ造りの平屋建て、入所者は最大10人で、個別の共同住宅と掘りごたつのリビングルーム、村民の交流サロンとしても使われる居心地がゆったりした空間が保たれています。空き部屋は民宿としても使われ、学童保育の場としても利用されています。「高齢者協同企業組合」という組織は我が国で第一号で今のところ唯一とのこと。高齢化率が高まっている類似の自治体からの見学者も多く、この事業は今後の試金石にもなりそうです。
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学校美術館のある泰阜小学校・中学校の全景
 
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学校美術館の看板

 泰阜村には誇るべき二つの文化遺産があります。一つは全国的にも珍しい村立の「学校美術館」の存在です。誕生のはじまりは世界大恐慌時の昭和4年(1929)ごろのこと。当時教員の給料を含め、教育費はすべて村の負担でしたが、めぐり合わせが悪いことに、泰阜北小学校は2年前に校舎の移転改築のために各戸負担の高さは県下一でした。

 このため、教師の給料が支払えないありさまとなり、村が負担する教師給与の1割を村に寄付するように議会で議決されてしまいました。当時の吉川宗一校長は「単に寄付するのでなく、将来村を背負う子どもの夢や愛を豊かに膨らめてやることが大事」と考え、「貧しくとも貪しない」の精神で、美術品を集めることを提案し、村人たちも了承しました。
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倉沢が最初に寄贈した少女像「偲」
 
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千鶴をモデルにした少女の木彫像

 格好の美術家がいました。村の出身で苦学の末に彫刻家を目指して東京美術学校に入学し、帝展に連続に入選するまでになっていた倉沢量世(くらさわ・かずよ)(後に興世と改名)(1896~1980年)です。倉沢は母校の校舎改築のお祝いに、少女像「偲(しのぶ)」を寄贈していました。吉川校長はその像に感動し、美術品収集の趣旨を話したところ、倉沢は全面的な協力を約束し、著名な作家や知人に作品の寄付を求めてくれました。
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美術館内部 充実した内容と展示
 
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美術館内の景観
 
 日本画家の丸山晩霞は「一つの学校や村で美術館を造るなんていうことは世界でもあまり例がない」と大変心を打たれ、「アルプスと高山植物」を描いてくれました。また、洋画家で書家の中村不折は「丸山が出すなら」と書「啓発智能成就徳器」を寄贈してくれました。また、学校も日本画家菱田春草のメイの菱田きくの作品「紫陽花」を第一号として購入するなど、少しずつ作品を集め、卒業生たちからも寄付金が寄せられ、素晴らしい美術品が集められていきました。
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学校美術館をたたえる記念碑と大理石彫刻「使い」

 所蔵品保護と見学者のために昭和29年(1954)最初の美術館が建てられ、その後2つずつの小学校と中学校が1つに統合、小中学校が同じ敷地に併設されたのをきっかけに、平成23年(2011)美術館・所蔵庫が小学校内に設置され、一般への公開も引き続き行われることになりました。現在では収蔵作品は432点にも達し、年間500人の見学者が鑑賞に訪れています。「貧すれど貪せず」の心が確実に:継承されているようです。
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山村のたたずまいを見せる泰阜村の風景
 
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千鶴の歌碑と説明板のある金田公園

 さて、もう一つの文化遺産は、やはり村出身の歌人、金田千鶴(かねだ・ちづ)(1902~1934)が残した数々の歌です。千鶴は泰阜村平島田の代々庄屋を務めた資産家の家に生まれ、飯田高女を卒業後、飯田の寺に嫁ぎましたが間もなく離婚。上京して入学した帝国女子専門学校(現相模女子大学)で短歌誌「アララギ」の選者を務める岡麓(おかふもと)に出会って作歌を始め、生涯師と仰ぎます。
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千鶴も通った公園の丘からの景観 中央アルプスが見事

 大正13年(1924)小学校の恩師だった倉沢興世と再会、恋に落ちてしまいます。しかし2カ月後結核を病み、帰京せざるをえませんでした。帰郷してからは療養に努める一方で作歌にも精進し、昭和4年(1929)に「アララギ」の準同人となり、自然や家族、山村の生活や社会の姿を詠む「社会詠」も試み、大恐慌のために極貧にあえぐ山村の人々の生活を活写しました。死ぬ3日前まで代筆で詠み続けたといわれます。昭和9年8月、33歳という若さで夭折します。
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倉沢への思いを託した悲恋の絶唱歌碑
 
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絶唱歌の解説版
 
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丘からの景観を詠った千鶴の歌碑

 千鶴が残した歌の数首は「あいパークやすおか」内にある金田公園に歌碑として残されています。公園は長野県のサンセットポイント100選に選ばれている中央アルプスの山々や飯田市街の眺望が素晴らしい小高い丘陵地で千鶴も大変お気に入りでここからの景色を幾つか詠んでいます。歌碑の一つ、「あはれなりしものと一度(ひとたび)いや切に憶ひ起こしたまふことあらば足る」は、倉沢との悲恋を絶唱した一首。
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村内にあるJR飯田線の秘境駅「田本」
 
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大正時代の民家を移築した「左京の宿」

 一方、倉沢も密かに千鶴への思いを作品に残していました。学校美術館に所蔵する木彫像です。千鶴をモデルにしていて、清楚な女性像が遺憾なく発揮されています。倉沢から千鶴の兄に渡されましたが、家人は知られず秘蔵されていたようです。二人の間にどのようなロマンと事情があったのか、もっと知りたいところ。何とも「泰阜」は興味が掻き立てられる村です。

 ここまでです。

 この一年もあっという間でした。母の死去をはじめ、今年は近親者の不幸が相次いだ厄年でした。100歳を超えた父という
大物が控えていて気が抜けない日々が続きそうですが、まぁ、のんびり楽しくやるしかありません。今年も本当にお世話に
なりました。どうぞ佳いお年を!。そして来年もよろしくお願いいたします。

 では、また。              草々

           16.12.27

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 安曇野 無頼庵
  加藤 雅博
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中高年の「元気が出るページ」2017年1月号                   ①うにのおうちごはん歳時記第4回 おせち料理と雑煮 山田うに           ②安曇野発 信州村めぐり29「上伊那郡泰阜村」 加藤雅博              ③180回シネマトーク[スカラ座・オペラ座、そしてJAZZ] 西島雄造

<うにのおうちごはん歳時記>



毎日いただくおうちごはん。春夏秋冬、季節の彩りにあふれた食材や料理を取り上げて食の歳時記として連載します。
写真と文:山田うに


編集者・トラベルライター。よみうりカルチャーの野外講座・料理教室講師。ほかに『大人のカルチャーガイド』で美術館・博物館の企画展案内などを執筆。

第 4 回 1月 おせち料理と雑煮


「今朝若水を汲む、今日より三日迄貴賤雑煮餅を食し、大服をのみ屠蘇酒をすゝむ…」
斎藤月岑(げっしん)の『東都歳時記』正月元日の記述です。若水は正月元旦に初めて井戸水を汲み、その水で雑煮を整えたり福茶を煮たりする水で、若水を汲むのは古くからの行事の一つ。古代のおち水(若返りの水)信仰に由来するといわれます。『江戸府内 絵本風俗往来』には、上下貧富の区別なく皆若水を汲み、汲む手桶も新調して輪飾りをかけ、今年の恵方を向いて水を汲んだと記されています。
ちなみに“大服”は“ふくちゃ”と読み“福茶”と同義。正月三が日の早朝に、雑煮の前に、梅漬けや切り昆布、粒山椒などを入れた煎じ茶を飲む風習のことです。      
さて、雑煮は言わずもがなの正月三が日のはれの食べもの。年越しの夜、神を迎えるのに供えた食物を、直会(なおらい=神人共食)の式中の食事として調理したのが所以です。徳川家の雑煮は、餅、大根、ごぼう、焼豆腐、芋、くしこ、昆布、あわび、結び蕨といったものでした。汁は味噌汁と澄まし汁があり、徳川家では武家式礼に倣って味噌仕立て、江戸民間ではおおかた澄まし汁でした。先の『江戸府内 絵本風俗往来』には「江戸中家々あるとあらゆる如何なる貧苦の者にても、正月元旦、二日、三日の三朝屠蘇は汲まざるも、雑煮の調えなきはなし」とあります。
正月三が日の食事が雑煮なのですから、だんだん飽きてきます。江戸の古川柳にもこんな心情を詠んだ句が残されています。

