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中高年の「元気が出るページ」2017年6月号                   ①うにのおうちごはん歳時記第9回 鮎と枇杷 山田うに               ②安曇野発37 信州都市めぐり ①大町市 加藤雅博                  ③185回シネマトーク【アンジェイ・ワイダ最後の仕事】 西島雄造

(((185回 シネマトーク))))

【アンジェイ・ワイダ最後の仕事】

西島雄造

1アンジェイ・ワイダ(『地下水道』を撮影中).jpg
アンジェイ・ワイダ(『地下水道』を撮影中)
 ポーランドのワルシャワ市民は、毎年8月1日の午後5時のサイレンとともに1分間の黙とうをささげるという。第二次世界大戦末期の1944年8月1日、ドイツ軍に対して蜂起が市民に呼びかけられ、63日間に及ぶ戦いが始まった日を記憶に刻んでいる。アンジェイ・ワイダ監督の第2作『地下水道』(1956)は、この時代をモチーフに、市内を縦横に走る地下水道をくぐって地上に向かうレジスタンスの悲惨な結末を描き、カンヌ国際映画祭で審査員特別賞に輝いた。学生だった筆者は映像がもたらす感動の余韻にひたりながら、大学の同人映画誌に監督紹介と作品評を書いた。遠い昔のことである。
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残像
 ワイダ監督は2016年10月9日、90歳で他界した。6月10日封切りの『残像』が遺作となる。第二次世界大戦が終わり、ポーランドはソヴィエット連邦の衛星国として影響下に置かれる。この時代に生きた前衛画家ヴァディスワフ・ストゥシェミンスキ(1893-1952)が主人公。大戦に従軍して片手、片足を失っている。1945年、ポーランド第二の都市ウッチの造形大学で教鞭をとり始める。スターリンの時代、当時の政府は政治を芸術に反映させるため、画家の前衛的な表現をリアリズムに変えさせようとする。画家は時代に逆らい、結果的に大学を辞めさせられ、生活を支える配給切符すらも支給されなくなった。自身は肺結核を患いながら、ひたすら思想の自由を求めて若者たちと交わり続ける。
 自由を謳歌していても、いつまた不自由な時代が来るかもしれない。《抵抗の作家》の称号にふさわしい遺作であり遺書ともいえる。1943年4月、ドイツとの戦いのさなか、ソ連領の森で22000人のポーランドの将校らが虐殺された事件も『カティンの森』(2007)として映画化している。ワイダの父親はこの事件のさなか他界し、青年ワイダはレジスタンス運動に身を投じていた。権威・権力への抵抗こそアンジェイ・ワイダの真骨頂といえる。新作では1952年、ポーランド生まれのボグスワフ・リンダの抑えた演技が説得力を持つ。ワイダ監督の『パン・タデウシュ物語』(1999)や『鉄の男』(1981)などにも出演している。
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パトリオット・デイ
 米ボストンでは、毎年4月19日を《愛国者の日》と定めている。1897年のこの日、独立戦争が始まった。4月の第三月曜日には、最古の市民マラソンが開催されてきた。1953年大会では山田敬蔵が2時間18分51秒で優勝を果たし、30キロ付近の心臓破りの坂が日本でも知られるようになった。
 『パトリオット・デイ』は2013年4月15日に催された第117回ボストン・マラソンのゴール付近で、午後2時45分ごろに発生して死者5人、負傷者299人を出した二度の爆弾テロを描いている。圧力鍋に釘やボールベアリングを仕込んで殺傷力を強めた爆弾だった。映画の前半は競技がスタートするまでのプロローグ。後半になって緊迫する。FBI、ボストン市警、SWAT、マサチューセッツ州兵、地元の所轄署と大規模な捜査活動を、ピーター・バーグ監督は手持ちカメラを駆使し、ドキュメンタリー・タッチで追う。
 捜査線上に浮かんだ<白い帽子と黒い帽子の男>二人の家庭が描かれる。タメルラン・ツァルナエフとジョハル・ツァルナエフ、26歳と19歳の兄弟で、チェチェンからの移民家族だった。捜査網に追い詰められた二人は、マサチューセッツ工科大学の構内で警官を射殺。民間人のベンツ車を奪って逃走しながら銃撃、パイプ爆弾まで炸裂させる。映画は事実をなぞりながらクライマックスへ。ボストン市警官で活躍するマーク・ウォルバーグは、自身ボストンで生まれた9人兄弟の末っ子。『ローン・サバイバー』(2014)『バーニング・オーシャン』(2016)と、ピーター・バーグ監督作出演が続いている。ほかにケヴィン・ベーコン、ジョン・グッドマン、J・K・シモンズ、ミシェル・モナハンら。
3「マンチェスター・バイ・ザ・シー」3 (2).jpg
マンチェスター・バイ・ザ・シー
 マンチェスターといえば、イギリス産業革命の中心になった古都を思い浮かべるのが普通だが、アメリカにもコネチカット州とニューハンプシャー州に同じ地名がある。映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』もまた地名そのもので、ボストンから約40キロ、人口5000人前後の大西洋に面した町は、他のマンチェスターとの紛らわしさを避けるため、1989年、町民会議で<Manchester by the sea>と改称している。
 ケネス・ロナーガン監督の映画の主役リー(ケイシー・アフレック)はボストンで便利屋をして暮らしていたが、兄が心臓発作で急死したため故郷に戻り、離婚した父親と二人暮らしだった16歳のパトリック(ルーカス・ヘッジス)の後見人にさせられる。リーにとって気の進む話ではない。故郷には逃れがたい記憶がある。友人と夜中まで騒いだ挙句、のどが渇いて夜中にビールを買いに出た留守に暖炉の火から家が焼け落ち、子供二人が幼い命を落とした。妻のランディ(ミシェル・ウイリアムズ)は家を出た。ごく普通のアメリカ人の暮らしや人間関係を淡々と描いた短編小説風の地味な作品だが、東京・銀座の映画館によく客が入っているのに驚いた。ことしのアカデミー主演男優賞と脚本賞を受賞、ニューヨーク生まれのロナーガン監督が、脚本も書き、マット・デイモンが製作を後押ししている。
4「怪物はささやく」2.jpg
怪物はささやく
 『怪物はささやく』(J.A.バヨナ監督)は少年と老大木が紡ぐファンタジー。少年は二人暮らしの母親(フェリシティ・ジョーンズ)の病気に心を痛めている。祖母が様子を見に来るが、口うるさいので苦手だ。少年はしばしば悪夢を見る。学校でも放心状態になることがあり、クラスの悪童のいじめにも遭う。
 そんな少年の寝室に、夜中の12時7分になると、家鳴り震動とともに怪木が現れて語りかける。ぎょろっとした目、しゃがれた声だが、怪物には似合わない滋味がにじむのは声のリーアム・ニーソンの人柄だろう。怪木は少年に三つの物語を話し、最後に少年に真実の物語を求める…。こちらは正真正銘の英国のマンチェスターやランカシヤーの保養地ブラックプールなどで撮影している。手作りの怪木がよく出来ている。少年コナー役のルイス・マクドゥーガルがとても頑張っている。祖母役は『エイリアン』シリーズのシガニー・ウィバー。監督はスペインのバルセロナで生まれ、双子の兄弟がいる。
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光をくれた人
 『光をくれた人』(デレク・シアンフランス監督)は、小さな灯台を舞台にした愛の物語。南緯64度、西経も64度のオーストラリア南西端にある、ヤヌス・ロックアイランドと呼ばれる岩肌の小島。原作は西オーストラリア生まれのM・L・ステッドマンの「海を照らす光=The Light Between Oceans」。物語には戦争が深くかかわっている。
 1918年11月11日、第一次世界大戦が終結した。戦場ではドイツ対英・仏の連合国が激しい塹壕戦を展開した。主役のトム(マイケル・ファスベンダー)は戦争の英雄となって復員するが、壮絶な戦いで心に傷を負い、現実から逃避するように絶海の孤島の灯台守を志願する。3か月を経て正式採用となり、契約のため160キロ離れた岬の町に渡り、美しいイザベル(アリシア・ヴィキャンデル)と出会う。やがて結婚して二人の暮らしが始まるが、アリシアは流産で子供に恵まれなかった。そんなある日、島にボートが漂着する。赤ん坊と息の絶えた父親と見られる男が乗っていた。愛くるしい赤ん坊を抱いて、イザベルは手放せず自分の手で育てると言い出す。
 2年が経ち、ルーシーと名付けた娘の洗礼のため町に渡った日、トムは教会の墓地で泣いている女を見かける。ボートで出たまま行方知れずになった夫と赤ん坊の墓前である。女はハナ(レイチェル・ワイズ)、夫フランクはドイツ人だったばかりに、戦争で肉親を失った地元の者から悪しざまにされ、耐えられず海に逃げた。夫婦はどういう結末を歩むのか。
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セールスマン
 『セールスマン』はことしのアカデミー外国語映画賞、カンヌ国際映画祭で脚本賞と男優賞を受賞した。物語はよく紡がれている。テヘランの街中、アパートが崩壊するというので、住民たちが逃げ出すところから始まる。若い夫婦も引っ越すことになる。夫のエマッド(シャハブ・ホセイニ)は国語教師を勤めながら、妻のラナ(タラネ・アリドゥスティ)と小さな劇団で演劇に興じ、アーサー・ミラーの代表作セールスマン」の上演が迫っている。
 新居に落ち着き舞台の初日を迎えたが、ひと足先に帰宅した妻がシャワー室で襲われる。アパートの隣人が言うには、前の住人はいかがわしい商売女で、何人もの男を連れ込んでいたという。自宅のソファーに置き忘れられた車の鍵から、近くに駐車された軽トラックを突き止め、パン屋にたどり着く。働いていた若い男と接触するが、話は意外な方向に展開する。サスペンスというよりも家族の物語だ。
 アカデミー賞を受賞したものの、トランプ米大統領がイラン人などに対しビザの発給を停止するとの発言を受け、主演女優は授賞式のボイコットを表明、監督も同調した。授賞式には民間人から初の宇宙飛行者となったイラン人のアニューシャ・アンサリが登壇、監督からのメッセージを読むという2017年を象徴するアカデミー授賞式になった。アスガー・ファルハディ監督は『別離』(2011)に続く二度目の同賞受賞である。
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夜に生きる
 弟のケイシーにオスカーの男優演技賞は先を越されたが、ベン・アフレックの創作意欲は変わらず旺盛。最新作『夜に生きる』では監督・脚本・主演、レオナルド・ディカプリオとともに製作にも名を連ねている。舞台は米フロリダ半島のタンパ。20世紀初頭には葉巻産業で栄え、大物ボス、チャーリー・ウォール(1880-1955、バットで殴られて死亡)が支配した街だ。
 映画の主役はベン・アフレックが扮するジョー・コフリン。幼いころからボストンで強盗まがいの犯罪を繰り返していたが、ギャングのボスの女エマ(シエナ・ミラー)と情を交わしたばかりに消されそうになる。逃れるためにイタリア系のギャングのボスが支配するタンパに身を移し、ラム酒の密売でのし上がるが…。原作は『ミスティック・リバー』(クリント・イーストウッド監督2003)などのデニス・ルへイン。フロリダの学校を出ている。映画は禁酒法の時代の風俗や服装まで丁寧に描き、古典的なギャング映画の味わいがある。
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花戦さ
 華道の池坊が伝えてきた花の心を描く『花戦さ』。京都市中京区烏丸御池に近い紫雲山頂法寺、通称六角堂は聖徳太子が創建したと伝えられ、如意輪観音を本尊としている。池坊の発祥の地ともなり、住職が家元を兼ね、池坊が執行として経営管理をつとめる。初代専好(天文5-元和7=1536-1621)は木を山、草を水の象徴として生け花の中に自然を表象する立花(りっか)に長け、織田信長の面前でも花を盛った。茶聖・千利休(1522-1591)とも深く心を通わせたが、豊臣秀吉(1537-1598)が天下を掌握してのち、金の茶室をこしらえるなど天下人の奔放な振る舞いに心が離れていった利休は、ついには秀吉の怒りに触れ切腹を命じられる。秀吉と専好は花をもって一戦を交えた。
 篠原哲雄監督の渾身の演出で、歴史物語を堂々と描いている。専好に野村萬斎、天衣無縫、天真爛漫な演技は魅力的だ。佐藤浩市の利休は陰影に富み、秀吉の市川猿之助が演技に精進を見せる。ほかにも中井貴一の信長をはじめ佐々木蔵之介、吉田栄作、和田正人らが作品をふくらませている。
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 この25年間、長編・短編と精力的に映画つくりにいそしむ河瀨直美監督の『光』は暗示的な作品である。1895年12月28日、フランスのリュミエール兄弟が、世界初の映画館・グラン・カフェで映画を上映した。Lumiere=光で始まり、Palole=言葉が寄り添い、観客のImageで物語を豊かにするのが映画である。導入部のナレーションに少しわずらわしさを感じたが、それが目の不自由な人のための音声ガイドであることがわかる。
 主人公の写真家・雅哉(永瀬正敏)は、職業の命ともいえる視力を失いつつある。音声ガイドの仕事に携わっている美佐子(水崎綾女)は、雅哉が撮影した夕日の写真に魅かれ、いつかその地に行きたいと願い始める。身体と一体化したような二眼レフカメラのローライ・フレックスとともに町中を歩む雅哉。そのカメラを投棄する日が来る。なぜそうしたのか。美しい映画である。優れた映画は観る者の想像力を羽ばたかせる。永瀬と藤竜也がとてもいい。第70回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品されたが、受賞は逸した。
 『家族はつらいよ2』はシリーズになったようだ。家族は山田洋次監督の生涯の主題だ。寅も例外ではない。前半は父親の周造(橋爪功)が車にかすり傷をつけ、そろそろ免許証の返上をと回りが言い出して、頑固オヤジとのドタバタが始まる。今様の話題でもある。顔ぶれは吉行和子、西村雅彦、夏川結衣、妻夫木聡、蒼井優、風吹ジュンら前回と変わらない。
 後半、偶然出合った周造の故郷、広島の高校時代の同級生、丸田(小林念侍)が登場する。丸田は73歳になってなお工事現場で働いていた。酔った丸田を家に連れ帰り寝かせたのだが…。ここでもうひとつのドタバタが起こるのだが、突き詰めれば家族の優しさ、情愛、そして人間としてのたたずまいを描いてThe End。前作より話がこなれて面白い。小林がいい顔をしている。音楽を久石譲が手がけている。
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ちょっと今から仕事やめてくる
 『ちょっと今から仕事やめてくる』(成島出監督)を面白く見た。原作は1981年生まれの北川恵海。小さな印刷会社で営業を勤める隆(工藤阿須加)は、要領がよくなく成績が上がらない。部長(吉田鋼太郎)にこっぴどくやられ、心身的に追い詰められていた。或る日、駅のホームでふらつき、線路に落ちかかっているところを、同じ年頃の若者に助けられる。<ヤマモト>と名乗る関西弁なまりの男は高校の同級生だという。ところがヤマモトは海外に滞在していることがわかった。ヤマモトとは何者なのか。
 それでも付き合いながら元気づけられ、仕事もマシになっていたのに、得意先に対しミスを出してしまう。思い余って屋上から身を投げようとしていると、またヤマモトが現れた…。 ブラック企業やサービス残業、果ては自殺までが問題になっている昨今、テーマとして悪くない。隆は自分の人生にどう決着をつけるのか。先輩役の黒木華と若者二人が好演している。
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ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス
 『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス』は相変わらず派手に戦いを展開する。ストーリーは奇想天外、リアリテイーを超越したコミック・リアリズムで押し通す。凶暴で目立ちたがりのアライグマのロケットが随一のキャラクター。エゴ(カート・ラッセル)とピーター(クリス・プラット)の“瞼の父”話が絡む。ハワイ・マウイ島のレストランで働いていて映画デビューしたクリス・プラット、188センチ、37歳のマッチョな男盛り。
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ローガン
 ほかに<ウルヴァリン>の最終章『ローガン』(ジェームズ・マンゴールド監督)は2029年の近未来。不死身の存在だったローガンも、治癒能力が衰え全身傷だらけの孤高のヒーローをヒュー・ジャックマンが演じる。撮影と編集のテンポが優れている。『ブラッド・ファーザー』(ジャン=フランソワ・リシエ監督)は久々のメル・ギブソンが命がけで娘を守る物語。『日々と雲行き』(シルヴィオ・ソルディ―ニ監督)は2007年の伊・スイス・仏合作。イタリアのジェノヴァらしい街を舞台に夫婦の喜怒哀楽を描き、少し哀愁も交えたコメデイ。イタリアならではのラストシーン。
 『ゴールド 金塊の行方』(スティーヴン・ギャガン監督)はマシュー・マコノヒーの主演で、思いのほか歯ごたえがある。消えた170億ドルの金塊の行方は。『ラプチャー』(スティーヴン・シャインバーグ監督)の主役はDNA。怪しげなグループが特殊の卵子を持つ母親をさらう。実験室にはさまざまな被験者がいて…。不気味なストーリーのSF.。『昼顔』(西谷弘監督)は通俗的な不倫もの。燃え上がる官能も描かれないまま、長過ぎてあか抜けしない。ジョセフ・ケッセル(1898-1979)の原作で1967年にルイス・ブニュエル監督、カトリーヌ・ドヌーヴ主演で映画化された『昼顔』とは似ても似つかない。ずいぶん命の長い蛍がいるものだ。梅雨の季節は映画館で過ごしたい、盛沢山の6月である。  
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中高年の「元気が出るページ」2017年6月号                   ①うにのおうちごはん歳時記第9回 鮎と枇杷 山田うに               ②安曇野発37 信州都市めぐり ①大町市 加藤雅博                  ③185回シネマトーク【アンジェイ・ワイダ最後の仕事】 西島雄造

