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中高年の「元気が出るページ」2017年4月号                    ①うにのおうちごはん歳時記第7回 春の筍 山田うに                ②安曇野発 信州村めぐり 35 下伊那郡豊丘村 加藤雅博             ③183回シネマトーク『ムーンライトに青く染まった』 西島雄造

(((183回 シネマトーク))))

【ムーンライトに青く染まった】

 西島雄造

1「ムーンライト」.jpg

「ムーンライト」

 『ムーンライト』のアカデミー作品賞受賞は、2017年のトランプ時代のアメリカを映し出した。物語を始めるのは米フロリダ州マイアミの北部、Liberty Cityの海辺に暮らすストリート・キッズたち。同じ黒人同士がニガー、ブラック、おかまと、差別的な言葉を浴びせ合いながら、いじめを日常化していた。母親のポーラ(ナオミ・ハリス)と二人で暮らすシャロンもまた、学校では“リトル=チビ”といじめられていた。ある日、悪ガキに追い詰められたところを、コカイン取引でボスと呼ばれているファン(マハーシャラ・アリ)に助けられる。父親のないシャロンはファンになつき、彼の家に出入りするようになる。
 第二章でシャロンは高校生。母親は薬物に依存し、からだを売って日銭をかせいでいた。ファンはすでに他界していたが、その恋人のテレサは変わらずシャロンに気を配っている。ある夜、シャロンはただ一人気を許していた仲間のケヴィンと、夜の浜辺で友情に満ちた言葉を交わし、ごく自然に性的な感情をあらわにしたのに、そのケヴィンが仲間にけしかけられシャロンをこっぴどく打ちのめす。
 そして第三章。たくましく成長したシャロン(トレヴァンテ・ローズ)は、アトランタで麻薬を売りさばくいっぱしの男になっていた。ケヴィン(アンドレ・ホーランド)から電話があり、マイアミで食堂をやっているから来てほしいと誘われる。しがない食堂で再会した二人は、ケヴィンが選曲したジュークボックスで奏でられる「Hello Stranger」に聴き入る。
 ♪Hello, Stranger It seems so good to see you back again―また会えてよかった…。バーバラ・ルイスが1968年に歌った佳曲だ。二人の心は昔に戻った。月光が波間を照らした。海は悲しみを飲み込んでくれる。作品のもとになったのは、やはりマイアミ出身のタレル・アルバン・マクレイニーの脚本『In Moonlight Black Boys Look Blue―月光を浴び黒人の少年が青く染まった』。これは愛の物語である。マハーシャラ・アリは今年のアカデミー賞助演男優賞を、マイアミ出身のバリー・ジェンキンスは脚色賞も手にした。
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わたしは、ダニエル・ブレイク

 第69回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールに輝いた『わたしは、ダニエル・ブレイク』は、イギリスの今を描いた奥の深い作品だ。ダニエル・ブレイクは、どこにでもいる小市民。59歳になるまで40年の間、大工一筋に働き、きちんと税金を納めてきた。残りの人生にたどり着いて妻の介護が始まり、その妻にも先立たれ、自分も心臓を病み働けなくなる。

 国の雇用支援手当を受けるが、継続審査の結果は就労可能により手当は中止の通知書が届く。職業安定所を訪れたとき、パソコンの使い方に助けを求めてケイティと知り合う。18歳で男とかかわり、二人の男との間に娘と息子をもうけた若い母親。ロンドンの住まいを追い出され、ホームレスの宿泊所で2年間、暮らした末、ダニエルが住むニューカッスルのアパートに移転してきた。自分が食べる分を子どもに与え、空腹に耐えかねフードバンクに飛び込む。市場に出せなくなった食品や日用品を配布する慈善団体だ。
 ダニエルとケイティはいつしか親子のような情で結ばれるのだが…。ケン・ローチ監督としては『麦の穂を揺らす風』(2006)に続く二度目のパルム・ドール受賞。つねに社会主義的な生き方に目を注いでおり、前作『ジミー、野をかける伝説』(2014)では実在の人物ジミー・グラルトン(1886-1945)を描いた。アイルランド共産党のリーダーでアメリカに移民するが、再び祖国に戻り活動に人生をささげた。原題『Jimmy’s Hall』にある通り、ダンスホールが舞台になる。また2016年には労働党の党首選で勝ち抜いたジェレミー・コービンのドキュメンタリーを撮影している。もっとも影響を受けた映画にヴィットリオ・デ・シーカ監督(1901-1974)の『自転車泥棒』(1948)を挙げている。
 このような背景を頭に置いて『わたしは、ダニエル・ブレイク』を見ると、理解の助けになるかも知れない。イギリスはデイヴィッド・キャメロンの保守党が政権を担ってから、緊縮財政と増税を進める。カップルが寝室を一部屋以上持っていると、残りの部屋は空き室とみなして寝室税を徴収した。雇用生活補助手当などを簡素化し、受給者の職安での面談を義務づけ、就労を促進することで所得を増やさせる。理由を問わず遅刻するとペナルティを課した。諸手当を凍結したり廃止したりした結果、貧困線以下の国民が増え、住居費を払えずホームレスとなり、フードバンクに群がる現実。
 ジェレミー・コービンもまた、デイヴィッド・キャメロン政権による公共部門と福祉予算のカットを基に戻すことを主張している。ダニエルは叫ぶ「私は犬ではない」と。ケン・ローチ監督と仕事を共にしてきたポール・ラヴァティの脚本も監督の演出も事実を直視している。お役所仕事の怠慢ぶりには見ていて腹が立つ。地上にはダニエルと同じような憂き目にあっている人間が少なくないと言いたげだ。日本も例外とはいえないだろう。ダニエル役のデイヴ・ジョーンズとケイティのヘイリー・スクワイアーズが好演している。
4「ジャッキー」.jpg

 ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命

 1963年11月22日(日本時間11月23日)、衝撃のニュースが世界を駆け巡った。筆者は朝刊の最終版を終え、銀座にあった新聞社の仮眠室で横たわっていた。翌朝6時からジョン・F・ケネディ米大統領の演説が、世界に向けて初めて宇宙中継される予定だったからだ。ほどなく重大ニュース発生のチャイムが鳴り響き、事件の一報が伝わった。
 『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』の発端でもある。ジャクリーン・リー・ブーヴィエ、ニューヨーク州ロングアイランドの裕福な家庭で育ち、17歳で社交界にデビュー。ケネディ兄弟の友人のパーテイ―で下院議員だったジョンと出会い、1953年9月に結ばれた。1961年1月20日、夫が第35代アメリカ合衆国大統領に就任しファーストレディとなるが、その座も夫の悲劇的な死で、2年10か月という短い歳月に終わった。
3:ダラス空港に降り立ったケネディ夫妻(シャネルスーツ).jpg

ダラス空港に降り立ったケネディ夫妻(シャネルスーツ)

 テキサス州ダラスに降り立った夫妻は、オープンカーでパレードに臨むが、凶弾が夫の頭蓋を射抜く。ジャックリーンも血まみれになりながら夫を抱きかかえる。晴れがましい瞬間から転げ落ちたジャッキー。弟のロバート司法長官(ピーター・サースガード)と、夫の遺体をホワイトハウスに連れ帰る。ノア・オッペンハイムの脚本は事実にそってジャッキーを描く。ホワイトハウス内をツアーするテレビ番組(『A tour of the White House』=1962年2月14日放送)への出演、部屋の模様替え、パブロ・カザルスの演奏会…。
 最後の使命とは何だったかは映画で見てもらおう。ケネディ大統領が凶弾に倒れたとき、ジャッキーが羽織っていたシャネルスーツと帽子は、ファッション界の話題になった。ジャッキーがくちずさむ「キャメロット」は、1960年12月からブロードウェイにかかったミュージカルで、大統領のハーバード時代の級友アラン・J・ラーナーが作詞している。ジャッキーに扮するのはナタリー・ポートマン。夫の死後ジャッキーは1963年10月20日、20世紀最大の造船王といわれたギリシャのアリストテレス・ソクラテス・オナシス(1906-1975)と結婚。1994年5月19日、64歳の生涯を閉じた。
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モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由

 『モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由』は複雑な心のうごきが絡むフランスらしい恋愛映画だ。監督はリュック・ベッソンと結婚歴のあるマイウェン、これが監督3作目の長編になる。ヴァンサン・カッセルの相手をしたエマニュエル・ベルコは、第68回カンヌ国際映画祭で女優賞を獲得した。
 スキーを楽しんでいたトニー(エマニュエル・ベルコ)が転倒して、リハビリの施設に入り、10年前に戻って回想が始まる。有能な弁護士のトニーは知性と教養を身につけているが、女性としては目立たない存在だった。レストランを経営しているジョルジオは女性を喜ばせる手練手管に長けていた。この二人がぱったり再会し、ジョルジオは取り巻きの女たちとは違う平凡なトニーに魅かれる。関係が深まると、男は「君の子どもが欲しい」と言い出し妊娠して結婚するが、男のかつての恋人との三角関係となり…。
 愛は感情のしがらみ、しがらみがさらに愛を深め、ときに憎しみに変える。しがらみを解きほぐすのも愛に違いない。赤裸々で破廉恥で乱痴気な関係を繰り返す男と女。濃厚な性の描写の中で、わがままで勝手放縦だが情熱的で甘ったれな男を、ヴァンサン・カッセルが魅力的に演じている。
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キングコング 髑髏島の巨神

 『キングコング 髑髏島の巨神』が3月25日に封切られている。古い映画ファンにとって、キングコングは忘れ難い存在である。はじめて登場したのは1933年RKO社から。恐竜などが棲むSkull Island=髑髏島で捕獲されたコングがニューヨークに連れてこられ大暴れする。その後も手を変え品を変えスクリーンに。1976年版(ジョン・ギラーミン監督)ではジェシカ・ラングとジェフ・ブリッジスの共演で、舞台をエンパイア・ステート・ビルディングから、いまはない世界貿易センタービルに移す。同じ監督で1986年には『キングコング2』もある。
 今作も髑髏島から始まる。1973年、ベトナム戦線からアメリカ軍が撤退した年だ。NASA=米航空宇宙局が打ち上げた人工衛星が、髑髏型の未知の島を発見し、調査隊と軍隊が派遣される。島には巨大な蜘蛛やイカともタコともつかない悪魔のような水生動物、蝙蝠に似たサイコ・パルチャー…が棲息、さらには空洞の地底にはキングコングの宿敵スカル・クローラーがいた。蛇のようだが2本の脚を持ち長い尻尾を引きずっている。
 スカル・クローラーから原住民を守り続けていたキングコング。この宿敵同士の壮絶な格闘がクライマックスになる。体長31メートル余、体重158トン、手のひらの大きさ4.8メートルのコングの造形は見事だ。目には怒りや悲しみ、闘争心を宿す。出演はトム・ヒドルストン、ブリー・ラーソン、サミュエル・L・ジャクソン、ジョン・グッドマンら。監督はジョーダン・ボート=ロバーツ、<キングコング対ゴジラ>の企画も進められているという。
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パッセンジャー

 5000人を乗せた豪華宇宙船アヴァロン号が、120年をかけて新たな惑星へ移住を目指す『パッセンジャー』(モルテン・ティルドゥム監督)。目的地まではカプセルのなかで冬眠状態におかれるはずだが、乗客のジム(クリス・ブラット)とオーロラ(ジェニファー・ローレンス)が装置の故障で90年も早く目覚めてしまった。極限状態に置かれた二人の運命は…。第89回アカデミー賞の美術賞にノミネートされた宇宙船に一見の価値がある。無重力の中でプールの水が空中にあふれオーロラを飲み込むといったスペクタクル場面もある。
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T2トレインスポッティング

 『T2トレインスポッティング』(ダニー・ボイル監督)は奇妙に面白い。舞台となるエディンバラの街並みが美しい。原作はこの街生まれのアーヴィン・ウェルシュ。1993年に『トレインスポッティング』第一作でデビューした。映画(1996)も第一作と同じダニー・ボイルが監督、マーク・レントン役のユアン・マクレガー、スパッドのユエン・ブレムナー、シック・ボーイのジョニー・リー・ミラーらも同じ役を演じている。ヤクの取引で手にした大金を仲間と山分けするはずが、持ち逃げしていたマークが舞い戻り、昔の仲間と再会するが…。ユアンが生き生きと演じている。音楽も聴きどころ。
 スペインのアンダルシア地方はフラメンコの聖地である。セビリア、コスタ・デル・ソル、ミハスなどの地で、そしてアントニオ・ガデス(1936-2004)の諸作やスペイン国立バレエ団の「ボレロ」などに魅せられ続けてきたフラメンコだが、グラナダのアルハンブラ宮殿の彼方、サクロモンテの洞窟フラメンコは格別である。歯の抜けた父親がギターを弾き、母親が歌って、3人の娘たちが舞い踊る。家族の生活がにじみ出た舞台は感動的だった。
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サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコ

 ドキュメンタリー『サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコ』(チュス・グティエレス監督)が、その魅力のほとばしりを伝える。生きる糧のために魂を込めて舞う。1963年の洪水で洞窟は壊滅的な被害に遭ったが、差別と迫害の歴史を背負いながら、いまも魂は生き続けている。幼い子どもから年老いた男女まで、手を打ち歌い、ギターをかき鳴らし、足を踏む。ハレオ、カンテソレア、アレグリアス、タンゴ…フラメンコの作法を次々に演じ踊る。映画ではヒターノ=ジプシーと言っているのに、ロマと言い換えるのは歴史に背く。言い換えただけで差別がなくなるわけではない。
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ひるなかの流星