 三日喰う雑煮で知れる飯の恩(『誹風柳多留』九三6)

 飯はよいものと気のつく松の内(白亀評万句合勝句刷)十三月1)
 
雑煮は日本各地で設えが異なり、大きくは関東系の澄まし汁仕立てと関西風の白味噌仕立てに区別できます。目安はフォッサマグナから東日本が澄まし汁、西が白味噌。ですが中国・四国との西部と九州も澄まし汁です。東京の雑煮はシンプルで、焼いた切り餅に小松菜と鶏肉。江戸の文献には雑煮に鶏肉を入れることは現れていませんが、庶民は鴨肉を入れることがあったようで“鴨雑煮”の言葉が川柳にあります。
我が家の雑煮は関東風の澄まし汁仕立て。焼いた角餅に紅白の蒲鉾、里芋、にんじん、昆布、銀杏、鶏肉などを入れ三つ葉を飾ります。この雑煮の椀に直会の煮しめが添えられます。こうしたはれの食物は伝統食でもあるので毎年同じです。しかしさすがに三が日間雑煮を食すことは無くなり、ある年には二日にカレー、三日にカニクリームコロッケが登場したのでした。

元旦を迎えると、お節料理を詰めた重箱の蓋が開かれます。お節料理とは節句(季節の節目)に作られる料理の意味で、節句は1月7日の人日(じんじつ)、3月3日の上巳(じょうし)、5月5日の端午、7月7日の七夕、9月9日の重陽の5節句があり、そのうちもっとも重要な正月の行事の際に作られる料理をもっぱらお節料理と呼ぶようになりました。重詰は壱の重、弐の重、参の重、与の重の四段重ねで、さらに控え重を備えるのが本式。客前に並べるのは与の重以外の四段で、控え重は文字通り空いたお節料理の補てん料理を入れておきました。近年ではこれも略式式化され、二段、三段のお節がほとんどになりました。
我が家の重詰はミニ重箱の三段重。料理は毎年変わりません。欠かせないのがくわい、蓮根、里芋、百合根、紅白かまぼこ、新巻鮭、紅白膾。これに鶏の八幡巻きや煮豚、からすみなどが加わったりします。叩きごぼうや田作り、黒豆、きんとんなどが入らないのが我が家流かもしれません。重箱はミニサイズですから、三が日の食べきりで我が家の正月はお終いになるのです。
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( 雑 煮 )

生まれが新潟の我が家の雑煮はもともと根菜と荒巻鮭を入れ、イクラをトッピングした新潟風でした。しかし東京に移り住んでからは東京風の雑煮に変わりました。
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( お 節 料 理 )



中高年の「元気が出るページ」2016年12月号                  ①うにのおうちごはん歳時記第3回 歳取りの膳とたくあん漬け 山田うに       ②安曇野発 信州村めぐり28「上伊那郡中川村」 加藤雅博              ③179回シネマトーク[数々のドラマを紡いだ不幸な時代] 西島雄造

 
(((179回 シネマトーク))))

             
【数々のドラマを紡いだ不幸な時代】

 
 
西島雄造


 The Holocaust=ホロコースト。20世紀の人類が犯したもっとも禍々しい歴史である。ナチス・ドイツは1939年、ヘルマン・ゲーリング(1893-1946、ニュールンベルグ裁判で死刑判決のあと青酸カリ自殺)の指示で、ヨーロッパのユダヤ人絶滅という組織的な大量虐殺に踏み出す。1939年9月、ドイツの侵攻を前に、ポーランドに住むユダヤ人約87000人が、ワルシャワなどのゲットー=ユダヤ人街に追放される。ガス車、ガス室…ただ大量に殺戮するために設けられた悪名高いアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所は、1945年1月まで存続した。米ワシントンDCには国立ホロコースト記念博物館があり、Holocaust Encyclopediaを読むことができる。
 ホロコーストを主題にした映画には名作が少なくない。アラン・レネ監督のドキュメンタリー『夜と霧』(1955)、『愛の嵐』(リリアナ・カヴァーニ監督1975)、『ソフィーの選択』(アラン・J・パクラ監督1982)、『コルチャック先生』(アンジェイ・ワイダ監督1990)、『シンドラーのリスト』(スティーヴン・スピルバーグ監督1993)、『サウルの息子』(ネメシュ・ラースロー監督2015)…。
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ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち
 
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ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち
 
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1939年2月、ロンドンに到着した子どもたち=実写

 チェコとスロヴァキアの合作『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』(マテイ・ミナーチュ監督)が、11月26日から公開されている。原案になったのはヴェラ・ギッシング著「キンダートランスポートの少女」(未来社)。ナチスに迫害されたユダヤ人の子どもを英国に送り込んだのが、キンダートランスポート=子ども輸送で、著者のヴェラも1939年6月、11歳の誕生日を前に祖国を後にし、両親の顔を再び見ることはなかった。
 この子供たち669人の命を救ったのが、ニコラス・ウィントンである。オスカー・シンドラーや杉原千畝の名前はよく知られるようになったが、筆者はサー・ニコラス・ジョージ・ウィントン(1909-2015)のことは知らなかった。ロンドンのユダヤ系の両親のもとで育った。ナチス・ドイツのチェコ侵攻を予測したイギリスのチェコ難民委員会の女性から、難民救出にあたる人手が足りないことを知らされ、イギリスでの子どもの引き受けと里親探しに奔走し、1939年3月14日から8月2日にかけ、669人の子どもを救い出した。
 話はそれだけで終わらない。映画は子どもたちが立派に長じた後日談を描いている。ヴェラ・ギッシングばかりではない。ジャーナリスト、物理学者、遺伝学教授、詩人で歌手…。『土曜の夜と日曜の朝』(1960)や『フランス軍中尉の女』(1981)などを手がけたチェコ出身の監督カレル・ライス(1926-2002)もその一人である。映画の宣伝文<未来は、子どもたちにしかかえられない>。ニコラス・ウィントンはそのことを現実のものにした。
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ブルーに生まれついて

