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中高年の「元気が出るページ」2017年10月号                  ニュージーランドホームステイPR                          ①うにのおうちごはん歳時記第13回 秋茄子 山田うに               ②安曇野発40 信州都市めぐり⑤ 中野市 加藤雅博                 ③189回シネマトーク【人知が宇宙へ飛翔したあの日】 西島雄造           ④東京国際映画祭 西島雄造

 
【東京国際映画祭】


 ことしは30回目の節目を迎え、10月25日から11月3日にかけ、東京・六本木ヒルズを中心に催される。1985年に渋谷区を中心に第1回が始まり、隔年から1991年には毎年開催されるようになった。
 コンペティション部門は東京グランプリのほか、審査員特別賞、最優秀監督、女優、男優賞、芸術貢献賞、観客賞に、今回から脚本賞が加わる。88の国と地域から1538本の応募があり、イタリアの『ナポリ、輝きの陰で』、日本からはAV女優紗倉まな原作、瀬々敬久監督『最低』、綿矢りさ原作、大九明子監督の“暴走ラブコメディ”『勝手にふるえてろ』など15本。審査委員長はハリウッドスターのトミー・リー・ジョーンズ、審査委員に新作『ルージュの手紙』の監督マルタン・プロヴォ、テヘラン生まれ『花嫁と角砂糖』(2011)などの監督レザ・ミルキャリミ、女優、監督、歌手と活躍の中国のヴィッキー・チャオ、そして日本の俳優永瀬正敏。
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鋼の錬金術師
 
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空海ーーKUKAI
 
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不都合な真実2 放置された地球

 節目の年とあって例年以上に様々な企画が練られている。オープニングは荒川弘の漫画を曽根利彦が映画化した『鋼の錬金術師』(12月1日封切り)、またオープニングスペシャルとしてチェン・カイコー監督による中国と日本合作『空海―KUKAI』(2018年2月公開予定)クロージングには第79回アカデミー長編ドキュメンタリー賞作品の続編、『不都合な真実2 放置された地球』(11月17日封切り)が上映される。
 特別招待作品には第74回ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞のギレルモ・デル・トロ監督『ザ・シェイプ・オブ・ウォーター』(2018年公開)、アレハンドロ・ホドロフスキー監督のフランス・チリ・日本合作『エンドレス・ポエトリー』(11月18日)、現金強奪事件を描いたスティーヴン・ソダバーグ監督『ローガン・ラッキー』(11月18日封切り)、竹下昌男監督『ミッドナイト・バス』(2018年1月27日)など多様な作品が並んでいる。
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地獄門

 10月26日には歌舞伎座スペシャルナイトで市川海老蔵の舞踊と4Kデジタル復元版で第7回カンヌ国際映画祭グランプリ、大映初のカラー作品『地獄門』(衣笠貞之助監督)の上映。アニメーション特集では『クレヨンしんちゃん』などを撮ってきた<映画監督原恵一の世界>。またSAMURAI賞には『ラスト・エンペラー』などを作曲した坂本龍一がすでに選ばれ、11月1日には「映像と音の世界」と題したスペシャルトークも予定されている。
 期間中の上映作品は約200本。一般チケットの販売は10月14日から。
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中高年の「元気が出るページ」2017年10月号                  ニュージーランドホームステイPR                          ①うにのおうちごはん歳時記第13回 秋茄子 山田うに               ②安曇野発40 信州都市めぐり⑤ 中野市 加藤雅博                 ③189回シネマトーク【人知が宇宙へ飛翔したあの日】 西島雄造           ④東京国際映画祭 西島雄造

(((189回 シネマトーク))))

【人知が宇宙へ飛翔したあの日】

 
西島雄造


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ドリーム

 『ドリーム』は人知を描いている。人には誰でも夢を見る権利がある。未来につながる壮大な夢もある。まだ米ソ冷戦の時代、両国は軍拡と宇宙への飛翔にしのぎを削っていた。アメリカの大統領はジョン・F・ケネディ(大統領就任期間は1961年1月―1963年11月)。人知はときに過ちをもおかす。当時のアメリカは人種分離政策を取り続け、仕事の選択ばかりか乗り合いバスも食事やトイレも、カラーと白人は分けられていた。ニガーと呼ばれていた人たちは、学校もまた黒人専用にしか入ることが出来なかった。この映画のもう一つの見どころは、こうした人種分離と闘い続け、差別の壁を突き破った女性の物語である。
 話の中心になる3人の黒人女性の一人、キャサリン・G.ジョンソン(タラジ・P・ヘンソン)は1918年、4人の末っ子として生まれる。幼少から数学に天才的な資質を見せ、14歳で高校を卒業した。ウェスト・ヴァージニア大を卒業した最初の黒人女性でもある。1953年、NASA(アメリカ航空宇宙局、1958年、アイゼンハワー大統領が設立)に勤務したが、近くに黒人女性が使用できる化粧室すらなかった。コーヒー・サーバーさえ別々だった。
 1957年10月4日、当時のソ連は世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功する。アメリカは《スプートニク・クライシス》に落ち込む。1961年4月12日にはソ連がユーリイ・ガガーリン搭乗のボストーク1号で宇宙周回に成功。アメリカは国の威信をかけマーキュリー計画(1959-1963)に着手した。一般的には宇宙ロケットの発射と成功、あるいは失敗の現象にしか関心がもたれないが、その陰には周回の軌道や帰還して着水するポイントまで、精密な数学的計算がなされる。そこでキャサリンの能力が生かされた。
 キャサリンは結婚して3人の娘を授かるが1956年、夫と死別しながらキャリアを発揮。ついにアトラスで地球周回に成功したジョン・グレン飛行士(1921-2016)からも絶大な信頼を得た。当時はまだIBMマシンと呼ばれていたコンピュータにも勝る数字の資質だった。ほかにドロシー・ヴォーン(1910-2008、出演オクタヴィア・スペンサー)とメアリ―・ジャクソン(1921-2005、ジャネール・モネイ)のいずれも実在の3人の女性が、人種、そして性の差別に対し誇り高く発言し、人間としての権利を勝ち取ってゆく。
 監督はセオドア・メルフィ。1971年ニューヨーク生まれ、『ジーサンズはじめての強盗』(ザック・ブラフ監督2017)では脚本を手がけている。今作の脚本を書いたアリソン・シュローダは高校生のとき祖父が勤めていたNASAでインターンをつとめ、スタンフォード大で数学を学んでいる。今年のアカデミー作品、助演女優(オクタヴィア・スペンサー)、脚色賞にノミネートされた。外国語映画賞こそイランの『セールスマン』が手にしたが、『ドリーム』はこれまで白人優位になりがちだったアカデミー賞には、あまり嬉しくない主題だったかも知れない。ケビン・コスナーが好演している。描かれた高邁な人知は感動的である。原題『Hidden Figures』隠された人たちといった意味。
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エルネスト

 『エルネスト』はキューバと合作の異色の題材である。鹿児島からペルーを経てボリビアに渡り、雑貨商を営んでいた父とボリビア人の母のもとに生まれたフレディ前村。20歳を迎え<祖国>ボリビアのため医師になることを志し、キューバのハバナ大学医学部に留学する。そこで最高指導者のフィデル・カストロやチェ・ゲバラと出会う。エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(1928-1967)はアルゼンチンの裕福な家庭に育ち、ブエノスアイレスの医学部で学んでいる。スペイン語で親愛の意味を込めた言葉<CHE>がのちに愛称となった。
 1956年メキシコに亡命中、フレディ前村はフィデルとラウル・カストロに出会い反独裁革命闘争に身を投じることになる。5年前に「老人と海」を書いたアーネスト・ヘミングウェイの足跡をたどってキューバを訪れたとき、CHEがだれにもまして愛され、土産物もその写真やロゴが入ったTシャツなどであふれ、依然カリスマ性に満ちていることに驚いた。CHEは1959年夏、アジア・アフリカの親善大使として日本を訪れ、12日間の滞在中に広島を訪れ深く感銘したという。1967年10月9日に銃殺刑に処せられ、ことしが没後50年になる。2004年にはロバート・レッドフォードらの製作で若いCHEが南米12000キロをバイクで周遊する『モーターサイクル・ダイアリーズ』(ウォルター・メレス監督)が評判になった。
 今作ではフレディ前村がCHEに傾倒し、ついにはボリビアの軍事クーデターに際し革命支援隊に身を投じ、25歳で幕を閉じた生涯の物語である。作中、1962年10月、米ソが対峙したキューバ危機なども描かれる。ハバナにはいまも危機当時の遺物が見られる。『どついたるねん』で1989年に監督デビューした阪本順治監督は還暦を前に、会話はすべてスペイン語、80%がキューバ・ロケというこれまでにない作風を打ち立てた。学生運動さなかに学んだことが記憶に刻み付けられていると、記者会見で語っていた。映画の製作に当たったキノフィルムズの英断は評価される。オダギリジョーが好演している。
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アナベル 死霊人形の誕生

 《アナベル・リー》は「モルグ街の殺人」や「黄金虫」で名高い米国の作家・詩人のエドガー・アラン・ポー(1809-1849)が書いた生涯最後の愛の詩。映画『アナベル 死霊人形の誕生』(デイビッド・F・サンドバーグ監督)は恐怖で総毛立たせる。巧みな演出で“おどかし”も上々。幸せに過ごしていた家族だが、最愛の一人娘を自動車事故で亡くす。12年が経ち、娘への思いもあって、孤児院の少女たちを自宅に引き受ける人形作家の父親。
 それから少女たちを襲う恐怖の現象。父親が手がけた人形はどのような力を秘めているのか。家の中ではポルターガイスト現象も起こる。ステイーヴン・スピルバーグが製作して脚本にも加わったトビー・フーパー監督の『ポルターガイスト』(1982)でことに知られるようになった、モノが飛んだり移動したり異常な音を発するある種の心霊現象だ。音響効果も恐怖を増幅させている。終幕には悪魔が登場、キリスト教の国ではこんな風に締めくくるのか。エンディング・タイトルの後にもう一波乱。見逃さないように。
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ブラッド・スローン

 『ブラッド・スローン』(リック・ローマン・ウォー監督)は刑務所を舞台にしたユニークな人物設定とストーリー展開で面白く出来ている。株式ブローカーのジェイコブ(ニコライ・コスター=ワルドー)は妻と友人夫婦の4人でドライブ中に事故を起こし、友人を死なせる。実刑判決を受け刑務所に放り込まれたばかりに、ジェイコブの人生が狂い始める。刑務所に巣食うギャングたち、生き残るには反抗するか従順になるしかない。刑を終えてシャバに出たが…。
 アメリカは世界一の“刑務所大国”で、連邦刑務所のほかに各州にさまざまな形態の刑務所がある。カリフォルニアにはその数34。悪名高いアルカトラスは映画にもなった。収監者は200万人をはるかに超え、ヒスパニック、アフリカ系に白人、メキシカン・マフィアもいる。暴力行為は日常茶飯事、1962年の脱走劇はFBIのホームページに記されている。この監督には押し込み強盗を逆に殴打して殺した男が3年の刑で刑務所に入ったが…と言う『プリズン・サバイブ』(2008)や『オーバー・ドライブ』(2013)など刑務所がモチーフになった作品もあり刑務所内部の描写はリアルだ。
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アンダー・ハー・マウス

 『アンダー・ハー・マウス』は異色の映画である。スタッフやクルーが監督のエイプリル・マレンから製作、脚本、撮影、スタントまで全員女性。男はヒロインのダラスを演じるエリカ・リンダーの相手で、ファッション誌の編集者ジャスミン(ナタリー・クリル)の恋人役セバスチャン・ピゴットら数えるほど。監督のエイプリルは女優でもある美人だ。
 いきなり濃厚なベッドシーンから始まる。男の骨格が成熟しておらず、乳首が男なのに大きいと思っていたら、これが実はエリカ・リンダーだった。男のような名前のダラス、仕事は大工、身のこなしも風貌も男のようだ。若いころのレオナルド・ディカプリオを思わせる美形。1990年、ストックホルム生まれ、身長は175センチもある。ダラスはクラブで見初めたジャスミンと深い関係に落ちる。92分の大部分が大胆な性描写に費やされる。ジャスミンも本能に貪欲で、ときにバスタブに横たわり、シャワーを秘部にほとばしらせて快楽をむさぼる。15歳未満の入場・鑑賞を禁止するR15+は当然である。Relentless Love=激しく容赦のない愛とのアメリカの評も見られ、ゲイ・ムーヴィーと言えるが、文学的匂いがしないでもない。トロント映画祭で話題になった。
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猿の惑星 聖戦記