 『ひるなかの流星』(新城毅彦監督)は好ましい青春映画だ。両親がバングラディシュに赴任することになり、東京・吉祥寺の叔父の家に預けられることになった与謝野すずめ(永野芽郁)。東京の高校での日々が始まるが、地方で育ったすずめには目を見張るような新しいことばかり。ハンサムな担任教師(三浦翔平)、お洒落に熱心な級友たち。やがて教師に対するほのかな恋が芽生え、級友(白濱亜嵐)からも思いを寄せられる。
 「青い山脈」で戦後の青春小説に一時代を画した石坂洋次郎が、戦前の三田文学に連載した「若い人」も教師の間崎と教え子の江波恵子の恋情を描いている。1937年に豊田四郎監督、1952年には市川崑監督、池辺良、島崎雪子主演、62年には西川克己監督、石原裕次郎、吉永小百合で映画化された。『ひるなかの流星』に文学的な味は希薄だが、けれんのない演出はさわやかで、21世紀の「若い人」の印象を持った。永野芽郁はさまざまに見せる表情がいい。これから伸びていくだろう。ライバルを演じる山本舞香も溌剌としている。
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ひるね姫~知らないワタシの物語~

 『ひるね姫~知らないワタシの物語~』(神山健治監督)は作画がていねいで神経が行き届いており、陰影にも富む。最近のアメリカ産CGアニメがリアリズム指向なのに比べ、むしろ柔らかい色調とタッチの絵はほっとさせる。ストーリーに意外性があり、大スペクタクルで大団円となる。
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娘よ

 『娘よ』(アフィア・ナサニエル監督)は実話をもとにしているという。パキスタンとインド、中国の国境の山カラコルム。そのふもとの部族の若い母親(サミア・ムムターズ)の娘、10歳のザイナブが無法な結婚を強いられ、娘を守るため部族から離れて逃避する…パキスタン、アメリカ、ノルウエーの合作作品。昭和20年代の大映映画、三益愛子主演の母ものを思い出した。カラコルム周辺の風景が新鮮だ。
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レゴ バットマン ザ・ムービー

 ほかに『レゴ バットマン ザ・ムービー』(クリス・マッケイ監督)。デンマーク生まれの組み立てブロック玩具を駆使したアニメ。その発想と工夫が面白い。亀梨和也と土屋太鳳で『PとJK』(廣木隆一監督)。原作は三次マキ。Pが警官、JKは女子高生らしい。『夜は短し歩けよ乙女』(湯浅政明監督)は、アニメとはいえ物語の展開が幼い。昨今、アニメの秀作が少なくないだけに物足りない。絵作りはシュールだ。『ハードコア』はロシアとアメリカの合作、監督はロシア出身の新人イリヤ・ナイシュラー。
 
 
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中高年の「元気が出るページ」2017年4月号                    ①うにのおうちごはん歳時記第7回 春の筍 山田うに                ②安曇野発 信州村めぐり 35 下伊那郡豊丘村 加藤雅博              ③183回シネマトーク『ムーンライトに青く染まった』 西島雄造

安曇野発 信州村めぐり35
 
下伊那郡(しもいなぐん)豊丘村(とよおかむら)

加藤 雅博


暖冬で春が早いという予想はすっかり外れ、三寒四温どころか三寒四寒といったおもむきで季節の足踏みが続いています。安曇野では関東地方寒かった3月下旬に薄雪が積り、氷点下の朝が連続しました。そろそろ仕舞う準備をと思っていた薪ストーブもしばらく退場できない様子です。開花宣言が出た花が長持ちしそうなのがうれしい誤算です。
 
前回休載してしまいましたが、信州村めぐりを再開します。が、実は終盤を迎えてしまいました。全国でも35と断トツに村の数の多い長野県。3年前に開始した村を訪ねる旅は県内を文字通り東奔西走、断続的に続けてきましたが、今回の「豊丘村」が最後の村となります。
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長野県全図と豊丘村位置図 
 
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豊丘村役場と村章

「豊丘村」は飯田市の北東、天竜川の河岸段丘の中心に位置しています。東は伊那山脈を境に大鹿村・飯田市、北は松川町、南は喬木村、西は高森町に囲まれています。面積は77㎢。東京の大田区と新宿区を合わせたほどの広さ。
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中央アルプスと天竜川と伊那谷

アカマツ林を中心に森林面積が80%にもおよび、県内でも南に位置しているため温暖な気候で段丘の中・上段に果樹園や野菜畑が広がる典型的な山間農村の景観を見せています。豊丘村を決定づけているのは村の南北を流れる天竜川。
 
あまり知られてはいませんが、諏訪湖の唯一の出口である長野県岡谷市の釜口水門が源流です。上伊那郡辰野町を通り、一部愛知県をかすめて静岡県の遠州灘に抜け、流域延長は213㎞。全国で9位の長さ。途中、変化に富んだ「伊那谷」を通過していきます。流域は急峻な地形のため古くから「暴れ川」「暴れ天竜」と称せられ、多数のダムがあります。
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南アルプス仙丈ケ岳 

伊那谷は西側に中央アルプス、東側に南アルプス。「暴れ川」によって、長い年月をかけ谷に沿って形成された河岸段丘は、階段の平らな面に当たる「段丘面」と壁のように立ちはだかる「段丘崖」から構成されています。川の東岸に位置する豊丘村の河岸段丘の景観はスケールの大きさと見事さで日本一ともいわれています。

段丘は古代から居住条件が適していたようで、1万年以前の旧石器時代から人が住み始め、縄文時代の遺跡が多数発見、発掘されていて、下伊那地方が早くから拓けていたことを物語っています。平安時代には信濃10郡67郷の一つに村に所縁の深い「伴野郷」の名が挙げられ、江戸時代には、幕府の直轄地という記録もあり、豊かな郷だったことをうかがわせます。

したがって村の沿革も古く、始まりは明治8年(1875)にさかのぼります。この年に一帯の集落(自然村)が合わさって筑摩県伊那郡神稲村を発足させます。昭和30年(1955)になると町村合併促進法の施行によって神稲村と隣接する河野村が合併、「豊丘村」が誕生現在まで続きます。
 
記録に残されている資料では、村発足当時の人口は9,529人(女4,805人,男4,724人)。昭和55年(1980)には2,000人減の7,409人、同60年(1990)7,254人、平成12年(2000)7,221人平成22年(2010)6,819人、そして今年平成29年(2017)には6,793人(女3,439人、男3,354人)と御多分に漏れず、地方の自治体同様、人口漸減が進んでいるのが実態です。
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村のシンボルマツタケの模造品(紙製)

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 マツタケを模した村内の橋のギボシ
 
豊丘村を紹介するのに真っ先に挙げなければならないのは「マツタケ」出荷量日本一という話題です。 各分野で研究が進みこれまで不可能とされた生物の人工栽培や人工飼育が開発される中で実現できていないのがマツタケの人工栽培。県の林業試験所では人工的な増産の研究と並行してマツタケ山の整備に取り組むなど自然栽培の指導を通じて力を入れています。
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堀越地区の家並
 
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堀越地区の紅梅
 
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村内の白梅と中央アルプス
 
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堀越地区で遭遇した蝋梅
 
増産の成果は確実に現れ、平成21年(2009)長野県7.1トン、岩手県4.3トン、京都府2.4トン、同26年には長野県34.9トン、岩手県3.5トン、岡山県1.5トンなど、近年は長野県が連続で全国一の地位を占めています。そして、県内でのトップクラスが豊丘村。中でも村の東北部の山間部にある「堀越」地区は、山林が85%を占め、主要な樹木がアカマツ、水はけのよい土壌、日当たり絶好という好条件に恵まれ、昔からマツタケの特産地でした。
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堀越地区のマツタケ観光の会場、区民会館 

50年前、廃校になりそうな分校を何とか活用できないかと始めたのが「堀越まつたけ観光」のイベント。八十数戸の住民が校舎をもてなしの場にして、完全予約制のマツタケ料理を提供しています。一人5,000~11,000円で、マツタケすき焼き、マツタケご飯など3コース。10月上旬から末までの限定イベントですが、毎年募集開始と同時に完売という人気ぶりです。
 
日本人の多くがマツタケ大好きで、あこがれますが、豊丘村産のマツタケは香り、歯ごたえ、味の三拍子がそろっていると大評判。ただ、マツタケの収穫がその年の天候に大きく左右され、他の生産物に比べると収穫の見通しが立たないという難しさがあります。といって人工栽培が進化すれば希少性が薄れてしまい、山間部まで訪れる観光客がいるのかどうか、地区のひとたちにとってもマツタケの人工栽培問題は重大な関心事です。
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福島てっぺん公園の石碑
 
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公園の広場と展望台
 
2年前、村東部の福島地区の高台に登場した新名所が「福島てっぺん公園」。公園は標高805m。面積9800㎡。北は中央アルプスや伊那市街、南は飯田市街までパノラマを眺めることができます。園内は東屋、遊歩道、芝滑り台などがあり、子ども連れの家族には格好の遊び場。県の「信州ふるさとの見える丘」にも認定されました。
 
総事業費は約6,000万円。伊那谷の眺望を紹介する碑もあり、飯田・下伊那地域屈指の見晴らし公園として人気を集めそうです。公園のすぐ下にあるのが見事な棚田。ここ数年で「福島本村棚田」として再生されたものです。耕作できない人が増加してここ15~20年で荒廃地になってしまった土地を地元と村、JA、農業委員会が取り組んだ結果です。
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福島地区の棚田再生プロジェクト看板
 
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再生された福島地区の棚田
 
地区では棚田のオーナーを募集。9組40名が参加し、田植え体験、酒米作りなども実施し地域の活性化にも大きく貢献しています。この棚田再生の取組みは、遊休農地の解消になると評価され、「福島本村棚田委員会」は、昨年2月に長野県農業委員会より表彰されました。この棚田も併せて村外からも観光客を呼び寄せるスポットになっています。
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 子育て支援センター
 
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センター内のキッズルーム

少子高齢化、人口減はいずこの自治体も悩みのタネで、そのための様々な施策がとられているものの、これといった決定打は見つかりません。そんな中で豊丘村が一見平凡ながら、もっとも力を注いでいるのは子育て支援策。村内に3つの保育園を設置、待機児童はゼロ、各保育園では、入所希望乳幼児を11か月からの受け入れ、朝・夕の延長保育、短期間の入所を有料で受け入れる一時保育など支援を行っています。
 
第一子と第二子50,000円、第三子250,000円の出産祝い金の支給、0歳から18歳までの医療費の補助も実施しています。このほか村外からの定住者お誘致策として村営住宅の建築なども行っていますが、こちらは村内の職場の確保や通勤との兼ね合いといった問題もあり、人口減対策は一朝一夕に解決できる課題ではなさそうです。
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村の歴史民俗資料館
 
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展示されている出土したパン状炭化物
 
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最大のパン状炭化物 

縄文時代の遺蹟の豊富さは、役場に隣接する歴史民俗資料館で確かめることができます。その一つが、昭和51年に縄文中期の伴野原遺跡の住居炉跡から出土した「パン状炭化物」。クッキー状の炭化物で、直径17センチ、厚さ3センチ、これまでわが国で出土した中では最大です。その成分はシソ科植物であるエゴマの実を粉末にして丸く固めた食物といわれます。汁ものに入れたか、直接焼いて食べたと推定されます。全国で4例見つかっています。当時の食物状況を研究する上で重要な出土品です。
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種子の圧痕跡が残されている土器の破片 

実は同じ遺跡から同時期に発見された深鉢土器を最新測定法で分析した結果、300個にも及ぶ植物種子の圧痕(あっこん)が残されていることが平成27年(2015)に判明しました。種子はアズキかガマズミの実であることがわかり、4500年前、伊那谷の縄文人たちが小豆のような植物を栽培化していた可能性が浮き彫りになりました。いずれの出土品も資料館で見ることができます。伴野原遺跡の研究によって、今後縄文時代の生業解明が前進しそうです。
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松尾多勢子晩年の肖像(資料館のパンフから)
 
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多勢子の墓地
 
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多勢子が嫁いだ松尾家

豊丘村を紹介する上で欠かせない歴史上の人物が松尾多勢子(まつお・たせこ)です。文化8年(1811)伊那郡山本村(現飯田市)の豪農の長女として生まれました。幼少のころから読み書きや和歌を学び、当時伊那谷に盛んだった国学の影響を受けて育ち、19歳で伴野村(現豊丘村)の松尾淳斎に嫁ぎます。
 
3男4女7人の子を育て上げると主婦の座を嫁に渡した後、52歳のときに単身上洛。和歌を通じ、勤王倒幕派の公家や志士たちとの連絡役を務めたほか、幕府の機密情報の収集にも当たり、勤王倒幕派の活動を陰で支えました。その一方で「佐幕派」とみられた岩倉具視に接触して勤王派に受け入れられるきっかけをつくりました。
 
一旦は帰郷しますが、明治維新後、多勢子は岩倉に請われて再び上洛し、岩倉家の家政一切を取り仕切り「岩倉家の女参事」と呼ばれました。新政府の確立を見届けた後は帰郷し、農業や養蚕にいそしみながら晩年を過ごし、明治27年(1894年)に84歳で亡くなりました。 幕末の激動の時期に、多勢子は当時の地方の女性としては異例の活躍をし、信濃一帯では広く知られた存在でした。島崎藤村の「夜明け前」にも活写されています。お墓は慈恩院東裏松尾家墓地内に、嫁ぎ先の松尾邸は菩提寺のすぐそばにあります。



今日は久しぶりに温暖で、そろそろ開花の情報が入りそうです。では、また。草々

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 安曇野 無頼庵
  加藤 雅博
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共通テーマ:旅行

中高年の「元気が出るページ」2017年4月号                    ①うにのおうちごはん歳時記第7回 春の筍 山田うに                ②安曇野発 信州村めぐり 35 下伊那郡豊丘村 加藤雅博             ③183回シネマトーク『ムーンライトに青く染まった』 西島雄造