 『ブルーに生まれついて』(ロバート・バドロー監督)も公開されている。チェット・ベイカーのトランペットが胸に深くしみるのは言うまでもないが、少し中性的な歌声も心に忍び寄ってくる。そのトランペットを初めて聴いたのは1953年、高校生のころだ。もちろんSP盤78回転のレコードで、ジェリー・マリガン・クォルテットの演奏だった。A面に「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」が収録されていた。1937年、ブロードウェイのシューバート劇場で初演の『Babes in Arms』に挿入されたリチャード・ロジャースとロレンツ・ハートの名曲である。1940年のブロードウェイの舞台『Pal Joey』、1957年の映画『夜の豹』(ジョージ・シドニー監督)ではキム・ノヴァック(実際はTrudy Erwin)も歌った。
 1987年から88年にかけて、カルバン・クラインの広告で名をはせた写真家のブルース・ウェーバーが、チェットの自伝的なドキュメンタリー映画『Let’s Get Lost』をモノクロで撮っている。サウンドトラックはエルヴィス・コステロが1982年につくった「オールモスト・ブルー」など12曲をしみじみと聴かせる。当時を顧みると、「Birth of Cool」に象徴されるチャーリー・パーカー(1920-1955)、マイルス・デイヴィス(1926-1991)らが、Jazzの新しい地平を切り拓いていた。そこにチェットが現れる。1946年、陸軍のアーミーバンドでトランペットを吹いている。1952年にジェリー・マリガン・クォルテットに参加し、Jazzに権威のあるダウンビート、メトロノーム両誌に歌声とともに高く評価された。朝鮮戦争を舞台にした映画『Hell’s Horizon』(トム・グリーズ監督1955)にも顔を出している。 
 喧嘩をして前歯を折りトランペットを吹けなくなって、やむなくガソリンスタンドで働いたこともある。ヘロインにふけりトランペットを入質までした。白人ということでマイルス・デイヴィスに疎まれもしたが、ディジー・ガレスピー(1917-1993)に支えられ復活している。映画が描いている通りだ。1929年に生まれ、1988年にアムステルダムのホテルから転落死した。58歳。映画ではイーサン・ホークがチェットを演じている。雰囲気は醸しており、自ら「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」など3曲を歌って聴かせる。悪くない。
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マダム・フローレンス 夢見るふたり
 
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「マダム・フローレンス」が登場したカーネギーホールのプログラム

 自伝的な作品が続く。今年の東京国際映画祭の幕開きを飾った『マダム・フローレンス 夢見るふたり』。メリル・ストリープが扮したフローレンス・フォスター・ジェンキンス(1868-1944)は莫大な遺産をもとに1917年、ニューヨークにヴェルディ・クラブを創設。400人の会員の中にはミラノ・スカラ座やニューヨーク・メトロポリタンで指揮を振ったトスカニーニ、歌劇王カルーソー、作曲家のコール・ポーター、コロラトゥーラ・ソプラノのリリー・ポンスらが名を連ねるという不思議な存在だった。リリーは映画『カーネギー・ホール』(エドガー・G・ウルマ―監督1947)にも出演して絶妙の美声を披露している。
 音楽的な資質よりも、翼がついた金ぴかの衣装や髪に盛った派手な花飾りなど、舞台の華やかさで人気を得たようだ。ついには1944年10月25日、カーネギー・ホールの舞台に登場。“音痴”とも言われたその声を自在に操り、終わってみれば拍手喝采の嵐。それから一か月後の11月26日に他界する。という夢のような話を映画は忠実になぞり、メリルも堂々と歌声を披露する。これで19回目のアカデミー賞ノミネートとなるか。相手役のヒュー・グラントも軽妙、達者にダンスまで踊ってみせる。監督は『クィーン』(2006)『あなたを抱きしめる日まで』(2013)のスティーヴン・フリアーズ。ベニー・グッドマン楽団が演奏する「シング・シング・シング」などが時代を彷彿とさせる。
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ガール・オン・ザ・トレイン

 『ガール・オン・ザ・トレイン』はポーラ・ホーキンズの小説。ロンドンで経済ジャーナリストをしながら、エイミー・シルバー名で4冊のロマンチック・コメディを書いたが手ごたえがなく、2015年の『THE GIRL ON THE TRAIN』(講談社文庫)で、やっとベストセラーの花が開いた。エミリー・ブラント扮するレイチェルは、ニューヨーク・マンハッタンのグランド・セントラル駅行き郊外電車の車窓に流れる風景に見入っていた。とりわけ好奇心を誘ったのは、瀟洒な家の2階で愛を交わしているカップルの姿だ。その二軒先の家は、かつて夫トム(ジャスティン・セロー)と暮らしていた思い出の場所である。
 或る日、女の不倫を目撃し許せない持ちが高まる。そして不倫相手の女が死体で発見され容疑をかけられる。レイチェルもまた頭に負傷していたが、前後の記憶が定まらない。アルコール依存症で酔っている間の記憶を失うのが常だった。レイチェルは何かしたのか…。ミステリーが始まり、複雑な人間関係があぶりだされる。ヒロインは失職していたが、そのことを隠すため毎日、郊外電車に乗っていた。街並みや風景が美しい。
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皆さま、ごきげんよう

 フランスとジョージア(旧グルジア)の合作『皆さま、ごきげんよう』、監督はグルジア出身のオタール・イオセリアーニ。フランス語の原題は『CHANT D’HIVER』。作中さまざまな音楽や歌が奏でられるが、『冬の歌』というよりも描かれる物語には《冬の詩》の方が似つかわしい、散文詩のような作品だ。映画はいきなりフランス革命時代、断頭台で処刑される貴族と歓喜する大衆。場面は変わり人間たちが性懲りもなく止めようとしない戦争の修羅場、そして現代に転換する。舞台はフランス革命発端の場所バスティーュ=Place de la Bastille。メトロの駅が数回映し出される。
 三つの舞台、主役はいずれも名もなき庶民。階級の匂いは少しする。おやおや、現代の台所では、主婦が断頭台そっくりの調理器具で魚の頭を切り落としている。200年をはるかに経ても、庶民の暮らしぶりなんて変わりはしない。日常を十分に楽しんでいる。ローラースケートを滑らせながらひったくりやかっぱらいを重ねるワルガキ。のぞきを楽しむ警察署長、その娘を口説きにかかるホームレス。演じる俳優の顔ぶれはフランス革命当時と同じ。フランスのベテラン俳優リュファスとグルジア出身のアミラン・アミラナシュヴィリが味のある演技を見せる。一見、人を食ったように脈絡もなきがごとくカットバックが観客の目を奪うが、いやなに、これは連綿と続いてゆく《人間讃歌》の美しい映画である。
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ドント・ブリーズ

 1981年、サム・ライミ監督、ブルース・キャンベル主演の『死霊のはらわた』が登場し、観客を震え上がらせた。『ドント・ブリーズ』はそのサム・ライミがプロデュースし、2013年に『死霊のはらわた』のリメークで躍り出たウルグアイ出身のフェデ・アルバレスが監督したホラー。小金を持った退役軍人の家に侵入した3人の若者、盲目の家主に見つからないためには息もできない…、しょせん身から出た錆の物語。暗闇の中のサスペンスとしてはオードリー・ヘプバーンが目の見えない女を演じた『暗くなるまで待って』(テレンス・ヤング監督1967)には及ばないが、退役軍人役のステファン・ラングの迫力で後半に盛り上がる。1952年生まれ、1989年にはブロードウェイ『セールスマンの死』で、ダスティン・ホフマン扮するウィリー・ローマンの息子をジョン・マルコヴィッチとともに演じている。
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メン・イン・キャット

 1991年、やはりブロードウェイのリチャード・ロジャース劇場にかかっていたニール・サイモン作『Lost in Yonkers』を見る機会があった。ケヴィン・スペイシーがトニー賞に選ばれた作品だ。以来、注目していたら、『ユージュアル・サスペクツ』(ブライアン・シンガー監督1995)ではアカデミー助演男優賞を射止めた。『ビヨンド・ザ・シー夢見るように歌えば』(2004)では製作・監督・脚本に主役のボビー・ダーリンをこなし、歌まで披露する多才さだ。そのケヴィンが『メン・イン・キャット』(バリー・ゾネンフェルド監督)では喜劇を楽しんでいる。
 大会社の社長、他聞にもれずわがまま、勝手し放題。北半球で一番のノッポビル建築に執着している。家族とも疎遠になりがちだが、妻(ジェニファー・ガーナー)から娘の誕生日を知らされ、欲しがっている猫をプレゼントしようと御輿を上げる。ところが帰途、落雷に遭い、気が付いたら入院室のベッドの上で猫になっていた…。さあ、どうなる。猫屋のクリストファー・ウォーケンがおかしい。監督は言わずと知れた『メン・イン・ブラック』シリーズを手掛けてきた男。原題は『NINE LIVES』。A cat has nine live=猫はなかなか死なない、しぶとい生き方の例えにされている。
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海賊とよばれた男