 『猿の惑星 聖戦記』が10月13日から公開。監督はマット・リーヴス。前作『猿の惑星 新世紀』(2014)でもメガホンを握っている。高度の知能を身に着けた猿たちが闊歩する時代。人類の文明は崩壊した。人類との共存を願う猿のリーダー、シーザーだったが、家族を殺害された怒りと理想のジレンマに陥っている。森の奥に秘密基地を築き滝の奥に身を隠していたが、敵であり人類側の統率者である大佐は軍隊を率いて対決する。復讐の旅に出たシーザーにオランウータンのモーリスとロケットが同行。旅の途中で口がきけない人間の少女に出くわしノバと名付ける。一行は大佐の要塞にたどり着くが、シーザーが捕まるばかりか、仲間も監禁されて…。
 フランクリン・シャフナー監督、チャールトン・ヘストン主演で1968年に幕を開けたシリーズは、6作目(2001)にティム・バートンが監督で登場。マーク・ウォルバーグ、ティム・ロス、ヘレナ・ボナム・カーターらが出演し、『最後の猿の惑星』(J・リ-・トンプソン監督)で復活した。マット・リーヴス監督になって長尺になり今作は140分。しかしロケは雄大で、猿たちのメーク、パフォーマンスはさらに精巧に進化している。
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スイス・アーミー・マン

 『スイス・アーミー・マン』はダニエル・クワンとダニエル・シャイナートの二人が脚本・監督に携わった不思議な、そして奇妙に面白いファンタジー。無人島に漂流し助けを求めてもかなわず、自殺しようとしていたハンク(ポール・ダノ)の目に入った死体(ダニエル・ラドクリフ)。この死体、噴射するガスで海上をジェットスキーのように滑りまくる。そればかりかスイス・アーミー・ナイフのように、口からもガスを噴射して銃のように機能、指を広げると火打石のように火花を発する。雨水を蓄えて逆噴射もする…といった多くの機能を持つ。死体と言いながら生きているのか死んでいるのか定かではない。二人はこの先どうなるのか。
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僕のワンダフル・ライフ

 『僕のワンダフル・ライフ』(ラッセ・ハルストレム監督)の原題は『犬の目的』。犬と少年というのはもっとも愛すべき取り合わせだ。家族同様の犬にとっても、目的は飼い主を幸せにすること。時代はケネディ大統領がキューバ危機(1962年10-11月)に直面しているころ。時が経ちイーサン(デニス・クエイド)とおばあちゃんになったハンナ(ペギー・リプトン)が再会する。犬の生存年齢(一般的に10-13年)を考えると少し無理が。シカゴの警察犬の挿話はなくもがな。 
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プラネタリウム

 『プラネタリウム』(レベッカ・ズロトヴスキ監督)はスピリチュアルを横糸に物語を紡ぐ。アメリカから1930年代のパリにやってきたローラ(ナタリー・ポートマン)とケイト(リリー=ローズ・デップ)の姉妹は死者を呼び出す降霊術のショーで話題になっていた。映画のプロデューサー、コルベン(エマニュエル・サランジェ)が目を付け映画への出演を持ち掛ける…。
 物語の下地にはフォックス姉妹事件(ハイズビル事件)がある。フォックス家の三姉妹が超常現象を公にし、果ては姉のマーガレットが金儲けをたくらんだ。インチキ、詐欺とも言われながら、近代スピリチュアル・ブームのきっかけになっている。そしてもう一人のベルナール・ナタンは財政危機のフランス・パテ社を立て直し、1929年には初のトーキー長編映画を手がけている。リリー=ローズ・デップはジョニー・デップと女優で歌手のバネッサ・パラデイの娘、2015年にシャネルのモデルとしてデビューした。
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アウトレイジ最終章

 『アウトレイジ最終章』がベネチア国際映画祭のクロージング作品に選ばれた。北野武監督のヨーロッパでの評価は高い。今作は「アウトレイジ」の3作目にして、最終章ならではのシーンが待っている。日本映画の最盛期、正月の『忠臣蔵』並みの個性的な俳優が顔をそろえ、監督の手綱さばきも手落ちがない。ビートたけし、西田敏行、大森南朋、大杉漣…中でも塩見三省、白竜、金田時男がいい。他の俳優もそれなりに収まっている。女優はクラブのホステス以外の顔を見ない。珍しいともいえる。今回は韓国・済州島を舞台にした韓国やくざもからみ、物語はやくざの抗争に尽きる。さしたるメッセージはない。
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ナミヤ雑貨店の奇蹟

 『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(廣木隆一監督)は原作東野圭吾。末期の膵臓ガンで余命3か月の宣告を受けた75歳の浪矢雄治。かつてのナミヤのおじさんは子どもたちの悩みごとの相談に真剣に答えてくれていた。身体をこわしてから息子夫婦に見守られ、シャッターが下りたままの雑貨店だが、最近になって真夜中に誰かが店のシャッターの郵便受けに手紙を入れている夢を見るようになった。それは未来からの手紙。そして最後の手紙に返事を書き始めるおじさん。2012年と30年前が行ったり来たりして話が込み入るが、発想は悪くない。演出はきっちりしている。西田敏行にふさわしい役柄だ。ほかに萩原聖人、成海璃子、尾野真千子ら。
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74歳のペリカンはパンを売る

 『74歳のペリカンはパンを売る』(内田俊太郎監督)は80分のドキュメンタリー。東京・浅草、地下鉄田原町駅を降りて寿町4丁目交差点まで歩くと、ペリカンマークのこぢんまりした店にたどり着く。昭和17年に開業、映画撮影の時期に74年目を迎えた。商品は食パンとロールパンだけ。かたくなにこだわっている。渡辺陸が4代目を継いでいる。パンは粉から生地をこしらえて焼く、いわば単純な製法と思っていたが、そうでもないらしい。常連は「いつ食べても同じ味」「ずっと変わらない」「空気みたいなもの。ないと困る」…と言う。味の秘密は具体的に語られないが、繁盛しているらしく工場は大きい。見ているうちにパンの匂いがしてきた。食べずにおられまい。
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ソウル・ステーション パンデミック

 韓国からヨン・サンホ監督の長編アニメ第3作『ソウル・ステーション パンデミック』が登場。韓国ソウル駅周辺のホームレスが、奇妙なウイルスに感染して吸血鬼化し、集団的に曼延してゆく。まだ感染していない市民と追いかける吸血鬼のてんまつ。超高級マンションなどが映され、吸血鬼とは社会の底辺に生きる市民の反乱にも見える。作画はしっかりしており、人物も目ぱっちりの少女漫画とは一線を画し、表情に生活感がにじんでいる。
マンガアプリに連載して火がつき映画化された『恋と嘘』(古澤健監督)は先が読める予定調和。これは少女向きのつくり。

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中高年の「元気が出るページ」2017年10月号                  ニュージーランドホームステイPR                          ①うにのおうちごはん歳時記第13回 秋茄子 山田うに               ②安曇野発40 信州都市めぐり⑤ 中野市 加藤雅博                 ③189回シネマトーク【人知が宇宙へ飛翔したあの日】 西島雄造           ④東京国際映画祭 西島雄造

安曇野発40  

信州都市めぐり⑤ 中野市



加藤 雅博


 それにつけても今年は天候に翻弄されつくされた年です。秋のシルバーウィークは無残にも台風18号にぶつかり、連休が台無しになりました。季節のメリハリがないまま秋を迎えています。加えて北朝鮮情勢の不穏な動向と、予期しなかった解散総選挙、小池新党の発足という政局がらみの動きが加速化し、落ち着いて秋を味わうのは難しそうです。
 
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中野市の位置図

 そんな合間の初秋の2日間、信州都市めぐりにでかけました。今回は「中野市」です。県の北東部に位置する都市で長野市よりさらに北。県内でもなじみが薄く、筆者も今回初めて訪れた個所がたくさんでした。が、実は長野県の発祥にも大いに関係する歴史的な土地柄であることを知り大いに反省しました。
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中野市の庁舎と市章 左上は新築中の庁舎

 同市の現況をざっと述べると、8月1日現在、人口は4万3,184人(男2万859人、女2万2325人、1万5502世帯、県内19市の中で14番目。面積は112.2平方キロで19市中16番目と小ぢんまりとした都市です。
 
 ところが歴史をたどると、意外な側面が見えてきます。源平合戦から戦国時代まで、高梨氏の支配下にありましたが、川中島の戦で上杉氏についたものの武田勢に敗れて上杉が会津に移封されるに伴い中野の地を去ってしまいます。その後、江戸時代になると徳川幕府の直轄地(天領)(およそ5万石)となり、中野村に幕府の陣屋が置かれました。天領は次第に拡大され、政治、経済、文化、交通の中心になり、大勢の文人墨客も往来しました。
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中野陣屋跡の石碑
 
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陣屋井戸跡地

 江戸末期の慶応4年(1868)中野陣屋が廃止され、跡地を信濃国の幕府・旗本領を管轄するために設置された伊那県中野分局に。明治3年(1868)には中野県が成立し、分局は県庁に昇格、中野村も中野町となりました。しかしその年の暮れ、年貢削減、特権的豪商の告発、新税廃止などを求める世直し一揆(中野騒動)が発生し、県庁舎は焼失してしまいます。
 
 数千人が参加し、逮捕者600余人、死罪28人を出した“騒動”は、これだけで一項目詳述できる内容です。今回は割愛しますが、これが県庁史、県史に大きな影響を与えることになりました。翌明治4年中野県庁は長野村に移転し、長野県と改称する太政官布告が発せられました。長野県政はここにスタートすることになりました。
 
 一方中野町では明治22年(1889)に町村制の施行による町村合併が行われ、昭和29年(1954)には中野町を中心に8村が合併して中野市となり、平成17年(2006)には隣接の豊田村を合併して新市中野として新たな歩みを始めました。
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中野陣屋・県庁記念館

 中野陣屋と県庁記念館は昭和39年(1964)県の史跡に指定されました。陣屋時代の石垣、稲荷神社跡、井戸など当時の名残をとどめています。白壁が特徴の記念館は、旧中野県庁の造りを模しており、地域の公民館や集会場など多岐にわたって活用されています。この界隈を歩いていると、150年前の雰囲気が伝わってきて、もしかするとここが県庁所在地になったかもしれないといった感慨にとらわれそうになります。
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国史跡高梨館跡公園
 
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館跡土塁の解説版

 天領時代以前、鎌倉から戦国時代に盛隆を極めた高梨氏の栄華の跡を物語るのが高梨館跡公園。遺跡は中世の方形館跡で、東西130メートル、南北100メートルの規模を持つ北信では最大級の館跡です。四方に堀と土塁が良好な状態で残されていて、昭和61年(1986)~平成4年(1992)にかけて行われた発掘調査で門跡1棟、礎石建物5棟、掘立柱建物7棟のほか、県内唯一の中世の庭園跡と、土塁建築に3段階以上の構築過程が費やされていることが確認されました。また、土塁の中に漆喰で固めた築地塀(ついじべい)が埋もれ、土塁が造られる以前に築地塀が存在していたことなども明らかになりました。
 
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高野辰之記念館と辰之

 これらのことから、高梨氏の館跡は、中部地方の武士団の文化的レベルや方形館の発展過程を示すものとして高く評価され、平成19年(2007)国の史跡に指定されました。発掘を終えて整備された館跡公園にはタカトウコヒカンザクラ、セキヤマザクラが植栽され、市内のサクラの名所になっています。
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辰之の銅像と「故郷」歌碑
 
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辰之の生家周辺の風景

 ところで、実は日本人にとって中野市をもっとも身近に感じさせてくれる重要な要素が「音楽」です。それまでにも相当にポピュラーで、東日本大震災を契機にもっとも多く国民の間で歌われるようになった唱歌「故郷」をはじめ「朧月夜」「春の小川」「もみじ」を作詞した国文学者の高野辰之(1876-1947)。大正時代大ヒットした「カチューシャの唄」のほか「シャボン玉」「背くらべ」「東京音頭」など3000曲以上のメロディを生み出して“日本のフォスター”とも呼ばれた作曲家の中山晋平(1887-1952)。この日本音楽史に名を留める2人とも中野市が生んだ音楽家なのです。しかもほとんど同時代。
 
 辰之は旧豊田村で、長野師範学校を卒業後東京帝大で上田万年に師事、国文学を学び、文部省の吏員になった後、東京音楽学校教授などを歴任します。「近松門左衛門全集」のほか、「日本歌謡史」が専門で、浄瑠璃史、日本演劇史などの研究書もあります。「文部省国語教科書編纂委員」をしていたこともあり、全国各地の小中高の校歌の作詞もしています。
 