うにのおうちごはん歳時記

毎日いただくおうちごはん。春夏秋冬、季節の彩りにあふれた食材や料理を取り上げて食の歳時記として連載します。


写真と文:山田うに


編集者・トラベルライター。よみうりカルチャーの野外講座・料理教室講師。ほかに『大人のカルチャーガイド』で美術館・博物館の企画展案内などを執筆。

第 7 回 4月 春の筍


 日本の島々と多くの神々を生んだ伊邪那美命(いざなびのみこと)は最後に火の神を生んで、それがもとで大やけどを負い黄泉の国へ隠れてしまいます。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は亡き妻・伊邪那美命に一目会いたいと、黄泉の国へ追いかけていきます。しかし伊邪那美命は「わたしはもう黄泉の国の食べ物を食べたので、地上に戻ることはできない」と伊邪那岐命を追い返します。逃げ帰ろうとする伊邪那岐命を追いかけてきたのが黄泉醜女(よもつしこめ)で、伊邪那岐命は逃げながら髪飾りのつる草を投げつけると、それはブドウの実になり、櫛を投げるとそれは竹の子になりました。さらにも桃の実を投げつけ、黄泉醜女がそれらを食べているうちに地上に逃げ帰ったのでした。
 竹の子はこのように古事記に登場するほど日本人と付き合いの古い食物でした。竹には様々な種類がありますが、食用で一番なじみ深いのが孟宗竹(もうそうちく)です。中国原産のこの竹が沖縄、鹿児島を経て本土の薩摩藩に伝わったのは江戸時代中期の元文元年(1736)といいます。江戸の地に伝わったのは寛政元年(1789)。山路次郎兵衛勝孝(かつたか)という薩摩藩御用の廻船問屋が所用で薩摩に赴き、孟宗竹を見ていたく気に入って苦心して江戸に持ち帰り、現在の品川区桐ケ谷の自分の別荘に植えたのが始まりです。これが“目黒の竹の子”として江戸名物になり、目黒不動門前の茶屋では竹の子飯が売られたほどでした。品川区小山1丁目には「孟宗竹筍栽培記念碑」があります。なお勝孝は文化2年(1805)に亡くなりましたが、世に竹翁とか筍翁と呼ばれたと伝えられています。

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(写真:旬の筍)

4月になると青果店の店頭に生の竹の子が並びます。水煮の加工品が一般的ですが、季節には掘りたての生を求めたいものです

 筍という字は「旬内に竹の子となり旬外に竹となる」ことが元で、“旬”つまり10日ほどの間に竹の子はできて、10日過ぎると竹になってしまうということから旬の字に竹カンムリが付きました。土の中にいるときが筍、土から出ると竹の子と粋に言い回す人もいます。竹の子が出回るのは2月下旬から5月下旬まで。春先に一日も立たないうちにひょんひょんと伸び、その生命力に驚かされます。
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(写真:筍を茹でる)

生の竹の子は米ぬかを加えたたっぷりの湯で茹でると香りと旨みがまったく違うのに驚かされます

料理は吸い物や和え物、煮物、揚げ物など。竹の子の皮の柔らかな部分(姫皮)は和えたり酢の物にしたりします。えぐみがあるので多くは茹でてから料理に用いますが、掘りたてはえぐみの回らないうちに刺身で食べることができます。
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(写真:筍の煮もの)

干しシイタケで出汁をとり竹の子を煮ました。併せるのはシイタケと車麩、スナップエンドウ。庭から木の芽を摘んで散らしました

 俳句では単に筍といった場合は夏の季語ですが、春に出たものは特に春の筍といい、こちらは春の季語です。

   旅終へて春筍京に溢れおり(角川源義)
   舞子の辺春の筍甘き香を(渡辺桂子)

 俳人であり俳壇選者の石寒太(いし かんた)は『俳句日暦―一人一句366―』の著書で、4月6日にあてて

   筍や雨粒ひとつふたつ百(藤田湘子)

の句を紹介し、「この筍の句、音楽的であり、絵画的である。(中略)そして、ひとつふたつ百……。この“ひとつふたつ百”が俳諧なのである。竹林に、そして筍に雨がやってくる。パラ、パラ、パラパラ……、そしてザーザーと……。雨後の筍はまたぐんと伸びを示すのである。情景もいいし、“ひとつふたつ百”のリズム感がいい。」と解釈を添えている。
 なるほど、俳人の感覚というものは鋭いものです。感嘆しながら竹の子の穂先の煮物を味わったのでした。

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中高年の「元気が出るページ」2017年3月号                    ①うにのおうちごはん歳時記第6回  雛祭りの膳 山田うに             ②安曇野発 信州村めぐり 休載                           ③182回シネマトーク『ラ・ラ・ランド』夢見る楽しさ 西島雄造

(((182回 シネマトーク))))

【『ラ・ラ・ランド』夢見る楽しさ】

 
西島雄造


 2月26日(日本時間27日)に行われた第89回アカデミー賞の授賞式は、トランプ米大統領にNoを突きつける色合いが濃かった。そしてクライマックスの作品賞発表でハプニング。ウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウェイの二人が「オスカーは『ラ・ラ・ランド』に」と口にした直後に壇上は混乱。「作品賞は『ムーンライト』に」と訂正された。
 『ラ・ラ・ランド』は13部門で14ノミネート(歌曲賞に2曲)された。過去の記録は『イヴの総て』(ジョセフ・L・マンキウィッツ監督1950)が、12部門(主演女優賞がアン・バクスターとベティ・デイヴィス、助演女優賞にセレスト・ホルムとセルマ・リッターのダブル・ノミネート)で14ノミネート、6部門受賞。『タイタニック』(ジェームズ・キャメロン監督1997)が14部門ノミネート、11部門受賞の記録がある。第89回の結果は『ラ・ラ・ランド』がデミアン・チャゼルの監督賞、エマ・ストーンが主演女優賞、撮影賞、美術賞、ジャスティン・ハーウィッツが作曲賞と歌曲賞の二冠で計6部門の栄冠を射止めた。『ムーンライト』も作品賞のほかにマハーシャラ・アリの助演男優賞と脚色賞を受賞した。
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ラ・ラ・ランド

 『ラ・ラ・ランド』は伝統的なボーイ・ミーツ・ガールの物語だ。主題は映画やJAZZが娯楽の中心だった20世紀の日々と、アメリカ人が追い求め続けるアメリカン・ドリームである。LA は言うまでもなく映画と音楽の都でもあるLos Angeles。主題曲「City of Stars」と呼ぶにふさわしい。ハリウッドもスクリーンも星のように輝いていた。
 20世紀FOX社が開発し、1953年に『聖衣』(ヘンリー・コスター監督1953)とともに登場したCINEMASCOPEのロゴが懐かしい。スクリーンにはイングリッド・バーグマンの美貌が圧倒した『カサブランカ』(マイケル・カーティス監督1942)や『汚名』(アルフレッド・ヒチコック監督1946)、ジェームズ・デイーン主演の『理由なき反抗』(ニコラス・レイ監督1955)…が映し出される。ディーンとナタリー・ウッドが淡い恋をささやいたプラネタリウムは忘れようもない。
 ラジオから流れる音楽の心地よさ。ニューオーリンズ・ジャズ史に残る伝説のクラリネット奏者、シドニー・ベシェ(1897-1959)をはじめ、名曲「スターダスト」や「わが心のジョージア」を作曲したピアニストのホーギー・カーマイケル(1899-1981)、サッチモ=ルイ・アームストロング、セロニアス・モンク、チャーリー・パーカーたち。『ラ・ラ・ランド』は過ぎ去った日々へのオマージュのように思える。
 いきなり長回しで観客をスクリーンに誘いこむ。LA名物の道路渋滞から逃れた車の群れの中で踊りだし、ヒロインのミアが登場するまでのワンカメラの演出と撮影は見事だ。パン、移動、ズーム、俯瞰…とテクニックを駆使して迫力がある。二人のダンス・シーンでは、『バンド・ワゴン』(ヴィンセント・ミネリ監督1953)で、フレッド・アステアとシド・チヤリシーが夜の公園を舞台に、「ダンシング・インザ・ダーク」の曲で踊った場面を思い出す。群舞のジタバグが時代を彷彿させる。
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バンド・ワゴン

 オーディションを受け続ける女優志願のミア(エマ・ストーン)、ジャズピアノに心血を注ぐセブ(ライアン・ゴズリング)。1988年生まれのエマは目に力がある。ゴズリングはオスカーこそ逃したが歌も演技も達者だ。1980年、カナダ生まれで、ジャズ・ギターを弾く。監督も高校時代はジャズ・ドラムをたたき、その経験が『セッション』で実を結んだ。ハーバード大学卒の32歳は、さらに進化しそうだ。作曲のジャスティン・ハーウィッツも『セッション』で共に仕事をしている。さて、ボーイ・ミーツ・ガールの結末は。
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ラビング 愛という名前のふたり

 『ラビング 愛という名前のふたり』は、まさに愛にあふれながら、愛ゆえの葛藤を描いている。主人公のリチャード・ラビング(ジョエル・エルガートン)と妻のミルドレッド(ルース・ネッガ)は実在の人物。舞台はバージニア、人口の約3割、50万人が奴隷だった時代もある。レンガ職人のリチャードは父親が黒人の下で働いてきたこともあり、黒人のミルドレッドと愛し合い、妊娠を知って結婚を決断する。
 だがアメリカにはジム・クロウ法=Jim Crow Law(1876-1964)があり、異人種間結婚禁止法が存在した。17歳のミルドレッドとリチャードは、ワシントンDCで婚因手続きをした。当然、バージニア州当局に目を付けられ、裁判の結果、25年間、バージニアの故郷から立ち去るか、刑務所に入るかの決断を迫られる。身重のミルドレッドは夫の母の手で出産したいと切望。夫も望みを叶えてやるものの、二人は刑務所に収監される。
 再びワシントンDCに戻って5年、3人の子どもにも恵まれる。公民権運動が力を増してきた時代、意志の強いミルドレッドは、当時のロバート・ケネディ司法長官に手紙を送り、アメリカ人権協会=ACLUが動き出す。雑誌LIFEは<結婚は犯罪か>と題して特集を組んだ。ついには合衆国最高裁が異人種間結婚禁止法は<違憲>と結審する。公民権法案を強く推し進めたJ.F.ケネディ大統領は1963年11月22日、ダラスで凶弾に命を奪われるが、1964年に公民権法は制定され、ジム・クロウ法も廃止される。実話を静かに描いた感動作だ。脚本・監督はジェフ・ニコルズ。まだ40歳前で将来を嘱望されている。現実のリチャードは1975年に事故死、ミルドレッドは2008年に68歳で他界した。
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モアナと伝説の海

 『モアナと伝説の海』(ジョン・マスカー&ロン・クレメンツ監督)は、描かれているもの、すべてが美しさに満ちている。海、波しぶき、砂粒、花園のような海の底。空と流れる雲。MOANAはポリネシア語で大洋を意味する。賢そうで表情豊か、冒険心もたっぷりだ。とにかく可愛い16歳。なぜモアナは海原に漕ぎ出すことになるか。
 半神半人、かつては全能だったマウイも魅力的だ。少しひょうきんでもある。隆々たる筋肉の動き、胸の鼓動まで伝わる。全身に描かれたTATTOO=入れ墨はポリネシア文化のひとつで精神的、霊的な意味があり、力強さの象徴でもある。胸の入れ墨に描かれた絵が音楽に合わせて踊りだすアイデアも卓抜で、アニメながら細かな振付にも注目。
 ほかにもモアナの祖母タラ、モアナとともに海に出るニワトリのヘイヘイ…ディズニーならではの独創的なキャラクターたち。監督の二人は、ともに『リトル・マーメイド』(1989)や『アラジン』(92)を手掛けてきた最強のコンビ。主題曲の「How Far I’ll Go」は、アカデミー歌曲賞にノミネートされた。美しさが、終幕で新たな感動をもたらす。
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ヨーヨー・マと旅するシルクロード

 『ヨーヨー・マと旅するシルクロード』(モーガン・ネヴィル監督)は、国境を越えて音楽の美しい旋律を奏でる。ヨーヨー・マ、1955年パリ生まれの世界に名だたるチェリスト。幼少から弦楽器に親しんだ。バッハの無伴奏組曲からタンゴまで、弦からほとばしる音色は美しい。ドキュメンタリーはむろんチェロの響きとともに始まる。2000年に音の文化遺産発信のため始めた<シルクロード・アンサンブル>。文化は国のアイデンティティーでもある。国家があれば国境がある。国を越えて文化が交歓し合い、新たな文化を紡ぎだす。
 東西文化の起点であるトルコのイスタンブールが映し出される。ボスボラス海峡、アヤソフィア大聖堂。チェロやヴァイオリン、琵琶、ギリシャやトルコ独特の弦楽器ケマンチェ…様々な楽器がアイデンティティーを主張しながら、いつしか混然一体となって天上の響きを奏で、音楽の意味や持つ力や可能性を問いあう。可能性は希望だという。
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アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発

 『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』は興味深い映画だ。<アイヒマン実験>が背景にある。アドルフ・アイヒマン(1906-1962)、東ヨーロッパのユダヤ人数百万人を絶滅収容所に送り込んだナチスの責任者である。第二次世界大戦にドイツが敗退したあと、アルゼンチンに逃亡していたが、逮捕、絞首刑に処せられた。アドルフは「命令に従っただけ」と無罪を主張した。
 父親は電気会社の簿記係、アドルフも鉱山工場や石油セールスマンとして働いていたが、オーストリア・ナチ党に入り人生が変わり始める。このように善良、凡庸な人間でも、閉鎖された状況の中で権威的な指示に従う人間のありようを、実験室で証明しようと試みたのがスタンレー・ミルグラム(1933-1984)である。新聞広告で募集した20-50歳代の男性を被験者に、“加害者”と“被害者”の行動を治験した。映画に描かれている通りである。
 結果は<権威に対する服従>の仮説の証明にたどり着く。人間は誰でも一定の権威のもとでは<アイヒマンの後継者>になれる?原題『Experimenter』は実験者を意味する。監督はマイケル・アルメイダ。ミルグラムにピーター・サースガード、『マグニフィセント・セブン』で悪役ボーグを憎々しげに演じている。ほかにウィノナ・ライダー。
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フレンチ・ラン