 『海賊とよばれた男』は百田尚樹の原作を読んだときもそうだったが、幾度か胸と目頭が熱くなった。国民が敗戦に打ちひしがれていた時に、日本男児ここにありとばかりに、勇気と気概と決断力を持ってイランに日章旗をはためかせた出光佐三(1885-1981)が実現した快事は、当時、日本の国民や新聞を湧かせた。
 145分の長尺だが、よくまとまっている。田岡鐡造役の岡田准一も堂々の演技だ。山崎貴監督はUFXを得手にしているが、冒頭の昭和20年5月の東京大空襲はなくもがな。細かなことを言えば、終戦直後、田岡商店に集まった店員たちが、そろいもそろってスーツに白ワイシャツ、胸元にハンカチーフの姿には鼻白んだ。復員船から降り立つ男たちが頭髪を刈りそろえていたのも同じだ。灰皿にはたばこの吸い殻がめだったが、戦後のたばこ事情は1950年まで配給制だ。1964年生まれの山崎監督にとって、戦後ははるかに遠い昔のことか。
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古都

 朝日新聞に連載中(1961年10月~62年1月、107回)、作者の川端康成が文化勲章を受章した『古都』は、京都・中京の反物屋と、周山街道沿いの杉で名高い北山に分かれて育った20歳の双子の姉妹を軸に、京都の年中行事や祭り、季節の移ろいを描いた。作者がノーベル賞を受賞したときの手記《美しい日本と私》が、もうひとつの主役でもあった。新聞連載中にはとりわけ京都の読者から<京都弁への違和感>が届き、1962年6月、新潮社から単行本化されたときは、京都弁の会話が大幅に手直しされている。
 1200年の都はいろんな意味で良くも悪くもしがらみの濃い町である。松竹の中村登監督、岩下志麻主演と、東宝で市川崑監督、山口百恵主演に続く本作は監督Yuki Saitoで映像化された。原作にとらわれず、その後の『古都』の物語と言っていい。双子の姉妹は室町と北山で成長して、それぞれ20歳の娘の母親になっていた。室町の佐田舞(橋本愛)は就活中だが進む道に悩んでいる。北山の中田結衣(成海璃子)はパリの画学校で勉強中。母親はむろん松雪泰子が二役で演じている。
 高卒後渡米して映画を学んだYuki Saito監督の、京都の美しさに注ぐ眼差しには見るべきものがある。嵐山の紅葉、大徳寺の竹林、町屋の折り目正しい甍、祭りの華麗さ、錦市場のにぎわい。パリの街もカメラがとらえ、本作の<古都>は京都とパリ、双方を指しているといえよう。主題は滅びゆく美しきものの哀れと、しがらみから抜け出そうとする若い二人。現代版ノラの姿かもしれない。娘役二人が美しい。
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浅草・筑波の喜久次郎

 『浅草・筑波の喜久次郎』(長沼誠監督)は、茨城県筑波出身の実在の人物山田喜久次郎(1859-1928)を描いている。同じ筑波出身で浅草公園六区に初の芝居小屋常盤座を作った根岸浜吉(1827-1912)とともに、浅草の隆盛に努めた人物で、松平健が好演している。

中高年の「元気が出るページ」2016年12月号                  ①うにのおうちごはん歳時記第3回 歳取りの膳とたくあん漬け 山田うに       ②安曇野発 信州村めぐり28「上伊那郡中川村」 加藤雅博              ③179回シネマトーク[数々のドラマを紡いだ不幸な時代] 西島雄造

安曇野発 信州村めぐり28
 
「上伊那郡中川村」


加藤 雅博



 東京で54年ぶりに11月の初雪を記録した日、安曇野でも観測史上かなり早めの降雪となり、一気に冬の到来を告げました。それ以降、下旬にかけても寒気は弛む気配がなく、どうやら今年は寒く、雪の多い冬になりそうな気配です。降雪が極端にすくなく、暖冬気味だった昨シーズンの反動なのでしょうか、冬将軍の襲来に戦々兢々としています。
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 長野県全図

 村めぐりを再開します。今回は上伊那郡(かみいなぐん)の「中川村(なかがわむら)」を訪れます。安曇野インターから長野道~中央高速道を乗り継ぎ、およそ1時間。松川インターで高速を降り、県道218号線で30分、村の中心部に到着します。村は上伊那郡の最南端に位置し、天竜川を挟んだ河岸段丘に集落を形成しています。曲がりくねって南に向かって蛇行する天竜川で二分され、周辺を駒ケ根市、飯島町、松川町、大鹿村と接しています。
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中川村役場と村章、「最も美しい村」連合加入加入証
 
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中川村渡場のイチョウ並木と中央アルプス

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中央アルプスと黄葉
 
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陣馬形山の頂上
 
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陣馬形山からの中央アルプスと伊那谷
 
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陣馬形山頂からの南アルプスの山並み
 
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陣馬形山山頂付近

 段丘の西側には中央アルプス、そしてはるか東側に南アルプスの連峰が続きその間に拓かれた伊那谷(伊那盆地、伊那平)が広がっています。中川村は平成20年(2008)「日本で最も美しい村」連合への加盟が承認されました。この連合は、フランスが発祥の「最も美しい村」活動を手本に、小さくても素晴らしい地域資源を持つ町や村が、住民によるまちづくりの活動を推進することを目的としたNPO法人で、連合が2005年に設立されて以降加盟したのは全国で64町村・地域。長野県は9町村が承認されています。
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北アルプス後立山は冬化粧

 村の眺望の美しさに加え、果樹栽培、棚田、天竜の流れに潤う田園など、段丘という独特の地形を生かした産業、文化が連合加入として認められたものですが、その村のシンボルともいうべきは、村北部にある標高1,445mの陣馬形山(じんばがたやま)。山頂は360度の展望が開いています。西側は眼下を流れる天竜と田んぼが広がり、その上方に烏帽子ケ岳~南駒ケ岳~空木岳~宝剣岳~木曽駒ケ岳と中央アルプスの山並み、東側に目を転じると手前の伊那山脈の向こうに仙丈ケ岳~北岳~間ノ岳~塩見岳~赤石岳と南アルプスの大パノラマ。天候がよければ中央アルプスの後方に後立山連峰を中心に北アルプスまでも見渡すことができ、伊那谷随一の景観といわれています。
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キャンプ場(整備中)

 山頂直下には、「天空のキャンプ場」ともいわれる、これまた最高の景色をテントから眺めることが可能なファミリーキャンプ場があります。昼間の山岳風景に加えて夜間の伊那谷の夜景、星空が見事で、夏休みなど家族連れに絶好。キャンプサイトも充実し、ゆったりしています。キャンプ地を訪れたときは来夏に向けて整備の最中でした。人気のキャンプ場は5月の連休から賑わいそうです。
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アンフォルメル中川村美術館
 
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アンフォルメル中川村美術館

 陣馬形山への途上にあるのが「アンフォルメル中川村美術館」。珍しい村営の美術館ですが、さらに貴重なのは我が国唯一の「アンフォルメル」を専門にした美術館であることです。「アンフォルメル」という語は1950年代フランスで繰り広げられた抽象絵画の動向を指す言葉とのことですが、茨城県出身の画家、鈴木崧(すずきたかし)(1898~1998)が中川村美里の丘の地を最高のロケーションと惚れこみ、平成5年(1993)に建設、開館した美術館です。

 中央アルプスと天竜川、河岸段丘というロケーションを最大に生かした建築家、毛綱毅曠(もづなきこう)(1941~2001)の設計によるもので、鈴木の作品を展示したエントランスホールと、別棟で茶室もある日本間の特別展示室も備わっていて、なかなか斬新です。建設中に相続税問題などが発生し開館が遅れたため、「文化の向上に資する」と判断した村が土地と建物を買い取り、指定管理者制度を導入して管理運営をしています。
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望岳荘のある村のセンター
 