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辰之が「故郷」を作詞の「思い出橋」
 
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辰之の生家周辺の風景

 「故郷」は自身の生まれ故郷の風景を詠んだもので、生家の近くに建つ「高野辰之記念館」の周辺には散歩道や「かの山…かの川」を眺めただろう思い出橋、幾つかの歌碑が建っています。橋から眺める棚田や畑は、都会に住む人たちにもどこか懐かしい自分の幼かったころ目にしていた風景とダブってきて、ふと口ずさみたくなる気分です。
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晋平の生誕の地石碑
 
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晋平の銅像と石碑

 一方、晋平は旧新野村に名主の家に生まれますが、父親の急死で零落れしてしまい、養蚕で一家を支える女手一つで育てられます。尋常小学校時代から唱歌が大好きな生徒でした。尋常高等小学校を卒業後代用教員となりますが、間もなく上京、縁があって島村抱月の書生に。東京音楽学校予科、本科ピアノ科に入学します。
 
 小学校の音楽専科教員の傍ら作曲を行い、抱月が松井須磨子と旗揚げした「芸術座」に参加。トルストイの「復活」の劇中歌「カチューシャの唄」を作曲。須磨子の唄とともに大流行、翌年には「ゴンドラ唄」も大ヒット。以後、白秋、雨情、八十らとのコンビで次々にヒットを飛ばしました。
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中山晋平記念館と晋平
  
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シャボンだまの歌碑と銅像

 やはり生家のすぐ近くに建てられた「中山晋平記念館」の周りは晋平が作曲した童謡のキャラクターたちがお出迎え。記念館には晋平の業績を伝える膨大な資料、遺品を展示。抱月はじめコンビを組んだ作詞家たちとの交流を紹介しています。また、リビングコーナーでは晋平メロディを映像で楽しめる趣向も凝らされています。
 
 11歳違いの同郷の二人は教え、学ぶ東京音楽学校で互いを認識して、師弟として接してもいました。そして、後年二人で作詞作曲した曲があるのです。中野市に隣接する飯山市の民謡♪飯山小唄♫です。飯山スキー場をテーマにした内容です。機会があったら一度試聴してみてください。
 
 もう一人、中野市出身の音楽家として忘れてならないのが、スタジオジブリ作品の作曲を数多く手がけている久石譲さん。「風の谷のナウシカ」で初めて音楽を担当して以来、宮崎駿監督らのもとでブレークし、以降「天空の城ラピュタ」「千と千尋の神隠し」「パウルの動く城」「風立ちぬ」などめぼしい作品の大半を作曲しています。この3人の音楽アーティストが一堂にそろっていたら、どんな音楽が中野市に流れていたのか、想像するのも楽しいものです。
 
 中野市が誇る、伝統芸能に「土人形」があります。土人形は、江戸時代末期から明治時代にかけて、日本全国各地で庶民生活に深く根をおろした郷土芸能ですが、中野市の土人形は、京都伏見の流れをくむ「中野人形」と愛知県三河の流れをくむ「立ケ原人形」という二つの異なる系統の土人形が同一地域で、異なる伝統技法によって制作するといった珍しいケース。中野市を「土人形の里」と呼ぶゆえんです。
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日本土人形資料館
 
 この2系統の伝統人形と、全国に伝わる土人形のコレクションを展示しているのが市内の東端の小高い「巡り逢いの丘」にある「日本土人形資料館」。一体一体手作りによる、それぞれの系統の縁起物や風俗物の人形の技法を紹介し、これまでの作品を展示しています。さらに日本各地に伝わる土人形も収蔵・展示した資料館にもなっています。
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中野土人形
 
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中野土人形

 郷土人形への根強い人気に支えられ、中野市では毎年3月31日と4月1日、「中野ひな市」が開かれています。2系統人形の展示即売会と全国土人形の即売会が行われますが、全国の土人形愛好家がこの日を狙って結集。購入順番を決めるための籤引きをするなど大変な熱気に包まれます。さながら人形の争奪戦の趣があるそうです。伝統人形に興味のある人は資料館とひな市は必見のようです。
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川東善光寺の別名を持つ南照寺

 歴史ある土地ですから名刹も数多く存在しています。最後にそのいくつかを。市の中心部大門町にある「南照寺(真言宗智山派)」は別名「川東善光寺」。長野市の善光寺から千曲川の東側に位置していることから名付けられています。撞木(しゅもく)造りと呼ばれる本堂、三尊形式の本尊が善光寺と同じで地元では「善光寺のそっくりさん」と呼ばれています。一茶や芭蕉の足跡も残されている古くから信仰、親しまれてきた寺院。
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清水寺のような懸崖造の如法寺観音堂

 土人形資料館のある市内東山にあるのが如法寺(真言宗智山派)。大同2年(807)空海がこの地を訪れた際、自ら千手観音を彫り込み安置したのが最初と伝えられています。一時衰退したものの高梨氏が応永19年(1412)に再興。高梨氏が中野を去った後は江戸幕府に庇護されました。参道奥の石段を登った高台に建立されている大悲閣観音堂は、京都の清水寺のような懸崖造(懸造)で目を引きます。ここも一見に値します。
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妙心寺三大聖地の霊閑寺
 
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如法寺境内のマンジュシャゲ
 
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霊閑寺境内のシュウメイギク

 如法寺からしばらく下ったところにあるのが霊閑寺(臨済宗妙心寺派)。高梨家に生まれ、後に臨済宗妙心寺派の開祖となった無相大師が正中元年(1324)、父の菩提を弔うために創建したのがはじまりです。現在は、京都妙心寺・岐阜県正眼寺とともに妙心寺派の三大霊地のひとつに数えられています。参道の正面に見える無相大師祖堂は、無相大師600年忌を記念して昭和34年(1959)に建立。境内が広く見事で、5月には赤や白のつつじの花が咲き誇り、華やかな風情を楽しめるそうです。ここも大悲閣観音堂と合わせて是非みたいところです。
 
 中野市は小ぢんまりした都市ですが、みどころはたくさんあり、堪能しました。
 
  では、また。   

                           草々

        2017.09.27

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 安曇野 無頼庵
  加藤 雅博
 長野県 池田町
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中高年の「元気が出るページ」2017年10月号                  ニュージーランドホームステイPR                          ①うにのおうちごはん歳時記第13回 秋茄子 山田うに               ②安曇野発40 信州都市めぐり⑤ 中野市 加藤雅博                 ③189回シネマトーク【人知が宇宙へ飛翔したあの日】 西島雄造           ④東京国際映画祭 西島雄造

毎日いただくおうちごはん。春夏秋冬、季節の彩りにあふれた食材や料理を取り上げて食の歳時記として連載します。
写真と文:山田うに


編集者・トラベルライター。よみうりカルチャーの野外講座・料理教室講師。ほかに『大人のカルチャーガイド』で美術館・博物館の企画展案内などを執筆。


第 13 回 10月 秋茄子


 秋茄子は嫁に食わすな、とはよく知られた箴言。ほかに食わせていけないものに秋鯖や秋カマス、タナゴ、夏だこ、蕗、五月蕨などもあるそうです。こう見ると嫁さんはかわいそうな人種です。旨いものを口にできない気の毒な人たちということになります。
   秋茄子はしうとの留守にばかり食ひ(誹風柳多留32)
   月さすや嫁にくはさぬ大茄子(一茶)
といった柳句や俳句も詠まれました。こんな具合に秋茄子は嫁の口に入らないものですから、次のような小話もあります。
<秋茄子>
 秋茄子は香りがよく味もよいので毎日煮て食べていた。娘が「かかさん、もう茄子はよしにしねい。飽きてしまった」というと、母親「お前が秋茄子を食べられるのは今年限り。今のうちにたんと食っておきな」 娘「なぜ?」 母親「来年は嫁に行くからさ」(安永9年・1780『笑長者』)

 茄子はインド原産といいますが、日本では古くから栽培されていました。正倉院の記録に「天平勝宝2年(750)6月21日、藍園茄子を進上したり」との文言があります。茄子は日本全国で栽培され、その品種は地方品種まで含めると150種以上にのぼるとも。近年では茄子は一年中青果店の売り場に並んでいて旬などはないように思われますが、6月から9月に多く出回ります。夏が旬なのです。しかしながら中でも旨い茄子が旬の終わりの秋茄子なのです。茄子の栄養的価値はさほど高くないのですが、漬物をはじめ汁の実、煮物、揚げ物、焼き物と幅広く調理されます。焼き茄子は、皮を炭のように黒焦げに焼いてから剥いて、花鰹にショウガをのせて醤油を垂らし、香りを楽しみながらいただく料理。また濡らした新聞紙に包んでかまどの隅で蒸し焼きにして皮を剥き、醤油をかけて食べる(広島県山県郡)、茄子を細長く切って干し茄子に加工し乾物として利用(青森県弘前市)するなどの料理もあります。
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茄子の煮浸し
 茄子の煮浸し。茄子の皮を引き薄い出汁で煮て冷蔵庫で冷やします。花鰹をのせおろしショウガを添えていただきます。皮を引くだけで身は驚くほどふわふわです。
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茄子味噌
 茄子味噌。茄子の鴫焼きです。茄子は油と相性が良いので、ピーマンとともに炒め、味噌・酒・味醂で味をします。仕上げに大葉の千切りを加えると風味もよい。右は茄子ときゅうりのぬか漬け。茄子紺入りの鮮やかなうちが食べごろです。  江戸時代にあって茄子は日常的に大変好まれた食材でした。『和漢三才図会』には「白きものは味美ならず。黒きものはこれに次ぐ。紫の者最も良し」とあります。江戸後期の刷り物とされる見立て番付『日々徳用倹約料理角力取組』には、夏の部の前頭役で、 ちせんなすうまに(茶筅茄子? 茶筅のように切込みを入れた茄子のうま煮) なすび志んきあへ(志んきは不明。茄子の和え物) なすびのさしみ(茄子の刺身) なすあげだし(茄子に片栗粉をまぶして油で揚げる なす志ぎやき(茄子に油を塗って焼き田楽味噌を塗る) なすびあぶらに(茄子の油煮) まつもどき(茄子を細かく切り油炒めした汁もの) と、20品の中で7品も茄子が取り上げられています。茄子がいかに人々に人気のあった野菜かが窺えます。
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天ぷら
 
 天ぷらも定番。茄子と新潟の菊花“おもいのほか”、玉ネギと銀杏のかき揚げです。目でも舌でも秋が味わえます。
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泉州のみずなす漬
 泉州のみずなす漬。こちらは秋の味覚でなく初夏から盛夏。大阪の泉州名物みずなすの漬物です。季節を逃すと入手しにくくなるのですが、夏場の漬物の逸品です。

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ニュージーランドホームステイPR

 
ニュージーランドから読者へPR

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ゴルフ、市内観光など1ヶ月余りのニュージーランドステイを楽しんだご夫婦
 ローソン史恵  **************************************         ニュージーランド短期ホームステイSapporokiwis
 初めまして 私たちは、ニュージーランド人の主人と私日本人の夫婦、そして二人の子供がいる家庭で、ニュージーランドの南島にあるガーデニングの街クライストチャーチで3泊からの短期ホームステイの受け入れをしております。日本で生まれた子供たちを連れて、2007年に札幌からここクライストチャーチに移住し、ニュージーランド生活を送っております。日本人にとって海外生活は憧れのような、でもちょっと怖いようなイメージがおありかと思いますが、海外に住む日本人はどのような生活をしているのか、現地ニュージーランド人はどのような生活を送っているのか、実際にご自身の目で見て、感じて、体験していただきたい、そしてそのお手伝いができればと願い、ホームステイの受け入れ&ご紹介をしております。   ホームステイでは、現地の一般家庭に入り、食事を共にし、生活を共にし、現地の人と話をし、まるで本当に住んでいるように公共交通機関を利用して、自分の足で歩く。自分自身、(?)十年前にしたホームステイ体験が、私にとってとても貴重な体験として心に残っています。ホームステイは若い人だけ体験できる事?と考えていらっしゃる方多いかもしれませんが、そんなことはありません。シニア世代の方でも十分エンジョイできます。若い時は若い時の感性で、シニア時代は若い時との感性とは違う感性で、味わうことができるでしょう。  私たちのホームステイは海外初めて、一人旅が初めて、旅慣れているけどホームステイはしたことがなかったという方、小さいお子さんから80代の方までと幅広い年齢の方までご利用していただいております。お問い合わせをいただいた時からご帰国まで、出国前に心配なことはメールでやりとりをしながら、到着後は現地にて私たち夫婦が日本語と英語でサポートしますので、ちょっと勇気を出して、飛び込んできてみてください。  来る前はどきどきしながら、不安いっぱいでという方が多いですが、ステイ中にいろんな経験をすることによって、自信をつけて帰国されております。また、私はそういった変化を見るのが大好きです。  ↓こちらをご覧ください。ホームステイ体験者からの「ホームステイをするかどうか迷っている方へのアドバイス」です。 http://www.sapporokiwis.com/advice2.htm  ↓ホームステイ体験談はこちらです。 http://www.sapporokiwis.com/experience.htm  私たちのホームステイはご覧の通りです。御希望に沿ったタイプをお選びいただけます。                  ★日本語環境我が家ステイ、                             ★英語環境ニュージーランド人宅ステイ、                       ★60歳からのシニアホームステイ(日本語か英語環境か選択可)            ★ファームステイ(5月~10月の期間のみ)                      ★学生ホームステイ                                 ★親子ホームステイ                               ★15泊からのぷちロングステイ                           ★ワーホリサポートホームステイ                           ★ゴルフ場へ歩いて1分、ゴルフホームステイ                     ホームステイの詳しいことはこちらをご覧ください。                  ニュージーランド短期ホームステイSapporokiwis http://www.sapporokiwis.com/   クライストチャーチにてお待ちしております。  **********************************  ***************************************                 短期ホームステイSapporokiwis                           ローソン 史恵 Fumie Lawson                            E-mail: sapporokiwisnz@gmail.com                      URL: http://www.sapporokiwis.com  ***************************************