 『フレンチ・ラン』が面白い。7月14日のフランス建国記念日にテロが仕掛けられるとの情報。その前夜、盛り場で爆発があり4人が死んだ。犯人と見なされたのがアメリカ人のマイケル(リチャード・マッデン)、職業は“最高のスリ”。ヌードモデルを素裸で歩かせ、周囲の者が目を奪われている隙にスリまくるという指先の魔術師。道すがら街角に置き去りにされていたバッグを拾うが、中身は女性用のかつらやぬいぐるみとあって捨てた直後、ぬいぐるみに仕込まれた爆弾が破裂した。一方、犯人追跡に単独で奔走するCIAの捜査官ブライアー(イドリス・エルバ)はマイケルの無実を知って、捜査に協力を求める。
 監督はジェームズ・ワトキンズ。監督デビュー作の英国製ホラー『バイオレンス・レイク=Eden Lake』(2008)が評価された。92分のなかで歯切れのいい演出を見せる。『ロック、ストック&トゥ・スモーキング・バレルズ』(1998)のガイ・リッチー監督と仕事を共にしているカメラのティム・モーリス=ジョーンズと、ジョン・ハリスの編集の効果も見逃せない。まるでグーグル・マップで見るようなパリ。大逆転のストーリーは見てのお楽しみ。1966年、パリ生まれのジョゼ・ガルシアがいい。すでに映画出演62本のベテラン俳優だ。
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マン・ダウン 戦士の約束

 『マン・ダウン 戦士の約束』(ディート・モンティエル監督)はアメリカの海兵隊が主題になる。入隊し過酷な訓練を経て戦場に出る。目的はただ一点<殺せ>。だが、イラクとアフガニスタンからの復員兵の5人に1人が、戦闘などで死に直面した体験がもとでPTSD=心的外傷の苦痛にさいなまれ、生活機能にも障害がある。20万人は社会復帰を果たせずホームレスに。また毎日22人が自殺しているという統計がある。
 妻と息子と幸せな家庭を営んでいた主人公ガブリエル(シャイア・ラブーフ)もまた、アフガニスタンの戦場で死を目の当たりにする。分けても敵とみて撃った標的は母と娘だった、拭い去れない記憶。帰国したが、自殺願望の日々。戦争は戦場だけのことではない、兵士は<戦争を持って帰ってくる>。妻にケイト・マーラ。
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アサシンクリード

 フランスのコンピュータゲーム会社が開発したアクションゲームの映画版『アサシンクリード』(ジャスティン・カーゼル監督)で、十字軍時代の暗殺者教団がよみがえる。記憶を喪失した死刑囚カラム(マイケル・ファスベンダー)が、遺伝子操作で15世紀に復活し、人間の自由意思を支配できるといわれる秘宝<エデンの果実>を死守する、アサシン教団の一員だった先祖アギラールの運命を追体験する。人気上昇のフランスのマリオン・コティヤールとジェレミー・アイアンズ、シャーロット・ランプリングが共演。
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しゃぼん玉

 宮崎県の山深く、ひえつき節と平家の落人の里で知られる椎葉村でひとり暮らしの老女スマ。夫と死別し、大学を出した息子は都会暮らし。たまに帰ってくれば金の無心。そこへ、ひょっこり転がり込んだ若者・伊豆見(林遣都)。両親に見捨てられ、生きる方便に大阪でひったくりを重ねているうちに被害者の女性を傷つけてしまい、はるばる逃げてきた。
 『しゃぼん玉』の話の発端である。突然始まったバーちゃんと若者の暮らし。孤独なスマは、そばに人がいるだけで、心のぬくもりを感じたのだろう。何くれとなく世話を焼き、村ではバーちゃんに孫が帰ってきたとの噂になる。秋に繰り広げられる平家まつりがクライマックス。若者は村の人々にとけ込み人間らしさを取り戻すのだが…。バーちゃんと実の息子、若者と両親、二組の肉親の絆のありようを描く。これが東伸児の初監督、バーちゃんを演じる市原悦子と綿引勝彦らの演技にも支えられている。
 噺家の柳家喬太郎と娘役に石井杏奈で『スプリング・ハズ・カム』(吉野竜平監督)。妻が出産後に死に、男手で育てた娘が東京で学生生活を送ることになった。父親は娘が住むアパート探しに広島から上京する。映画のロケーション現場や、インド料理のレストランで結婚式に巻き込まれるハプニングもあり、父と娘が過ごした一日。喬太郎がよく演じている。
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真白の恋

 『真白の恋』(坂本欣弘監督)は北川亜矢子の原作・脚本で、可憐な恋心を描いている。舞台は富山県射水市新湊。軽度の知的障害のあるヒロイン渋谷真白(佐藤みゆき)が、観光パンフレットに使う写真を撮りにきていた油井景一(福地祐介)と出会い物語が始まる。
「真白が普通の女の子だったら」という切ない思いのなかに、障害者に対するしなやかなメッセージが込められている。少し長回しがリズムを乱しているが、将来が楽しみな監督だ。
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ASURA=アシュラ

 韓国から2本。『ASURA=アシュラ』(キム・ソンス脚本・監督)は、末期がんの妻の治療費のため、悪徳市長のしりぬぐいを続けるはみ出し刑事(ハン・ドギョン)が泥沼に落ちてゆく。後輩の刑事(ムン・ソンモ)は、実の兄のように慕いながら、身代わりとなって市長の信頼を得てのしあがり…。話は複雑だが歯切れよく畳みかける演出は悪くない。
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お嬢さん

 『お嬢さん』(パク・チヤヌク監督)の原作はイギリスのサラ・ウォーターズの「荊の城」。舞台を神戸に置き換え、脚本には日本語の卑猥なセリフを散りばめている割に昇華するほどの性愛の描写はない。日本語が拙いので、日本人には違和感があるだろう。それでも一見の価値はある。お嬢さん役のキム・ミニは魅力的だ。作者はレズビアンのミステリー作家といわれる。ラストを見て納得。

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<うにのおうちごはん歳時記>


毎日いただくおうちごはん。春夏秋冬、季節の彩りにあふれた食材や料理を取り上げて食の歳時記として連載します。

写真と文:山田うに


編集者・トラベルライター。よみうりカルチャーの野外講座・料理教室講師。ほかに『大人のカルチャーガイド』で美術館・博物館の企画展案内などを執筆。


第 6 回 3月 雛祭りの膳


     雛の段組むと亭主はひまになり(明和四年 川柳評万句合)
     雛祭り旦那どこぞへ行きなさい(柳多留5)

 雛祭りは女性のお祭り。雛壇を飾るのは亭主の役目です。雛段を組み、人形を並べ、こまごまとした持ち物を飾ります。飾りつけが終わると亭主は何もやることがなくなるのでした。そこでひと息入れようとすると、女性の節句に男性は無用だと亭主は追い出されたのです。
 3月3日は上巳(じょうし)の節句といいます。五節句の一つで、陰暦3月初めの巳(み)の日に女児の健やかな成長を祈って祝う日です。ちなみに五節句とは正月7日(人日)、3月3日(上巳)、5月5日(端午)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽)の総称です。上巳の節句には雛人形を飾り、桃の花や雛菓子を供えて祝いました。こうしたスタイルは江戸時代に整いました。江戸時代初期は毛氈などの上に紙で作った雛を並べ、駕籠・屏風・銚子提・絵櫃(よもぎ餅を入れました)などを並べました。調度品にも流行り廃りがあって、元禄の頃から華美になり、女児の幸福な結婚を期待することから嫁入り道具が取り入れられました。雛段の段数は調度が華美になるにしたがって増えていったもので、寛延年間(1748~1751)に2段、明和(1764~1772)ごろには3段になったといわれます。天皇・皇后の姿をかたどった男女一対の雛人形、いわゆる内裏雛が成立したのは江戸末期になってからです。
 現在雛人形の販売は浅草橋の商店街が有名ですが、江戸時代は日本橋の十軒店や人形町、神楽坂、芝神明前ほかで仮小屋を建てて雛人形や調度品を売りました。期間は2月28日から3月2日までの五日間の商いでした。
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(雛祭りの膳)

小さな七段の雛飾りに雛あられを供えました。主菜はちらし寿司です。吸い物はお決まりの蛤です


 雛祭りに欠かせないのがちらし寿司です。江戸と京阪の三都の風俗を記した江戸末期の風俗随筆、喜多川守貞の『守貞漫稿』では寿司の項で「三都とも押鮓だが、江戸はいつごろからか押鮓が無くなり、握り鮓だけとなった」と語っています。さらに五目寿司については「椎茸、玉子焼き、蓮根などのほか、あわび、海老、魚肉を酢〆にして細かに刻み、飯に混ぜて、丼に盛り、錦糸玉子を上に飾る」と記しています。

   山海も只一ト口の五もく寿し(柳多留一六一17)

 という柳句も残っています。女の子の宴ですから白酒も飲みます。酔いが進むと娘たちのおしゃべりの調子も一段と高くなるのでした。

   雛祭り皆ちっぽけなくだを巻き(宝暦10年 川柳評万句合)

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(稲荷寿司)

寿司飯をたっぷり詰めた稲荷寿司。自家製はスーパーの商品と違って大ぶりです。紅しょうがを添えました


 なお、稲荷寿司が登場したのは幕末になってから。握り寿司より後の時代です。天保7年(1836)の大飢饉のとき、その安直さと廉価さで流行し、贅沢禁止令もあってあっという間に時代の寵児となりました。当初は油揚げに豆腐のおからを詰めた安価な食べ物で、行商人が町々を売り歩きました。ちなみに江戸時代は稲荷寿司はその日暮らしの人々の食べものと認識されており、それゆえ古川柳に稲荷寿司の句はありません。この“賤価鮨”は現在でも高級寿司店にはないメニューであり、むしろ庶民的な店やスーパー、コンビニで多く売られています。稲荷寿司と海苔巻きをセットにした商品は助六寿司といいます。また、稲荷寿司は関東では米俵の形に、関西では油揚げの角をキツネの耳に見立てて三角形に作るのが主流です。


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中高年の「元気が出るページ」2017年2月号                   ①うにのおうちごはん歳時記第5回  節分と蕗の薹 山田うに            ②安曇野発 信州村めぐり34生まれ故郷「旧・南安曇郡安曇村」を歩く 加藤雅博  ③181回シネマトーク西部劇は20世紀の遺物ではない 西島雄造

(((181回 シネマトーク))))

【西部劇は20世紀の遺物ではない

 
西島雄造


 映画の全盛期、そしてハリウッドが活力に満ちていた時代、西部劇はスクリーンに君臨していた。西部劇ファンはジョン・フォード(1894-1973)の映画をこよなく愛した。両親はアイルランド移民。1917年、30分の無声西部劇『颱風』で監督デビューする。『男の敵』(1935)『怒りの葡萄』(1940)、アイルランドを舞台にした『わが谷は緑なりき』(1941)『静かなる男』(1952)で4度のアカデミー監督賞を手にしている。
 筆者の記憶にある初めてのフォード作品は戦前の海外で観た『ハリケーン』(1937)だ。主題曲「マナクーラの月」のメロディーは今も耳に残っている。作曲したアルフレッド・ニューマン(1901-1970)はアカデミー賞を9度受賞し、ノミネートは32度にのぼるハリウッド映画音楽界の重鎮だった。『大空港』(1970)が最後の作品となる。
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 ジョン・フォードの名を忘れられないものにしたのは『荒野の決闘』(1947)だ。映画は芸術ではないかと漠然と思った。以来、監督賞受賞作はもとより『駅馬車』、フォード初のカラー作品『モホークの太鼓』(いずれも1939)『アパッチ砦』(48)『黄色いリボン』(49)『リオ・グランデの砦』(50)、そして『ミスター・ロバーツ』『長い灰色の線』(いずれも1955)『リバティ・バランスを射った男』(1962)…と見逃すことはなかった。
 フィルモグラフィーを見ると、手掛けた作品140本(1917-1966)のうちサイレント時代に40本。トーキーに入って最初のころは普通のドラマやコメデイもあるが、1939年の『駅馬車』で西部劇に回帰する。アカデミー作品、監督賞にノミネートされたが、勝者は『風と共に去りぬ』だった。太平洋戦争に突入すると、陸海軍関連のドキュメンタリーに専念し、『12月7日』といった作品も残している。俳優としての出演作も19本(1913-1916)。戦いが終わると『荒野の決闘』を世に問うた。戦後に撮った西部劇は15本である。
 《映像の詩人》と敬愛されたフォード監督だが、時代の変遷とともにインディアンという呼称さえ、ネイティヴ・アメリカンにとって代わる。AFI=American Film Instituteが選ぶ《ベスト100》に連ねるフォード作品は、21位にJ・スタインベック原作の『怒りの葡萄』、63位にやっと『駅馬車』、『捜索者』(1956)が96位である。
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「マグニフィセント・セブン」

 『マグニフィセント・セブン』が1月27日から公開されている。言うまでもなく、ジョン・フォードに影響を受けたという黒澤明監督の最高傑作『七人の侍』(1954)を下敷きにした西部劇。アントワーン・フークワ監督の今作に並ぶ七人は、治安官にデンゼル・ワシントン、クリス・ブラッドがガンマンにしてギャンブラー、南北戦争のトラウマを背負った狙撃手にイーサン・ホーク、山男にヴィンセント・ドノフリオ、ナイフを武器にするイ・ビョンホ、メキシコ人のガルシア・ルルフォ、そしてインディアンにはマーティン・センズメアといずれ劣らぬ面構え。悪役ボーグにピーター・サースガード、これがすこぶるいい。
 西部の開拓者の町ローズ・クリーク。金採掘のため住人たちを不埒な暴力で追い詰める悪党一味に対抗しようと、夫を殺されたエマ(ヘイリー・ベネット)が助っ人を探し求める。事態は緊迫しボーグが援軍を呼ぶ。到着までの7日間に銃を握ったことのない町民に戦い方を教え、罠を仕掛ける。敵は1861年に開発された多砲身のガトリング砲で狙い撃ちしてくるが…。インディアンという呼称を躊躇うことなく使うが「インディアンの恥を知れ」と先住民に敬意を忘れない。主題は言うまでもなく勧善懲悪。正真正銘の西部劇をお勧めする。
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「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」