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ハチ博物館

 村の中心部は大草地区。村役場、観光協会、郵便局など主要な機関が集まっていますが、その一角にある「望岳荘」は日帰り温泉も備えた宿泊施設。その名の通り、中央アルプスを正面に望んでいます。その一階にわが国では珍しい蜂(ハチ)をテーマにした「ハチ博物館」があります。村に在住で、ハチ研究家の富永朝和さんが長年の成果によるキイロスズメバチの巣を多数展示しています。 
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胴回り660センチの巨大ハチの巣

 29匹の女王蜂の共同作業で完成させて全長410センチの胴長の巣をはじめ、女王蜂114匹と50万匹の働き蜂の2年がかりの作業で胴回り660センチまで生長させた巨大な巣、女王蜂⒛匹と働き蜂1万匹によって作られた聖火ランナーを模した巣などが展示されていますが、巨大な巣の側面には「ハチ」の文字を描かせるという芸の細かさ。いずれもキイロスズメバチの習性を利用し、操って作成した作品で一見の価値は十分です。

 伊那谷一帯には元々地蜂(ジバチ、クロスズメバチ)採りの伝統があり、富永さんの蜂との出会いも地蜂採りからからだったようです。真綿に餌の昆虫の肉などを付けて蜂にくわえさせて、真綿を目印に後を追いかけ、巣のありかをみつけます。地蜂は土中に何層もの巣を作りますが、巣から取り出した蜂の子は、ザザムシ(川虫)、イナゴと並ぶ伊那地方の貴重な蛋白源でした。

 さすがにそのまま食することはなくなりましたが、佃煮などに加工したこれらの食品は、伊那地方の珍味として珍重されています。現代でも季節になると、地蜂採りの競技会が伊那谷各地で行われ、巣の大きさや成果を競っています。またシーズンになると直販店に地蜂の巣が並び、熱狂的なファンが買い求めています。

 蜂研究家の富永さんはその後、ニホンミツバチを飼育、ニホンミツバチの普及にもつとめ、キイロスズメバチの研究にも余念がないようです。伊那谷に育まれた「ハチ文化」はすたれそうにありません。
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「坂戸橋」の案内柱
 
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坂戸橋全景

 村に残された近代化遺産と名物・名所を幾つか紹介しましょう。近代化遺産の1つは、橋です。天竜川の村内流域には5つの橋が架かっています。釜淵峡にかかる鉄骨アーチの「牧ケ原橋」、中川村渡場地区から松川町へ渡る「天竜橋」、春サクラのトンネルで有名な「坂戸橋」など。このうち、坂土橋は国の登録有形文化財。昭和7年(1932)竣工の姿の美しいコンクリートアーチ橋で、専門的には「開腹式上路アーチ橋」というそうですが、現存する鉄筋コンクリート製単アーチ橋としては現在も日本一とのこと。橋の完成後地域の人たちで整備を続けてきたサクラとツツジの植栽の結果、今では橋詰を満開のサクラがトンネルのように覆う名所になっています。
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南向発電所
 
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発電用のフランシス水車ランナとシャフト

 もう1つの近代化遺産は、天竜橋の東橋詰近くにある「南向(みなかた)発電所」。昭和4年(1929)に完成以来87年が経過してなお現役として稼働している発電所です。名古屋電灯の社長に就任して以来木曽川開発に着手し、次々に電源開発を進めて電力王といわれて福沢桃介が最後に建設したといわれています。木曽川を制覇した福沢は、流量の多い天竜川の開発についての夢が捨てがたく昭和2年に着手。これが天竜川本流開発の先駆けとなりました。最大出力26,700kw。駒ケ根市の南向ダムから取水、80メートルの落差を使って発電しています。
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中川村の赤ソバ(観光協会パンフレットから)

 村の名物名所の1つは「赤ソバ」。長野県の下伊那郡箕輪町と並んで最近は中川村も「赤ソバ」の栽培で有名になってきました。赤ソバは、1987年、ヒマラヤの標高3,800mのところから、信州大学の故氏原暉雄名誉教授が日本に持ち帰り、種苗会社と共同で真紅の花を開発。「高嶺(たかね)ルビー」と名付けました。その後も長期にわたって品種改良が重ねられ、2011年、さらに赤みを増した「高嶺ルビー2011」が誕生しました。

 村では10数年前から赤ソバ栽培に取り組み、最近ではJR飯田線「伊那田島駅」の南方の2.5haの畑で公開しています。開花に合わせて「信州中川赤そば花まつり」が開かれます。飯田線の電車と中央・南両アルプスの絶景とソバ畑を背景にしたロケーションがカメラマンたちの格好のシャッタースポット。毎年多くの旅行者が鑑賞に訪れます。
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養命酒発祥の石碑
 
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石碑版の拡大

 もう1つの名所は養命酒発祥の記念碑です。薬用酒としてすっかり定着した養命酒は大草地区の塩沢家当主、塩沢宗閑翁によって慶長7年(1602)に製造されたと言い伝えられています。社に伝わる伝承によると、ある大雪の晩、塩沢翁が、雪中に倒れていた旅浪人を救い、3年間塩沢家で過ごさせました。老人は塩沢家の恩義に報いるため、霊酒の秘製造法授けて去っていきました。

 塩沢翁は、牛に乗って深山幽谷を歩き、薬草を採取して秘醸を始め、慶弔7年「養命酒」と命名。以来4世紀にわたって製造されてきました。大正12年(1923年)に、それまで塩沢家の家業だった製造事業を株式会社天龍舘として会社組織に改め、全国に紹介をはじめました。これが、現在の養命酒製造株式会社の創立とのことです。この発祥の地には工場跡地、記念石碑、資料館があります。
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養命酒のアンテナショップ「くらすわ」

 工場はその後、駒ケ根市に移転。しゃれたアンテナショップ「くらすわ」が諏訪市に誕生し養命酒に含まれる14種の生薬を飼料にしている豚「信州十四豚(ジューシーポーク)」、地産の新鮮な旨みが詰まった「旬野菜」の2つの食材を中心にしたレストランを運営しています。薬用酒と健康食品レストラン。400年余の歴史を感じさせます。



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  安曇野 無頼庵
   加藤 雅博
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中高年の「元気が出るページ」2016年12月号                  ①うにのおうちごはん歳時記第3回 歳取りの膳とたくあん漬け 山田うに       ②安曇野発 信州村めぐり28「上伊那郡中川村」 加藤雅博              ③179回シネマトーク[数々のドラマを紡いだ不幸な時代] 西島雄造

毎日いただくおうちごはん。春夏秋冬、季節の彩りにあふれた食材や料理を取り上げて食の歳時記として連載します。
写真と文:山田うに


編集者・トラベルライター。よみうりカルチャーの野外講座・料理教室講師。ほかに『大人のカルチャーガイド』で美術館・博物館の企画展案内などを執筆。


第3回 12月 歳取りの膳とたくあん漬け


 江戸時代の取引の代金決済は盆と暮れの年2回でした。商人のほうからいえば“掛売”をしてその代金を盆と暮れの半年ごとに集金するというもの。ことに暮れの大晦日は総決算日でしたから掛け取りは強い決意で集金に出かけました。翌日は元旦ですから売ったほうも買ったほうもきれいさっぱりとして正月を迎えたいと思うのが人の常です。が、なかなかすんなりと掛け取りができない。ですから大晦日は真夜中に払え・払わないの攻防戦が行われました。