安曇野発37 村めぐり 

信州都市めぐり ① 大町市


加藤 雅博



いよいよ2017年の夏がスタートしました。安曇野発の「村めぐり」が終了。今回から村とは対極にある「市」に注目し、普段あまり触れることのない穴場を中心に紹介していこうと思います。「平成の大合併」で、新たに長野県に誕生したのは安曇野、東御(とうみ)、千曲(ちくま)の3市、逆に吸収されて廃止されたのは更埴(こうしょく)の1市で、差し引き19市となりました。また、36あった町は23に、67あった村は35に減少。総計120あった長野県の市町村は合併によって77にまで減少しました。
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大町市の位置図 
 
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大町市役所と市章
  
1回目に取り上げる市は「大町市」です。県の北西部、安曇野のすぐ北隣。西部一帯を北アルプスが連なります。北の五竜岳から南の槍ヶ岳頂上までを占める市街地は565平方キロと県内自治体では5位の広さ、全国自治体のなかでは111位。市の域内には 槍ヶ岳と五竜岳のほか、野口五郎岳、烏帽子岳、双六岳、大天井岳、燕岳、餓鬼岳、針ノ木岳、蓮華岳、爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳といった名だたる名峰がひしめくわが国有数の山岳都市です。

永承3年(1048)以降、伊勢神宮の領である「仁科御厨」と呼ばれる荘園で仁科氏が管理支配。戦国時代末期まで影響力を持ち、大町地域一帯に独自の文化圏を形成していきました。仁科家が途絶えた後、小笠原氏が大町市周辺を支配下とし、江戸時代には松本藩の領域となります。
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「平林家」と「鹽」の当時の看板

松本城下と日本海を結ぶ千国街道(ちくにかいどう)=塩の道の中間地点にあった宿場町として経済的に発展。市場町になり周辺地域の中心的な地位を保ちました。街道沿いには国宝仁科神明宮を筆頭に数多くの文化財や歴史的遺物が残されています。

 昭和29年(1954)9月「大町」「平村」「常盤村」「社村」が合併し大町市として市政が発足。平成の合併で周辺の「八坂村」「美麻村」を編入合併し、現在の大町市と」なっています。人口は今年4月30日現在28,262人(男13,759人、女14,503人、11.861世帯)。県内19市中⒙位。
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平林家の帳場
 
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当時の塩倉の再現

歴史に富んだ地域のためか、大町市でとくに気が付くのは「博物館」「資料館」といったたぐいの施設がやたらに多いことです。そんな中で絶対見逃せないのは「塩の道ちょうじや」です。江戸時代の庄屋で塩問屋を営んでいた平林家の建物を利用して開設していた「塩の博物館」をリニューアルし、平成25年(2013)4月から名称を改めてオープンした資料館です。

塩を運んだ当時の「牛方(うしかた)」「歩荷(ぼっか)」といった職人が使っていた運搬道具や旅装束、弁当箱、沿線住民の生活道具などの実用品のほか古文書や上杉謙信が敵の武田信玄に贈った「義塩」の故事を紹介した文書、塩やニガリを保管した倉庫を展示しています。塩問屋として繁栄した「ちょうじや」の豊かさを示す平林家の伝来の調度品も展示されています。

 この博物館に併設されている「流鏑馬会館」も大町市の歴史を知るうえで参考になります。大町地域の氏神の「若一王子(にゃくいちおうじ)神社」の例大祭で執り行われる流鏑馬の資料館。ここの流鏑馬は全国でも大変珍しい、子供が主人公の流鏑馬。祭りの歴史、祭りの様子を写した映像、町内ごとに繰り出す屋台の画像などふんだんな資料を使って展示しています。
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山岳博物館

山岳都市らしさを表しているのが「大町山岳博物館」。北アルプスの自然と人―をテーマに後立山連峰をメインとしたアルプスの自然・人文科学を紹介する総合博物館で、わが国では昭和31年(1951)に開館した「山岳」をうたった初めての博物館です。

 動物・植物・地質・山岳・歴史・民俗・美術など各分野の資料を収蔵しており、これら実物資料を中心に常設展示と時宜に応じた特別展を開いています。常設展では「山小屋」「登山史」「登山道具」「海外登山史」などのコーナー別、また別室には著名な山岳画家による作品も展示されていて、山好きでなくとも楽しめる博物館。
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博物館の付属園

館の東隣にある付属園の動植物園では、特別天然記念物であるニホンカモシカとライチョウのほか、ホンドタヌキ、ホンドキツネ、ハクビシン、トビを飼育、高山植物のコマクサやササユリ、ビッチュウフウロを栽培しています。このうちライチョウは保全の緊急性が高まり、昨年から12年ぶりに再開した飼育です。ライチョウ以外は公開されています。
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エネルギー博物館

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回転変流器の実物展示
  
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水力発電機の実物

北アルプスは、水力発電の供給源でもあり、大町も電力所とは深い関係にありました。水力発電所が幾つか連なる高瀬川の谷出口付近にあるのが「大町エネルギー博物館」です。館外に設置された回転変流器、水力発電機などの実物展示を通してエネルギーについての知識を学ぶことができる博物館。
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 ソーラーカーの模型

館内には簡単な物理実験や太陽光発電の新エネルギー、電磁気のリニアモーターカーの模型などの基礎に関しても学ぶことができ、夏休みを迎える小中高生にぴったり。子どもに喜ばれそうなのは併設している小ぢんまりとしたプラネタリウム。太陽系、銀河系など宇宙の基礎にも触れてくれます。
 
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木炭車「もくちゃん」
 
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もくちゃんの後部にある釜

大人でも楽しめそうなのが、昔懐かしい木炭車(ボンネットバス)。広葉樹の小さな木切れを燃料に、人を乗せて動く愛称「もくちゃん」が高瀬渓谷を走ります。薪を釜(薪ガス発生炉)で蒸し焼きにし、発生する薪ガスを動力源とするバスで、終戦直後、都会でも走っていたことを記憶している世代も多いと思います。車体の後部に積まれた釜は、昭和25年(1950)製作。実際に使用されていた釜を使って公道を走るバスは、日本で唯一とのことです。ぜひお試しを。
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 劇団四季記念館

大町市との組み合わせで意外と思われるのが「劇団四季」との関係。平成7年(1995)、「四季演劇資料館」が大町市に開館しました。資料館の周囲は舞台美術の保管庫群が並んだ四季演劇資料センターでした。このセンターには創立以来60年余、行ってきた公演の膨大な舞台装置、美術が収納されています。
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劇団四季記念館

もともと劇団の稽古場が大町にあったことが始まりで、市の施設の建設デザインを劇団が提供したこともあって、両者の関係も親密になっていきました。そして日本の中心に位置する大町の地の利が、舞台美術をあちこちに移動させなければならない拠点としてのセンター建設の大きな動機になったようです。

平成28年(2016)、演劇資料館の名称を「劇団四季記念館」と改称しました。同時に、記念館は「資料館」だったころと大幅に入れ替え、館の1、2階を11のコーナーに仕切り、劇団の「前史/創立」「浅利慶太と長野オリンピック/オペラ」「思い出の人々」という区切りでたくさんの資料を並べています。かつて舞台の公演を観た人はその思い出に、初めての人には今後の参考にすることができそうです。
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日帰り温泉「湯けむり屋敷薬師の湯」
 
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温泉博物館のある「薬師の湯」

さて、芸術的な雰囲気に浸った後、温泉・お酒などはいかがでしょう。記念館からほど近い「大町温泉郷」の一角に日帰り入浴施設「湯けむり屋敷薬師の湯」があります。登山者やスキーヤーにも人気の温泉ですが、他の施設にはない特典が「アルプス温泉博物館」の見学。
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温泉掘削の道具

温泉発生のメカニズム、入浴法、効能、信州&全国の温泉地、大町温泉郷を中心にした北アルプスの温泉の歴史などを、パネルやビデオ、実物資料でわかりやすく解説。温泉掘削や引湯に使用する道具を展示しています。多少くたびれかけていますが、温泉好きには十分でしょう。
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北アルプス搗精工場

長野県には100を超す酒蔵がありますが、うち70の酒蔵が使用する酒造米を精米する工場が市内にある「アルプス搗精(とうせい)工場」。田園地帯の真ん中に建つ大きなカマボコ型の建物です。敷地面積17,200平方メートル(約5,200坪)工場部分1階5,480平方メートル(1,658坪)2階1,154平方メートル(349坪)。大きさのほどが知れます。
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精米機が並ぶ工場の内部
  
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長野県の酒蔵の銘柄展示

長野県酒造協同組合が運営し、お米を共同で仕入れ、あらかじめ計画された米の品種・量ごとに精米した酒用の米を酒蔵に配分しています。設立の目的は共同仕入れによって価格を抑えることと、精米の品質を確保すること。このアルプス搗精工場は長野県にあった5つの精米工場を統合。信州のお酒の原料となる米の大部分の処理をしていることになります。

 コンピュータ制御による酒造用精米機で高品質の精米をし、自動化された設備のため、ここで働いているのはたった5人とのこと。工場内に展示コーナーがあり、県内70蔵元の全銘柄が紹介され、試飲(有料)と販売も行っています。もちろん酒造りの流れも丁寧に案内しています。こちらの見学は左党向きですが、見学はだれでも自由です。
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 高瀬川越しの白馬方面のアルプス
  
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有明山とカキツバタ(安曇野)
 
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ナノハナと棚田(安曇野 4月)

大町市は6月4日から7月いっぱいにかけ「北アルプス国際芸術祭」も予定されています。36組のアーティストが期間中市内の北アルプスを背景とした5つの会場で「食」と「アート」の祭典を予定しています。この祭典と、これらの博物館の見学を組み合わせるのも楽しいかも知れません。

(気候が落ち着いたと思うと間もなく梅雨の季節。いやですね。ま、これも
季節のメリハリ、仕方ないですね。では。また。草々)