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中高年の「元気が出るページ」2017年9月号                    ①うにのおうちごはん歳時記第12回 蕎麦 山田うに                ②安曇野発39 信州都市めぐり④  塩尻市 加藤雅博                 ③188回シネマトーク【いまも銀幕から消えぬ戦争の影】 西島雄造      

(((188回 シネマトーク))))

【いまも銀幕から消えぬ戦争の影】

 
西島雄造

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ダンケルク
 
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ダンケルク周辺地図
 
『ダンケルク』は1940年5月24日から6月4日にかけて、西側連合国軍が展開した史上最大の撤退作戦、コードネームOperation Dynamoを描いている。フランスとベルギーの国境から約10キロ、フランス第三の港湾都市ダンケルク。ナチス・ドイツ軍は1940年5月、英・仏・米の西側連合国軍をこの街に追い詰めた。連合国軍は当時のウインストン・チャーチル英首相が海からの撤退を決断する。激しい独空軍の爆撃、戦闘機の機銃掃射のなか、英国軍192226人、仏軍139000人、総勢約34万人を軍艦、漁船、遊覧船、貨物船、ヨット、ハシケ…大小、860隻の艦船で沖合の駆逐艦などへ輸送した。この艦船にもナチスの空爆、魚雷、戦闘機からの容赦ない攻撃が炸裂する。
 映画は<包囲した、投降せよ>と書かれた紙片が降ってくる場面から始まる。救助されるまでにも倒れてゆく兵士たち。砂浜、防波堤、海上、空とカットバックを繰り返しながら、病院船まで撃沈される光景を描く。勝者、敗者を描きはしない。断片的な言葉は交わされるが、まとまった会話もない。ひたすら戦争現場の苛烈さを激写し続ける。映像で見せるという映画のあるべき形だ。現実に200隻以上の艦船が沈没したと伝えられる。
 マーク・ライランスが演じるヨットの主も、海中に投げ出され重油まみれの兵士たちに救助の手を伸ばす。ケネス・ブラナーが岸壁で指揮する海軍中佐。ほかにフィオン・ホワイトヘッド、トム・グリン=カーニー、アイリン・バーナード、トム・ハーディーらが迫真の演技を見せる。脱走は兵士の恥とも言われがちだが、生き延びた兵士に<生きていることがだいじだ>というセリフがかけられ主題が鮮明になる。ダンケルク博物館のホームページでは、当時のスチール写真や記録映画から実戦の状況をうかがうことが出来る。クリストファー・ノーラン監督が来日し、8月24日、記者会見に臨んだが、核心に触れることなく、ありきたりの応答で終わった。
 イラク戦争に名前を刻まれているJuba the Baghdad Sniper。<9個の弾丸を込めたこの銃でアメリカ兵9人を殺す。ジョージ・ブッシュに贈る。神は偉大なり>とのメッセージとともにビデオ画像がネット公開されたのは2005年。以後2008年まで計4回のプロパガンダ。発信者はIslamic Army in Iraqを名乗る武装グループで<米国の損失と真実を米国民に知らせるため>。画像のジュバの顔は画像処理で判然としないが、屈強な体に比べて少し甲高い声でしゃべる。「Juba The Baghdad Sniper」の映像もYouTubeで見ることが出来る。<悪いのは戦争で儲ける奴らだ>というバグダッドの狙撃手は、37人の米兵を射殺したとされヒーロー視されていた。2013-2014年に命を絶たれたとも言われる。
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ザ・ウォール

 『ザ・ウォール』(ダグ・リーマン監督)の主題は、この見えない敵と相対する米兵の姿を描いた異色の戦場映画である。2007年のイラクの村。土漠が広がり崩れた石積みの“壁”だけが残っている。壁は空爆を受けた元学校の残骸らしい。周辺には同僚兵士の死体が転がっている。アメリカの狙撃兵はアイザック(アーロン・テイラー=ジョンソン)とマシューズ(ジョン・シナ)。偵察のため壁に近づいたマシューズは不意打ちをくらい倒れる。救出に向かったアイザックも狙撃され太ももに負傷する。救援を頼む無線機から<名前とID、正確な位置情報を知らせろ>と呼びかけてきた。これがJubaとの会話の始まりだった。「自分は元教師だった」というJuba、姿は現さないがアイザックの一挙手一投足を監視しているような音声が、アイザックを心理的混乱に陥らせてゆく。90分の恐怖の臨場感。
イラク戦争は2003年3月20日に勃発し、5月1日にはジョージ・ブッシュ米大統領が大規模戦闘の終結を宣言する。しかしバラク・オバマ大統領が戦闘終結を宣言したのは2010年8月31日。イラクの自由作戦から始まり、2006年12月30日、サダム・フセイン・イラク大統領の処刑後も、2007年1月にはブッシュ大統領が一時22000人の米兵増派を宣言するなど、終わりが見えなかった。映画『ザ・ウォール』の背景である。

 イラク戦争を題材にした映画には、アメリカの狙撃兵クリス・カイル(1974-2013)を描いた『アメリカン・スナイパー』(クリント・イーストウッド監督2014)をはじめ、キャサリン・ビグロー監督でアカデミー作品、監督、脚本など6部門の賞を獲得した『ハート・ロッカー』(2008)、ポール・ハギス監督『告発のとき』(2007)など、ベトナム戦争に比しても佳作が生まれている。戦争は最大のドラマというのは悲しい。
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オン・ザ・ミルキー・ロード

 『オン・ザ・ミルキー・ロード』は実話に寓話をまぶしたという。エミール・クストリッツァ監督が脚本、主演までこなした愛の物語である。舞台は監督が生まれたユーゴスラビア。1991年の十日間戦争=スロベニア独立戦争に始まり、クロアチア、ボスニア、コソボ、マケドニアと2001年まで間断なく紛争が続いた地域である。脚本では隣国と戦争中のとある国と設定されている。主人公のコスタ(エミール・クストリッツア)は、ロバにまたがり兵士たちにミルクを届けるのが日課だ。
その間にも砲火の音が鳴り響くが、村人の暮らしはのどかで田園風景は美しい。ミルク売りの娘ミレナ(スロボダ・ミチャロヴィッチ)は母親と暮らしている。部屋で時を刻む大きな時計は、まるで生き物のように動き回る。戦争が終われば、戦地から帰ってくる兄と美しい娘(モニカ・ベルッチ)との祝言に合わせ、コスタとの結婚を夢見るミレナ。だがローマからやってきた兄の花嫁までコスタに魅かれ気もそぞろ。
敵国と休戦協定が結ばれたとの朗報が届く。訪れた平和に歓喜し酒をあおり、音楽を奏で踊り狂う祝祭の豊かな時間。映画は戦争よりも平和の素晴らしさを描いている。もうひとつの事件が起こる…。騒々しいガチョウの群れ、コスタと一心同体のようなハヤブサとロバ、ミルクを飲む蛇、巨大なヒグマ…人と他の生き物が共生した自然がある。カメラ、編集、哀愁を帯びた音楽とそれぞれが見事に調和し、艶笑譚めいた場面をまぶし、『西部戦線異状なし』(ルイス・マイルストン監督1930)を思わせるリリシズムが伝わる。
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追想

 『追想』といえばアナトール・リトヴァク監督で、イングリッド・バーグマンがアカデミー主演女優賞を獲得した1956年の映画が記憶にあるが、同じ題名でロベール・アンリコ監督、ロミー・シュナイダーとフィリップ・ノワレ主演の1975年の作品が、デジタ・リマスター版でよみがえった。原題『Le Vieux Fusil』=古い銃に深い意味がある。鼻のあたりに色香が漂うロミー。第1回セザール賞を受賞し、20世紀を代表する女優との評価もある。
 1944年、連合国軍のノルマンデイー上陸(6月6日)が迫っている状況下、独軍のパルチザン(占領下で抵抗する非正規軍)狩りが熾烈を極めていた。医師のジュリアン(フィリップ・ノワレ)は妻と娘を田舎の古城に避難させるが、妻子は村人たちとともにナチスの武装親衛隊に惨殺されていた。なかでも妻のクララ(ロミー・シュナイダー)は凌辱され火焔放射器で黒焦げにされた。幸せだった日々を回想するほどに、復讐の気持ちが燃え募り、城の戸棚に収蔵されていた“古い銃”を腕に、たった一人の闘いが始まる。フィリップ・ノワレの悲しみと静かな怒りの表情が見どころ。
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エイリアン コヴェナント

 『エイリアン』はリドリー・スコットの監督第2作として1979年に誕生し、SFホラーの聖典になっている。『エイリアン2』(1986)はジェームズ・キャメロン監督、『3』ではデヴィッド・フィンチャーが映画監督としてデビューしている。久々に再登場したリドリー・スコット監督の新作『エイリアン コヴェナント』。コヴェナントは滅びゆく地球から新しいコロニーとなる惑星オリガエ6へ、2000人のカップルを運ぶ巨大な移住船だ。あらゆることに奉仕するアンドロイドのウォルター(マイケル・ファスベンダー)らと乗組員を搭乗させ宇宙の旅が続いていた。時代の設定は第1作『エイリアン』が誕生した2124年から20年前にさかのぼる。
 衝撃波とともにコヴェナントに重大事故が発生、船長ら数十人が命を落とす。残った乗組員は13人。コヴェナントの修復作業を進めるさなか奇妙な電波を受信する。調査のため発信元の惑星に女性乗組員のダニエルズ(キャサリン・ウォーターストーン)らクルーが、アンドロイドのウォルターと共に小型船で降り立つ。目の前に開けた景色は、植生も地勢も地球に酷似していた。そこへ飛び出してきたエイリアン。人間に寄生して実体となる凶暴な“ネオムーフ”。そして現れるウォルターの前世代のアンドロイド、デヴィッド(マイケル・ファスベンダーが2役)。やがて観客が目にするのはエイリアンの誕生の秘密である。リドリー・スコットの演出は、今年79歳と思えないみずみずしい感覚である。
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あさがくるまえに

 フランスとベルギーの合作『あさがくるまえに』(カテル・キレヴェレ監督)は重い主題である。ノルマンデイー・ルアーブルでサーフィンを楽しんで帰る途中、車が事故に遭い助手席にいた17歳の若者が負傷。すでに脳死状態になっていたが、心臓や他の臓器は生きていた。「蘇生する可能性は少ない」と臓器の提供が提案され、悲嘆にくれる両親は動揺しながらも受け入れる。一方、パリの女性音楽家クレアは、自分の心臓がずっと鼓動し続けるとは思っていない。そこへドナーが見つかったとの知らせ。心臓が止まったら移植はできないと決断を迫られるクレア。ひとつの命がもうひとつの命を救う。あなたならと問いかけているようである。
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ボブという名の猫 幸せのハイタッチ