 ティム・バートン監督の新作『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』は大人をも不思議、奇妙な世界に導く。登場するのはミス・ペレグリン(エヴァ・グリーン)、主人公の16歳の少年ジェイク(エイリ・バターフィールド)と祖父のエイブ(テレンス・スタンプ)、不死身になるためにミス・ペレグリンたちを捕まえにかかる邪悪なバロン(サミュエル・L・ジャクソン)、鳥に変身するミス・アヴォセット(ジュディ・デンチ)。空気より軽い少女、巨大な野菜を育てたり、巻き毛の後頭部に鋭い歯を持っていたり、顔のない少年や頭から爪先まで白い布で覆われた名無しの双子もいる。様々な能力を秘める子どもたち。
 ミス・ペレグリンの屋敷で展開する(悪)夢のような出来事の数々。ときに神秘的、ときに意表を突く想像力と創造性に満ちた127分。終幕はイングランド・ランカシアーのリゾート地Blackpoolに移る。ブラックプールタワーやイルミネーション・ビーチが目を奪う。バートン監督ならではのファンタジーに満ちた世界だ。サミュエルの怪演も見もの。
 世界を震撼させたEDWARD SNOWDEN、1983年6月21日生まれ。2004年に米軍の特殊部隊に入り、過酷な訓練で両足を骨折して除隊。のちNSA=アメリカ国家安全保障局、CIA=中央情報局で実体験した、コンピュータ・ネットに不正侵入してデータを改ざんするクラッカー、また諜報活動、破壊行為といったサイバー戦争の現実に幻滅した。2011年6月、米国務長官は「外国によるサイバー攻撃は戦争行為と見なす」と断じる状況にあった。
 スノーデンは2013年6月、香港で英ガーディアン紙、ワシントン・ポスト紙、サウスチャイナ・モーニング・ポストの取材、インタビューを受け、NSAによる個人情報収集やPRISM計画について告発した。PRISM計画はマイクロソフトやグーグル、ヤフーなどのフェイスブック、YouTube、ユーザーの電子メール、文書、写真、利用記録、通話の情報を収集するNSAの極秘監視プログラムである。米司法当局は時を移さずスノーデンに対する逮捕命令を出すが、スノーデンはロシア移民局から滞在許可証を得てロシアに身を移す。
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「スノーデン」

 こうした事実をもとに新作映画『スノーデン』は作られた。監督は社会派のオリバー・ストーン。これ以前にローラ・ポイトラス監督『シチズンフォー スノーデンの暴露』が、第87回アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を得ている。ジョセフ・ゴードン=レヴィットがスノーデンに扮した新作も、スリリングに展開する。人は人を疑う。疑えば監視し、疑惑は増幅される。コンピュータという魔法の器械は洗練され進化するうちに自己撞着と自己破壊を起こし、サイバー戦争に発展しているようだ。もっとも今日的な主題に違いない。
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「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」

 『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』(ジャン=マルク・ヴァレ監督)は、冷たい風が吹き抜けるような、微妙な心のひだを描いている。妻が運転中に事故死する。金融家の娘と結ばれた貧しかった青年デイヴィス(ジェイク・ギレンホール)。義父(クリス・クーパー)に見込まれ要職に就いて、前途洋々のニューヨーク・ウォール街のエリート銀行員になっていたのだが。数字だけが仕事の日々に、いつしか感情を喪失していたジェイク。妻の死さえも現実としてとらえることが出来ないでいた。
 乱れた感情の淵から這い上がるにはどうすればいいのか。地位を捨て財産も住んでいる家さえも、それまでの生活をすべて壊すことで、気持ちを吹っ切ろうとする。喪失の悲しみは他者には理解できない。そんなときに出会ったシングルマザー(ナオミ・ワッツ)。『ダラス・バイヤーズクラブ』(2013)の監督のもとで、もともと目に力のあるギレンホールが、これまでのスタイルを脱ぎ捨てた深い演技を見せる。原題のDemolitionは特権などの打破、破壊、建物などの取り壊し、作り上げたものをひきずり下す(ラテン語)などを意味する。
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「ドクター・ストレンジ」

 『ドクター・ストレンジ』(スコット・デリクソン監督・脚本)の舞台は魔術の世界。Marvelが創り出した新たなスター、ドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンパーバッチ)は天才外科医だったが、交通事故で両手の機能を喪失してしまう。一瞬にしてキャリアも名声も富もなくした男は、腕を治せる魔術師がいるというカトマンズのカマー・タージ寺院を目指した。魔術を会得しようと身をささげる者の聖域。時空を超えた魔術に関する知識を収めた図書館もある。ドクター・ストレンジは修業のすえ魔術師としてマスターの位とともに<人類を守る>運命を与えられる。
 さまざまに奇妙、奇天烈、それらしい言葉がちりばめられる。アストラル次元、異次元をも見通す護符アガモットの目、あらゆる場所への通過口を現出させる装飾具スリング・リング。時間に関する魔術の本<カリオストロの書>。医師にして錬金術師、また詐欺師でもあるアレッサンドロ・ディ・カリオストロ(1743―1795)が知られる。
 登場人物もドクターの兄弟子、魔術所の番人、世界を破滅させようとする闇の魔術師、そしてティルダ・スゥィントン扮する神秘の力の守護者。ドクターのもとの恋人で救命救急医にレイチェル・マクアダムス。MARVELとディズニーがタグを組み、最高水準の映画術を駆使し、時空を超えた映像で、最もファンタスティックな魔術の世界を展開する。
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「ザ・コンサルタント」

 『ザ・コンサルタント』(ギャビン・オコナー監督)の主役クリスチャン・ウルフ(ベン・アフレック)は自閉症気味で幼時を過ごした。軍人の父親は幼い主人公と弟に、危機的状況での戦い方を徹底的に習得させる。数字に対する並外れた記憶力が役立ち、長じて有能な会計士になる。一方でその集中力が機能して有能な狙撃手に育っていた。
 仕事が舞い込む。ロボット製造で業界をリードする会社だが、経理に不正が発見され、巨額の金が流出している。一夜にしてそのからくりを解きほぐすが、調査は一方的に打ち切られ、クリスチャン自身も闇の顔を追及され始める…。ベン・アフレックの新境地を楽しめばいい。J・K・シモンズと、珍しやジョン・リスゴー、アナ・ケンドリックも出ている。
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「愚行録」

 『愚行録』の原作は貫井徳郎の2006年の小説。題名通り大学生たちの愚かな人間関係が物語を紡ぎ始め、やがて一家殺人に収斂してゆく。人間は時に承知、不承知にかかわらず、愚かな行為に走り思わぬ結果に直面することがある。細部をていねいに描いた向井康介の脚本を、石川慶監督が正攻法で映像化している。
 このところの妻夫木聡は『怒り』(李相日監督)『ミュージアム』(大友啓史監督)と一作ごとに成長を遂げており、屈折した週刊誌記者役を淡々と演じている。妻夫木の妹を演じる満島ひかりのみずみずしい感性は得難い。小出恵介は表情で細やかに演じ分けている。臼田あさ美、市川由衣、松本若菜ら他の俳優もみな巧い。それぞれが持つ資質か、演出の力か。
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「僕と世界の方程式」

 『僕と世界の方程式』(モーガン・マシューズ監督)はイギリスから届いた愛の物語。イングランド中部のシェフィールドに住むネイサン(エイサ・バターフィールド)もまた自閉症気味の少年だ。こと数学に関しては図抜けた資質を持っていた。理解者だった父親マイケルが交通事故で他界して、いっそう引きこもりがちなネイサン。母親は9歳のネイサンに数学の個人教授を頼み、かつて数学オリンピックにも出ながら多発性硬化症を患って挫折したマーティンとの交流が始まる。
 指導が実り、ネイサンは国際数学オリンピックのイギリス代表チームの選抜候補となり、台湾でのトレーニングに参加し、中国チームの少女とパートナーを組むことになったのだが…。高校生が対象の国際数学オリンピックは、毎年開催される。シェフィールドには国立大学があり、過去にノーベル生理学・医学賞と化学賞に各3人の受賞者を出している土地柄。映画は友情、師弟、母と息子、ガールフレンド、父親との思い出を描いてさわやかだ。
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「マギーズ・プラン―幸せのあとしまつ―」

 『マギーズ・プラン』(レベッカ・ミラー監督)のマギー(グレタ・ガーウィグ)は、ニューヨーク・マンハッタンの大学で芸術とコマーシャルの橋渡しをしている。子ども願望で、ブルックリンで野菜を商っている大学の同級生の精液をもらい人工授精を目論む。ひょんなことから、さっそうとしたキャリアウーマンながら家事はカラキシというジョーゼット(ジュリアン・ムーア)と別れた文化人類学者で小説家志望のジョン(イーサン・ホーク)と出来てしまい娘を授かる。
 そして第二幕。理屈っぽい脚本だが、面白くこなれており、最後は…。監督のレベッカ・ミラーは『セールスマンの死』のアーサー・ミラーの娘。舞台になるニュースクール大学は1919年創立の名門校で、エレノア・ルーズベルトやテネシー・ウイリアムズらも在籍、レベッカ自身の母校でもある。イーサン・ホークがコメデイもこなす達者なところを見せる。
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「海は燃えている イタリア最南端の小さな島」

 『海は燃えてる イタリア最南端の小さな島』(ジャンフランコ・ロージ監督)はイタリアとフランスの合作。人口5500人、チュニジアとマルタの間のシチリア海峡にあるランペドゥーサ島が舞台になる。北アフリカに近い地勢から、アフリカや中東からの移民や難民が当初の目的地に選んでいる。子どもたちは学び遊び、父親は漁に出る。主婦は手料理で食卓をにぎわす。そんなありふれた日常の暮らしが営まれている、この島に。
 日常というありふれた日々さえない民もいる。リビア、スーダン、シリア、リトアニア…の難民たち。船倉に閉じ込められ熱中症、脱水症にかかり瀕死の若者。女性や子供も生死のはざまにさらされる。遺体が運び出される。これが新天地を求める難民たちの日常なのだ。映画は今年のアカデミー最優秀長編ドキュメンタリー賞にノミネートされている。
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「アラビアの女王 愛と宿命の日々」

 ニコール・キッドマンが演じる『アラビアの女王 愛と宿命の日々』(ヴェルナー・ヘルツオーク監督)も実話をもとにしている。Gertrude Bell(1968-1926)はシリア、メソポタミア、アラビア、アジアと踏破し、イラク建国の立役者と言われる。1915年には外務省管轄のアラブ局諜報機関の情報員だった。アラビアのロレンス=トーマス・エドワード・ロレンス(1988-1935)と出会い、1911年にはロレンスの案内でメソポタミアとシリアに足を踏み入れる。また2度の世界一周では1899年と1903年に日本にも立ち寄った。
 勇気ある英国の女性は、今にして思えばロマンティシズムに満ちた波乱万丈の冒険家でもあった。知的な風貌のベルを演じるキッドマンは、砂漠の輝きの中であくまでも美しい。実らぬ恋の相手をジェームズ・フランコ、ロレンスにロバート・パティンソンが扮している。

 ほかに1600年代、伝説の詐欺チームと言われた『キム・ソンダル 大河を売った詐欺師たち』(パク・デミン監督)は、韓国版史劇スティング。よくまとまっている。直木賞受賞の黒川博之原作『破門 ふたりのヤクビョーガミ』(小林聖太郎監督)もよくできたブラックコメデイ。こなれた脚本で演出のテンポも快調。佐々木蔵之介と横山裕の極道バディが、歯切れのいい大阪弁で笑わせる。

 リアリティー無視のドラマ『相棒―劇場版Ⅳ』(橋本一監督)は、俳優たちのオーバーアクションになじめばコメデイとわかり、安心して見ていられる。ドキュュメンタリー『抗い 記録作家 林えいだい』(西嶋真司監督)は、主役の反権力に徹した生きざまが魅力だ。
 

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中高年の「元気が出るページ」2017年2月号                   ①うにのおうちごはん歳時記第5回  節分と蕗の薹 山田うに            ②安曇野発 信州村めぐり34生まれ故郷「旧・南安曇郡安曇村」を歩く 加藤雅博  ③181回シネマトーク西部劇は20世紀の遺物ではない 西島雄造

安曇野発 信州村めぐり34

 
生まれ故郷「旧・南安曇郡安曇村」を歩く


加藤 雅博



 信州村めぐりのシリーズは終盤にきました。人々の集まりの「自然村」として生まれ、成長してきた「村」は生活の場としての共同体の一つの基礎単位でした。集い、共同、協同の生活をし、助け合い、喜びや悲しみをともにしてきた村。明治になり、近代国家として政府が中央集権化のため、「自然村」の合併を推進し、より大きな「行政村」をつくっていきました。総務省のデータでは明治21年(1888)に市町村制ができる前の自然集落数は71,314。翌年の市制町村制施行令に基づいて2年間で行われた大合併によって市町村数は、15,859へ約5分の1に減少しました。
 
 さらに昭和53年(1953)年から8年間に行われた昭和の大合併により、市町村数は9,868から3,472へと約3分の1に減少しました。そして、平成11年(1999)から同⒙年(2006)の平成の大合併の結果、市町村数は3,229から1,821へと約2分の1に減少、その後も折々の合併特例法によって徐々に市町村数は減ってしまいました。