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 安曇野 無頼庵
  加藤 雅博
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中高年の「元気が出るページ」2017年6月号                   ①うにのおうちごはん歳時記第9回 鮎と枇杷 山田うに               ②安曇野発37 信州都市めぐり ①大町市 加藤雅博                  ③185回シネマトーク【アンジェイ・ワイダ最後の仕事】 西島雄造

<うにのおうちごはん歳時記>

毎日いただくおうちごはん。春夏秋冬、季節の彩りにあふれた食材や料理を取り上げて食の歳時記として連載します。

写真と文:山田うに


編集者・トラベルライター。よみうりカルチャーの野外講座・料理教室講師。ほかに『大人のカルチャーガイド』で美術館・博物館の企画展案内などを執筆。

第 9 回 6月 鮎と枇杷


「武州多麻郡玉川といふは、保田新田の辺より以下はみな玉川也、春の末より秋の末まで、鮎の魚を汲とる事、佳興又一品なり」
 文化11年(1814)に板行された十方庵敬順(じっぽうあんけいじゅん)の『遊歴雑記』初編之中・拾四の書き出しです。十方庵敬順は小石川小日向の本法寺という寺の僧侶で、引退したのち、江戸ご府内とその近郊を日帰りで出かけ、見聞録を記しました。煎茶好きの老僧は“たたみ焜炉”という携帯式の茶器を携え、あるいは一人であるいは地元の人を誘って茶を服し、見聞を著しました。冒頭は「武州玉川羽村村の宴遊鮎籠」と題する、多摩川の鮎漁を記したものです。
 鮎は知られるように年魚と呼ばれる一年魚です。川で生まれた稚魚は川を下り海で過ごし、初夏になると生まれた川を遡り成魚となり、秋に死んでしまいます。川の急流に住み、珪藻を餌とするので肉に香気があります。それ故“香魚”とも呼ばれます。多摩川の鮎漁はすでに鎌倉時代から文献に登場しますが、有名になるのは江戸時代から。江戸城へ鮎の献上が始まってからです。多摩川で獲られた鮎は四谷にある鮎問屋に運ばれました。鮎を運ぶ光景は4、5月ごろから見られ、鮎は籠に入れられ、若い娘たちが頭に乗せて、歌を唄いながら夜を徹して問屋まで運びました。
  [るんるん] あゆは、あゆは瀬に住む からすアア木にとまる、人は情けの下にすむ
というのがその歌だったそうです。『江戸名所図会』では巻三「天き之部」で「玉川猟鮎(たまがわあゆかり)」の図版を入れて鮎漁を取り上げています。
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(江戸名所図会)

『江戸名所図会』の鮎漁の光景。大きな籠を覗き込んではしゃぐ二人の子供。瀬では老人が網を打っています(画像の上をクリックすると拡大してご覧になれます)

 日本各地での鮎漁の解禁はおおむね6月1日です。当家でも6月になると季節のものだと鮎を食します。さて、かように江戸でも有名な多摩川の鮎ですが、我が家で食す鮎は四国・四万十川の天然鮎です。炊き込みご飯にしてもよいのですが、それが鮎の味を損なうように思えて、どうしても塩焼きになってしまいます。四万十の鮎は冷凍で送られてくるのですが、それでも香魚らしいスイカに似たよい香りがするのです。
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(鮎の塩焼き)

四万十川の天然鮎の塩焼き。口に運べばふわりと香気が漂います。奥は冷奴。またビールの旨い季節です


 そしてこの季節に外せない果物が枇杷です。産地では長崎県がトップで生産量の約37パーセントをしめ、第2位が千葉県の約12パーセント、ついで香川県の約8パーセントと続きます。枇杷は亜熱帯や温帯地域の果物で、年間平均気温が15度以上、最低気温は-5度以下にならない場所です。したがって栽培地としては千葉県が北限とされます。枇杷の栽培が始まったのは江戸時代で、千葉県の冨浦では宝暦元年(1751)に栽培が始まったといわれます。
 写真はその千葉県富浦町の南無谷(なむや)産のもの。南無谷は日蓮宗の宗祖、日蓮ゆかりの地で、日蓮はこの地で立宗を決意したと語られます。南無谷の地は当時泉澤村と呼ばれていましたが、日蓮の熱心な活動により村中に日蓮宗が定着し、これを由縁として村の名を南無妙法谷村と改めました。その名が長すぎるというので南無谷になったといいます。南無谷は潮風の入る水はけのよい土地で、250年以上の栽培の歴史をもちます。房総枇杷のブランドは明治42年から皇室献上品となりました。写真は3Lの大きなサイズのもの。淡くフレッシュな香気と驚くほど果汁がたっぷりな季節の佳品です。

  失点のごとくに残り枇杷の種(佐藤静峰子)
  悲しみのころんと軽き枇杷のたね(青山千春)

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(房州枇杷)

南無谷産の房州枇杷。3Lサイズは大きくて食べ応え満点

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共通テーマ:グルメ・料理

中高年の「元気が出るページ」2017年5月号                   ①うにのおうちごはん歳時記第8回 空豆とツタンカーメン豌豆 山田うに       ②安曇野発 信州村めぐり 36 総集編 加藤雅博                 ③184回シネマトーク『秀作『追憶』、降旗康男監督に50作目を期待』西島雄造

(((184回 シネマトーク))))

【秀作『追憶』、降旗康男監督に50作目を期待】

 
西島雄造

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追憶

 『追憶』は大きな収穫である。『樹の海』(2005)『グラスホッパー』(2015)などでタッグを組んできた瀧本智行と青島武の原案・脚本、撮影は木村大作、音楽千住明。そして監督はことし82歳の降旗康男。1966年に『非行少女ヨーコ』で映画監督としてデビュー後、『駅STATION』『鉄道員』『少年H』、高倉健の遺作でもある『あなたへ』などを手がけ、今作が49作目。出演者も含め、いま邦画で考えられる最高の布陣である。
 舞台は主として富山。3人の親に恵まれない子どもがいた。喫茶店<ゆきわりそう>に身を寄せ、店を営む涼子(安藤サクラ)を親のように慕っていた。だが、不幸な出来事が起こって3人は離れ離れになり、人に言えない秘密を抱いて成長した25年。富山県刑事四方篤(岡田准一)、能登・輪島で土建業を営む田所啓太(小栗旬)、東京でガラス店の婿養子になった川端悟(柄本佑)。3人が再会を果たすが、思いがけない新たな事件が展開する。殺人の被害者と容疑者、刑事。それぞれがささやかな幸せを夢見ているのに、運命は容赦しない。人にはほぐしたくなくとも、ほぐさなければならないしがらみがある。記憶をひも解けば古傷にたどりつくこともある。3人をつないだ絆は幸せをもたらすのか。
 カット、カットの映像が、こよなく美しい。冒頭の海鳴りが聴こえるような場面、降りしきる雪、夕照、満開の桜、見晴るかす連山、たたきつける雨…カメラを持つ木村大作、すでに喜寿。自然のとらえ方が輝くのは自然に対する憧憬、尊厳の気持ちがあるからこそだろう。音楽が心象を奏でる。演技にも目を見張る。岡田准一、小栗旬、驚くほど成長を遂げた柄本佑。吉岡秀隆、安藤サクラ、長澤まさみ、木村文乃、それぞれ説得力のある演技だ。中身の濃い99分、降旗監督には50作目をぜひとも撮ってほしい。
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カフェ・ソサエティ

 ニューヨークのユダヤ人家庭で育ったボビー(ジェシー・アイゼンバーグ)は、刺激を求めて叔父のフィル(スティーヴ・カレル)を頼りロスアンジェルスにやってくる。ハリウッドで大物エージェントとして辣腕を振るっている叔父の周りは、今をときめく映画界の重鎮やスターたちが取りまき、ボビーは心が躍る。手始めに与えられた仕事は雑用係だったが、覚えめでたくステップアップしてゆく。『カフェ・ソサエティ』の始まりだ。
 叔父の事務所で秘書のヴェロニカ(クリステン・スチュワート)を見初める。彼女には恋人がいた。相手は25年連れ添った妻と離婚すると言いながら煮え切らない。その恋人がボビーの叔父とは。付き合っているうちにヴェロニカもボビーに気持ちが傾き、結婚してニューヨークで暮らそうと語り合うが、フィルが離婚を決意したことで二人は別れる。場面は変わりボビーはニューヨークに舞い戻る。ギャングの兄ベン(コリー・ストール)が経営する評判のナイトクラブで働きはじめ、気が付いたらクラブの顔にのし上がっていた。
 96分で描く概略はこんなところ。ウディ・アレン監督の会話術は、相変わらずよどみなく退屈する暇はない。そのうえ数々の名曲のオンパレード。「恋はラブソング」というセリフ(字幕)がある。実際のセリフは<恋はロジャース・ハート>。知る人ぞ知るブロードウェイの帝王リチャード・ロジャース(1902-1979)とロレンツ・ハート(1895-1943)の名コンビ。二人ともユダヤの家系で、ニューヨークのコロンビア大学を出ている。二人で作ったミュージカルの舞台は28、歌曲は「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」など500と言われる。ニューヨークの46番街にはリチャード・ロジャース劇場もあるほどだ。作中、「レディ・イズ・ア・トランプ」「マンハッタン」「マイ・ロマンス」「小さなホテル」などがノスタルジックに流れる。いずれもロジャースとハートのコンビによるものだ。
 瞬時挿入される曲「ストリート・シーン」は、20世紀FOX最初のシネマスコープ映画『百万長者と結婚する方法』(1953、上映は第2作『聖衣』が先)の幕開きで、アルフレッド・ニューマン(1900-1970)がニューヨークの夜景を背に指揮を振った。まさにハリウッド黄金期の作曲家で、両親はウディ・アレンと同じユダヤ系ロシア移民。映画のなかでグロリア・スワンソン、グレタ・ガルボ、バーバラ・スタンウィック、へデイ・ラマー、ジョエル・マックリー…と往年の大スターの名前が散りばめられるが、最初に出てくる、アメリカ映画史に残るギャング映画の名作『暗黒街の顔役』(ハワード・ホークス監督1932)の主役ポール・ムニ(1895-1967)や、今作の主役のジェシー・アイゼンバーグ、コリー・ストールも同様で、まるでウディ・アレンが描くハリウッド・ユダヤ図鑑を見るようだ。それほどハリウッドやブロードウェイに浸透し、影響力を保っているのだろう。女性にはクリステン・スチュワートとブレイク・ライブリーがまとうシャネルのドレスやアクセサリーが目の保養になろう。ナレーションをつとめるウディの次作は、1950年代のニューヨークを舞台に、ケイト・ウィンスレット主演で『Wonder Wheel』が予定される。
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パーソナル・ショッパー

 『パーソナル・ショッパー』(オリヴィエ・アサイアス監督)はオカルト風味のサスペンス・ミステリー。前述の『カフェ・ソサエティ』ではヴェロニカ役のクリステン・スチュワートが、ここでもとびきり美しい。世界を飛び回って忙しく活躍し、買い物をする暇もない著名人に代わり、モウリーンはパリのシャネルやカルチェで、ドレスからアクセサリーまで豪奢な買い物をするのを仕事にしている。買い物の主はキーラ(ノラ・フォン・ヴァルトシュテッテン)、メモで必要なものを指示し、気ままで一方的に振る舞う。キーラが住む豪壮な邸宅の合い鍵を渡され、自由に出入りしているモウリーン。
 彼女には双子の兄がいたが、3か月前に心臓発作で他界した。その思い出から解き放されないでいる。二人は、どちらかが先に死んだら、残されたものにサインを送る約束をしていた。ここから話は降霊術に傾斜してゆく。フランスではことに19世紀に流行り、「レ・ミゼラブル」を書いた文豪ヴィクトル・ユーゴーも、ナポレオン三世に追放されて1851年、パリからベルギー、そしてジャージー島に亡命した19年間に、降霊術に関心を抱いている。「ヴィクトル・ユーゴーと交霊術」(稲垣直樹・水声社)といった著作もあるほどだ。「肉体は死んでも魂は死なない」と、霊媒の力で死者と交流する。
 やがてモウリーンの携帯に差出人不明のメールが届き始める。まるで彼女の一挙手一投足を身辺で監視しているような内容だ。さまざまな命令まで下す。現実と非現実の間で、ありそうにもないストーリーが、あるがごとく描かれる奇妙な展開。終幕でキーラが殺される。犯人はだれか、メールの送り手は…。
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ジャン・コクトー監督「美女と野獣」
 
 『美女と野獣』といえば、古い映画ファンならジャン・コクトー(1889-1963)のモノクロ作品(1946)を思い浮かべるだろう。ジャン・マレーが扮した野獣の隠しきれない愛や悲しみをたたえた表情は魅力的だった。詩人の監督らしい幻想的で神秘的、古色でときにシュールな城内の描写とともに、恋愛至上をうたい上げた。コクトーは映画に手を染めるに際し、クレジットには記されていないが、若いルネ・クレマン(1913-1996)を共同監督に据えている。クレマンはすでに数々のドキュメンタリーを残し、第二次世界大戦中の鉄道労働者のレジスタンスを描いた『鉄路の闘い』(1945)で、カンヌ国際映画祭の国際審査員賞と監督賞に選ばれている。撮影は『鉄路の闘い』『海の牙』(1946)などでもクレマンと仕事を共にしてきたアンリ・アルカン(1909-2001)。
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美女と野獣