 現代は時計が精密だから午前零時を1秒でも過ぎれば翌日になります。しかし、江戸時代の時刻は不定時法で、日の出・日の入りを基準にして昼と夜が決められて、それぞれを6等分して時刻を定めていました。時刻の呼び名の基本は十二支と四から九の数字です。“子の刻(九つ)”といっても午前零時ぴったりではなく、午後11時から午前1時までの時間帯を指しました。

 大晦日には現在でも除夜の鐘百八つが打たれます。ところがこの除夜の鐘には撞き方があり、今年のうちに百七つを撞き、最後の一つは年明けに着くのが決まりといいます。つまり百七つと百八つの境目が今年と来年の境目になるわけです。そんなにうまく撞けるものでないことは誰もが容易に想像できます。しかしともあれこの1、2分の差で喧嘩やら首括りやらの騒動、悲劇が生まれるのでした。

   大晦日首でも取って来る気也(誹風柳樽3)  

   掛け取りの帰らぬうちはうなってい(川柳評万句合勝句刷 宝暦七・十)

   掛け取りがかえったあとでふてえ奴(柳樽拾遺 拾1)

 絶対今日は集金するぞと大変な決意で出かけたのですが、相手は掛け取りが帰るまで仮病を使います。金を払えば払ったりで、掛け取りが帰ると「金をとるなんてふてえ奴だ」と、逆恨みのようなことまで言い出す始末。こんな具合に大晦日は悲喜こもごもでした。

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(年取りの膳)
 
歳取りの膳。毎年変わることはありませんが我が家は年越しうどんです
どこの家でもそうかもしれませんが、大晦日には歳取りの膳を設えます。儀礼食ですから当家の歳取りの膳は毎年変わりません。魚は塩引き鮭、そこに煮染めとそばが添えられます。肴は歳取り魚といい、東日本ではサケ、西日本ではブリ、西南日本ではイワシをいただきます。我が家の塩引き鮭には紅白膾を添えます。煮染めは根菜に結び昆布・スルメを入れたつゆたっぷりの醤油仕立て。そして年越しそば。我が家は10年ほど前にうどんに変わりました。儀礼食なのでなるべく変えないほうがよいと、そばをうどんに変えるのに大分躊躇しましたが、好みのほうが勝ちました。
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(干し大根)
 
>山形からお取り寄せの干し大根。東京では気候が温かいので干し大根にならないのです

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(たくあん)

 
沢庵漬け。甘味の無い昔ながらの漬け方で作ります

大晦日を迎える時期になると自家製たくあんが食べられるようになります。毎年山形の業者に干し大根を注文し、11月下旬から12月上旬に商品が届きます。量は15キロ。本数にして17、18本。それを糠と塩ほかで漬け込めば年末ごろからいただけるようになります。娘宅や姉妹宅に配ったりして、それでも2月から3月頃まで楽しめます。

中高年の「元気が出るページ」2016年11月号                   ①うにのおうちごはん歳時記第2回 むかごと菊花 山田うに             ②安曇野発 2016秋in azumino 加藤雅博                   ③178回シネマトーク[92歳で自死を決断するとき] 西島雄造

(((178回 シネマトーク))))

【92歳で自死を決断するとき】

  
西島雄造


 ミレイユ・ジョスパン=Mireille Jospin(1910-2002)、助産婦を天職として生きてきた。2002年12月6日に自死の道を選ぶ。フランスの有力新聞ル・モンドに遺書を寄せている。<ボロボロになる前に旅立つ…つぼみが開きやがてしおれる花のように、人の命も変わることはない>。ミレイユの自死をきっかけに、フランスでは尊厳死について広く論議されるようになったという。
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「92歳のパリジェンヌ」

息子はフランスの首相をつとめたリオネル・ジョスパン=Lionel Jospin(1937年生まれ)。そして娘のノエル・シャトレ(1944年生まれ)が「最期の教え」(青土社刊)に、母親の生きてきた道をつづり、『92歳のパリジェンヌ』(パスカル・ブサドゥー監督)として映像化された。主人公のマドレーヌを演じるのはマルト・ヴィラロンガ。『赤ちゃんに乾杯!』(コリーヌ・セロー監督1985)や『私の好きな季節』(アンドレ・テシネ監督1993)などに出演している年季の入った女優だ。
映画はマドレーヌの92歳の誕生日に始まる。家族が顔をそろえた食卓で「私は2か月後の10月17日にこの世から去るわ」と、こともなげに言いだした。娘のディアーヌ(サンドリーヌ・ボネール)も息子(アントワーヌ・デュレリ)も動揺する。「スイスまで連れて行ってとは言わないから」と言い添え、その後も淡々と日を送る。スイスはいうまでもなく安楽死の先進国だ。オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、アメリカの4州と、2016年にはカナダも追従している。
映画の冒頭、マドレーヌは運転を誤ってしまう。社会的にも活動し自立した老後を送ってきたはずなのに、バスルームで倒れ、キッチンでは鍋が過熱して焦げた。就寝中のベッドでお漏らしをしてしまう。「年齢を重ねると出来ることも増えるけれど、出来ないことも少なくない…」。病院でおむつを当てられた母親の姿を見て、娘も母親の揺るがない意思を受け入れることにする。決して暗く描かれてはいないが、それぞれの別れへの思いがにじんでいる。ときおり大きな振り子時計が象徴的に映し出される。人の命も時を刻みながら終焉に向かう。ジルベール・ベコーが1961年に創唱したシャンソン「そしていまは=Et Maintenant」が効果的に使われている。この映画は人が生きてゆく一つの道標となるだろう。
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「ミュージアム」

『ミュージアム』が強烈に面白い。原作者は1983年、横浜生まれの巴亮介。講談社の週刊ヤングマガジンに、2009年「GIRL AND KILLER―オンナと殺し屋」でデビューして《ちばてつや賞 ヤング部門》の大賞を受けたあと、2013年7月から連載を始め3冊で完結した。「さあ皆様、雨音に抱かれてー、“殺しの芸術作品”をご堪能ください」と読者の興味をそそる<超戦慄猟奇サスペンスホラー>。監督はNHKのドラマ畑で異才を放ち、映画に転身して『るろうに剣心』(2012)などを手掛けている大友啓史。
主役は警視庁捜査一課巡査部長の沢村久志(小栗旬)。仕事にかまけて妻と息子に気を配るゆとりがなく、妻(尾野真千子)との間にも隙間風が吹いている。最初の殺人事件が起こる。男が鎖につながれたまま獰猛な大型犬3頭に食い殺されていた。現場に<ドッグフードの刑>と判じものめいた文字が残されていた。第二の殺人<母の痛みを知りましょうの刑>、さらに<均等の愛の刑><ずっと美しくの刑><針千本飲ますの刑>と連続する、パズルのような殺人ゲーム。挑戦的でもある。やがて魔手は沢村刑事の妻子を襲ってくる。刑事の孤独な戦いが始まる。
鳥肌が粒立つような恐怖感がある。被害者が幼女樹脂詰め殺人事件の裁判員裁判の裁判員をつとめ、被告に死刑の判決を下していた、との共通点が浮かび上がる。雨の描写が優れている。雨に謎を解く重要な意味がある。高橋泉、藤井清美、大友啓史による脚本がよく練られている。裁判員裁判に一石を投じていると言えなくもない。医師が点滴液に異物を混入する場面に、現実に報道されている事件を想起してドキツとさせられる。
小栗旬が演技派の道を突き進んでいる。妻夫木聡は前作『怒り』(李相日監督)でも見せたように、臆せず演技の幅を広げている。頭を剃りまつ毛を染めて私刑を執行する歪んだ悪魔の蛙男を、まるで楽しんでいるように演じていた。尾野真千子、松重豊も好演している。132分、面白ければ決して長さを感じさせない。密度の濃いドラマ、フィクションの妙味だ。
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「インフェルノ」