 『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』(ロジャー・スポティスウッド監督)はロンドン発の実話。作者はジェームズ・ボーエン、38歳。原作は国際的なベストセラーとなり、YouTubeへのアクセスは400万回を超えた。主人公は茶トラ猫=Ginger cat。そしてもう一人の主人公ジェームズ(ルーク・トレッダウェイ)。作者はヘロインに手をつけ時にホームレス、そしてシェルターでヘロインから脱するためのメサドン・プログラムを始めた。一日に一回の服用だがメサドンから抜け出すのは、ヘロインの解毒よりも難しいともいわれる。ジェームズの更生プログラムを担当するヴァル(ジョアンヌ・フロガット)の手配で、路上生活からアパートに移り住んだジェームズの前に現れた猫のボブとの“同居”が始まる。
怪我をしていたボブを動物病院に連れて行くようにと助言してくれた近所のベティ(ルタ・ゲドミンタス)とも親密になるが、ベティにもつらい過去があった。コヴェント・ガーデンでの路上演奏にボブが付いてきて、ついにはトレードマークになるが、観客とのいざこざで路上演奏が出来なくなる。ホームレスの自立を図るボランティア行動<ビッグイシュー>の販売を始めたことがYouTubeなどで有名になり、地元の新聞イスリントン・トリビューン=Islington Tribuneに取り上げられ出版することになった。映画のメッセージは人に与えられるセカンド・チャンスである。監督はカナダ出身だが『007トゥモロー・ネバー・ダイ』(1997)などを手がけている。ロンドンの繁華街の表情がいい。 
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笑う故郷

 『笑う故郷』(ガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーン監督)はアルゼンチンとスペインの合作。人間論、芸術論、さらには小説作法にまで視点が及んだ手ごわい映画だ。ストックホルムでのノーベル文学賞受賞式で始まる。アルゼンチンの作家ダニエル・マントバーニ(オスカル・マルティネス)は栄光に背いて「受賞は作家としては衰退のしるし」と演説する。それから5年、ブエノスアイレスの近郊の故郷から名誉市民の称号を贈りたいとの申し出が届く。40年間も不在を続けていた生まれ故郷。そして空港に足を下した瞬間から始まるサプライズ。コメディでもありシリアスでもある、並みならない笑いを味わえる。
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スキップ・トレース

 世界で2番目に稼ぎの多いというジャッキー・チェンの77本目は『スキップ・トレース』(レニー・ハーリン監督)。香港・マカオ、モンゴル、ゴビ砂漠までサービス満点のロケで描くのは香港警察の刑事ベニー・チャンとアメリカ人の詐欺師コナー・ワッツ(ジョニー・ノックスヴィル)の一風変わったバディ・ムービー。ベニーは捜査中に相棒のヤン(エリック・ツァン)に死なれ、娘サマンサ(ファン・ビンビン)の後見を頼まれるのだが…。
 9年が経ち、相変わらず香港犯罪界のドンと見られるヴィクター・ウォン(ウィンストン・チャオ)を追い続けているのだが、マカオのカジノで働いているサマンサが、詐欺師コナーのいかさまバカラに巻き込まれ、上司からコナーを探し出すよう至上命令を受けベニーに助けを求める。ロシアに高跳びしたコナーを追うベニー。ロシアン・マフィアにまで追われるコナーが、9年前の事件のカギを握っているようで、二人そろって逃げ回ることになってしまった。追っかけあり活劇あり、63歳のジャッキーの身体能力は衰えず。
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幼な子われらに生まれ

 『幼な子われらに生まれ』(三島有紀子監督)は重松清の原作。あれこれ盛り込んだ二組の家族の物語。商社の営業マンをしていた田中(浅野忠信)は大学でキャリアを目指す妻(寺島しのぶ)と意見が合わず、娘を残して離婚。奈苗(田中麗奈)は母と二人の娘に暴力を振るう夫(宮藤官九郎)と別れた。お互いバツイチ同士の男と女が再婚し一見幸せそうに見えるが、連れ子の長女は反抗期で「パパは私のお父さんではない。本当のお父さんに会わせて」と、父と娘の関係に亀裂が生じ始める。奈苗は身ごもる。夫婦の話がこじれると、簡単に別れようと言い出す夫。これも今様なのか。しかし今ではありふれた夫婦関係だけに、フィクションならではのリアリティーが浮かんでこず、いかにも長い127分。簡単に別れてはダメという“シングル家族”への教訓か。
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奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール

 やたら長い題名に辟易し敬遠していた『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』(大根仁監督・脚本)だが、軽快なタッチで喜劇のセンスは捨てがたい。時代の風も吹かせている。コメディもシリアスも器用にこなす妻夫木聡。水原希子、松尾スズキ、リリー・フランキー、新井浩文、安藤サクラ、天海祐希…それぞれが役どころを受け止めて笑わせる。原作者(渋谷直角)は長い題名が得意らしいが、この長々しい題名をそのままなぞって、映画人の見識はないのだろうか。『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(新房昭之総監督)は岩井俊二原作、大根仁が脚本で絵のきれいなファンタジーだが、キャラクターが子供っぽくお子様向き。これまた題名にうんざり。

 『きみの声をとどけたい』(伊藤尚往監督)は湘南を舞台にしたアニメ。江ノ島電鉄や江の島周辺の風光がよく描かれているが、キャラクターが、目ぱっちりのいかにも少女漫画風。PixarやMarvelばかりではなく、日本のアニメの技術も日進月歩で進化しているだけに、広くファンをとらえるのは難しくないか。『二度めの夏、二度と会えない君』、中西健二の演出は手堅いが、人物の造形は表面的で生活感がない。原作は26歳の赤城大空、ストーリーは高校生相手の予定調和。

 『いつも心はジャイアント』(ヨハネス・ニホーム監督)はスウエーデンとデンマークの合作。球技ペタンクの解説で始まる。木製のビュット(目標球)に鉄球でより近づいた方が勝ち。理由はすぐにわかる。頭が変形して額の部分にせり出し、視力は常人の半分しかないリカルド。30歳になり十分に大人だが背も低い。母親はわが子を苦にして心を病んだ。
スウエーデンの施設で暮らしており、リカルドをからかう者もいるが、たいがいは心優しくいたわり合っている。神はリカルドにペタンクの能力を与えた。誕生日には金色の鉄球が贈られる。北欧の選手権に出場することになり、コペンハーゲンへ。相手は常勝の若いペア。ゲームは決勝戦へ。そこで何かが起こる。心を温かく豊かにするファンタジーだ。
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草原に黄色い花を見つける

 『草原に黄色い花を見つける』はベトナムから。牧歌的な物語である。牧歌的とは文明と裏腹にある。暮らしは貧しい。闇を照らすのはランプ、火事で家が燃え上がっても消防車は来ない。大雨が降れば川があふれ集落は屋根まで水没する。ティエウとトゥオンの兄弟が主役。兄は優しい。弟はヤンチャだ。これに娘のムーンがからむ。そして、もうひとつの寓話のような父と娘の話。監督はアメリカ生まれのヴィクター・ヴー。

 『おクジラさま』は和歌山県のクジラ基地・大地の騒動を描いたドキュメンタリー。ジャーナリストの目を通し「絶滅危惧はこの町」「相手は発信能力が優れているが、大地にはその力がない」といった視点は納得させる。ほかに『ベイビー・ドライバー』(エドガー・ライト監督)。アンセル・エルゴート、ケヴィン・スペイシー、ジェイミー・フォックスらで銀行強盗話。音楽が凝っている。

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中高年の「元気が出るページ」2017年9月号                    ①うにのおうちごはん歳時記第12回 蕎麦 山田うに                ②安曇野発39 信州都市めぐり④  塩尻市 加藤雅博                 ③188回シネマトーク【いまも銀幕から消えぬ戦争の影】 西島雄造      

安曇野発39  信州都市めぐり④
 
塩 尻 市


加藤 雅博



 相変わらずおかしな天候が続いています。安曇野は梅雨明け宣言直後からまるで梅雨が戻ってきたような気候。これに加え、直後に発生した台風5号が20日間近くも日本列島付近を迷走し続け、挙句に紀伊半島から日本海に抜けました。「暑い、暑い」とぼやく間もなく、どうもこのまま秋が来そうな気配。ひと夏を損したような物足りなさが残る2017年安曇野の夏です。
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塩尻市の庁舎と市章

 信州都市めぐりの4回目は塩尻市。安曇野からは国道19号線で松本市を通り抜けて1時間弱。長野県のほぼ中央に位置する市です。昔の街道で云うと中山道、善光寺街道、三州街道が交わり、千国街道にも通じていた交通の要衝でした。その位置づけは鉄道網が発達した後も同様で、JR中央本線の東京・新宿駅―塩尻―名古屋駅の中継点であるとともに、松本経由長野駅をつなぐ篠ノ井線の始発地にもなっています。また、昭和40年(1965)には「松本空港」も開港しており、海外にも目を向けた要衝の都市ともいえます。
 
 塩尻ときいて、まず思うのはその地名の奇異なことでしょう。海なし県の信州で「塩」というのがどうもストンと腑に落ちないことからでしょう。が、実は長野県には「小海町」をはじめ海ノ口,海尻など地名に「海」がつく地域名が多くありますし、「塩川」「塩の平」など「塩」のつく地名もけっこうあります。
 
 筆者の幼いころからの半端な知識では、千国街道(塩の道)を糸魚川から運ばれてきた塩が最後にたどり着いた終着点といったものですが、同市のホームページでは、そう単純なものではなさそうです。市誌によると、地名の起源についてはもっともまことしやかなものは伝説に基づいたもので、かつて塩尻周辺を支配した武田信玄が、敵対する今川氏などから塩の輸送を止められた際、越後の上杉謙信が塩を送ったという「義塩伝説」。
 
 しかしほかにも塩を製造する過程で塩の山の上部崩した形が富士山に似ていて、富士山が見える場所を「塩尻」と呼んだという説。粘土質の土が乾燥すると表面に白い粉状のものが付きこれをシオコビとも云ったことから、ローム層に覆われた「桔梗ケ原」台地の終末点に位置する地を「塩尻」と称したという地質・地形に由来するとする説もあり、確定したものはないようです。
 
 昭和34年(1959)塩尻町、片丘村、広丘村、宗賀村、筑摩地村の1町4村が合併して市制を施行、その後洗馬村、楢川村が編入合併しました。8月1日現在の人口は67,062人(男33,417人、女33,645人、26,948世帯)長野県19市のなかで、伊那市に次いで8番目の人口になります。
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平出遺跡群

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平出遺跡群
 
 塩尻市を端的に描写すると「歴史」と「文化」に彩られた土地といえるでしょう。まず、歴史という点で紹介しなければならないのは「平出遺跡」です。
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遺蹟の国指定石碑
 
 市の中心部から南西2キロという至近距離の宗賀地区の畑地帯にある遺跡は、東西約1キロメートル、南北300メートルの範囲に、帯状に広く展開しています。縄文、古墳、平安時代3つの時代にわたり当時の住居跡が200軒近くも発見され、住居とともに土器や石器類も多数出土した大変珍しい遺跡で、国の史跡として指定されています。
 
 『吉野ヶ里遺跡(佐賀県)』『登呂遺跡(静岡県)』と並ぶ日本三大遺跡ともいわれていますが、公式なものでも、確定したものでもないようです。そもそもは昭和22年(1947)、住宅の裏畑から偶然掘り出された緑釉水瓶が国学院大学の大場磐雄教授らの関心を呼んだことからでした。2年後から地元の小・中学生、高校生らによって発掘調査が行われ、以後数次にもわたる発掘、復元によって集落の歴史、生活の全容が解明されつつあります。
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公園内の遺跡案内板
 

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歴史公園案内図

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平出博物館

 史跡指定地の一部を公有化して平成18年(2006)年「平出遺跡公園」を整備、公園内に「縄文の村」をオープン。ガイダンス棟、「古墳の農村」などを次々に公開していき、平成24年に公園は完成しました。公園と遺跡から600メートル(徒歩6,7分)には遺跡考古博物館、歴史民俗資料館なども建設されていて、これまでに発掘した膨大な出土品が収蔵、展示されています。
 
 遺蹟公園の一隅で、北アルプスを眺めながら広大な遺跡群に浸っていると悠久の時間の流れを感じます。きっと吉野ヶ里、三内丸山、登呂などに勝るとも劣らない遺跡の5000年余の凝縮した歴史を肌で感じることができそうな気分になります。
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塩尻宿からの一里塚
 
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塩尻宿脇本陣跡
 
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塩尻宿の掲示板

 旧街道要衝の地だった塩尻は中山道の江戸から32番目の宿。本陣、脇本陣はともに焼失してありませんが跡地に標識があります。さらに塩尻市内を木曽方面に通過する街道沿いに洗馬、本山、贄川(にえかわ)、奈良井の5つの宿跡があります。平出遺跡のすぐわきに、塩尻宿からの一里塚もあります。遺跡見学と合わせ、街道歩きも歴史探訪として楽しめそうです。
 
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ブドウ畑と遺跡群
 
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ワイナリーの看板とブドウ畑

 ところで、これまた偶然ですが、平出遺跡が広がる地、「桔梗ケ原」は「塩尻ワイン」発祥の地。明治23年(1890)ごろ、豊島理喜治(としまりきじ)が原野だった桔梗ヶ原の地にコンコード、ナイヤガラなど20品種、3000本の苗を試植したのが始まりでした。同30年(1897)には栽培面積を5ヘクタールに増やして翌年に県内では初めてワインが醸造されました。
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栽培畑の中のワイナリー
 