 さて現代の『美女と野獣』はウォルト・ディズニーがミュージカルに仕立て上げたファンタジーだ。森の奥深くにたたずむ城に美しい王子が棲んでいた。或る日老女が訪れ、一輪の薔薇を差し出して一夜の宿を願うが、王子はにべもない。老女は「見かけで人を判断すると真実が見えなくなる」と言い、城のあらゆるものに魔法をかけ「人を愛し、愛されるまで魔法は解けない」と言い残して立ち去った。
 監督はビル・コンドン。『シカゴ』(ロブ・マーシャル2002)では脚本、『ドリーム・ガールズ』(2006)で監督をつとめている。音楽は『リトル・マーメイド』(1989)『アラジン』(1992)『ノートルダムの鐘』(1996)などで、アカデミー作曲賞や歌曲賞に常連のアラン・メンケン。演じるのはベルにエマ・ワトソン、『ハリー・ポッター』シリーズやモデルとしても知られる。野獣にはダン・スティーヴンス、そして魔法をかけられティーポットになったエマ・トンプソンや燭台になった給仕頭のユアン・マクレガーら。洋服ダンスやティーカップ、飾り時計をはじめ擬人化した家具や調度の扱いがディズニーの本領。
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メッセージ

 『メッセージ』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)は両親が中国から移民したアメリカのテッド・チャンのSF短編「Story of Your Life=あなたの人生の物語」が原作。宇宙大戦争が展開するわけではない。映画の原題は『Arrival=到着』。日本題は秀逸だ。或る日、巨大な飛行体が地球の12か所に飛来する。言語学者のルイーズ(エイミー・バンクス)が講義中の教室で、生徒たちの携帯電話が鳴りだし変異を伝える。アメリカのモンタナでも、唇を縦に見たような形の奇妙な飛行体が浮遊していた。
 どこから、どうやって飛来してきたのか。南米、中国、日本…各地でパニック状態を引き起こし、中国は攻撃を企てる。映画のキーワードはまさにメッセージ。エイリアンが地球に発するメッセージを解読するため、言語学者のルイーズと数学者ドネリー(ジェレミー・アイアンズ)、米軍大佐ウェーバー(フォレスト・ウィテカー)が特殊任務を命じられる。へプタポッド=Heptapod(Heptaは数字の7、podには豆のサヤ、飛行機の胴体といった意味もある)の相手、異なる文明同士の最初の相互接触=ファースト・コンタクトは、いかなる結末を生むか。とても哲学的な命題を描きこんでいる。最後は世界が協調する。これは監督からの未来を暗示するメッセージでもあり興味深い。カナダ出身のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督には『ボーダーライン』(2015)などがあり、今秋公開予定のハリソン・フォード、ライアン・ゴズリング主演『ブレードランナー2049』が待たれる
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ノーエスケープ 自由への国境

 『ノーエスケープ 自由への国境』(ホナス・キュアロン監督)はメキシコとフランスの合作。セリフは少ない。ときに手持ちカメラの映像でたたみかける。摂氏50度の熱暑の荒涼たる土漠が果てしなく続く。大地をいろどるのはメキシコ特有のカクタス=サボテンとガラガラヘビ。危険な住環境のメキシコからアメリカへ亡命するようにと母親に言われた娘もいる。鉄条網を切断してアメリカへ続く国境を越える。不法移民がアメリカ人から仕事を奪うと、大統領選で強調したトランプ大統領の言葉通りと言えなくもない。
 車がエンストし越境者たちは歩き始める。そこで出くわしたのは、いわれなき愛国者とも思える白人。目には憎しみと残酷さが宿っている。ライフル片手に獰猛な犬を連れて車で追いかけ撃ちまくる。はじめは10数人いた越境者が次々に命を落とす。犬に喉を食いちぎられた男もいる。88分のなかで今そこにある現実を描いた優れたサスペンスである。
 監督は『ゼロ・グラビティ』で第86回アカデミー監督賞を手にしたアルフォンソ・キュアロンの長男。第89回アカデミー外国語映画賞に、メキシコから選ばれた。主役のガエル・ガルシア・ベルナルは『モーターサイクル・ダイアリーズ』(ウォルター・サレス監督2003)や『バッド・エデュケーション』(ペドロ・アルモドバル監督2004)などにも出演しているメキシコを代表するスターだ。
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シチリアの恋

 『シチリアの恋』(4月22日)の監督は台湾のリン・ユゥシェン、主役は日本でもなじみ深い韓国のスター、イ・ジュンギ、相手役はチャン・イーモウ監督の『サンザシの樹の下で』(2010)でデビューしたチョウ・ドンユイ。中国に留学した韓国のジュンホは、カフェで見初めたシャオヨウにアタック。大学が同じということもわかり上海で同棲を始める。ところが3年が経ってシャオヨウが脳の病で余命半年とわかり、ジュンホは心ならずも別れ話を持ち出しイタリアへ。ほどなくジュンホが山で滑落し死亡の悲報がシャオヨウに伝わる。二人の愛はどうなるのか。病気をからめた悲恋を定石通り一所懸命に描いている。シチリアの風景が彩り。チョウ・ドンユイは美人ではないが、普通らしさがいい。
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八重子のハミング

 超高齢化の時代である。『八重子のハミング』は主題の選択に間違いはない。だが、日本人の多くが直面していることだけに、手ごわい主題でもある。石崎誠吾・八重子夫婦はともに教師をしてきた。妻の八重子が若年性痴ほう症となるばかりか、夫はガンを発症し四度の入退院生活を繰り返す。原作は映画の舞台にもなる萩市の金谷天満宮の宮司でもある陽(みなみ)信孝著「八重子のハミング」。金谷天満宮は鎌倉時代に創建され、秋の大祭は萩の二大祭りに数えられ、周辺には椿が咲き誇る。
 妻の記憶が次第に薄れ、自立もままならない日々が始まってからの12年間、4000日の介護生活が描かれる。佐々部清監督が主題にほれ込んだが、大手映画会社に受け入れられず、7年間をかけて実現させたという。映画にはその思いが深く込められているが、7年の間にも高齢化の状況は大きく変わっており、国民一人一人が背負っている課題は少なくない。仕事と介護の両立、経済的な破たん、介護される側とする側の感情的な対立や齟齬。現実に親殺し、夫婦殺しの事件があとを絶たない。八重子はなぜ若年性認知症になったのだろうか。映画は夫婦愛に絞っているだけに、甘くなるところもある。節々に講演活動を挟んだ分、リズムが失われ冗長にもなっている。秋の例祭などを描くメリハリもあればよかった。
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PARKS

 1917年に開園した東京近郊の井の頭公園を舞台にした『PARKS』(瀬田なつき監督)は橋本愛、永野芽都郁、染谷将太で青春物語。1枚のオープンリールのテープから、50年前に収録されたラブソングが見つかった。テープの不具合で終わりが聞き取れない。続きをつくろうと始める3人。曲の行方は…。
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猫忍

 『猫忍』の題名からC級時代劇を想像したが、しっかりした作りで面白い。時代劇のしつらえ、俳優陣、立派に整っている。今風若者言葉で笑わせる。忍者の大野拓朗、佐藤江梨子、藤本泉に柄本明、船越英一郎まで、まじめに演じている。渡辺武監督はテレビで同じジャンルの時代劇を撮ってきた。
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バッド・バディ!

 『バッド・バディ!』(パコ・カベサス監督)はアナ・ケンドリックとサム・ロックウェルにティム・ロス。「私とカレの暗殺デート」は苦肉の副題、原題は『Mr.Right』。失恋常習の女と殺しを依頼する人間を逆に狙い撃ちする“逆殺し屋”とのロマンチック・コメディ。
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安曇野発 信州村めぐり

安曇野発 村めぐり 36総集編



加藤 雅博


 明治以来、様々に市町村の合併が進められてきました。その中でも平成の大合併は、「村」をなくして市・町ㇸと“格上げ”する傾向が強く、明治22年ごろ1万5820あった村が、平成26年には183村へと実に100分の1近くまで減ってしまいました。自治体として「村」の存在しない都道府県も今では⒔県になってしまいました。
 
現存する村183のうち、35村が長野県ともっとも多く、2位の沖縄県19、3位の福島県・北海道の15村を大きく引き離したダントツのトップです。因みに平成26年4月現在、全国で市は790町は745。市町村の総計は1,718となります。
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長野県の35村の位置地図 

(上の地図も写真も画像をクリックすると拡大してご覧になれます)
 
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村役場集合画像①
 
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村役場集合画像②

日本で一番村の数が多い長野県。ここ4年ほど、「安曇野発」として35村すべてをめぐり、紹介してきました。当然のことながらそれぞれの村の成り立ちの歴史や環境や構成する人びとの違いによって、どれ一つとして同じではない個性的で、変化に富んだ村の姿がありました。
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筑北村の修那羅峠の石仏群
 
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天龍村飯田線の秘境駅 

東北大震災の13時間後に発生したマグニチュード6.7の地震が見舞われ、1,800人が避難生活を余儀なくされた栄村。2年半前の秋、御岳山の大爆発で58人が死亡するという戦後最悪の火山事故に見舞われた王滝村。平成26年(2014)の年末、マグニチュード6.7、震度5強を記録した「長野県神城断層地震」に襲われた白馬村…と村めぐりの期間は各種の災害に襲われた時期とも重なることになり、印象深いものともなりました。
 
改めて長野県をざっと眺めると、人口が最も少ないのは平谷村の457人(2015年国勢調査)で全国183村中12番目の少人数、次いで売木村が606人で15番目、北相木村774人で24番目、王滝村829人で27番目です。逆に多い人口順では南箕輪村が15,063人で全国の村の中で7番目の多さ。次いで松川村の9,948人13番目、白馬村の8,929人、17番目、宮田村の8,821人、18番目などとなっています。
 
一方、村を面積という観点で眺めると、もっとも広いのは王滝村の311平方キロで東京都区部の半分。都区部の人口938万人に対して829人ですから人口密度の薄さは想像を絶します。次いで小谷村268平方キロ、大鹿村248平方キロ、大桑村234.5平方キロ。
 
逆に狭い順では山形村の25平方キロ(台東区と墨田区を併せた程度)、麻績村34平方キロ(杉並区とほぼ同)、下條村38平方キロ、生坂村39平方キロ(いずれも江東区とほぼ同)など狭いとはいっても過疎の山国県の広さが際立ちます。
 
長野県の人口はさほど多いとはいえませんが、長寿の点では大いに誇るべき点があります。まず松川村は男の長寿ランキングで全国自治体の中で1位、82.2歳、阿智村81.8歳で10位、筑北村81.7歳で14位、栄村81.5歳で21位、青木村81.4歳で27位、南箕輪村81.3歳で31位と高位を占めています。女の長寿ランキングは、大桑村87.9歳で全国20位、宮田村87.8歳30位とこちらはまずまず平均的。
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安曇野2017年春
 
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日本最高積雪地点の記録のある栄村

ただ、この長寿は社会の老化と裏腹の関係にあり、15歳~64歳の生産年齢に比べて、65歳以上の割合が多くなり超高齢化社会、やがて限界集落へと進みかねない危険性をはらんでいます。2010年現在の全国市町村の65歳以上の割合についてのランキングでは、天竜村が54.07%で全国3位、大鹿村が51.55%で8位、栄村が46.19%で23位、根羽村が44.91%で28位、売木村が44.66%で29位と長野県の5村が50位以内に入っています。
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山形村の新名物「ヤマッチ蕎麦」

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豊丘村のシンボルマツタケのモニュメント

その反対に割合の少ない方から南箕輪村19.84%でランキングは1722位、山形村22,56%で1398位、川上村は22.99%で1349位、白馬村23.50%で1289位、宮田村24.57%1164位。長野県全体が26.52%、全国で11位と高位につけていることも含めると今後の老化社会と限界集落への対策が重要な課題として浮かび上がってくる予感がします。
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上高地で開かれた17年の開山祭 

村めぐりの企画のおかげで、県内を隈なく走ることができました。起伏と季節の変化に富んだ長野県の様々な表情を反映した村は当然のことながら、成り立ちの歴史や環境や構成する人びとの違いで、どれ一つとって同じということはない個性に満ちていました。
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青木村の国宝「大宝寺の三重塔」

国宝「大宝寺の三重塔」と寄進された表情豊かな石仏や石像を擁しする一歩で百種一揆が日本一で「義民の里」とも称せられた青木村、「かぶと造り」の中二階建ての大型民家群と棚田が特徴的な白馬村青鬼(あおに)地区、安曇野に劣らず数多くの道祖神に囲まれた長芋の里、山形村。
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珍しい蜂の博物館がある中川村
 
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村立の「アンフォルメル美術館」のある中川村

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リニアモーターカーの姿が見られる喬木村

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ペンション村の走りとなった原村

全国的にも珍しい村立の「学校美術館」を維持している泰阜村と独自の村立美術館を運営している中川村。日本でもペンションの先駆けとなり、」やはり村立美術館を持つ原村。村の出身者・児童文学者椋鳩十を誇りとし、新世紀の乗り物「リニアモーターカー」の走る姿を楽しみにする喬木村。第二次大戦で他県に勝る数多くの開拓団を大陸に送り込み、2年前、ようやく「満蒙開拓平和祈念館」を開設した阿智村。
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奇祭「暴れ神輿」が人気の宮田村

「田舎暮らしの本」という雑誌の最新号で、「住みたい田舎」ベストランキングで全国一に選ばれた宮田村が村は、毎年新作するヒノキの神輿を最後にバラバラにしてしまう「あばれ神輿」として知られる奇祭の村としても有名です。また、財源をぎりぎりまで削り、「若者定住促進住宅」を増設し、他の自治体にない子育て支援策を打ち出して若年層の流入が増えている下條村は、全国の自治体関係者から「奇跡の村」と呼ばれています。
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信州の郷土食「お焼き」で知られる小川村
 