『インフェルノ』は娯楽大作である。ダン・ブラウンが2000年に発表した『天使と悪魔』(映画化は2009年)でロバート・ラングドン教授を登場させ、『ダ・ヴィンチ・コード』(2006)と今作、ともにロン・ハワード監督、トム・ハンクスのトリオでスクリーンに。シリーズ小説の3作目の米ワシントンDCを舞台に友愛結社フリーメイソンを題材にした『The Lost Symbol』は、7月から撮影に入ったと伝えられる。
『天使と悪魔』でイタリアのローマ、ヴァチカン、『ダ・ヴィンチ・コード』で仏ルーブル美術館を舞台にしたが、今作では美の都フィレンツェ、そしてヴェネチア、イスタンブールと場面を変え、観光案内としても十分に楽しめる。冒頭、ドゥオーモ=サンタマリア・デル・フィオーレ聖堂、そしてアルノ川に架かるヴェッキオ橋とヴェッキオ宮殿。シニョーリア広場やボーボリ庭園もカメラはくまなく映し出す。
物語は21世紀の地球を主題にしている。人口の爆発で地球は滅び人間は絶滅する。阻止するには地球の人口を減らすしかない。方策として伝染性の強いウイルスを世界に拡散させるという途方もない策謀。ラングドンのスーツから小さなチタン製のカプセル“バイオチューブ”が見つかり、開くとダンテが書いた「天国と地獄・地獄篇」に触発されて、ルネサンス期の画家サンドロ・ボッティチェリ(1445-1510)が描いた「Map of Hell=地獄の地図」の映像が映し出され、謎めいたアルファベットが読み取れた。
ウイルスの所在を示すヒントは、ダンテのデスマスクに刻まれた暗号…。ウイルス拡散へのタイムリミットは24時間。追うラングドンにも危機が迫る。事件は二転三転、スリルとサスペンス、ミステリーを贅沢に味わうことが出来る。「人生にはミステリーが必要よ」というセリフに共感。トム・ハンクスは役柄が身についた。相手にフェリシティ・ジョーンズ。英国生まれ、『博士と彼女のセオリー』(ジェームズ・マーシュ監督2014)でホーキング博士の妻を演じてアカデミー主演女優賞にノミネートされている。12月16日公開の『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(ギャレス・エドワーズ監督)にも主演している。
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「手紙は憶えている」

 『手紙は憶えている』はアウシュヴィッツがモチーフになっているが、やはりミステリー・サスペンスである。主人公のゼブ(クリストファー・プラマー)は高級な老人施設で妻と老後を過ごしていたが、一週間前に妻に先立たれた。それなのに妻の死を認識できないどころか認知症気味だ。そんなゼブに同じ施設のマックス(マーチン・ランドー)が「覚えているか?君が誓ったことを。忘れても大丈夫なように、すべてを手紙に書き記した。約束を果たしてほしい」と紙片を渡す。
手紙には、二人がアウシュヴィッツの生き残りで、ナチスに家族を殺された。虐殺に手を染めたナチスの兵士が、収容所で殺された捕虜ルディ・コランダーになりすましアメリカで生きていると、復讐を指示していた。ゼブのルディ・コランダー追跡が始まる。ルディを騙る人物は四人。ナチスに傾倒した父親に育てられ、愛犬にヒトラーの妻エヴァの名前までつけた若者もいた。物語は予想外の展開となる。
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「われらが背きし者」

 『寒い国から帰ってきたスパイ』(マーティン・リット監督1965)を書いたジョン・ル・カレの第22作『われらが背きし者』(スザンナ・ホワイト監督)は、断片の描写、雰囲気の醸成がいい。『スラムドッグ・ミリオネア』で、アカデミー撮影賞を手にしたアンソニー・ドッド・マントルのカメラも優れている。
ロンドン大学教授ペリー(ユアン・マクレガー)は法廷弁護士の妻ゲイル(ナオミ・ハリス)とモロッコで休暇を過ごしていた。レストランで出会ったディマ(ステラン・スカルドガルド)とずるずる付き合っているうちに、ディマがロシアン・マフィアであることを明かし、イギリスの政治家が絡むマネーロンダリング=資金洗浄の仔細な機密が入ったUSBメモリーを、英国秘密情報部=MI6に渡す役目を引き受けてしまう。ロンドンからパリ、モロッコ、スイス・アルプスと場面を変えながら、事件の核心に迫る。原題にある『TRAITOR』は売国奴、裏切りといった意味。29歳のとき「死者にかかってきた電話」(1961)でデビューしたル・カレもMI6に所属していた時期がある。
監督のスザンナは8歳のときBBCの子ども番組のスタジオに行き、映像に目覚め8ミリカメラを手にした。アメリカへわたりUCLA=カリフォルニア州立大学で映像を学んだ才媛。スウエーデン出身で『ドラゴン・タトゥーの女』(デヴィッド・フィンチャー監督2011)にも出ていたステラン・スカルスガルドがいい味だ。音楽をブラジル出身のジャズ・ピアニストのマルセロ・ザーヴォスが奏でる。
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「誰のせいでもない」

『誰のせいでもない』は監督ヴィム・ヴェンダース。2本のドキュメンタリーを間に挟んで2008年の『パレルモ・シューティング』以来の登場だ。日が落ちかかった冬の雪道を、車を走らせるトマス(ジェームズ・フランコ)、小説家を職業としている。目の前に子どもを乗せた橇が滑り落ちてきた。車の前に座り込んでいる少年。怪我もなさそうなので家へ送ったが、母親のケイト(シャルロット・ゲンズブール)が取り乱す。なぜ…。
そして2年、4年と時が過ぎ、トマスは事故をひきずりながら生きている。11年が経った。そこへ車で家へ送り届けたクリストファーから手紙が届く。あのとき5歳の少年は16歳に成長し、作家になる夢を抱きトマスに憧れていた。物語は文学的に進む。3Dで撮影(ブノワ・デビエ)した風景や人物の微妙な影が効果的だ。ジェームズ・フランコがスターの道を歩んでいる。シャルロットが漂わせる影に魅力がある。
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「スター・トレック ビヨンド」

 『スター・トレック ビヨンド』は前2作の監督J・J・エイブラムスが製作に回り、台湾系のジャスティン・リンがメガホン。パワーストーンの平和利用を訴えるためエイリアンとの会議に出たジェームズ・T・カーク(クリス・パイン)がエイリアンに襲われ…。1966年にNBCのテレビドラマ『宇宙大作戦』から始まって半世紀。今作も宇宙を壮大に描いて迫力満点。123分、観客も宇宙空間に身をゆだねる。クリス・パインは伸び盛り、ほかにサイモン・ペッグ、韓国出身のジョン・チョウ、イドリス・エルバら。
映画の第1作はロバート・ワイズが監督し、この時からスポックを演じてきたエドワード・ニモイが昨年2月に他界し、ザッカリー・クイントに変わった。チェコフ役のアントン・イェルチンは今年の6月、自宅で事故死し、これが最期の作品になった。
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「小さな園の大きな奇跡」

 『小さな園の大きな奇跡』(エイドリアン・クワン監督)はハートウォーミングに教育を描いた香港映画。泣かせる場面もある。一流幼稚園の園長(ミリアム・ヨン)は、父親が園の運営に貢献しているその息子を、特別学級から普通学級に移すことを反対されて辞任。園児が5人しかいない閉鎖目前の幼稚園の園長を志願する。貧しい家庭の子どもばかりだが、家庭訪問を重ねながら心を通わせる。だが、4か月後には1人が卒園して4人になると閉鎖するしかない。さてどうなるのか。スラム街の向こうには高層ビルが建ち並ぶ。経済大国とはいいながら、香港にも貧富の格差が大きいことに驚く。
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「ペイ・ザ・ゴースト ハロウィンの生贄」