 桔梗ヶ原は、標高が700メートルを超えており、年間の降雨量が少なく、昼夜の温度差が大きいため、昔からブドウ栽培に適した土地だとされていたものの、当初は想像を超えた冬の寒さや予想もしなかった苗木の病気に見舞われるなど苦難の連続だったようですが、着手から7年後にワイン製造までこぎつけた先人たちの苦労には頭が下がります。
 
 昭和に入って本格的な製造が始まり、高度成長の始まる昭和40年代(1965年~)わが国にワインブームが起こります。このブームは波状的に繰り返し、平成6年(1994)ころから第5次ブームに乗って本格ワインの需要が一気に高まりました。特に力を入れてきたメルローの栽培が赤ワインの原料として高い評価を受け「塩尻産ワイン」の名を不動のものとしたようです。
 
 現在市内には10のワイナリーがあり、今や名だたる“蔵元”として知られる質の高いワインを市場に出しています。実は、10のワイナリーのうちの一つが、市内の長野県立塩尻志学館高校と全国でも珍しいケースがあります。昭和18年(1943)に果実酒の製造免許を交付されているというからそのころの指導教師たちの先見の明に驚かされます。
 
 明治43年(1911)農学校として開校、免許の取得は地元特産のブドウを活用するためですが、平成20年(2008)の国産ワインコンクールでは、高校として初めて入賞となる銅賞を獲得し、以来「KIKYOワイン」のブランドも知られるようになってきました。同校では平成14年(2002)から毎年生徒をワイン製造の本場フランスに派遣し、意識の高揚と人材育成をはかっています。
 
 長野県は数年前から「信州ワインバレー構想」を打ち出し、県内を「桔梗ヶ原」「千曲川」「日本アルプス」「天竜川」という4つの「ワインバレー」に分けて、それぞれが特色を生かした名実ともに日本一の「ワイン県」にすることをめざしています。筆者の住まいのある池田町もその一角にあります。
     
 県内のワイン用ブドウ収穫量は、北海道とほぼ同じ1600トン前後(2012年収穫分)で山梨県の345トンを上回っていますが、ブランド力では山梨に水を開けられているのが現状でしょう。老舗の塩尻ワインが歴史と伝統力で県内の水準を高め、全国№1になるリーダー役になってくれるのを期待しています。
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図書館が入っている市民交流センター

 塩尻市の図書館についてかねてから注目し、一度はゆっくり見学したいと考えていましたが、今回実現しました。昭和34年(1959)の市制発足と同時に「教育委員会付属図書館」として蔵書1,000冊からスタート。同46年(1971)条例の施行に伴い市立図書館として開館しました。当初は蔵書4,600冊、一人2冊10日間の貸出でした。
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図書館一階の情景

 コンピュータシステムをいち早く導入、平成15年(2003)には「市立図書館の在り方ワーキンググループ」も発足させ、新図書館建設の各種提言が出され、新しい本館が平成22年(2010)市の中心部・大門一番町に完成しました。市民交流センター「えんぱーく」の1,2階部分で、吹き抜けの明るく開放的な空間が特徴です。また、雑誌が430タイトル、DVD、CDの視聴覚資料1万2000点以上、各種のデータベースの検索機能も充実しています。
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二階から図書館のロビー
 
 平成28年度末現在、蔵書数は37万冊で、市民一人当たり6.8冊。市では飯田市の7.4冊に次いで2位、利用登録率は74%で諏訪市、伊那市に次ぐ3位となっています。27年度予算で、人口一人当たりの図書費は、417円で、安曇野市の399円、松本市の349円、駒ケ根市の300円を抑えて1位など図書館事業に予算をつぎ込み、市民も活用している様子が浮かんできます。
 
 長野県は、岩波書店の創始者岩波茂雄、みすず書房の創始者小尾俊人など出版関係者を数多く輩出しています。塩尻からは、筑摩書房を創始した古田晁(ふるたあきら)や、哲学書房を創立した中野幹雄も出ています。図書館の一隅に「古田文庫」のコーナーが設けられ、筑摩書房の「ちくま文庫」「ちくま学芸文庫」「ちくま新書」「筑摩選書」を一堂に集めています。こういった文化風土の上に建設されている斬新で使いやすい図書館は、ますます身近なものになるだろうと実感しました。
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善知烏峠(うとうとうげ)の分水嶺
 
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分水嶺の原点

 今回の訪問で初めて知って紹介しておきたいスポットが3点。1つ目は「分水嶺公園」です。同市と隣接する辰野町を結ぶ三州街道の「善知鵜(うとう)峠」にあり、分水嶺が見事に目視できます。分水嶺は雨水が異なる方向に流れる地点のこと。ここの峠は、日本海側と太平洋側へとわかれる大分水嶺。全国的にもそれほど多くない地点の一つです。説明板にその意義が記されています。
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チロルの森の施設 
 
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アルパカと園内を走る電動列車
 2つ目は「チロルの森」。辰野町との境界近くの丘陵地にあるテーマパークで、平成11年(1999)オーストリア・チロル地方をモチーフに農業体験などを楽しめる公園としてオープン。子ども連れの家族向きのレクリエーション施設です。当初は塩尻市農業公社が運営主体でしたが、現在は民間の企業が経営しています。この公園の“売り”は子どもたちと小動物とのふれあい。アルパカ、ヤギ、ウサギ、モルモットと遊ぶことができ、孫を連れていくには格好の施設でしょう。
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地球の宝石箱博物館
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大きな水晶原石の展示
 最後は、チロルの森近くにある鉱物ミュージアム「地球の宝石箱」博物館です。このような博物館があるとは知らずにいましたが、夏休み、こどもを対象にした展示会に入館、けっこう堪能しました。ボーリング機器製造と工事を事業柱とする企業が設立した博物館ですが、地球物理学から地質学に関する豊富な展示説明と、掘削した珍しい岩石、鉱物の標本があり、質の高さに感心しました。一度は訪れたいところです。
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池田町、晴れ間のテルテル坊主アート展
  今日も安曇野ははっきりしない天気でぐずぐずしています。スキっとした天候が 懐かしいばかりです。 では、また。                 草々
                                                                                2017.08.28
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 安曇野 無頼庵
  加藤 雅博
 長野県 池田町
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<うにのおうちごはん歳時記>


毎日いただくおうちごはん。春夏秋冬、季節の彩りにあふれた食材や料理を取り上げて食の歳時記として連載します。

写真と文:山田うに


編集者・トラベルライター。よみうりカルチャーの野外講座・料理教室講師。ほかに『大人のカルチャーガイド』で美術館・博物館の企画展案内などを執筆。


<<<第 12 回 9月 蕎麦>>>


   雪散るや 御駕籠にはこぶ 二八蕎麦 (一茶)

 信州は黒姫高原。JR信越本線の黒姫駅から車で5分ほどの場所に、霧下そば仁の蔵(きりしたそばにのくら)というそば処があります。その駐車場の一角に大きな自然石が据えられ、その石に彫られた小林一茶の句が冒頭のもの。今年の新そばを、上洛しようとしている殿さまの駕籠にうやうやしく差し出します。信州黒姫では中秋とはいえもう小雪が舞うのです。ちなみに霧下そばの“霧下”とはそばの食べ方でもなくブランド名でもありません。育つ場所のことであり、特に夏でも寒暖差が大きく朝夕に霧が発生するような高地を言います。このような場所で育ったそばは実がしまり旨いそばになるといわれるのです。
 さて、現在のそばは“そば切り”で食べることが一般的ですが、そばを麺にすることはうどんに比べてはかなり遅れました。うどんもそばも製粉作業が必要ですから、石うすが誕生しなければ麦切りもそば切りもなかったわけです。うどんは“索餅(さくべい)”の名で天平時代の正倉院文書に見られますが、そばは16世紀になってようやく「蕎麦切り」の文字が文献に登場します。最古の記録は長野県木曽郡大桑村にある定勝寺の古文書で、天正2年(1574)に本堂を修復する際に「振舞ソハキリ 金永」という記述が発見されました。金永という人がそば切りを振舞ったとの記述です。芭蕉の高弟の一人の森川許六が編さんした『風俗文選』には、「そば切りは信濃の本山宿から出て、あまねく国々にもてはやされた」とあります。塩尻の本山地区入口には「そば切り発祥の地の碑」が建てられています。そば切りの発祥の地にはこれ以外に甲州天目山説、福岡市承天寺説があります。
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(石 臼)

 そばの製粉には石臼が最適といわれます。挽いているとき熱をもたず。そば粉が焼けないためです


 そばは北海道・鹿児島を二大産地として全国各地で栽培されています。したがってそば切りもそれぞれお国の特色があります。つなぎには小麦粉や玉子がよく用いられますが、変わったものには布海苔を使う新潟県十日町市・小千谷市のへぎそば、オヤマボグチというアザミの葉を使う長野県飯山の富倉そば、摺り下ろした枝豆を使う青森の津軽そばなどがあります。
 食べ方も様々で、ことにそばの名産地長野にはいろいろな郷土そばが顔を揃えます。前出の富倉そばのほか、辛み大根のおろし汁をそばつゆに使う“おしぼりそば”、きのこ汁などの鍋の中で「投じかご」という小ざるにそばを入れて温めて食べる“投じそば”、カブの葉を漬物にした「すんき漬」を熱いそばの上にたっぷりのせる“すんきそば”、役行者をもてなしたというそばつゆに辛み大根の絞りを加え焼き味噌を溶いてつゆにする“行者そば”などです。
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(かいぜ・おしぼりそば)

 長野県坂城町にあるそば処「かいぜ」。名物はおしぼりそばで、辛味大根の絞り汁をそばつゆにして、信州みそを溶いて好みの味にしていただきます
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(たたらや・おろしそば)

 鳥取県日南町の出雲街道根雨宿にある「そば道場たたらや」のおろしそば。ぶっかけでいただきます
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(翁庵・かつそば)

 東京は神楽坂の入口に店を構える「翁庵」。とんかつをのせたかつそばはお客の要望から生まれたといいます。人気の“邪道そば”です


 そばと酒は付き物なので、「そば屋酒」はそば食い・左党には大きな楽しみです。焼き海苔に板わさ、合鴨の焙り、そば味噌などを肴に一献傾け、仕上げに蒸籠を1枚手繰って帰るのです。この“チャッ”とした食べ方がいなせで、いかにも江戸人好みでした。したがってそばを腹一杯食べるなどは“馬喰そば”とばかにされましたし、江戸人にとってそばは洒落で食うもので、決して食事でなかったのです。
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(そば屋長森・酒肴)

 米どころ南魚沼はまた酒どころです。全国的に有名な銘酒“八海山”の酒蔵がここ南魚沼にあり、同じ敷地内に「そば屋長森」が立ちます。肴は鰊漬と玉子焼き。酒はもちろん八海山です
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(そば屋長森・もりそば)


 そば屋酒の〆はもり1枚。チャッと手繰って帰ります。そば屋長森のもりそば。
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中高年の「元気が出るページ」2017年8月号                    ①うにのおうちごはん歳時記第11回 夏の鯵 山田うに               ②安曇野発39 信州都市めぐり③  飯田市 加藤雅博                 ③186回シネマトーク【お帰り!新しいスパイダーマンは高校生】 西島雄造      ④番外編 YouTube 黒部アルペンルート

(((187回 シネマトーク))))