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村歌舞伎としてな高い大鹿村
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秘湯の一つ馬曲温泉のある木島平村
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円筒分水装置が数多くある南箕輪村
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塩の道、千国街道が通過する小谷村
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御岳の爆発溶岩でできた王滝村の自然湖
一つの渓谷沿いに8つの温泉が点在し、「湯つづきの里」をうたい文句にし、小林一茶にゆかりの深い高山村と算額と和算書が数多く残され、和算研究が盛んで秘湯「馬曲温泉」でも名の知られる木島平村、信州の郷土食「お焼き」を村挙げて名物に育てた小川村などなど、いずれも、その魅力と見所や特質を通り一遍で紹介することはとても困難です。いくつかの村はリピーターとして今後もチャンスを見つけて訪れたいところです。   そもそも県内の村めぐりを思いついたのは、25年ぶりでUターンしてきた故郷で進む自治体の合併話と、生まれ育った村の名前が消えてしまったことに対する郷愁がきっかけでした。今後もっと消滅することになるだろう村を、いまのうちに見ておきたいという強い気持ちもありました。
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BS日本テレビの『小さな村の物語 イタリア』
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テレビ画面から

その発想のヒントになったテレビ番組があります。BS日本テレビの『小さな村の物語イタリア』です。
 
イタリアの小さな村。ここで命が生まれ、恋が芽生え、始まりも終わりも大地に包まれてきた。よく笑い、よく食べ、よく遊ぶ。わたしたちが忘れてしまった素敵な物語。人生のすべてがそこにあるーー。毎土曜日午後6時から、個性派俳優、三上博史のナレーションで始まる紀行・ドキュメンタリーで、2007年10月に第1回が放送され、まもなく250回を超え、根強いファンに支えられている長寿番組です。

毎回イタリアの田舎の小さな村が紹介されますが、そこに暮らす人々の、気候や風土に生活リズムを合わせ、家族や友人や地域を大事にし心豊かに暮らす、ありのままの日常の姿をカメラに収めた大変上質な映像と内容です。そこには人間本来の暮らしがあり、ともすれば忘れられがちな「美しく暮らす」「美しく生きる」という意味を、背景に流れるカンツォーネの調べとともにそっと伝えてくれます。
 
日本とは簡単に比較できませんが、イタリアの地方制度は、州(15の普通州と5の特別州の合計20州)、県(110県)、コムーネ(8,101市町村)と3層構造となっています。人口規模は日本の約半分であるものの、地方自治体の県やコムーネ数が多く、規模が小さくとも自治組織としての歴史が長く、安定していることを物語っています。
 
毎回紹介される小さな村は、日本の村の中の一集落と同じくらいの規模です。決して特別ではない普通の村人たちの生活ぶりを眺めると安らぎと強い共感を覚えすにはいられません。ぜひ一度ご覧になってみてはいかがでしょう。(終わり)

                         
 

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 安曇野 無頼庵
  加藤 雅博
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共通テーマ:旅行

中高年の「元気が出るページ」2017年5月号                   ①うにのおうちごはん歳時記第8回 空豆とツタンカーメン豌豆 山田うに       ②安曇野発 信州村めぐり 35 下伊那郡豊丘村 加藤雅博             ③184回シネマトーク『秀作『追憶』、降旗康男監督に50作目を期待』西島雄造

<うにのおうちごはん歳時記>


毎日いただくおうちごはん。春夏秋冬、季節の彩りにあふれた食材や料理を取り上げて食の歳時記として連載します。

写真と文:山田うに


編集者・トラベルライター。よみうりカルチャーの野外講座・料理教室講師。ほかに『大人のカルチャーガイド』で美術館・博物館の企画展案内などを執筆。


第 8 回 5月 空豆とツタンカーメン豌豆


(※PH1 空豆 (1024x768).jpg

(空豆)

空豆はサヤから剥いた実も売られていますが、どんどん鮮度が落ちるので、サヤ入りのものを求めたい。この季節は塩茹でが一番です


 「豌豆は蛋白質弐割弐分、脂肪二分、含水炭素五割あり。滋養の功蚕豆(そらまめ)に亜(つ)ぐ。」
 明治時代のベストセラー、村井弦斎の『食道楽』「春の巻 第30 万年スープ」の中に空豆と豌豆の記載があります。ちなみに“万年スープ”とは主人の中川が朝鮮料理の牛頭スープから思いついてアレンジした牛骨スープのこと。火鉢やストーブの火に鍋をかけ、スープを煮出すと4、5日目から大変おいしくなって、これを食べると普通の牛肉スープや鳥スープは食べられんね、と自慢します。

 さて空豆は前述のように蚕豆とも書きますが、これはサヤの形が蚕の形に似ているからとも、養蚕の時期に成熟するからともいわれます。もとは北アフリカの原産で、渡来したのは中国を経て天平8年(736)のことと伝えられます。『和漢三才図会』には「四月、わかき莢豆を取りて煮て食ふ。五月に熟す。豆を収り、炒るべし、煮るべし、未醤につけるべし、飯に拌(かきま)へて食ふべし、並に塩を得て味良し」とあります。未熟果と完熟の乾燥果をいただく場合があり、初夏に出回る未熟果は塩茹でにして酒やビールの充てでおなじみです。完熟果は煮豆や煎り豆、醤油豆、フライビーンズ、甘納豆の原料になります。ふっくらとしたゆりかごのようなサヤの中に3粒、4粒と収まっており、新鮮なうちに塩茹でします。旬は4月から5月で、大相撲の東京5月場所にはこの空豆と焼き鳥がお土産の定番になっています。なぜかこの豆、雷が嫌いで、実りの時期に雷鳴があると不作になってしまう、と清水桂一氏はその著書『たべもの語源辞典』で紹介しています。

 豌豆は中央アジア、中近東が原産。わが国の豌豆は在来種と外国種があり、現在はおよそ3万トンが輸入されています。若いサヤを食用にするのがサヤエンドウ、若い種子を食用にするのがグリーンピース、そして実取り豌豆と呼ばれる完熟豆は煮豆、塩茹で、塩入豆などでいただきます。実取り豌豆の色は緑、赤、褐色の斑、黄白色など様々です。
 この豌豆に“ツタンカーメン”という品種があります。古代豌豆といわれるこの豆は、濃い紫色のサヤで、その名の通り古代エジプトの王ツタンカーメンの墓から出土した豆の子孫と伝えられます。ツタンカーメンは紀元前14世紀、エジプト王朝第18代の王で、前王の始めた新宗教を廃して代々のアモン神の崇拝に立ち返り、都をテーベに戻しました。わずか18歳で夭折したこの王の墓は、1922年、イギリスの考古学者H.カーターによって王家の谷で発見されました。墓は盗掘を免れており、大変豪華で美しい副葬品がほぼ完全な形で発見されました。副葬品の中には当時のエジプト人の食卓に並べられたものもあり、そこにあったのが豌豆の種子だったのです。カーターはその種子を持ち帰り撒いてみるとなんと発芽し、栽培に成功したといわれます。わが国で有名な大賀ハスのエピソードを思い起こさせます。2500年も前の豌豆の種が発芽するのだろうかと疑問もわきますが、それはともかくロマンあふれる逸話です。日本には1956年にアメリカから伝わり、古代エジプトゆかりの豌豆ということで学校などの教育施設を中心に広まったといいます。
 ツタンカーメン豌豆は普通の豌豆と同じようにいただきますが、豆ご飯に炊くと、炊き上がりは薄いグリーンの豆なのですが、しばらく保温しておくと豆ごはんがうっすらと赤みを帯びるのです。その生い立ちも食べる時も、なんとも不思議なことどもを身にまとった豆ではあります。

(※PH2 ツタンカーメン豌豆 (1024x735).jpg

(ツタンカーメン豌豆)

サヤの色が濃い紫のツタンカーメン豌豆。これは私の野外講座の受講者の方からいただきました
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(炊き込みご飯)
ツタンカーメン豌豆を炊き込みご飯にしました。思ったような赤色に変わりませんでした。保温時間が短かったのかもしれません。左の小鉢は温泉玉子、奥は越後の味噌漬けです
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(餡かけ)
グリーン鮮やかな豌豆を塩茹でにし、椎茸の餡をかけました

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共通テーマ:グルメ・料理

中高年の「元気が出るページ」2017年4月号                    ①うにのおうちごはん歳時記第7回 春の筍 山田うに                ②安曇野発 信州村めぐり 35 下伊那郡豊丘村 加藤雅博             ③183回シネマトーク『ムーンライトに青く染まった』 西島雄造

(((183回 シネマトーク))))

【ムーンライトに青く染まった】

 西島雄造

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「ムーンライト」

 『ムーンライト』のアカデミー作品賞受賞は、2017年のトランプ時代のアメリカを映し出した。物語を始めるのは米フロリダ州マイアミの北部、Liberty Cityの海辺に暮らすストリート・キッズたち。同じ黒人同士がニガー、ブラック、おかまと、差別的な言葉を浴びせ合いながら、いじめを日常化していた。母親のポーラ(ナオミ・ハリス)と二人で暮らすシャロンもまた、学校では“リトル=チビ”といじめられていた。ある日、悪ガキに追い詰められたところを、コカイン取引でボスと呼ばれているファン(マハーシャラ・アリ)に助けられる。父親のないシャロンはファンになつき、彼の家に出入りするようになる。
 第二章でシャロンは高校生。母親は薬物に依存し、からだを売って日銭をかせいでいた。ファンはすでに他界していたが、その恋人のテレサは変わらずシャロンに気を配っている。ある夜、シャロンはただ一人気を許していた仲間のケヴィンと、夜の浜辺で友情に満ちた言葉を交わし、ごく自然に性的な感情をあらわにしたのに、そのケヴィンが仲間にけしかけられシャロンをこっぴどく打ちのめす。
 そして第三章。たくましく成長したシャロン(トレヴァンテ・ローズ)は、アトランタで麻薬を売りさばくいっぱしの男になっていた。ケヴィン(アンドレ・ホーランド)から電話があり、マイアミで食堂をやっているから来てほしいと誘われる。しがない食堂で再会した二人は、ケヴィンが選曲したジュークボックスで奏でられる「Hello Stranger」に聴き入る。
 ♪Hello, Stranger It seems so good to see you back again―また会えてよかった…。バーバラ・ルイスが1968年に歌った佳曲だ。二人の心は昔に戻った。月光が波間を照らした。海は悲しみを飲み込んでくれる。作品のもとになったのは、やはりマイアミ出身のタレル・アルバン・マクレイニーの脚本『In Moonlight Black Boys Look Blue―月光を浴び黒人の少年が青く染まった』。これは愛の物語である。マハーシャラ・アリは今年のアカデミー賞助演男優賞を、マイアミ出身のバリー・ジェンキンスは脚色賞も手にした。
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わたしは、ダニエル・ブレイク

 第69回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールに輝いた『わたしは、ダニエル・ブレイク』は、イギリスの今を描いた奥の深い作品だ。ダニエル・ブレイクは、どこにでもいる小市民。59歳になるまで40年の間、大工一筋に働き、きちんと税金を納めてきた。残りの人生にたどり着いて妻の介護が始まり、その妻にも先立たれ、自分も心臓を病み働けなくなる。

 国の雇用支援手当を受けるが、継続審査の結果は就労可能により手当は中止の通知書が届く。職業安定所を訪れたとき、パソコンの使い方に助けを求めてケイティと知り合う。18歳で男とかかわり、二人の男との間に娘と息子をもうけた若い母親。ロンドンの住まいを追い出され、ホームレスの宿泊所で2年間、暮らした末、ダニエルが住むニューカッスルのアパートに移転してきた。自分が食べる分を子どもに与え、空腹に耐えかねフードバンクに飛び込む。市場に出せなくなった食品や日用品を配布する慈善団体だ。
 ダニエルとケイティはいつしか親子のような情で結ばれるのだが…。ケン・ローチ監督としては『麦の穂を揺らす風』(2006)に続く二度目のパルム・ドール受賞。つねに社会主義的な生き方に目を注いでおり、前作『ジミー、野をかける伝説』(2014)では実在の人物ジミー・グラルトン(1886-1945)を描いた。アイルランド共産党のリーダーでアメリカに移民するが、再び祖国に戻り活動に人生をささげた。原題『Jimmy’s Hall』にある通り、ダンスホールが舞台になる。また2016年には労働党の党首選で勝ち抜いたジェレミー・コービンのドキュメンタリーを撮影している。もっとも影響を受けた映画にヴィットリオ・デ・シーカ監督(1901-1974)の『自転車泥棒』(1948)を挙げている。
 このような背景を頭に置いて『わたしは、ダニエル・ブレイク』を見ると、理解の助けになるかも知れない。イギリスはデイヴィッド・キャメロンの保守党が政権を担ってから、緊縮財政と増税を進める。カップルが寝室を一部屋以上持っていると、残りの部屋は空き室とみなして寝室税を徴収した。雇用生活補助手当などを簡素化し、受給者の職安での面談を義務づけ、就労を促進することで所得を増やさせる。理由を問わず遅刻するとペナルティを課した。諸手当を凍結したり廃止したりした結果、貧困線以下の国民が増え、住居費を払えずホームレスとなり、フードバンクに群がる現実。
 ジェレミー・コービンもまた、デイヴィッド・キャメロン政権による公共部門と福祉予算のカットを基に戻すことを主張している。ダニエルは叫ぶ「私は犬ではない」と。ケン・ローチ監督と仕事を共にしてきたポール・ラヴァティの脚本も監督の演出も事実を直視している。お役所仕事の怠慢ぶりには見ていて腹が立つ。地上にはダニエルと同じような憂き目にあっている人間が少なくないと言いたげだ。日本も例外とはいえないだろう。ダニエル役のデイヴ・ジョーンズとケイティのヘイリー・スクワイアーズが好演している。
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 ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命