 平成の大合併では、とりわけ「村」をなくして市・町ㇸと“格上げ”する傾向が強くなり、明治22年の1万5820村から平成26年には183村へと実に100分の1近くまでになりました。自治体として「村」の存在しない都道府県も平成の大合併で11県増えて⒔県になってしまいました。現存する村183のうち、35村が長野県ともっとも多く、2位の沖縄県19、3位の福島県・北海道の15村を大きく引き離したダントツのトップです。

 この平成の合併劇のなかで、筆者の生まれた村も名前を消してしまいました。今回は番外編として、筆者の生まれ故郷だった「村」に足を踏み入れ、紹介しようと思います。その村は「旧南安曇郡(みなみあずみぐん)安曇村(あずみむら)」。平成17年(2005)松本市に吸収合併されました。生まれてから高校を卒業するまで丸18年間過ごし、学生時代とその後のサラリーマン時代を留守にしましたが、17年前、晩年を故郷の空気を吸いながら過ごしたいという気持ちが抑えがたく、安曇野に居を構えました。

 生まれ故郷とはいっても、父親が転勤族のサラリーマンだったため、「村」に生活基盤と手段はなく、村に居を構えて暮らすことは不可能で安曇野から時折訪れるだけでした。でもその度に懐かしさは衰えることがなく、その当時の思いがよみがえってきます。改めて村の歴史をひもとくと当時はまったく知らなかった村の姿が浮かんできます。

 安曇村は明治7年(1874)9月、大野田(おおのた)、嶋々(しましま)(現島々)、稲核(いねこき)、大野川(おおのがわ)の4つの村の合併で発足しました。松本平の西方にあり、東西22キロ、南北32キロ、400余平方キロの面積は長野市、大町市に次ぐ県下第3位の広さでした。岐阜県と境を接し、槍ヶ岳・穂高岳・焼岳・乗鞍岳を含む3,000mクラスの高山が領域といえばその広さが想像できるでしょう。
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江戸末期の安曇村の集落地
 
(地図、写真の上をクリックすると画像を大きくしてご覧いただけます。)

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旧安曇村の位置図


 4つの村は梓川・大野川渓谷沿いで、江戸時代から「入四か村(いりよんかそん)」と呼ばれ、大半が松本藩が管轄する御用杣(そま)業=木材薪炭などの山林業に従事する人びとで構成されていました。由緒ある”安曇”を冠した村名の由来は明確ではありませんが、合併時4か村が属していたのが安曇郡で、村名を決めるにあたって、江戸時代からまとまりがよく、郡の一番手の第1小区という意識が強かったため、異論もなく、郡内では最初に決まったようです。
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旧安曇村役場・現松本市安曇支所
 
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安曇村碑と村章 

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島々地区の全景
 
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島々地区の案内表示板
                  
 しかし、自分の山林ではなく御用林の仕事ですから、裕福だったとはいえず、寒村だったに違いありません。ところが、大正年代になって近代化とともに電力の需要が見込まれると、電力会社が、標高の高度差が大きく、急峻な峡谷を流れる梓川に着目したことで一転します。村を流れる本流の延長は50キロメートルに達し、山岳地帯から流れ込む豊富な水量を最大限に生かした水路式発電所を大正年代に4か所、昭和の初期に5か所建設、さらに昭和40年代には3つのダム建設と3つの発電所が新設されました。この電源開発によって村は山村から発電の村へと変身を遂げました。
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上高地までの山岳通、徳本(とくごう)峠への表示板
 
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上高地徳沢園の連絡事務所(島々地区)

 村がさらに大変身のきっかけとなったのが、昭和9年(1934)12月4日に制定された中部山岳国立公園。村のほとんど全域を包括する北アルプスを中心とする長野・富山・岐阜・新潟県にまたがる国立公園は、とくに昭和期以降の生活スタイルの変化ともあいまって観光ブームを引き起こしました。
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稲核地区のバス停 
 
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稲核の名物「風穴(ふうけつ)」
 
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風穴の内部
 
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国道沿いの道の駅「風穴の里」

 とくに昭和2年(1927)の春、それまで文人墨客やアルプスを目指す岳人たちぐらいにしか知られていなかった「上高地」が一躍脚光を浴びることになりました。大阪毎日・東京日日新聞社主催、鉄道省後援による「日本八景」の読者投稿による選定が行われ、投票数は必ずしも最多ではありませんでしたが、審査委員会の評議の結果渓谷の部として、堂々日本を代表する8景に入りその地名は一気に知れ渡りました。
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ウェストンのレリーフ(上高地)
 
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穂高神社奥社がある明神池(上高地)

 明治⒛年(1888)から3回、来日して宣教師として長期滞在し国立公園内の多くの山に山案内人と共に探検的登山を行ったイギリス人のウォルター・ウェストンの功績も認めないわけにはいきません。ウェストンは帰国後、書籍『日本アルプスの登山と探検』を出版して、世界中に日本アルプスの魅力を紹介していますから、海外からも注目される景勝地ともなりました。電源開発に伴う道路の整備も進み、第二次大戦後の登山ブームは、上高地を我が国の代表的な観光名所としてゆるぎないものとしてきました。
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3ダムの一つ安曇ダムと梓湖
  
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乗鞍岳と広がる高原
 
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白濁色の乗鞍高原温泉。日本秘湯の会推薦の温泉

 筆者が生まれて小学生時代まで過ごしたのは旧大野川村の沢渡(さわんど)地区。梓川沿いの発電所の一つ、霞沢発電所がある集落で、観光拠点の上高地と白骨温泉の分岐点にあたります。都会から上高地やアルプスを目指してやってきた登山者たちが一息入れる休憩地でもあり、夏のシーズンになると、2軒のお土産屋さんは松本方面から列を連ねるようにやってきたバスを降り立った登山客であふれかえりました。山の子どもたちにとって、彼らが運んでくる都会の風と香りはあこがれの的でした。
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3ダムの一つ水殿ダムと発電所
  
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3ダムの一つ稲核ダム
 
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大正池と穂高連峰

 ちなみに霞沢発電所は、大正4年(1915)の焼岳噴火でできた大正池 から取水した水を使っています。上高地から約8キロの隧道を通して発電所の上部の貯水場に貯め、落差453メートルを一気に落とす仕組みの水力発電所です。その落差は当時東洋1といわれ、最大出力3万1100キロワットの発電量もこの方式では国内最大級。霞沢発電所もまた観光資源としての役割を担ったことになりました。
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上高地の地形マップ
 
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乗鞍高原の名所「三本滝」
 
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三本滝の案内板

 沢渡地区にある学校は、本校のある大野川小学校の分校という扱いでした。教師3人が2学年ずつ受け持つ複式学級で、一学年が7~8人、全校でも50人足らずの小さな本当に小さな学校でした。中学校は大野川にありました。この山間の地区で過ごした12年間の体験は筆者に様々な形で浸みこんでいることに気付かされます。一年に幾度かこの村を訪れると、遠い記憶とともに胸の奥に熱いものがこみ上げてきます。

 電力需要の伸びとともに発電所の増設が決定すると、沢渡地区のすぐ下流でダムの建設が始まり、父が転勤することになりました。中学生になった筆者が移り住んだのは村の中でも都会にもっとも近い大野田地区でした。村内で隣接する島々地区が村の中枢部で、ここに村役場、郵便局があり、小学校と同じ校舎の安曇中学校がありました。また、道路が上高地まで開通するまでは、唯一の山岳道「徳本(とくごう)峠」越えの分岐点でもありました。上高地の山小屋のオーナーが住んでいたり、山小屋の連絡所があるのもこの地区です。
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乗鞍岳と水車小屋は筆者の原風景

 そしてこの時代になると杣業だけで生活する人は少なく、上高地での観光関連や電力関連の仕事に従事する人が多くなり、発電に加えて観光立村としても全国的に認知されていきました。ただ、梓川渓谷沿いの大野田、島々、稲核地区の狭隘さはいかんともしがたく、乗鞍岳山麓に広がる大野川地区の乗鞍・鈴蘭高原が例外で、雪質の良好さと温泉を謳い文句にしたスキー場、民宿や、ヒュッテ、ペンションなどが林立し国民休暇村も建設など観光開発が活発に行われ一時期は数多くの観光客を集めました。

 しかし、この20年来、スキーブームと登山ブームは下火になり、頼みの綱でもある上高地の集客力も一時期ほどの威力が薄れてきたようにも思います。国内の少子高齢化の影響もあって、観光と電力だけで今以上に発展することは難しい状態です。昨年から法律で8月11日が「山の日」に制定され、県土の約8割を森林が占める全国有数の森林県である長野県は国にさきがけ長野県独自の「山の日」を制定しています。

 観光立国をもくろむ国土交通省観光庁は、訪日旅行者の目標を2020年に4000万人と設定しており、観光客の誘致に力を入れています。その余波が旧安曇村に幾らかでも及んでくれれば村も少しは活気づくことでしょう。岳都を標榜する松本市の一翼としての旧安曇村の今後を見守っていくつもりです。

                                  草々


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 安曇野 無頼庵
  加藤 雅博
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中高年の「元気が出るページ」2017年2月号                   ①うにのおうちごはん歳時記第5回  節分と蕗の薹 山田うに            ②安曇野発 信州村めぐり34生まれ故郷「旧・南安曇郡安曇村」を歩く 加藤雅博  ③181回シネマトーク西部劇は20世紀の遺物ではない 西島雄造

<うにのおうちごはん歳時記>


毎日いただくおうちごはん。春夏秋冬、季節の彩りにあふれた食材や料理を取り上げて食の歳時記として連載します。
写真と文:山田うに


編集者・トラベルライター。よみうりカルチャーの野外講座・料理教室講師。ほかに『大人のカルチャーガイド』で美術館・博物館の企画展案内などを執筆。

第 5 回 2月 節分と蕗の薹


 斎藤月岑(げっしん)の『東都歳時記』も、菊池貴一郎の『江戸府内 絵本風俗往来』も、“節分”は12月の節季となっています。今年平成29年の節分は2月3日。現在の太陽暦のもとでは例年日にちが変わったりすることはほとんどありません。しかし江戸時代後期や明治時代初めはまだ太陰暦(旧暦)でしたから、年によって節分の日も異なるのでした。ちなみに今年の節分、2月3日は旧暦だと七草の日に当たります。
 さて節分とは立春の前日をいうのですが、『東都歳時記』には「今宵尊卑の家にて煎豆を散(うち)、大戟(ひいらぎ)鰯の頭を戸外に挿す。豆をまく男を年をとこといふ」と記しています。『江戸府内 絵本風俗往来』には「平年は大凡(おおよそ)十二月十二三日より廿八九日の頃までに寒も畢(おわ)り節分となるなり」と書き出しています。家々では煎り大豆を三方にのせて、年男はその豆を神棚と仏壇に供え、それから豆撒きをしました。掛け声は大声で「鬼バア外」と二度言い、次に「福ハアうち」と三度叫びました。家人たちはこぞってその豆を拾い、ひとしきり拾うと皆で福茶をいただき、奉公人は主人に、子弟は父兄に祝賀を申し述べました。今日家庭でこのような豆撒きを行なうところは稀かもしれません。が、行事として大々的に催されるのが社寺で行われる豆撒きです。有名タレントや俳優、力士などを起用し、参拝客は彼らの撒く豆の包みをこぞって受け止めます。
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節分の太巻き寿司
(節分の太巻き寿司と稲荷寿司)
奥は一合枡に盛った煎り豆ですこの節分の日に近年定着したのが“恵方巻き”です。太巻きの海苔巻き寿司を1本丸ごと、恵方を向いて無言で食すと福が授かるという風習。もとは関西での民間行事をあるコンビニエンスストアが大々的に訴求し、太巻き寿司の販売促進に。それが全国にすっかり定着したのでした。我が家でもこの日は太巻き寿司をいただきます。しかし丸ごと1本食べるような無謀なことはせず、切り分けていただきます。
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蕗の薹
(春に先駆けて出る里の幸、蕗の薹)

 まだまだ春の浅いこの頃、雪を押しのけて芽を出すのが蕗の薹です。雌雄異株で、オスの花は淡黄色、メスは白色で、オスの茎の肉は厚くておいしいが、メスのは薄くてまずいといわれます。フキノシュウトメという呼び名もあり、「麦と姑は踏むがよい」という俗説から、蕗の薹が芽吹いて畑の土を持ち上げてしまうのを踏んで押さえつけるのだと解されます。またその苦みから「姑は嫁に対して苦いものだ」という意味なのだとも解されます。

   蕗のとう出でて夜明けの心地なり 木村正光

   雪の上に膝ついて得し蕗のたう  稲垣陶石

 蕗の薹の味の醍醐味はその苦み。苦みが健胃に効き、痰をきり、咳を鎮めるといいます。早春一番、雪中に芽を吹き、大いなる生命力を感じさせますが、そのイメージとは裏腹に、蕗はほかの野菜に比べて栄養的に優れているとは言えません。ビタミン類などははなはだ少ないのです。しかし蕗の薹の天ぷらや味噌仕立ては迎える春を感じさせる贅沢な旬の一品なのです。
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蕗の薹と猫
(猫も苦みを感じるのであろうか? 初めて見る蕗の薹と明日葉を調べている)

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蕗の薹と明日葉の天ぷら
(いただいた明日葉とともに蕗の薹は定番の天ぷらに。もう一品は蕗の薹味噌。酒のすすむ料理です。奥は鮪の中落ちの山かけ)



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中高年の「元気が出るページ」2017年1月号                   ①うにのおうちごはん歳時記第4回 おせち料理と雑煮 山田うに           ②安曇野発 信州村めぐり29「上伊那郡泰阜村」 加藤雅博              ③180回シネマトーク[スカラ座・オペラ座、そしてJAZZ] 西島雄造

(((180回 シネマトーク))))