【お帰り!新しいスパイダーマンは高校生】

 
西島雄造


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『スパイダーマン ホームカミング』

 スパイダーマンが帰ってきた。『スパイダーマン ホームカミング』。ニューヨークのクイーンズに住む、まだ15歳の高校2年生。すでに『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(アンソニー・ルッソ&ジョー・ルッソ監督2016)に、自作のコスチューム姿でヒーローを演じていたスパイダーマン=ピーター・パーカーを、憧れのアイアンマン=トニー・スタークがNYのサイトで見てスカウトした。
 ある夜、爆発事件が発生する。駆けつけたピーターはハイテク武器の取引を目撃する。そこへトゥームス(マイケル・キートン)が現れる。トゥームスは巨大な翼を自在に操る怪人バルチャーと同体。捕まったピーターは湖に投げ込まれるがアイアンマンに救われる。手柄を立ててなんとかアベンジャーズの一員になろうと、ピーターは武器の取引現場がフェリーであることを突き止めるのだが…。クライマックスで、このフェリーが大きな見せ場に。
 ピーターには思いを寄せる同級生リズ(ローラ・ハリアー)がいるのだが、思いがけない事実もわかって。ワシントンD.C.の有名なモニュメント、コニー・アイランド、マンハッタンフェリーで結ばれるスタテン島など豊富なロケも見どころ。短いカットのつなぎが素晴らしい。撮影を『ダ・ヴィンチ・コード』(2006)などロン・ハワード監督と仕事を共にしてきたサルヴァトーレ・トチノ、編集に『アイアンマン』シリーズのダン・レペンタール。コミック雑誌のページをめくっているような雰囲気を醸している。
 今作ではアメリカのコミック・ヒーローが集結する仮想世界・MCU=マーベル・シネマティック・ユニバースに本格的に参入して新たなヒーロー像を見せる。スパイダーマンの歴史はすでに40年。1977年にニコラス・ハモンド主演でCBSTVに登場。2002年にはサム・ライミ監督でトビー・マグワイアが演じ3作続いた。続く『アメイジング・スパイダーマン』1、2はマーク・ウエブ監督。『ハクソー・リッジ』(メル・ギブソン監督2016)で主役のアンドリュー・ガーフィールドが登場。
 新しいスパイダーマンのトム・ホランドは英国出身。コメディアンの父と写真家の母のもとに生まれた四人兄弟の長男。ヒップホップ・ダンスから始め、2008年、ロンドンのウェストエンドで上演されたミュージカル『ビリー・エリオット』で、ビリーの親友を演じている。好きな映画は『プライベート・ライアン』(スティーヴン・スピルバーグ監督1998)だという。『スパイダーマン ホームカミング2』も2019年の完成が予定されている。
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『ビニー/信じる男』

 ボクシングの世界を描いた映画には名作が少なくない。戦後最初に見たのが『鉄腕ジム』(ラオール・ウォルシュ監督1942)。エロール・フリンが演じたのは実在したジェームズ・J・コーベット(1866-1933)。ヘビー級で鳴らし紳士で名高かった。晩年は映画にも出演し、フィルムは失われたがジョン・フォード監督の『The Prince of Avenue A』などで主役を張った。弟のジョーは大リーグで活躍している。ほかにもロバート・ワイズ監督で『罠』(1949)『傷だらけの栄光』(1956)、マーク・ロブスン監督の名作『チャンピオン』(1949)、マーティン・スコセシ監督『レイジング・ブル』(1980)、そしてロッキー・シリーズ…。
 『ビニー/信じる男』(ベン・ヤンガー監督)のビニー・パジェンサも実在のボクサー。1962年生まれ、1983年にデビューして初勝利を飾り、2004年3月に引退するまで60試合を闘って50勝、うち30試合がKO勝ちだった。だが交通事故で首を骨折し、二度と歩けなくなるだろうと医師に言われながら、リスクを冒してハロー(HALO PLACEMENT)という金属の装具を頭につけながら、ひそかにトレーニングを再開し、13か月後にリングに立った。相手はドミニカ出身のルイス・サンタナ。ビニーはみごと勝利し「史上最高の復活」と言われた。ビニーにマイルズ・テラー、トレーナー役のアーロン・エッカートが渋い。マーティン・スコセシが製作総指揮をとっている。 
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『フェリシーと夢のトウシューズ』

 仏ゴーモン社=Gaumontが手がけたフランスとカナダ合作のアニメ『フェリシーと夢のトウシューズ』は絵作りがとてもシック。ゴーモン社はリュミエール兄弟がパリのグラン・カフェで初めて映画を上映した1895年と同じ年に創立された最古の映画会社。グラン・カフェはいまホテル・スクリープ・パリとして営業を続けており、オペラ座(ガルニエ宮)のすぐ近くにある。
 このオペラ座がアニメの舞台でもある。大西洋に面したブルターニュ地方の修道院の施設にいたフェリシーとヴィクターは、パリに出てバレリーナーと技術者になる夢を抱き脱走するところから始まる。やってきた19世紀終わりの頃のパリ。パリ万国博覧会のモニュメントを目指すエッフェル塔はまだ建設の途上(完成は1889年)、フランスからアメリカ建国100年記念に贈られる自由の女神像がようやく完成(1884)したころだ。
 すぐさまオペラ座に向かったフェリシーは稽古場に飛び込む。身体能力には恵まれていたが、バレエの基礎が出来ておらず、厳しいレッスンについてゆけそうもない。一方のヴィクターはエッフェルの仕事場に潜り込む。二人の夢はかなうのか。「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」などのバレエが演じられる舞台は、2016年秋にオペラ座の芸術監督に就任したオレリー・デユポンが振付に携わっているだけに見事だ。つま先立ちで回転するピルエット=Pirouetteやアラベスク=Arabesqueも正確そのもの。もっともチャイコフスキー作曲の「白鳥の湖」の初演は1877年だが、「くるみ割り人形」は1892年だから、やや整合性を欠いている。監督はエリック・サマーとエリック・ワリン。
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『カーズ クロスロード』

 ディズニーとピクサーの新作『カーズ クロスロード』(ブライアン・フィー監督)は、胸が躍る作画だ。2006年に始まったシリーズの3作目。第1作はゴールデングローブのアニメーション映画賞を獲得した。第2作には銀座や渋谷、新宿、皇居から富士のサーキットまで登場。
 主人公はいうまでもなく天才レーサーのマックィーン。だが時代は大きく進歩し、最新テクノロジーをふんだんに操る新世代が闊歩していた。とりわけ連戦連勝のジャクソン・ストームに、マッキーンは競り勝とうとするあまり暴走してクラッシュ事故を起こしてしまう。初めて人生の岐路=クロスロードに立ったマックィーンは、どのような道を選ぶのか。
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『少女ファニーと運命の旅』

 『少女ファニーと運命の旅』はフランスの女性監督ローラ・ドワイヨンの作品で、やはり実話をもとにした過酷な時代が描かれる。ナチス占領下の1943年のフランス。ユダヤ人の子どもは親から離され支援組織の施設で育てられていたが、密告があって閉鎖されイタリア占領地域に移され、さらに権勢をふるったムッソリーニが逮捕されたとのニュースに、スイスへ逃れることになる。
 施設で料理番をしていたエリーとファニー(レオニー・スーショー)と妹たち9人は、目的としていたフランスとスイスの国境、フランス・アルプスの北部にあるアンヌマスにたどり着くが…。強い精神をもった13歳のファニーの行動力と統率力もまた、戦争が培った力に違いない。実在のファニー・ベン=アミは、戦争が終わっても家族には会えずじまいで、いまはイスラエルで暮らしている。「ファニー 13歳の指揮官」は児童書として岩波書店から刊行。
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『夜明けの祈り』

 『夜明けの祈り』は1945年12月のポーランドを舞台にしたフランスとポーランドの合作。もとになったのはマドレーヌ・ポーリアック=Madeleine Pauliac(1912-1946、ワルシャワで交通事故死)のストーリー。修道院の女性が闇の林を駆け抜け、フランス赤十字の医療スタッフの門をたたく。ソ連兵が修道院に乱入し、手籠めに合った修道女7人が体内に命を宿した。困り果てた若い修道女が助けを求めたのだ。
 学生時代にはパリでレジスタンスにも加わった看護師マチルド(ルー・ドゥ・ラージュ)は、身を挺して修道院に通い施術を行った。「マチルド、私たちを見捨てないで」「マチルド、あなたは救世主よ」という必死の叫び。「信仰は24時間の疑問と1分の希望」のもとに展開する悲壮な物語である。監督はアンヌ・フォンテーヌ、『ココ・アヴァン・シャネル』(2009)や『ボヴァリー夫人とパン屋』(2014)など意表を突いた作品がある。
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『きっと、いい日が待っている』

 『きっと、いい日が待っている』は2016年のデンマーク映画。1967年、コペンハーゲンのゴズハウン=godhavnの男子児童施設で起こった実話をもとにしている。主役のエリックとエルマーの兄弟は、父親が首を吊り、母親は病みがちだったので施設に入れられた。施設では子どもたちに、きちんとしたしつけや教育を施し、技術を身につけさせて社会に送り出すためと称し、校長以下が虐待や強制労働を日常的に行っていた。映画は不屈の兄弟が最後は敢然と行動に出た結果、検査が入り施設を出てゆく。
 デンマークは19世紀の終わりから社会福祉を展開し、世界一幸福な国とされているが、40年前のこととはいえ、どんなに立派な福祉行政も進めるのは人間にほかならない。この事実を掘り起こしたデンマーク・ナショナル・テレビジョンが「The Boy’s Home」と題したドキュメンタリー番組を放送したことがきっかけで、世間に知られることとなった。描かれている内容は、まるで強制収容所並みで、子どもが暴力を振るわれる場面には胸が痛む。監督はイェスパ・W・ネルソン、社会派の演出家だ。兄弟を演じるアルバト・ルズベク・リンハートとハーラル・カイサー・ヘアマンが達者だ。
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『君はひとりじゃない』

 『君はひとりじゃない』は2015年のポーランド映画。監督は女性のマウゴシュカ・シュモフスカ。第65回ベルリン国際映画祭で銀熊賞・監督賞を受賞している。検察官のヤヌシュ(ヤヌシュ・ガヨス)は妻に先立たれ、娘のオルガ(ユスティナ・スワラ)と二人暮らし。オルガは摂食障害になって日々やせ細り心も閉ざしている。生きる気力をなくしたような父親ともうまくゆかない。父親は娘を精神病院に入れ、そこでセラピストのアンナ(マヤ・オスタシェフスカ)と出会う。そのアンナも息子を失い喪失感に陥っている。やがて起こる信じがたい出来事。ヤヌシュは亡妻との交霊を始める…。超常現象は起こるのだろうか。3人がたどり着くのは「君はひとりじゃない」ということに尽きる。
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『君の膵臓をたべたい』

 『君の膵臓をたべたい』は大阪在住の、もうすぐ30歳に手が届く男性作家住野よるの原作。2016年の本屋大賞で宮下奈都『羊と鋼の森』に次いで2位。ちなみに芥川賞受賞の又吉直樹『火花』は10位にとどまった。
 滋賀県の高校を舞台にした爽やかな青春小説。ヒロインの山内桜良(浜辺美波)は膵臓を病み余命は短い。いつしか図書委員の僕(北村匠海)が気になる存在になる。恋人ではない、ただの友達でもない…微妙な関係も心は互いに離れられなくなる。桜良が生きているうちにしたいこと…思い切って新幹線を乗り継ぎ博多への旅も思い出作りにふさわしい。桜良を心から親友と思っている恭子(大友花恋)は少しやきもきし僕につらく当たる。
 そんな関係がいつまでも続くはずはない。二人の最後は…。月川翔監督の演出は手堅い。少し意外な終幕も病気ものにありがちなお涙頂戴にはしない。美意識とは程遠いと思っていた題名が、やがて重みを増してゆく。主役の二人がとてもいい。歳月が経ち12年後の二人を小栗旬と北川景子が演じる。逆光やソフトフォーカスの撮影(柳田裕男)が純な主題に効果的だ。
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『ロスト・イン・パリ』

 『ロスト・イン・パリ』は仏・ベルギー合作。監督・脚本・主演を、夫婦手を携えて『アイスバーグ』『ルンバ』と撮ってきたドミニク・アベルとフィオナ・ゴードンが、93分の喜劇にまとめている。吹雪のカナダに住むフィオナのもとに、パリのおばから手紙が届く。老人施設に入れられそうだとのSOS。外界を知らずに生きてきたが決然と飛行機に。夏模様のパリ、アパートを訪ねるが、おばの姿は見えない。どうしたものか。気はあせるが観光気分も捨てきれず、セーヌの橋の上でエッフェル塔を見て記念写真をと通りががりの人に頼んだばかりに、バックパックの重みで川にドボン。中にはパスポート、財布、携帯も入れてある。
 一方、川岸でテント暮らしのホームレス風のドミニクは、水面に浮いているバックパックを拾い上げ、財布の金で船上レストランへ行き豪華シャンペンを楽しむが、フィオナとぱったり。当然、ひと悶着が起こるのだが、そこはパリ、二人はダンスまでして気分が高まってゆく。それはいいとして、やっとたどり着いたおばの消息は、二日前に他界していた…。このおばを演じるのが、アラン・レネ監督『二十四時間の情事』(1959)で岡田英次と共演したエマニュエル・リバ。2010年にはミヒャエル・ハネケ監督の『愛、アムール』に、ジャン=ルイ・トランティニャンと出演していたが、今年の1月に89歳で亡くなった。エリック・サティの「ジムノペディ」など多様な音楽が奏でられる。
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『ボン・ボヤージュ~家族旅行は大暴走~』