 1963年11月22日(日本時間11月23日)、衝撃のニュースが世界を駆け巡った。筆者は朝刊の最終版を終え、銀座にあった新聞社の仮眠室で横たわっていた。翌朝6時からジョン・F・ケネディ米大統領の演説が、世界に向けて初めて宇宙中継される予定だったからだ。ほどなく重大ニュース発生のチャイムが鳴り響き、事件の一報が伝わった。
 『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』の発端でもある。ジャクリーン・リー・ブーヴィエ、ニューヨーク州ロングアイランドの裕福な家庭で育ち、17歳で社交界にデビュー。ケネディ兄弟の友人のパーテイ―で下院議員だったジョンと出会い、1953年9月に結ばれた。1961年1月20日、夫が第35代アメリカ合衆国大統領に就任しファーストレディとなるが、その座も夫の悲劇的な死で、2年10か月という短い歳月に終わった。
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ダラス空港に降り立ったケネディ夫妻(シャネルスーツ)

 テキサス州ダラスに降り立った夫妻は、オープンカーでパレードに臨むが、凶弾が夫の頭蓋を射抜く。ジャックリーンも血まみれになりながら夫を抱きかかえる。晴れがましい瞬間から転げ落ちたジャッキー。弟のロバート司法長官(ピーター・サースガード)と、夫の遺体をホワイトハウスに連れ帰る。ノア・オッペンハイムの脚本は事実にそってジャッキーを描く。ホワイトハウス内をツアーするテレビ番組(『A tour of the White House』=1962年2月14日放送)への出演、部屋の模様替え、パブロ・カザルスの演奏会…。
 最後の使命とは何だったかは映画で見てもらおう。ケネディ大統領が凶弾に倒れたとき、ジャッキーが羽織っていたシャネルスーツと帽子は、ファッション界の話題になった。ジャッキーがくちずさむ「キャメロット」は、1960年12月からブロードウェイにかかったミュージカルで、大統領のハーバード時代の級友アラン・J・ラーナーが作詞している。ジャッキーに扮するのはナタリー・ポートマン。夫の死後ジャッキーは1963年10月20日、20世紀最大の造船王といわれたギリシャのアリストテレス・ソクラテス・オナシス(1906-1975)と結婚。1994年5月19日、64歳の生涯を閉じた。
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モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由

 『モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由』は複雑な心のうごきが絡むフランスらしい恋愛映画だ。監督はリュック・ベッソンと結婚歴のあるマイウェン、これが監督3作目の長編になる。ヴァンサン・カッセルの相手をしたエマニュエル・ベルコは、第68回カンヌ国際映画祭で女優賞を獲得した。
 スキーを楽しんでいたトニー(エマニュエル・ベルコ)が転倒して、リハビリの施設に入り、10年前に戻って回想が始まる。有能な弁護士のトニーは知性と教養を身につけているが、女性としては目立たない存在だった。レストランを経営しているジョルジオは女性を喜ばせる手練手管に長けていた。この二人がぱったり再会し、ジョルジオは取り巻きの女たちとは違う平凡なトニーに魅かれる。関係が深まると、男は「君の子どもが欲しい」と言い出し妊娠して結婚するが、男のかつての恋人との三角関係となり…。
 愛は感情のしがらみ、しがらみがさらに愛を深め、ときに憎しみに変える。しがらみを解きほぐすのも愛に違いない。赤裸々で破廉恥で乱痴気な関係を繰り返す男と女。濃厚な性の描写の中で、わがままで勝手放縦だが情熱的で甘ったれな男を、ヴァンサン・カッセルが魅力的に演じている。
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キングコング 髑髏島の巨神

 『キングコング 髑髏島の巨神』が3月25日に封切られている。古い映画ファンにとって、キングコングは忘れ難い存在である。はじめて登場したのは1933年RKO社から。恐竜などが棲むSkull Island=髑髏島で捕獲されたコングがニューヨークに連れてこられ大暴れする。その後も手を変え品を変えスクリーンに。1976年版(ジョン・ギラーミン監督)ではジェシカ・ラングとジェフ・ブリッジスの共演で、舞台をエンパイア・ステート・ビルディングから、いまはない世界貿易センタービルに移す。同じ監督で1986年には『キングコング2』もある。
 今作も髑髏島から始まる。1973年、ベトナム戦線からアメリカ軍が撤退した年だ。NASA=米航空宇宙局が打ち上げた人工衛星が、髑髏型の未知の島を発見し、調査隊と軍隊が派遣される。島には巨大な蜘蛛やイカともタコともつかない悪魔のような水生動物、蝙蝠に似たサイコ・パルチャー…が棲息、さらには空洞の地底にはキングコングの宿敵スカル・クローラーがいた。蛇のようだが2本の脚を持ち長い尻尾を引きずっている。
 スカル・クローラーから原住民を守り続けていたキングコング。この宿敵同士の壮絶な格闘がクライマックスになる。体長31メートル余、体重158トン、手のひらの大きさ4.8メートルのコングの造形は見事だ。目には怒りや悲しみ、闘争心を宿す。出演はトム・ヒドルストン、ブリー・ラーソン、サミュエル・L・ジャクソン、ジョン・グッドマンら。監督はジョーダン・ボート=ロバーツ、<キングコング対ゴジラ>の企画も進められているという。
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パッセンジャー

 5000人を乗せた豪華宇宙船アヴァロン号が、120年をかけて新たな惑星へ移住を目指す『パッセンジャー』(モルテン・ティルドゥム監督)。目的地まではカプセルのなかで冬眠状態におかれるはずだが、乗客のジム(クリス・ブラット)とオーロラ(ジェニファー・ローレンス)が装置の故障で90年も早く目覚めてしまった。極限状態に置かれた二人の運命は…。第89回アカデミー賞の美術賞にノミネートされた宇宙船に一見の価値がある。無重力の中でプールの水が空中にあふれオーロラを飲み込むといったスペクタクル場面もある。
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T2トレインスポッティング

 『T2トレインスポッティング』(ダニー・ボイル監督)は奇妙に面白い。舞台となるエディンバラの街並みが美しい。原作はこの街生まれのアーヴィン・ウェルシュ。1993年に『トレインスポッティング』第一作でデビューした。映画(1996)も第一作と同じダニー・ボイルが監督、マーク・レントン役のユアン・マクレガー、スパッドのユエン・ブレムナー、シック・ボーイのジョニー・リー・ミラーらも同じ役を演じている。ヤクの取引で手にした大金を仲間と山分けするはずが、持ち逃げしていたマークが舞い戻り、昔の仲間と再会するが…。ユアンが生き生きと演じている。音楽も聴きどころ。
 スペインのアンダルシア地方はフラメンコの聖地である。セビリア、コスタ・デル・ソル、ミハスなどの地で、そしてアントニオ・ガデス(1936-2004)の諸作やスペイン国立バレエ団の「ボレロ」などに魅せられ続けてきたフラメンコだが、グラナダのアルハンブラ宮殿の彼方、サクロモンテの洞窟フラメンコは格別である。歯の抜けた父親がギターを弾き、母親が歌って、3人の娘たちが舞い踊る。家族の生活がにじみ出た舞台は感動的だった。
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サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコ

 ドキュメンタリー『サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコ』(チュス・グティエレス監督)が、その魅力のほとばしりを伝える。生きる糧のために魂を込めて舞う。1963年の洪水で洞窟は壊滅的な被害に遭ったが、差別と迫害の歴史を背負いながら、いまも魂は生き続けている。幼い子どもから年老いた男女まで、手を打ち歌い、ギターをかき鳴らし、足を踏む。ハレオ、カンテソレア、アレグリアス、タンゴ…フラメンコの作法を次々に演じ踊る。映画ではヒターノ=ジプシーと言っているのに、ロマと言い換えるのは歴史に背く。言い換えただけで差別がなくなるわけではない。
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ひるなかの流星

 『ひるなかの流星』(新城毅彦監督)は好ましい青春映画だ。両親がバングラディシュに赴任することになり、東京・吉祥寺の叔父の家に預けられることになった与謝野すずめ(永野芽郁)。東京の高校での日々が始まるが、地方で育ったすずめには目を見張るような新しいことばかり。ハンサムな担任教師(三浦翔平)、お洒落に熱心な級友たち。やがて教師に対するほのかな恋が芽生え、級友(白濱亜嵐)からも思いを寄せられる。
 「青い山脈」で戦後の青春小説に一時代を画した石坂洋次郎が、戦前の三田文学に連載した「若い人」も教師の間崎と教え子の江波恵子の恋情を描いている。1937年に豊田四郎監督、1952年には市川崑監督、池辺良、島崎雪子主演、62年には西川克己監督、石原裕次郎、吉永小百合で映画化された。『ひるなかの流星』に文学的な味は希薄だが、けれんのない演出はさわやかで、21世紀の「若い人」の印象を持った。永野芽郁はさまざまに見せる表情がいい。これから伸びていくだろう。ライバルを演じる山本舞香も溌剌としている。
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ひるね姫~知らないワタシの物語~

 『ひるね姫~知らないワタシの物語~』(神山健治監督)は作画がていねいで神経が行き届いており、陰影にも富む。最近のアメリカ産CGアニメがリアリズム指向なのに比べ、むしろ柔らかい色調とタッチの絵はほっとさせる。ストーリーに意外性があり、大スペクタクルで大団円となる。
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娘よ

 『娘よ』(アフィア・ナサニエル監督)は実話をもとにしているという。パキスタンとインド、中国の国境の山カラコルム。そのふもとの部族の若い母親(サミア・ムムターズ)の娘、10歳のザイナブが無法な結婚を強いられ、娘を守るため部族から離れて逃避する…パキスタン、アメリカ、ノルウエーの合作作品。昭和20年代の大映映画、三益愛子主演の母ものを思い出した。カラコルム周辺の風景が新鮮だ。
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レゴ バットマン ザ・ムービー

 ほかに『レゴ バットマン ザ・ムービー』(クリス・マッケイ監督)。デンマーク生まれの組み立てブロック玩具を駆使したアニメ。その発想と工夫が面白い。亀梨和也と土屋太鳳で『PとJK』(廣木隆一監督)。原作は三次マキ。Pが警官、JKは女子高生らしい。『夜は短し歩けよ乙女』(湯浅政明監督)は、アニメとはいえ物語の展開が幼い。昨今、アニメの秀作が少なくないだけに物足りない。絵作りはシュールだ。『ハードコア』はロシアとアメリカの合作、監督はロシア出身の新人イリヤ・ナイシュラー。
 
 
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中高年の「元気が出るページ」2017年4月号                    ①うにのおうちごはん歳時記第7回 春の筍 山田うに                ②安曇野発 信州村めぐり 35 下伊那郡豊丘村 加藤雅博              ③183回シネマトーク『ムーンライトに青く染まった』 西島雄造

安曇野発 信州村めぐり35
 
下伊那郡(しもいなぐん)豊丘村(とよおかむら)

加藤 雅博


暖冬で春が早いという予想はすっかり外れ、三寒四温どころか三寒四寒といったおもむきで季節の足踏みが続いています。安曇野では関東地方寒かった3月下旬に薄雪が積り、氷点下の朝が連続しました。そろそろ仕舞う準備をと思っていた薪ストーブもしばらく退場できない様子です。開花宣言が出た花が長持ちしそうなのがうれしい誤算です。
 
前回休載してしまいましたが、信州村めぐりを再開します。が、実は終盤を迎えてしまいました。全国でも35と断トツに村の数の多い長野県。3年前に開始した村を訪ねる旅は県内を文字通り東奔西走、断続的に続けてきましたが、今回の「豊丘村」が最後の村となります。
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長野県全図と豊丘村位置図 
 
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豊丘村役場と村章

「豊丘村」は飯田市の北東、天竜川の河岸段丘の中心に位置しています。東は伊那山脈を境に大鹿村・飯田市、北は松川町、南は喬木村、西は高森町に囲まれています。面積は77㎢。東京の大田区と新宿区を合わせたほどの広さ。
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中央アルプスと天竜川と伊那谷

アカマツ林を中心に森林面積が80%にもおよび、県内でも南に位置しているため温暖な気候で段丘の中・上段に果樹園や野菜畑が広がる典型的な山間農村の景観を見せています。豊丘村を決定づけているのは村の南北を流れる天竜川。
 
あまり知られてはいませんが、諏訪湖の唯一の出口である長野県岡谷市の釜口水門が源流です。上伊那郡辰野町を通り、一部愛知県をかすめて静岡県の遠州灘に抜け、流域延長は213㎞。全国で9位の長さ。途中、変化に富んだ「伊那谷」を通過していきます。流域は急峻な地形のため古くから「暴れ川」「暴れ天竜」と称せられ、多数のダムがあります。
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南アルプス仙丈ケ岳 

伊那谷は西側に中央アルプス、東側に南アルプス。「暴れ川」によって、長い年月をかけ谷に沿って形成された河岸段丘は、階段の平らな面に当たる「段丘面」と壁のように立ちはだかる「段丘崖」から構成されています。川の東岸に位置する豊丘村の河岸段丘の景観はスケールの大きさと見事さで日本一ともいわれています。

段丘は古代から居住条件が適していたようで、1万年以前の旧石器時代から人が住み始め、縄文時代の遺跡が多数発見、発掘されていて、下伊那地方が早くから拓けていたことを物語っています。平安時代には信濃10郡67郷の一つに村に所縁の深い「伴野郷」の名が挙げられ、江戸時代には、幕府の直轄地という記録もあり、豊かな郷だったことをうかがわせます。

したがって村の沿革も古く、始まりは明治8年(1875)にさかのぼります。この年に一帯の集落(自然村)が合わさって筑摩県伊那郡神稲村を発足させます。昭和30年(1955)になると町村合併促進法の施行によって神稲村と隣接する河野村が合併、「豊丘村」が誕生現在まで続きます。
 
記録に残されている資料では、村発足当時の人口は9,529人(女4,805人,男4,724人)。昭和55年(1980)には2,000人減の7,409人、同60年(1990)7,254人、平成12年(2000)7,221人平成22年(2010)6,819人、そして今年平成29年(2017)には6,793人(女3,439人、男3,354人)と御多分に漏れず、地方の自治体同様、人口漸減が進んでいるのが実態です。
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村のシンボルマツタケの模造品(紙製)