【スカラ座・オペラ座、そしてJAZZ】


 
西島雄造


 旅先で由緒ある街のそぞろ歩きは楽しい。大聖堂の荘厳なたたずまい、格式あるホテル、活気がみなぎる市場。そしてランドマークのような劇場。ウィーン国立歌劇場=シュターツオーパーはかつてのハプスブルク君主国にふさわしい。1869年に竣工し、モーツアルトの「ドン・ジョヴァンニ」で歴史を刻み始める。第二次大戦下の1945年3月には連合国軍による爆撃を受ける。正面階段を上ると三代目総監督グスタフ・マーラーの胸像が輝いている。
 イタリーのミラノを知ったのは、ヴィットリオ・デ・シーカ監督(1901-1974)がカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを手にした『ミラノの奇跡』(1951)を見てのことだ。イタリーには美しい街が数多いが、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を目の当たりに出来るサンタ・マリア・デル・グラツィエ教会や大聖堂、そしてスカラ座などの景観は格別である。
 スカラ座は1776年に開館した。1943年にはやはり爆撃を受けたが、1946年5月11日にはアルトゥーロ・トスカニーニの指揮で再開している。ミラノの守護聖人、聖アンブロジウスの記念日に合わせ、毎年12月7日にシーズンが幕を開ける。旧年は12月7日、スカラ座で1904年に初演されたプッチーニ(1858-1924)作曲の歌劇『蝶々夫人』で始まり、12月20日からはケネス・マクミラン振付のバレエ『ロメオとジュリエット』が1月19日まで演じられる予定だ。スカラ座の歴史を彩るまばゆいばかりの名指揮者や歌手たち。
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(パリ・オペラ座)

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(パリ・ノートルダム大聖堂の薔薇窓)

 パリにも薔薇窓の美しいノートルダム大聖堂、モンマルトルの丘からパリ市街を見晴るかすサクレ・クール寺院、パリ最古といわれるサン=ジェルマン=デ=プレ教会など見るべきものが多い。1875年1月に落成したオペラ座ガルニエを忘れるわけにはゆかない。エコール・ド・パリ時代に集ったマルク・シャガール(1887-1985)が、1964年に描いた天井画でも知られる。彫刻、装飾…あらゆる部分が華麗だ。オルセー美術館で模型を見ることが出来る。眺めていると『オペラ座の怪人』の物語が妙に現実味を帯びる。
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(「ミラノ・スカラ座 魅惑の神殿」のマリア・カラス)

 新年の本題を始めよう。『ミラノ・スカラ座 魅惑の神殿』(ルカ・ルチーニ監督)が上映中である。102分のドキュメンタリーの登場人物は豪華絢爛。パリ管弦楽団、シカゴ交響楽団、そしてスカラ座の音楽監督の経歴をもつ指揮者のダニエル・バレンボイム、テノール歌手プラシド・ドミンゴ、ソプラノ歌手ミレッラ・フレーニ、アメリカン・バレエシアターとミラノ・スカラ座で華やかに舞ったアレッサンドラ・フェリ…。
 ほかにも指揮者のトスカニーニ、ムーティ、アバド、オペラ歌手マリオ・デル・モナコ、レナータ・テバルディ、そして20世紀の歌姫マリア・カラス(1923-1977)、映画監督ルキノ・ヴィスコンティ。日本舞台芸術振興会にあって数多くの海外バレエ、オペラを招聘し、モーリス・ベジャール振付の『ザ・カブキ』とともに東京バレエ団を世界の檜舞台に乗せながら、昨年4月に他界した国際人・佐々木忠次氏の名前も出てくる。102分の間、至福と陶酔の映像が流れ続ける。
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(ミルピエ~パリ・オペラ座に挑んだ男~)

 やはりフランスのドキュメンタリー『ミルピエ~パリ・オペラ座に挑んだ男~』(ティエリー・デメジェール&アルバン・トゥルレー監督)も上映されている。バンジャマン・ミルピエ、1977年、フランス生まれ。バレエ・ダンサーだった母親の手ほどきで幼くしてダンスに親しみ、ニューヨーク・シティ・バレエ団などで活躍。2014年11月から2016年7月まで、パリ・オペラ座で史上最年少の芸術監督をつとめた。
 映画はコレオグラファー=振付家としてのミルピエの一挙手一動作を丹念に追い、語られる言葉を拾う。ジョージ・バランシンやジェローム・ロビンスを敬愛する男の振付ぶりは軽やかでエレガントでさえある。イヴ=サン・ローランやヴァン・クリーフ&アペルなどのコマーシャル・フィルムまで手掛け、あふれる才能と感覚を身にまとっている。さらに名前を高めたのが映画『ブラック・スワン』(ダーレン・アレノフスキ―監督2010)でデイヴィッドを演じ、やがて主役のナタリー・ポートマンと結ばれたことだ。
 ジュリアード音楽院修士課程を首席で卒業したニコ・マーリーの音楽に刺激を受ける姿。ミルピエを継いでオペラ座バレエ団の芸術監督となった、かつての花形オーレリー・デュポンをはじめ、来日したこともあるレオノール・ポラックやロレーヌ・レヴィ、そしてオペラ座が創立されて以来、舞台に立った初めての褐色のダンサー、レティツィア・ガローニらが鳥のように羽ばたき、蝶のように舞う。
 Jazz好きな映画ファンならルイ・マル監督の『死刑台のエレべーター』(1958)に、即興でトランペットを奏でたマイルス・デイヴィス(1926-1991)を忘れないだろう。1944年にディジー・ガレスピーやチャーリー・パーカーらと出会い、ジュリアード音楽院に入学するが2年で退学した。1949年の「クールの誕生」は新しいJazzの夜明けとなる。手元にある「ザ・モダン・ジャイアンツ」(1954~1956)「死刑台のエレべーター」(1957)「ポーギーとベス」(1958)などを改めて聴くと、突き抜けるような透き通った音色が響き渡る。
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(MILES AHEAD マイルス・デイヴィス空白の5年間)

 そのマイルスが1975年に突然Jazz界から退き、5年後に復帰してレコーディングにとりかかる。『MILES AHEAD マイルス・デイヴィス空白の5年間』は、その5年間を描いている。10歳のころからマイルスのファンというドン・チードルが初めて監督し、自らマイルスを演じる。慢性的腰痛、ドラッグとアルコールに依存する日々。そこへローリング・ストーン誌の記者(ユアン・マクレガー)が扉をたたく。マイルスの脳裏をよぎるのは女神のようなダンサー、フランシス・テイラー(エマヤツィ・コーリナルディ)と過ごした時間。そして意外なマスターテープの発見。音楽を担当したのは2012年「Black Radio」でグラミー賞最優秀R&B賞のロバート・グラスパー。ハービー・ハンコックやウェイン・ショーターらも顔を見せ、Jazzファンにはこの上ないお年玉だろう。晩年のマイルスはしばしば来日し、紙ナプキンなどに描いたペン画を嬉しそうに披露したものだ。
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(阿古屋)

 東京にもランドマーク劇場の歌舞伎座がある。1889年、東京・京橋区木挽町に開場。関東大震災で被災し、1945年5月25日の東京大空襲では新橋演舞場とともに焼失・損壊するが、1951年によみがえった(「松竹九十年史」)。その歌舞伎座で一昨年10月に公演された『阿子屋』が、松竹シネマ歌舞伎として正月7日から上演される。七代目市川門之助、四代目中村雀右衛門、六代目中村歌右衛門らが演じてきた『阿古屋』だが、1997年(平成9年)の国立劇場から坂東玉三郎が舞台を華やがせてきた。
 玉三郎のナレーションで<技術と体力と精神力>で夢の空間を観客に味合わせるという、歌舞伎に寄せる思いや、地方(じかた)や裏方たちの見えない努力が語られ、本舞台に続く。舞台の美しさは記すまでもない。琴、三味線、胡弓の演奏がハイライトになる。身にまとう花魁の正装、俎板帯の鮮やかさは舞台では繊細さが伝わりにくいが、カメラの大写しによる孔雀の刺繍文様が目を奪う。尾上菊之助の口跡がなめらかで、坂東亀三郎がよく演じている。これも歌右衛門の持ち役だった『籠釣瓶花街酔醒』の兵庫屋八ツ橋で、歌右衛門とは一味違った<玉三郎の見初め>を演じて以来、さらなる境地にたどり着いた大和屋である。
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(ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー)

 クリスマスから正月にかけての話題作は『ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー』。監督は『GODZILA』(2014)のギャレス・エドワーズ、脚本が『シンデレラ』(2015)のクリス・ワイツと『ボーン・レガシー』では脚本と監督のトニー・ギルロイ。『エピソード4』(ジョージ・ルーカス監督1977)のいわば外伝で、舞台はその少し前のことになる。
 帝国軍の究極の秘密兵器デス・スターの設計図を奪う任務の反乱軍の極秘チーム<ローグ・ワン>。チームに加わった設計者ゲイリン・アーソの娘で、銀河のアウトロー・ガール、ジン・アーソ(フェリシティ・ジョーンズ)のもとに集まってきた無法者たち。クライマックスは壮麗な宇宙バトル。まるでイラクかアフガニスタンもどきの射撃戦。ヨルダンとモルディヴで撮影したセットが見事で、宇宙の場面撮影も『エピソード1 ファントム・メナス』(1999)からさらに進化しているから、リアリティーに満ちた臨場感に引き込まれる。
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(バイオハザード ザ・ファイナル)

 大阪から発信されたBIOHAZARDゲーム。生物学的災害を意味するアドヴェンチャーゲームがファンをとりこにし、映画化されたのが2002年。以来、回を重ねて、ついに巨大企業アンブレラ社との最終決戦を迎えた。公開中の『バイオハザード ザ・ファイナル』はいかなる結末を迎えるか。主役アリスは、もちろんミラ・ジョヴォヴィッチ。すでに40歳を過ぎ、今作の監督でもあるポール・W・S・アンダーソンと家庭を営む2児の母でもある。『フィフス・エレメント』(1997)のころから成熟して威風堂々、タフさに舌を巻く。
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(TOMORROW パーマネントライフを探して)

 『TOMORROW パーマネントライフを探して 』(シリル・ディオン&メラニー・ロラン監督)は、常識と思い込んでいることを、ことごとく覆して見せるドキュメンタリー。国家、企業、農業、教育制度、民主主義までも。国や政府と企業の癒着が、結果的に消費者から搾取していると迷わず唱える、革命的ともいえる映画である。
 人口の膨張、資源の枯渇、環境の悪化、そうした21世紀に、地球と人類が滅びないために何をやるべきか。米デトロイト、ベルギー、フランス、インドと世界の各地を回りながら、解答を提示する。そのひとつがTotnes、英国で実践されている、これまでの価値観にとらわれない生活様式だ。Totnes Transition(移行、変わり目)は、化石エネルギーや農薬、化学肥料を使わずに生きる術を推進する。自転車を愛用し、パンを焼き、森を手入れしながら在来種の植物を保存する。野外で食物を採取し栽培もする。
 エコ発電、太陽熱の利用。地域通貨トットネス・ポンドを発行して自分たちのお金は地元に落とす仕組みをつくる。エリザベス王朝の衣服をまとい、ジャムやクッキーを売るマーケットで楽しんでいる。TTT=Transition Town Totnesは広がりを見せ、Transition Japanも行動している。提唱者のロブ・ホプキンスも登場する。地球の行く末や環境問題に関心のある人もない人も、一見の価値がある。
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(ダーティ・グランパ)

 『ダーティ・グランパ』(ダン・メイザー監督)。結婚を1週間後に控える若手の弁護士(ザック・エフロン)は祖母の葬儀に駆けつけるが、祖父(ロバート・デ・ニーロ)ときたら「40年の夫婦生活からやっと自由になった」と、セクシュアルなビデオを見ながら自慰行為に及んでいるではないか。目を回す孫をしり目に、他界した祖母との思い出の地であるフロリダへ人生を取り戻す旅へうながす。
 世のレーサーのメッカでもあるデイトナビーチ浜辺にたどり着くや、祖父はハチャメチャに舞い上がり、若い娘に秋波を送ってやりたい放題。渋々、祖父のアッシーをつとめた孫クンもいつしか同化され、パーテイーでは素っ裸のご乱行。いやはやの祖父と孫。ファックジジーを演じるデ・ニーロは、アクが抜けて何をやっても許される老年に。まもなく30歳に手が届くザック・エフロンは11歳から芸能畑に入り、名作ミュージカル『ピーター・パン』や『メイム叔母さん』にも顔を出している。小柄ながらハンサム、要マークの俳優だ。
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(こころに剣士を)

 『こころに剣士を』はフィンランド、エストニア、ドイツ合作の事実を基にしたヒューマンな物語。監督はフィンランドのクラウス・ハロ。エストニアは第二次世界大戦でドイツとソ連の戦場となり、交互の国に占領された。港湾都市である首都のタリンは通信システムSkypeを生んだ街として知られる。1944年、大戦末期にはソ連に占領、併合されている。
 戦争中、ドイツの兵士だった主人公のエンデル(マルト・アヴァンディ)はソ連の秘密警察に追われ、エストニア西海岸の保養地でもあるハープサルに来て学校教師になる。かつてフェンシングの選手だったこともあり、子どもたちに手ほどきし始める。スターリン政権時代に親から切り離された子供たちとの交流が始まり…。予定調和の物語だが実話だという。けれん味のない素直な描き方が感動をもたらす。
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(ブラック・ファイル 野心の代償)