 『ペイ・ザ・ゴースト ハロウィンの生贄』(ウーリー・エデル監督)が10月31日のハロウィンの時期に合わせて封切られる。三世紀前にアイルランドからニューヨークに移民したケルト民族の習慣が定着したといわれるハロウィン。故事を由来に、ハロウィンの夜に子どもがさらわれるという設定。父親(ニコラス・ケイジ)が息子と街に出て、ソフトクリームを買っているすきに息子が消える。やがてオカルト的に物語は発展し、父親の決死の活躍となる。ジョン・カーペンター監督の初期の作品『ハロウィン』(1978)を思い出した。
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「続・深夜食堂」

 東京・新宿の横丁で、夜中から世間が目覚めるころまで商っている<めしや>。いろんな男や女が人生をひきずって出入りする。いわばグランドホテル形式で話を紡ぐ『続・深夜食堂』。人情話だ。店主(小林薫)は黙って包丁を握っている。温もりのある空気が流れる。客は安住の場所を見つけたように勝手に飲み、喰い、しゃべっている。
九州から出てきた老女(渡辺美佐子)をめぐる話で幕を閉じる。余貴美子との艶話は今回もお預け。キムラ緑子、不破万作、多部美華子が場面を賑わせている。豪華演技人だ。監督は松岡錠司。街の描写に味がある。原作は安倍夜郎、松岡と真辺克彦、小嶋健作が脚本。
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「ワンピース」

 スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』がとてつもなく面白い。尾田栄一郎が週刊少年ジャンプに1997年から連載している原作。ONE PIECE=ひとつなぎになった大秘宝を手に入れ海賊の王になる夢を追う少年モンキーD・ルフィ。市川猿之助が若々しく役を楽しんでいる。
 2015年10月から11月にかけ、東京・新橋演舞場にかかった舞台は10万人を動員した。演出したのは横内謙介。早稲田在学中に善人会議を創設(のちに劇団扉座)、いま才能がほとばしっている。舞台は本水、宙乗り、フライング、トンボ、大見得、隈取の化粧、衣装…と歌舞伎の魅力を存分に吸収しながら、国境も性の差も突き抜けて、あふれる色彩、照明と映像のなかでスーパーオペラと呼びたくなるゴージャスさで魅了する。満員の劇場は舞台と客席が一体になり、ロックのライヴ会場を思わせる。
 『エブリボディ・ウォンツ・サム』は『6歳のボクが、大人になるまで。』のリチャード・リンクレイター監督。何かを求めている青春を描いたコメディ。若者たちは良く言えば溌剌、しかし教養も見えない放埓さに鼻白む。
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「ぼくのおじさん

『ぼくのおじさん』(山下敦弘監督)は軽やかなタッチのコメディ。どこか気持ちがふんわりする。松田龍平が達者に演じている。
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「ソーセージ・パーティー

 『ソーセージ・パーティー』(コンラッド・ヴァーノン&グレッグ・ティアナン監督)はスーパーマーケットの棚に並んでいる商品を擬人化。外の世界を見ようと冒険を試みる。字幕にこそ現れないが、セリフはかなり性的で、R15指定の子どもには見せられないアニメ。
『オケ老人』(細川徹監督)は老人問題にも視線を配りオーケストラを奏でるゴールデン・エイジのハッピーエンディング・コメディ。ほかに『バースデーカード』(吉田康弘監督)と、ナタリー・ポートマン、ユアン・マクレガー主演で『ジェーン』(ギャビン・オコナー監督)、『華麗なるリベンジ』(イ・イルヒョン監督)、『何者』(三浦大輔監督)。

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「第29回東京国際映画祭報告」


【東京グランプリは『ブルーム・オブ・イエスタデイ』に】

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ブルーム・オブ・イエスタデイ

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サミー・ブラッド

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ダイ・ビューティフル

 10月25日から東京・六本木を中心に開催されていた第29回東京国際映画祭は、11月3日に幕を閉じた。注目のコンペティション部門から選ぶ東京グランプリは、ドイツとオーストリアの合作『ブルーム・オブ・イエスタデイ』(クリス・クラウス監督)が獲得し、賞金50000ドルを手にした。ほかの各賞は次の通り。

 ◆コンペティション:最優秀監督賞ハナ・ユシッテ『私に構わないで』
           最優秀男優賞パオロ・バレステロス『ダイ・ビューティフル』
           最優秀女優賞レーネ=セシリア・スパルロク『サミー・ブラッド』
           審査員特別賞アマンダ・ケンネル監督『サミー・ブラッド』
           最優秀芸術貢献賞『ミスター・ノープロブレム』
           WOWWOW賞『ブルーム・オブ・イエスタデイ』
           観客賞『ダイ・ビューティフル』

 ◆日本映画スプラッシュ作品賞『プールサイドマン』
 ◆アジアの未来部門:作品賞ミカイル・レッド監督『バードショット』
 ◆国際交流基金アジアセンター特別賞:アジアの未来部門アランクリター・シュリーワースタウ監督『ブルカの中の口紅』
 ◆ARIGATOU賞:新海誠 高畑充希 妻夫木聡
 ◆SAMURAI賞:黒沢清 マーティン・スコセシ

 『ブルーム・オブ・イエスタデイ』の東京グランプリは順当な選択だろう。主役は著名なホロコースト研究者で、フランス系ユダヤ人の女性と出会い…型破りのラブコメディに仕上げている。第二次世界大戦から70年余が経ったいまも、アウシュヴィッツやホロコーストを主題にした映画は、途切れることなく製作されているが、その中では異色のとらえ方だ。最優秀監督賞の『私に構わないで』は家族の物語。主人公のマリヤナは病院に勤めながら両親と少し障害のある兄の4人、小さなアパートで暮らす。やがて父親が病床に伏し…クロアチアとデンマークの合作だが、人々の生活は貧しく感じられる。
映画は世界の様々な事象を学ばせてくれる。『サミー・ブラッド』は少し衝撃的だった。普通にラップランドと呼んでいるスカンジナビア半島の北部からロシア北西部にかける地域。先住民族のサーミ人は元来遊牧民で、フェルト地の民族衣装Koltをまとい、Yoakという無伴奏の即興歌をくちずさんで、自然とコミュニケーションしていた。だがラップランドは辺境の地という別称で、サーミ人も差別されてきた。サーミ人の少女をめぐる映画である。
アジアの未来部門の『バードショット』はフィリピンとカタールの合作。Birdshot、つまり鳥を撃つ散弾銃の扱い方を父親から教わるところから始まり、意外な方向へ展開する。イランの作品『誕生のゆくえ』は夫と妻が流産について語り合う。モーセン・アブドルワハブ監督は、記者会見で「流産が現実問題である」とこともなげに語っていた。
こうして顧みると、全体に生真面目な主題が多く、映画がもたらす<わくわく感>にかけているように思う。観客賞にフィリピンのゲイ・ワールド・コンテストを描いた『ダイ・ビューティフル』が選ばれたことに注目してもいいだろう。決してゲテモノにしていない。個人的にはアメリカの『浮き草たち』(アダム・レオン監督)やルーマニアとフランスの合作『フィクサー』(アドリアン・シタル監督)、パリ随一の歓楽街ピガールを生き生きと描いたフランスの『パリ、ピガール広場』(アメ・エクエ監督)なども面白かった。『浮き草たち』について、監督はチャールズ・チャプリンを引き合いにしていた。チャプリンが作り出したシルクハットにステッキ、ドタ靴スタイルの“放浪者”、原題の『Tramps』に日本的な浮き草はそぐわないように感じた。
それにしても『アズミ・ハルコは行方不明』がコンペティション部門の日本代表というのはわびしすぎる。これが日本映画の現状、実力と思われるのは遺憾だ。来年は数えて30回の節目。楽しみである。
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