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 マツタケを模した村内の橋のギボシ
 
豊丘村を紹介するのに真っ先に挙げなければならないのは「マツタケ」出荷量日本一という話題です。 各分野で研究が進みこれまで不可能とされた生物の人工栽培や人工飼育が開発される中で実現できていないのがマツタケの人工栽培。県の林業試験所では人工的な増産の研究と並行してマツタケ山の整備に取り組むなど自然栽培の指導を通じて力を入れています。
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堀越地区の家並
 
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堀越地区の紅梅
 
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村内の白梅と中央アルプス
 
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堀越地区で遭遇した蝋梅
 
増産の成果は確実に現れ、平成21年(2009)長野県7.1トン、岩手県4.3トン、京都府2.4トン、同26年には長野県34.9トン、岩手県3.5トン、岡山県1.5トンなど、近年は長野県が連続で全国一の地位を占めています。そして、県内でのトップクラスが豊丘村。中でも村の東北部の山間部にある「堀越」地区は、山林が85%を占め、主要な樹木がアカマツ、水はけのよい土壌、日当たり絶好という好条件に恵まれ、昔からマツタケの特産地でした。
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堀越地区のマツタケ観光の会場、区民会館 

50年前、廃校になりそうな分校を何とか活用できないかと始めたのが「堀越まつたけ観光」のイベント。八十数戸の住民が校舎をもてなしの場にして、完全予約制のマツタケ料理を提供しています。一人5,000~11,000円で、マツタケすき焼き、マツタケご飯など3コース。10月上旬から末までの限定イベントですが、毎年募集開始と同時に完売という人気ぶりです。
 
日本人の多くがマツタケ大好きで、あこがれますが、豊丘村産のマツタケは香り、歯ごたえ、味の三拍子がそろっていると大評判。ただ、マツタケの収穫がその年の天候に大きく左右され、他の生産物に比べると収穫の見通しが立たないという難しさがあります。といって人工栽培が進化すれば希少性が薄れてしまい、山間部まで訪れる観光客がいるのかどうか、地区のひとたちにとってもマツタケの人工栽培問題は重大な関心事です。
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福島てっぺん公園の石碑
 
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公園の広場と展望台
 
2年前、村東部の福島地区の高台に登場した新名所が「福島てっぺん公園」。公園は標高805m。面積9800㎡。北は中央アルプスや伊那市街、南は飯田市街までパノラマを眺めることができます。園内は東屋、遊歩道、芝滑り台などがあり、子ども連れの家族には格好の遊び場。県の「信州ふるさとの見える丘」にも認定されました。
 
総事業費は約6,000万円。伊那谷の眺望を紹介する碑もあり、飯田・下伊那地域屈指の見晴らし公園として人気を集めそうです。公園のすぐ下にあるのが見事な棚田。ここ数年で「福島本村棚田」として再生されたものです。耕作できない人が増加してここ15~20年で荒廃地になってしまった土地を地元と村、JA、農業委員会が取り組んだ結果です。
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福島地区の棚田再生プロジェクト看板
 
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再生された福島地区の棚田
 
地区では棚田のオーナーを募集。9組40名が参加し、田植え体験、酒米作りなども実施し地域の活性化にも大きく貢献しています。この棚田再生の取組みは、遊休農地の解消になると評価され、「福島本村棚田委員会」は、昨年2月に長野県農業委員会より表彰されました。この棚田も併せて村外からも観光客を呼び寄せるスポットになっています。
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 子育て支援センター
 
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センター内のキッズルーム

少子高齢化、人口減はいずこの自治体も悩みのタネで、そのための様々な施策がとられているものの、これといった決定打は見つかりません。そんな中で豊丘村が一見平凡ながら、もっとも力を注いでいるのは子育て支援策。村内に3つの保育園を設置、待機児童はゼロ、各保育園では、入所希望乳幼児を11か月からの受け入れ、朝・夕の延長保育、短期間の入所を有料で受け入れる一時保育など支援を行っています。
 
第一子と第二子50,000円、第三子250,000円の出産祝い金の支給、0歳から18歳までの医療費の補助も実施しています。このほか村外からの定住者お誘致策として村営住宅の建築なども行っていますが、こちらは村内の職場の確保や通勤との兼ね合いといった問題もあり、人口減対策は一朝一夕に解決できる課題ではなさそうです。
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村の歴史民俗資料館
 
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展示されている出土したパン状炭化物
 
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最大のパン状炭化物 

縄文時代の遺蹟の豊富さは、役場に隣接する歴史民俗資料館で確かめることができます。その一つが、昭和51年に縄文中期の伴野原遺跡の住居炉跡から出土した「パン状炭化物」。クッキー状の炭化物で、直径17センチ、厚さ3センチ、これまでわが国で出土した中では最大です。その成分はシソ科植物であるエゴマの実を粉末にして丸く固めた食物といわれます。汁ものに入れたか、直接焼いて食べたと推定されます。全国で4例見つかっています。当時の食物状況を研究する上で重要な出土品です。
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種子の圧痕跡が残されている土器の破片 

実は同じ遺跡から同時期に発見された深鉢土器を最新測定法で分析した結果、300個にも及ぶ植物種子の圧痕(あっこん)が残されていることが平成27年(2015)に判明しました。種子はアズキかガマズミの実であることがわかり、4500年前、伊那谷の縄文人たちが小豆のような植物を栽培化していた可能性が浮き彫りになりました。いずれの出土品も資料館で見ることができます。伴野原遺跡の研究によって、今後縄文時代の生業解明が前進しそうです。
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松尾多勢子晩年の肖像(資料館のパンフから)
 
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多勢子の墓地
 
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多勢子が嫁いだ松尾家

豊丘村を紹介する上で欠かせない歴史上の人物が松尾多勢子(まつお・たせこ)です。文化8年(1811)伊那郡山本村(現飯田市)の豪農の長女として生まれました。幼少のころから読み書きや和歌を学び、当時伊那谷に盛んだった国学の影響を受けて育ち、19歳で伴野村(現豊丘村)の松尾淳斎に嫁ぎます。
 
3男4女7人の子を育て上げると主婦の座を嫁に渡した後、52歳のときに単身上洛。和歌を通じ、勤王倒幕派の公家や志士たちとの連絡役を務めたほか、幕府の機密情報の収集にも当たり、勤王倒幕派の活動を陰で支えました。その一方で「佐幕派」とみられた岩倉具視に接触して勤王派に受け入れられるきっかけをつくりました。
 
一旦は帰郷しますが、明治維新後、多勢子は岩倉に請われて再び上洛し、岩倉家の家政一切を取り仕切り「岩倉家の女参事」と呼ばれました。新政府の確立を見届けた後は帰郷し、農業や養蚕にいそしみながら晩年を過ごし、明治27年(1894年)に84歳で亡くなりました。 幕末の激動の時期に、多勢子は当時の地方の女性としては異例の活躍をし、信濃一帯では広く知られた存在でした。島崎藤村の「夜明け前」にも活写されています。お墓は慈恩院東裏松尾家墓地内に、嫁ぎ先の松尾邸は菩提寺のすぐそばにあります。



今日は久しぶりに温暖で、そろそろ開花の情報が入りそうです。では、また。草々

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 安曇野 無頼庵
  加藤 雅博
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共通テーマ:旅行

中高年の「元気が出るページ」2017年4月号                    ①うにのおうちごはん歳時記第7回 春の筍 山田うに                ②安曇野発 信州村めぐり 35 下伊那郡豊丘村 加藤雅博             ③183回シネマトーク『ムーンライトに青く染まった』 西島雄造

うにのおうちごはん歳時記

毎日いただくおうちごはん。春夏秋冬、季節の彩りにあふれた食材や料理を取り上げて食の歳時記として連載します。


写真と文:山田うに


編集者・トラベルライター。よみうりカルチャーの野外講座・料理教室講師。ほかに『大人のカルチャーガイド』で美術館・博物館の企画展案内などを執筆。

第 7 回 4月 春の筍


 日本の島々と多くの神々を生んだ伊邪那美命(いざなびのみこと)は最後に火の神を生んで、それがもとで大やけどを負い黄泉の国へ隠れてしまいます。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は亡き妻・伊邪那美命に一目会いたいと、黄泉の国へ追いかけていきます。しかし伊邪那美命は「わたしはもう黄泉の国の食べ物を食べたので、地上に戻ることはできない」と伊邪那岐命を追い返します。逃げ帰ろうとする伊邪那岐命を追いかけてきたのが黄泉醜女(よもつしこめ)で、伊邪那岐命は逃げながら髪飾りのつる草を投げつけると、それはブドウの実になり、櫛を投げるとそれは竹の子になりました。さらにも桃の実を投げつけ、黄泉醜女がそれらを食べているうちに地上に逃げ帰ったのでした。
 竹の子はこのように古事記に登場するほど日本人と付き合いの古い食物でした。竹には様々な種類がありますが、食用で一番なじみ深いのが孟宗竹(もうそうちく)です。中国原産のこの竹が沖縄、鹿児島を経て本土の薩摩藩に伝わったのは江戸時代中期の元文元年(1736)といいます。江戸の地に伝わったのは寛政元年(1789)。山路次郎兵衛勝孝(かつたか)という薩摩藩御用の廻船問屋が所用で薩摩に赴き、孟宗竹を見ていたく気に入って苦心して江戸に持ち帰り、現在の品川区桐ケ谷の自分の別荘に植えたのが始まりです。これが“目黒の竹の子”として江戸名物になり、目黒不動門前の茶屋では竹の子飯が売られたほどでした。品川区小山1丁目には「孟宗竹筍栽培記念碑」があります。なお勝孝は文化2年(1805)に亡くなりましたが、世に竹翁とか筍翁と呼ばれたと伝えられています。

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(写真:旬の筍)

4月になると青果店の店頭に生の竹の子が並びます。水煮の加工品が一般的ですが、季節には掘りたての生を求めたいものです

 筍という字は「旬内に竹の子となり旬外に竹となる」ことが元で、“旬”つまり10日ほどの間に竹の子はできて、10日過ぎると竹になってしまうということから旬の字に竹カンムリが付きました。土の中にいるときが筍、土から出ると竹の子と粋に言い回す人もいます。竹の子が出回るのは2月下旬から5月下旬まで。春先に一日も立たないうちにひょんひょんと伸び、その生命力に驚かされます。
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(写真:筍を茹でる)

生の竹の子は米ぬかを加えたたっぷりの湯で茹でると香りと旨みがまったく違うのに驚かされます

料理は吸い物や和え物、煮物、揚げ物など。竹の子の皮の柔らかな部分(姫皮)は和えたり酢の物にしたりします。えぐみがあるので多くは茹でてから料理に用いますが、掘りたてはえぐみの回らないうちに刺身で食べることができます。
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(写真:筍の煮もの)

干しシイタケで出汁をとり竹の子を煮ました。併せるのはシイタケと車麩、スナップエンドウ。庭から木の芽を摘んで散らしました

 俳句では単に筍といった場合は夏の季語ですが、春に出たものは特に春の筍といい、こちらは春の季語です。

   旅終へて春筍京に溢れおり(角川源義)
   舞子の辺春の筍甘き香を(渡辺桂子)

 俳人であり俳壇選者の石寒太(いし かんた)は『俳句日暦―一人一句366―』の著書で、4月6日にあてて

   筍や雨粒ひとつふたつ百(藤田湘子)

の句を紹介し、「この筍の句、音楽的であり、絵画的である。(中略)そして、ひとつふたつ百……。この“ひとつふたつ百”が俳諧なのである。竹林に、そして筍に雨がやってくる。パラ、パラ、パラパラ……、そしてザーザーと……。雨後の筍はまたぐんと伸びを示すのである。情景もいいし、“ひとつふたつ百”のリズム感がいい。」と解釈を添えている。
 なるほど、俳人の感覚というものは鋭いものです。感嘆しながら竹の子の穂先の煮物を味わったのでした。

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中高年の「元気が出るページ」2017年3月号                    ①うにのおうちごはん歳時記第6回  雛祭りの膳 山田うに             ②安曇野発 信州村めぐり 休載                           ③182回シネマトーク『ラ・ラ・ランド』夢見る楽しさ 西島雄造

(((182回 シネマトーク))))

【『ラ・ラ・ランド』夢見る楽しさ】

 
西島雄造


 2月26日(日本時間27日)に行われた第89回アカデミー賞の授賞式は、トランプ米大統領にNoを突きつける色合いが濃かった。そしてクライマックスの作品賞発表でハプニング。ウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウェイの二人が「オスカーは『ラ・ラ・ランド』に」と口にした直後に壇上は混乱。「作品賞は『ムーンライト』に」と訂正された。
 『ラ・ラ・ランド』は13部門で14ノミネート(歌曲賞に2曲)された。過去の記録は『イヴの総て』(ジョセフ・L・マンキウィッツ監督1950)が、12部門(主演女優賞がアン・バクスターとベティ・デイヴィス、助演女優賞にセレスト・ホルムとセルマ・リッターのダブル・ノミネート)で14ノミネート、6部門受賞。『タイタニック』(ジェームズ・キャメロン監督1997)が14部門ノミネート、11部門受賞の記録がある。第89回の結果は『ラ・ラ・ランド』がデミアン・チャゼルの監督賞、エマ・ストーンが主演女優賞、撮影賞、美術賞、ジャスティン・ハーウィッツが作曲賞と歌曲賞の二冠で計6部門の栄冠を射止めた。『ムーンライト』も作品賞のほかにマハーシャラ・アリの助演男優賞と脚色賞を受賞した。
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ラ・ラ・ランド