 『ボン・ボヤージュ~家族旅行は大暴走~』(二コラ・ブナム監督)もフランスからのコメディ。最新型のクルマを買い込み、家族でヴァカンスに出かけることになった。それなのに車ときたらスピードは上がるがブレーキがきかない。販売店に問い合わせてもラチがあかない。おじいちゃんと子ども二人に身重の妻。途中で同乗させた若い女。高速を並走する車をかき分けながら走りまくる92分のドタバタ。ジョゼ・ガルシアが喜劇にぴったりのキャラクターで笑わせる。
 『獣道』(内田英治)の題名から、試写に足を運ぶのをためらっていたが、どこか琴線にふれるところがある。物寂しさも感じる。実話が下敷きにあるという。山梨県の男女高校生の生態に、かつて世間を騒がせたカルト教団風の集まりも描かれている。これも人間の姿には違いない。突き詰めれば寂しい心を描いているように見える。
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『海の彼方』

 『海の彼方』(黄インイク監督)。1930年代、台湾がまだ日本の統治下にあったころ、約60世帯の農家が沖縄の石垣島に移住した。この映画に登場する玉木家の玉代も、夫と共に渡ってきた。サツマイモすら満足に口に入らない極貧の歳月を経て戦後、沖縄が日本に返還されたことに合わせて帰化。
 夫は他界したが70年の間に3男4女をもうけ、さらに孫が20人、ひ孫が37人の大家族をなした。2015年春、米寿を迎えた玉代オバアのもとに一族が集まり、祝いのパーテイーが催された。さらにオバアと連れ立って5人が台湾の旅に出る。描かれるのは肉親の絆。題材は悪くないが123分の長尺を巧くこなしきれず、ドキュメンタリーというよりもプライベート・フィルムに終わっている。もう少し脚本なりコンテなりをしっかり書いて、100分ほどに編集すれば、すっきりした作品になっただろうに惜しまれる。
 
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中高年の「元気が出るページ」2017年8月号                    ①うにのおうちごはん歳時記第11回 夏の鯵 山田うに               ②安曇野発39 信州都市めぐり③  飯田市 加藤雅博                 ③186回シネマトーク【お帰り!新しいスパイダーマンは高校生】 西島雄造      ④番外編 YouTube 黒部アルペンルート

安曇野発38  信州都市めぐり③ 飯田市

加藤 雅博


今年はまったくヘンな気候の連続です。空梅雨だと思ったら九州地方や東北・新潟方面の豪雨、連日の真夏日の襲来、梅雨明け“宣言”と同時に梅雨前線の停滞…。気象学的にはブロッキング現象というようですが、偏西風の流れが大きく乱れ、日本ばかりでなく、世界的に異常な気象が起きているようです。北米や、イタリアでの大規模山火事の発生、ヨーロッパの集中降雨、季節外れの降雪など海の向こうからも困った気象ニュースが届いています。これも人為による地球温暖化の影響でしょうか。
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(飯田市の地図)

信州都市めぐりを続けます。3回目は飯田市です。前回、県内最北の飯山市だったので、今回は最南の飯田市。韻を踏んだわけではありませんが、「飯」を含むのは偶然。連日の真夏日のさなかを縫って向かいました。安曇野から長野道~中央道を経て1時間半強で中心部に到着します。
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(天竜川の淵に臨む奇岩「龍角峯」)
 
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(吊り橋と天竜川)

南アルプスと中央アルプスに挟まれ、そのど真ん中を流れる天竜川に沿った河岸段丘の丘の上に発達した城下町。6月1日現在の人口は100,329人(男47,956人、女52,373人、37,961 世帯)。長野、松本、上田市に続き4番目に人口の多い市です。今のところ10万人を維持していますが、ここ数年の推移を眺めると、漸減傾向。何とか歯止めをしたいところです。
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(飯田市役所と市章)
 
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(飯田市のシンボルりんご並木)
 
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(植わっているリンゴの銘柄)

 飯田市を端的に紹介するキャッチコピーは「りんご並木のまち」「人形劇のまち」でしょうか。りんご並木は市の中央部の大通りに400メートルにわたって植え込まれたています。その歴史は敗戦直後にさかのぼります。昭和22年(1947)4月飯田に大火が発生し、おりからの強風で市の中心部の8割を焼失してしまいました。

この大火からの復興過程で当時の市立飯田東中学校の生徒たちの提案から生まれたのがりんごの植樹運動。大火から6年後、まず40本が植樹され、並木が誕生しました。以来今日まで70年間、代々中学生たちをはじめとする市民の手で守られ、育てられてきました。

入手困難な苗木から並木にするまでの苦労、初めての結実と盗難、励ましと次第に知れられていった並木、時代の変化の中で直面した様々な危機などなど、当初の「大火から復興」のシンボルから「飯田市のシンボル」としていまや全国に知られるようになりました。現在30もの団体が連携するネットワークを形成、各種のイベントが開かれています。
 
もう一つの市のキャッチコピー「人形劇のまち」の起源は300年前までさかのぼります。飯田は、京と江戸の中間に位置したことから、西と東の両様の文化が流れ込む山の都でした。この地域に、人形浄瑠璃が伝わったのは江戸時代半ば。上方で活躍していた人形遣いたちが、伊那谷に流入、各地区で熱狂的に受け入れられすっかり定着しました。一時期は伊那谷に30から40もの人形座があったといわれるほどです。
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(今田人形座の拠点と人形)

このうち、龍江地区の今田人形が始まったのは宝永元年(1703)。起源の実年代が明らかな人形座として伊那谷では最古といわれています。龍江地区は天竜峡に面した丘陵地にあります。古くから紙漉き業が盛んで、明治以降は養蚕業が栄えました。そのころの明治21年(1888)に今田人形座を結成。戦争期にすっかり衰退しましたが、当時の龍江村長らが中心になって青年団に呼び掛け、復活、中学生たちの育成や「夕鶴」など新作物を創作、座員の若返りと継続につながりました。
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 (今田人形の館)

 今では20余人の座員がいて、プロによる義太夫や三味線の研修を受けるなど、仕事の合間に技を磨いています。定期公演は、毎年大宮八幡宮の秋季大祭で上演。その前夜には和蝋燭を点しての幻想的な公演が行われています。八幡宮脇にある「今田人形の館」は人形浄瑠璃の保存伝承を目的に建設され、定期公演に使われています。

もう一つの黒田人形もやはり元禄年間(1688~1703)ころ、黒田地区で盛んになり、人形浄瑠璃発祥の地とされる淡路島からプロの人形遣いも訪れ、芸は本格的なものとなってきました。天保11年(1840)には旧舞台を取り崩して、四間に八間総二階の舞台を再建しました。この舞台は人形浄瑠璃の専用舞台として、専門的な工法による建造物であり、日本最大で最古といわれています。
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(黒田人形専用舞台)

黒田人形は、江戸時代から受け継がれる三人遣いの人形浄瑠璃で、本家の淡路島でもやらなくなった「三番叟(さんばそう)」の技・芸をはじめ、独特なものが伝承されています。そしてこの技を受け継ぐべく、地元の市立高陵中学校の人形部の生徒たちによってもその技の伝習がおこなわれています。下黒田諏訪神社境内の専用舞台と人形浄瑠璃は昭和49年(1974)、国の重要文化財に指定されています。
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(黒田人形浄瑠璃伝承館と人形)
 
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(飯田駅前にもフェスタの看板)
 
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(飯田市美術博物館)

この江戸時代から培われてきた人形劇の風土の上にいわば必然的に登場してきたのが「いいだ人形劇フェスタ」。毎年8月に数日間開かれている人形劇の祭典で、実は今年は通算すると39回になりますが、フェスタの前身である「人形劇カーニバル飯田」がスタートしたのは昭和54年(1979)です。全国各地の人形劇人たちが集まり、企画した初めての人形劇のお祭りでした。

市民と劇人、行政が一体となった実行委員会を組織し、企画運営に当たり、劇人はプロもアマも経費を負担して参加料を払うという「自主参加方式」を採用する画期的なシステムでした。参加者は1枚で何回でも観られる「ワッペン」を購入する方式です。
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(国際糸操り人形館)
 
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(人形劇フェスタの看板と文化会館)

昭和63年(1988)の第10回カーニバルには世界人形劇フェスティバルを併開、日本の人形劇のまちとして海外でも知名度が高まり始めました。平成元年(1989)の11回のカーニバルで行われた人形劇「三国志」公演に合わせて、作者でもある川本喜八郎さんが初めて飯田市を訪れました。
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(人形館と使われる人形)

高い芸術性を備えた人形アニメーションを生み出し多くのファンを魅了した人形美術家・川本さんは、人形に情熱を傾ける飯田の人々が発した「人形が生きている」という言葉に深い感銘を受けます。この飯田こそ「人形たちに一番ふさわしい場所」と、「三国志」「平家物語」など自作人形を飯田市へ寄贈することを申し出ました。
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(川本喜八郎人形美術館と川本作の人形)

飯田市は「人形劇のまち」の新たな拠点施設として、交流人口を増やし、人形劇文化の振興を目指した美術館建設を計画。平成19年(2007) 3月に「川本喜八郎人形美術館」を開館して川本さんを館長に招請しました。

美術館は、飯田市のシンボル「りんご並木」に隣接した再開発ビル内という絶好の立地です。約200体の人形のうち67体が、昭和57~59年(1982~1984)NHKテレビで放映された「三国志」の人形たちのほか、「平家物語」の人形、人形アニメなどが展示されています。館長に就任してから3年後の平成22年(2010)、川本さんは死去しましたが展示品の一体一体に川本さんの人形に寄せた熱い思いが残されています。

もう一つ、「人形劇のまち」にきわめてふさわしいと思われる施設が平成10年(1998)建てられた「竹田扇之助記念国際糸操り人形館」です。竹田扇之介さんは飯田市に隣接する喬木村の出身。400年もの歴史のある糸操り(あやつり)の「竹田人形座」の第10代目として引き継いだ、糸操り人形遣いの名手です。

映画・TV・ショービジネスに活躍、竹田の名跡を世界に位置づけ、今世紀最高の人形劇人7人の中に選ばれました。竹田さんは平成2年(1990)、故郷である飯田に移って竹田練場を再建、内外で収集したコレクションと共に練場を飯田市に寄贈しました。飯田市は、竹田家代々の功績を記念し、人形劇による国際貢献の中核的施設として、平成10年(1998)のフェスタにあわせ建設されました。

人形館は、元善光寺の隣にある博物館。竹田人形座の代表作「ゆきんこ」など、いくつかの人形を、人形遣いの視点で間近に見ることができます。南アルプスの眺望が素晴らしく、名木のシダレザクラ、舞台サクラ、美しい庭園も楽しめるロケーションです。

暑さを縫って訪れた飯田市は人形劇フェスタの準備の真っ只中。いずれの施設ともクローズ状態で残念ながらナマの人形を見ることができませんでした。本物の出し物を楽しむには事前にしっかりした計画を立てることが必要であることがよくわかりました。来年はぜひのぞいてみたいものと痛感しました。
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(旧小笠原家の書院)

「人形劇」以外にも見所は数多くありますが、そんな中の幾つかを。市の東部、伊豆木地区の小高い丘陵地にある「旧小笠原書院」は、江戸時代の旗本、小笠原家の居宅で唯一現存しているもので、江戸初期
(1624)ごろの建築と推定され、貴重な武家書院として昭和27年(1953)に国の重要文化財に指定されています。
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(書院の内部)

全国の重要文化財の書院はほとんどが寺院などの所有で、一般に公開されていない中、数少ない屋内に入ることができる書院。また、江戸時代初期の武家住宅は二条城(京都市 重要文化財)と旧小笠原家書院しかないため、全国に5000家余りあったといわれる旗本のうち、屋敷が残されているのはこの旧小笠原家書院だけといわれています。これは一見の価値ありです。
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(小笠原家資料館)

書院の向かいにある、小笠原家にかかわる資料を保存する「小笠原資料館」(平成11年建設)も必見。書院とは好対照の、大きなガラス張りの超モダン建築。母の実家が旧小笠原家という建築家の設計による因縁の建築物。金沢の「21世紀美術館」も設計し、金獅子賞を受賞したほか、建築界のノーベル賞ともいわれるプリッカー賞を2010年に受賞しています。
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(開善寺の重文山門)
 
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(開善寺の重文鐘楼)
 
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(菱田春草生誕の碑、横山大観の書)
 
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(飯田線「天竜峡」駅)
 
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(飯田名物水引と豪華な作品群)

このほか、やはり重文になっている開善寺の山門と鐘楼、飯田城跡、市美術博物館もぜひ回りたいところ。天竜峡と、市内に集中してある水引細工の工芸館も見逃せません。飯田市はバラエティに富んだ地です。
 
 これから本格的な暑さを迎えそうです。お大事にお過ごしください。では、また。   

                               草々
 
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 安曇野 無頼庵
  加藤 雅博
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