 アル・パチーノ、アンソニー・ホプキンスとジョシュ・デュアメル、イ・ビョンホンがからむ『ブラック・ファイル 野心の代償』。『欲望という名の電車』(エリア・カザン監督1951)で知られるニューオーリンズが舞台。巨大製薬会社の臨床実験の偽造が発端で、国選弁護士から這い上がった若手弁護士ベン・ケイヒル(ジョシュ・デュアメル)が機密の臨床ファイルを受取ったことからサスペンスが展開する。
 企業のCEOを演じるホプキンスと弁護士事務所のボス、パチーノに話題が及びそうだが、1972年生まれのジョシュも端正な顔立ちの好漢。フットボールの選手をしていた筋肉体で、妻と子ども一人の家庭人でもある。これが監督デビュー作のシンタロウ・シモサワは、1972年シカゴ生まれの日系二世。演出は達者でカメラワークもいい。原題『MISCONDUCT』の意味は不行跡、密通、職権濫用、弁護士の不法行為…と筋書きにぴったり。
 『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(三木孝浩監督)は、京都を舞台にした変化球のラブストーリー。長い題名に辟易して試写をネグりかけたが、批判は見てからと思い直した。七月隆文の原作本がもとだから仕方がないことだが、映画の題名としてはなんとも長すぎる。京都精華大学卒のこの原作者には「俺がお嬢様学校に『庶民サンプル』として拉致られた件」とか「フェリシェラと、わたしと、終わりゆく世界に」といった作品もある。映画は逆光やソフトフォーカスを多用して、雰囲気をよく出している。福士蒼汰と小松菜奈も好感の持てるカップルだ。『青空エール』に続く三木監督の作品。
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(本能寺ホテル)

 『本能寺ホテル』が面白く出来ている。京都の<本能寺ホテル>を舞台にした一種のタイムスリップもの。主役の綾瀬はるかが、現代と本能寺の変が起こる天正十年六月二日(1582年6月12日)前後を行き来し、信長の変事に気をもむ。相沢友子の脚本がよく出来ており、鈴木雅之監督の演出もしっかりしている。織田信長の堤真一、森蘭丸の浜田岳はじめ風間杜夫、近藤正臣ら配役にも妙味がある。綾瀬がずっこけた役を楽しんでいる。ちなみに信長が好んだという金平糖は、1546年にポルトガルの宣教師から献上され、日本では京都の緑寿庵清水が弘化四年(1847)に創業して作り始め、いまも続いている。
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(ミシエル・モルガン)

 師走の20日にミシエル・モルガンが人生の舞台から消えた。パリ生まれの96歳。『霧の波止場』(マルセル・カルネ監督1938)、ジャン・ドラノワ監督の『田園交響楽』(1946)『愛情の瞬間』(1952)…思い出すのはその美貌である。シネマトグラフ誕生100年を記念した『リュミエールの子供たち』(1995)に、『天井桟敷の人々』(マルセル・カルネ監督1945)のアルレッティ(1898-1992)、イヴ・モンタン(1921-1991)らと顔を出している。
 
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中高年の「元気が出るページ」2017年1月号                   ①うにのおうちごはん歳時記第4回 おせち料理と雑煮 山田うに           ②安曇野発 信州村めぐり29「上伊那郡泰阜村」 加藤雅博              ③180回シネマトーク[スカラ座・オペラ座、そしてJAZZ] 西島雄造

安曇野発 信州村めぐり29

「下伊那郡(しもいなぐん)泰阜村(やすおかむら)」

 
加藤 雅博

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ほころび始めたシバザクラと有明山(安曇野)

 2016年も波乱に満ちた年でした。年末になって発生した糸魚川市の大火災は、安曇野と近接しているだけに他人事とは思えない災害でした。焼け出されて被災者たちが寒空の中で年始年末をそのように過ごすのか、想像するだに心が痛みます。人的被害がなかったことがせめても救いというほかありません。一日も早く再起することを祈るばかりです。

 そんな大災害をよそに、12月に入った安曇野は、寒さは厳しいものの、意外に好天に恵まれ、このところアルプスが端麗な姿を見せてくれています。大火災をもたらす強風を起こしたり、何とも美しい景観を形作ってみせたり、自然の振る舞いは御しがたいことを実感します。
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長野県全図

 残り少なくなってきた信州の村の紹介を続けます。今回向かったのは、下伊那郡泰阜村。南信州伊那地域の南部に位置します。周囲を飯田市、同郡下條村、天龍村、阿南町と接し、天竜川と中央アルプス、南アルプスに囲まれ、周囲から隔絶されたような山間の村です。

 長野道~中央高速を経て飯田山本インターで降りた後、約40分、安曇野からは2時間弱の距離です。長野市の県庁まで距離にして180キロ、速くても片道3時間30分もかかり、県内でも県庁までもっとも時間がかかる町村の一つ。2代前の田中康夫県知事が「在宅医療・福祉に力を入れている村に住民税を収めたい」と長野市に住居を残したまま住民票を移して、ひところ話題になった村です。

 元知事の住民票の移動に伴う、村の選挙人名簿に登録したことの適否をめぐっては、最高裁まで争った結果、「村に生活の本拠はなく登録は違法」とした長野地裁判決が確定する結果に終わりましたが、「自分が気に入った自治体に納税したい」という、今はやりの「ふるさと納税」を先取りしたものだったといえなくはありません。村を歩くとその気にさせられる雰囲気に満ちています。
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泰阜村役場と村章
 
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山村の役場らしい風情の薪のストック
 
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役場の入り口に立つ村の看板

 村には縄文時代の遺跡が多く、戦国時代は時の権力の支配領に置かれ、江戸時代は天領地としての時期が大半でした。維新後は、伊那県、明治4年(1872)には筑摩県管内に入り、同8年筑摩県下17村が合併して泰阜村を設立しました。村の名の語源は、自らの手で道を拓き豊かに栄えることを意味する漢詩の「泰山丘阜」からといわれます。明治22年(1889)の市町村制を経て長野県管内に入り現在に至る127年の歴史を誇ります。

 明治の末ごろから養蚕の隆盛で村の人口は昭和10年(1935)ごろに5,000人超でしたが、世界を襲った大恐慌は山村にも押し寄せ、繭価の暴落で多額の借金を抱えた農家は村外での働き場を探すほかに糊口を凌ぐ方法がありませんでした。昭和12年には600余人もの村民が出稼ぎに出たといわれています。それでも追いつかず、様々な経済更生計画が立てられ、その中心になったのが「満洲」への移住計画でした。

 同年10月に視察団を現地に派遣、翌年夏には満洲分村計画を村議会で決定し、第一次先遣として21人が渡満、以降昭和18年まで277家族、1,174人が入植したと記録され、入植者の比率の高い長野県の中でも渡満農民が多い村でした。しかし、敗戦とその後の過酷な逃避行、収容所での生活、極寒と飢えと病気などで638人が犠牲になってしまいました。

 戦後は入植者たちの引き揚げ対策を重点的に実施し、折からのベビーブームで昭和25年(1950)の4.620人まで回復しましたが、それをピークに減少の一途。平成28年(2016)12月現在1,698人(男796人、女902人)、722世帯と最盛期の半分以下の状態となっています。

 とくに泰阜村は昭和60年代(1985年代)、高齢化率が進み、独居高齢者、要介護高齢者増加が予測されながら行政の老人福祉への対応は不十分で、介護力や介護サービスの不足などの問題を抱えていました。昭和59年、村の診療所に赴任した新任の医師は大変な危機感を持ち、村に対し高齢者福祉事業や医療の在り方に関して様々に提言しました。

 社会の発展、村の発展に尽くした高齢者に、幸せな老後と最期を提供するのは、行政の責任・使命(村の責任)を理念に、高齢者福祉の中心を『在宅福祉』に据えその推進に取り組んできています。元長野県知事が泰阜村に魅かれたのは、彼の母がこの在宅医療の充実ぶりを知って伝えたからともいわれています。その真偽のほどはともかく、村の高齢者福祉対策の成果として新たに加わったのが9年前に発足したのが「高齢者協同企業組合 泰阜」です。
5大町市郊外鷹狩山からのアルプス
 30数年前、この村を訪れ、大自然の美しさと、残されている日本の原風景を一遍で気に入った社会福祉研究者の本田玖美子さんが理事長を務めています。本田さんがスエーデンの過疎地で行われていた住民運営の共同住宅をモデルに、「高齢者には地域の仲間の支えと生活の中に継続したリハビリが必要」というアイディアをもとに国交省のまちづくりの交付金を得て作られました。
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地域交流センター悠々の全景
 
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総ヒノキ造りのセンター内部 

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センターのリビングルーム
 
 同組合が運営する事業が、地域交流センター「悠々」と共同住宅「悠々長屋」です。総ヒノキ造りの平屋建て、入所者は最大10人で、個別の共同住宅と掘りごたつのリビングルーム、村民の交流サロンとしても使われる居心地がゆったりした空間が保たれています。空き部屋は民宿としても使われ、学童保育の場としても利用されています。「高齢者協同企業組合」という組織は我が国で第一号で今のところ唯一とのこと。高齢化率が高まっている類似の自治体からの見学者も多く、この事業は今後の試金石にもなりそうです。
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学校美術館のある泰阜小学校・中学校の全景
 
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学校美術館の看板

 泰阜村には誇るべき二つの文化遺産があります。一つは全国的にも珍しい村立の「学校美術館」の存在です。誕生のはじまりは世界大恐慌時の昭和4年(1929)ごろのこと。当時教員の給料を含め、教育費はすべて村の負担でしたが、めぐり合わせが悪いことに、泰阜北小学校は2年前に校舎の移転改築のために各戸負担の高さは県下一でした。

 このため、教師の給料が支払えないありさまとなり、村が負担する教師給与の1割を村に寄付するように議会で議決されてしまいました。当時の吉川宗一校長は「単に寄付するのでなく、将来村を背負う子どもの夢や愛を豊かに膨らめてやることが大事」と考え、「貧しくとも貪しない」の精神で、美術品を集めることを提案し、村人たちも了承しました。
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倉沢が最初に寄贈した少女像「偲」
 
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千鶴をモデルにした少女の木彫像

 格好の美術家がいました。村の出身で苦学の末に彫刻家を目指して東京美術学校に入学し、帝展に連続に入選するまでになっていた倉沢量世(くらさわ・かずよ)(後に興世と改名)(1896~1980年)です。倉沢は母校の校舎改築のお祝いに、少女像「偲(しのぶ)」を寄贈していました。吉川校長はその像に感動し、美術品収集の趣旨を話したところ、倉沢は全面的な協力を約束し、著名な作家や知人に作品の寄付を求めてくれました。
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美術館内部 充実した内容と展示
 
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美術館内の景観
 
 日本画家の丸山晩霞は「一つの学校や村で美術館を造るなんていうことは世界でもあまり例がない」と大変心を打たれ、「アルプスと高山植物」を描いてくれました。また、洋画家で書家の中村不折は「丸山が出すなら」と書「啓発智能成就徳器」を寄贈してくれました。また、学校も日本画家菱田春草のメイの菱田きくの作品「紫陽花」を第一号として購入するなど、少しずつ作品を集め、卒業生たちからも寄付金が寄せられ、素晴らしい美術品が集められていきました。
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学校美術館をたたえる記念碑と大理石彫刻「使い」

 所蔵品保護と見学者のために昭和29年(1954)最初の美術館が建てられ、その後2つずつの小学校と中学校が1つに統合、小中学校が同じ敷地に併設されたのをきっかけに、平成23年(2011)美術館・所蔵庫が小学校内に設置され、一般への公開も引き続き行われることになりました。現在では収蔵作品は432点にも達し、年間500人の見学者が鑑賞に訪れています。「貧すれど貪せず」の心が確実に:継承されているようです。
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山村のたたずまいを見せる泰阜村の風景
 
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千鶴の歌碑と説明板のある金田公園

 さて、もう一つの文化遺産は、やはり村出身の歌人、金田千鶴(かねだ・ちづ)(1902~1934)が残した数々の歌です。千鶴は泰阜村平島田の代々庄屋を務めた資産家の家に生まれ、飯田高女を卒業後、飯田の寺に嫁ぎましたが間もなく離婚。上京して入学した帝国女子専門学校(現相模女子大学)で短歌誌「アララギ」の選者を務める岡麓(おかふもと)に出会って作歌を始め、生涯師と仰ぎます。
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千鶴も通った公園の丘からの景観 中央アルプスが見事

 大正13年(1924)小学校の恩師だった倉沢興世と再会、恋に落ちてしまいます。しかし2カ月後結核を病み、帰京せざるをえませんでした。帰郷してからは療養に努める一方で作歌にも精進し、昭和4年(1929)に「アララギ」の準同人となり、自然や家族、山村の生活や社会の姿を詠む「社会詠」も試み、大恐慌のために極貧にあえぐ山村の人々の生活を活写しました。死ぬ3日前まで代筆で詠み続けたといわれます。昭和9年8月、33歳という若さで夭折します。
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倉沢への思いを託した悲恋の絶唱歌碑
 
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絶唱歌の解説版
 
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丘からの景観を詠った千鶴の歌碑

 千鶴が残した歌の数首は「あいパークやすおか」内にある金田公園に歌碑として残されています。公園は長野県のサンセットポイント100選に選ばれている中央アルプスの山々や飯田市街の眺望が素晴らしい小高い丘陵地で千鶴も大変お気に入りでここからの景色を幾つか詠んでいます。歌碑の一つ、「あはれなりしものと一度(ひとたび)いや切に憶ひ起こしたまふことあらば足る」は、倉沢との悲恋を絶唱した一首。
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村内にあるJR飯田線の秘境駅「田本」
 
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大正時代の民家を移築した「左京の宿」

 一方、倉沢も密かに千鶴への思いを作品に残していました。学校美術館に所蔵する木彫像です。千鶴をモデルにしていて、清楚な女性像が遺憾なく発揮されています。倉沢から千鶴の兄に渡されましたが、家人は知られず秘蔵されていたようです。二人の間にどのようなロマンと事情があったのか、もっと知りたいところ。何とも「泰阜」は興味が掻き立てられる村です。

 ここまでです。

 この一年もあっという間でした。母の死去をはじめ、今年は近親者の不幸が相次いだ厄年でした。100歳を超えた父という
大物が控えていて気が抜けない日々が続きそうですが、まぁ、のんびり楽しくやるしかありません。今年も本当にお世話に
なりました。どうぞ佳いお年を!。そして来年もよろしくお願いいたします。

 では、また。              草々

           16.12.27

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 安曇野 無頼庵
  加藤 雅博
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