 『ラ・ラ・ランド』は伝統的なボーイ・ミーツ・ガールの物語だ。主題は映画やJAZZが娯楽の中心だった20世紀の日々と、アメリカ人が追い求め続けるアメリカン・ドリームである。LA は言うまでもなく映画と音楽の都でもあるLos Angeles。主題曲「City of Stars」と呼ぶにふさわしい。ハリウッドもスクリーンも星のように輝いていた。
 20世紀FOX社が開発し、1953年に『聖衣』(ヘンリー・コスター監督1953)とともに登場したCINEMASCOPEのロゴが懐かしい。スクリーンにはイングリッド・バーグマンの美貌が圧倒した『カサブランカ』(マイケル・カーティス監督1942)や『汚名』(アルフレッド・ヒチコック監督1946)、ジェームズ・デイーン主演の『理由なき反抗』(ニコラス・レイ監督1955)…が映し出される。ディーンとナタリー・ウッドが淡い恋をささやいたプラネタリウムは忘れようもない。
 ラジオから流れる音楽の心地よさ。ニューオーリンズ・ジャズ史に残る伝説のクラリネット奏者、シドニー・ベシェ(1897-1959)をはじめ、名曲「スターダスト」や「わが心のジョージア」を作曲したピアニストのホーギー・カーマイケル(1899-1981)、サッチモ=ルイ・アームストロング、セロニアス・モンク、チャーリー・パーカーたち。『ラ・ラ・ランド』は過ぎ去った日々へのオマージュのように思える。
 いきなり長回しで観客をスクリーンに誘いこむ。LA名物の道路渋滞から逃れた車の群れの中で踊りだし、ヒロインのミアが登場するまでのワンカメラの演出と撮影は見事だ。パン、移動、ズーム、俯瞰…とテクニックを駆使して迫力がある。二人のダンス・シーンでは、『バンド・ワゴン』(ヴィンセント・ミネリ監督1953)で、フレッド・アステアとシド・チヤリシーが夜の公園を舞台に、「ダンシング・インザ・ダーク」の曲で踊った場面を思い出す。群舞のジタバグが時代を彷彿させる。
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バンド・ワゴン

 オーディションを受け続ける女優志願のミア(エマ・ストーン)、ジャズピアノに心血を注ぐセブ(ライアン・ゴズリング)。1988年生まれのエマは目に力がある。ゴズリングはオスカーこそ逃したが歌も演技も達者だ。1980年、カナダ生まれで、ジャズ・ギターを弾く。監督も高校時代はジャズ・ドラムをたたき、その経験が『セッション』で実を結んだ。ハーバード大学卒の32歳は、さらに進化しそうだ。作曲のジャスティン・ハーウィッツも『セッション』で共に仕事をしている。さて、ボーイ・ミーツ・ガールの結末は。
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ラビング 愛という名前のふたり

 『ラビング 愛という名前のふたり』は、まさに愛にあふれながら、愛ゆえの葛藤を描いている。主人公のリチャード・ラビング(ジョエル・エルガートン)と妻のミルドレッド(ルース・ネッガ)は実在の人物。舞台はバージニア、人口の約3割、50万人が奴隷だった時代もある。レンガ職人のリチャードは父親が黒人の下で働いてきたこともあり、黒人のミルドレッドと愛し合い、妊娠を知って結婚を決断する。
 だがアメリカにはジム・クロウ法=Jim Crow Law(1876-1964)があり、異人種間結婚禁止法が存在した。17歳のミルドレッドとリチャードは、ワシントンDCで婚因手続きをした。当然、バージニア州当局に目を付けられ、裁判の結果、25年間、バージニアの故郷から立ち去るか、刑務所に入るかの決断を迫られる。身重のミルドレッドは夫の母の手で出産したいと切望。夫も望みを叶えてやるものの、二人は刑務所に収監される。
 再びワシントンDCに戻って5年、3人の子どもにも恵まれる。公民権運動が力を増してきた時代、意志の強いミルドレッドは、当時のロバート・ケネディ司法長官に手紙を送り、アメリカ人権協会=ACLUが動き出す。雑誌LIFEは<結婚は犯罪か>と題して特集を組んだ。ついには合衆国最高裁が異人種間結婚禁止法は<違憲>と結審する。公民権法案を強く推し進めたJ.F.ケネディ大統領は1963年11月22日、ダラスで凶弾に命を奪われるが、1964年に公民権法は制定され、ジム・クロウ法も廃止される。実話を静かに描いた感動作だ。脚本・監督はジェフ・ニコルズ。まだ40歳前で将来を嘱望されている。現実のリチャードは1975年に事故死、ミルドレッドは2008年に68歳で他界した。
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モアナと伝説の海

 『モアナと伝説の海』(ジョン・マスカー&ロン・クレメンツ監督)は、描かれているもの、すべてが美しさに満ちている。海、波しぶき、砂粒、花園のような海の底。空と流れる雲。MOANAはポリネシア語で大洋を意味する。賢そうで表情豊か、冒険心もたっぷりだ。とにかく可愛い16歳。なぜモアナは海原に漕ぎ出すことになるか。
 半神半人、かつては全能だったマウイも魅力的だ。少しひょうきんでもある。隆々たる筋肉の動き、胸の鼓動まで伝わる。全身に描かれたTATTOO=入れ墨はポリネシア文化のひとつで精神的、霊的な意味があり、力強さの象徴でもある。胸の入れ墨に描かれた絵が音楽に合わせて踊りだすアイデアも卓抜で、アニメながら細かな振付にも注目。
 ほかにもモアナの祖母タラ、モアナとともに海に出るニワトリのヘイヘイ…ディズニーならではの独創的なキャラクターたち。監督の二人は、ともに『リトル・マーメイド』(1989)や『アラジン』(92)を手掛けてきた最強のコンビ。主題曲の「How Far I’ll Go」は、アカデミー歌曲賞にノミネートされた。美しさが、終幕で新たな感動をもたらす。
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ヨーヨー・マと旅するシルクロード

 『ヨーヨー・マと旅するシルクロード』(モーガン・ネヴィル監督)は、国境を越えて音楽の美しい旋律を奏でる。ヨーヨー・マ、1955年パリ生まれの世界に名だたるチェリスト。幼少から弦楽器に親しんだ。バッハの無伴奏組曲からタンゴまで、弦からほとばしる音色は美しい。ドキュメンタリーはむろんチェロの響きとともに始まる。2000年に音の文化遺産発信のため始めた<シルクロード・アンサンブル>。文化は国のアイデンティティーでもある。国家があれば国境がある。国を越えて文化が交歓し合い、新たな文化を紡ぎだす。
 東西文化の起点であるトルコのイスタンブールが映し出される。ボスボラス海峡、アヤソフィア大聖堂。チェロやヴァイオリン、琵琶、ギリシャやトルコ独特の弦楽器ケマンチェ…様々な楽器がアイデンティティーを主張しながら、いつしか混然一体となって天上の響きを奏で、音楽の意味や持つ力や可能性を問いあう。可能性は希望だという。
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アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発

 『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』は興味深い映画だ。<アイヒマン実験>が背景にある。アドルフ・アイヒマン(1906-1962)、東ヨーロッパのユダヤ人数百万人を絶滅収容所に送り込んだナチスの責任者である。第二次世界大戦にドイツが敗退したあと、アルゼンチンに逃亡していたが、逮捕、絞首刑に処せられた。アドルフは「命令に従っただけ」と無罪を主張した。
 父親は電気会社の簿記係、アドルフも鉱山工場や石油セールスマンとして働いていたが、オーストリア・ナチ党に入り人生が変わり始める。このように善良、凡庸な人間でも、閉鎖された状況の中で権威的な指示に従う人間のありようを、実験室で証明しようと試みたのがスタンレー・ミルグラム(1933-1984)である。新聞広告で募集した20-50歳代の男性を被験者に、“加害者”と“被害者”の行動を治験した。映画に描かれている通りである。
 結果は<権威に対する服従>の仮説の証明にたどり着く。人間は誰でも一定の権威のもとでは<アイヒマンの後継者>になれる?原題『Experimenter』は実験者を意味する。監督はマイケル・アルメイダ。ミルグラムにピーター・サースガード、『マグニフィセント・セブン』で悪役ボーグを憎々しげに演じている。ほかにウィノナ・ライダー。
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フレンチ・ラン

 『フレンチ・ラン』が面白い。7月14日のフランス建国記念日にテロが仕掛けられるとの情報。その前夜、盛り場で爆発があり4人が死んだ。犯人と見なされたのがアメリカ人のマイケル(リチャード・マッデン)、職業は“最高のスリ”。ヌードモデルを素裸で歩かせ、周囲の者が目を奪われている隙にスリまくるという指先の魔術師。道すがら街角に置き去りにされていたバッグを拾うが、中身は女性用のかつらやぬいぐるみとあって捨てた直後、ぬいぐるみに仕込まれた爆弾が破裂した。一方、犯人追跡に単独で奔走するCIAの捜査官ブライアー(イドリス・エルバ)はマイケルの無実を知って、捜査に協力を求める。
 監督はジェームズ・ワトキンズ。監督デビュー作の英国製ホラー『バイオレンス・レイク=Eden Lake』(2008)が評価された。92分のなかで歯切れのいい演出を見せる。『ロック、ストック&トゥ・スモーキング・バレルズ』(1998)のガイ・リッチー監督と仕事を共にしているカメラのティム・モーリス=ジョーンズと、ジョン・ハリスの編集の効果も見逃せない。まるでグーグル・マップで見るようなパリ。大逆転のストーリーは見てのお楽しみ。1966年、パリ生まれのジョゼ・ガルシアがいい。すでに映画出演62本のベテラン俳優だ。
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マン・ダウン 戦士の約束

 『マン・ダウン 戦士の約束』(ディート・モンティエル監督)はアメリカの海兵隊が主題になる。入隊し過酷な訓練を経て戦場に出る。目的はただ一点<殺せ>。だが、イラクとアフガニスタンからの復員兵の5人に1人が、戦闘などで死に直面した体験がもとでPTSD=心的外傷の苦痛にさいなまれ、生活機能にも障害がある。20万人は社会復帰を果たせずホームレスに。また毎日22人が自殺しているという統計がある。
 妻と息子と幸せな家庭を営んでいた主人公ガブリエル(シャイア・ラブーフ)もまた、アフガニスタンの戦場で死を目の当たりにする。分けても敵とみて撃った標的は母と娘だった、拭い去れない記憶。帰国したが、自殺願望の日々。戦争は戦場だけのことではない、兵士は<戦争を持って帰ってくる>。妻にケイト・マーラ。
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アサシンクリード

 フランスのコンピュータゲーム会社が開発したアクションゲームの映画版『アサシンクリード』(ジャスティン・カーゼル監督)で、十字軍時代の暗殺者教団がよみがえる。記憶を喪失した死刑囚カラム(マイケル・ファスベンダー)が、遺伝子操作で15世紀に復活し、人間の自由意思を支配できるといわれる秘宝<エデンの果実>を死守する、アサシン教団の一員だった先祖アギラールの運命を追体験する。人気上昇のフランスのマリオン・コティヤールとジェレミー・アイアンズ、シャーロット・ランプリングが共演。
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しゃぼん玉

 宮崎県の山深く、ひえつき節と平家の落人の里で知られる椎葉村でひとり暮らしの老女スマ。夫と死別し、大学を出した息子は都会暮らし。たまに帰ってくれば金の無心。そこへ、ひょっこり転がり込んだ若者・伊豆見(林遣都)。両親に見捨てられ、生きる方便に大阪でひったくりを重ねているうちに被害者の女性を傷つけてしまい、はるばる逃げてきた。
 『しゃぼん玉』の話の発端である。突然始まったバーちゃんと若者の暮らし。孤独なスマは、そばに人がいるだけで、心のぬくもりを感じたのだろう。何くれとなく世話を焼き、村ではバーちゃんに孫が帰ってきたとの噂になる。秋に繰り広げられる平家まつりがクライマックス。若者は村の人々にとけ込み人間らしさを取り戻すのだが…。バーちゃんと実の息子、若者と両親、二組の肉親の絆のありようを描く。これが東伸児の初監督、バーちゃんを演じる市原悦子と綿引勝彦らの演技にも支えられている。
 噺家の柳家喬太郎と娘役に石井杏奈で『スプリング・ハズ・カム』(吉野竜平監督)。妻が出産後に死に、男手で育てた娘が東京で学生生活を送ることになった。父親は娘が住むアパート探しに広島から上京する。映画のロケーション現場や、インド料理のレストランで結婚式に巻き込まれるハプニングもあり、父と娘が過ごした一日。喬太郎がよく演じている。
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真白の恋

 『真白の恋』(坂本欣弘監督)は北川亜矢子の原作・脚本で、可憐な恋心を描いている。舞台は富山県射水市新湊。軽度の知的障害のあるヒロイン渋谷真白(佐藤みゆき)が、観光パンフレットに使う写真を撮りにきていた油井景一(福地祐介)と出会い物語が始まる。
「真白が普通の女の子だったら」という切ない思いのなかに、障害者に対するしなやかなメッセージが込められている。少し長回しがリズムを乱しているが、将来が楽しみな監督だ。
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ASURA=アシュラ

 韓国から2本。『ASURA=アシュラ』(キム・ソンス脚本・監督)は、末期がんの妻の治療費のため、悪徳市長のしりぬぐいを続けるはみ出し刑事(ハン・ドギョン)が泥沼に落ちてゆく。後輩の刑事(ムン・ソンモ)は、実の兄のように慕いながら、身代わりとなって市長の信頼を得てのしあがり…。話は複雑だが歯切れよく畳みかける演出は悪くない。
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お嬢さん

 『お嬢さん』(パク・チヤヌク監督)の原作はイギリスのサラ・ウォーターズの「荊の城」。舞台を神戸に置き換え、脚本には日本語の卑猥なセリフを散りばめている割に昇華するほどの性愛の描写はない。日本語が拙いので、日本人には違和感があるだろう。それでも一見の価値はある。お嬢さん役のキム・ミニは魅力的だ。作者はレズビアンのミステリー作家といわれる。ラストを見て納得。

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