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庭に来た小鳥

12月7日に飛んで来たメジロ

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庭の木に下げた餌皿の柿を啄ばみにやって来たメジロ。つがいで来たが残念ながら二羽をワンショットでは撮れなかった。母屋の硝子戸越しなのでピンの甘い写真になってしまった。
最初は鶯かと思ったがこの写真を見ると目の周りが白いのでメジロだったのだ。

昨日一昨日は午後にやって来て大きいヒヨドリに追いかけられてビワの葉の中に逃げたりしていた。今朝はそれを避けるためか、午前中にやって来てゆっくり柿をほう張っていた。

12月9日記
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中高年の「元気が出るページ」12月号                       村上整骨院移転案内                                ①うにのおうちごはん歳時記第15回 クリスマスディナー 山田うに         ②安曇野発 信州都市めぐり 6茅野市 加藤雅博                   ③191回シネマトーク【『オリエント急行殺人事件』出発進行】 西島雄造

 

(((191回 シネマトーク))))



【『オリエント急行殺人事件』出発進行】



 
西島雄造


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オリエント急行殺人事件

 新しい『オリエント急行殺人事件』が12月8日に封切られる。監督はケネス・ブラナー。最初の映画化は1974年、シドニー・ルメットが監督した。イングリッド・バーグマンが第47回アカデミー助演女優賞を射止めている。『ガス燈』(ジョージ・キューカー監督1944)と『追想』(アナトール・リトヴァク監督1956)では主演女優賞を手にしている。シドニー・ルメット監督は「小さな役をバーグマンがあえて選んだ」と語っている。
 アガサ・クリスティ(1890-1976)の14作目「オリエント急行の殺人」は1934年に書かれた。33の長編に登場したエルキューロ・ポアロものとしては8作目になる。1909年に「砂漠の雪」で長編小説を世に出し「アクロイド殺し」(1926)「ABC殺人事件」(36)「そして誰もいなくなった」(39)など長編66作、中短編156、戯曲15、ほかに9作と、まさにミステリーの女王として君臨した。
 国際寝台車会社オリエント急行がパリーコンスタンチノープル(イスタンブール)に走り始めたのは1883年10月4日。その後、西ヨーロッパとバルカン半島を結ぶ列車なども走り始め、小説が世に出た1930年代は最盛期だった。寝台車が2両と食堂車に荷物車を蒸気機関車が引いて走り豪華さが目を奪った。
 裕福なアメリカ人、ラチェット・ロバーツ(ジョニー・デップ)が車内で殺され、ポアロ探偵の登場となる。前作でアルバート・フィニーが扮したポアロにはケネス・ブラナー。バーグマンが演じたスウエーデンの宣教師は名前を変えてペネロペ・クルスが演じている。ショーン・コネリー、ローレン・バコール、アンソニー・パーキンス、リチャードウィドマーク、ヴァネッサ・レッドグレイブ、ジョン・ギールグッドら大スターと実力派の俳優で目を奪った前作には及ばないが、今作にもジュディ・デンチ、ミシェル・ファイファーらが演技を競っている。
 イスラエルの“嘆きの壁”からイスタンブールに移ってオリエント急行が舞台になる。人物を登場させる手際は鮮やか。出発して2日目に雪崩に阻まれて立ち往生。いわば密室の中での殺人事件である。殺されたラチェットには8か所の刺し傷があった。ポアロを演じるケネス・ブラナーが監督、いわば自作自演のようなもので、フランス語なまりの英語の会話術はさすが。風采も立派だが、原作のポアロは身長163センチ、緑色の目に口ヒゲ、灰色の脳細胞の持ち主と描かれている。これまでのポアロ役名優ピーター・ユスティノフ(1921-2004)は182センチ、アルバート・フィニーは175センチ、ケネスが177センチ、欧米の俳優には少し無理な体型だ。ポアロを6度演じたユスティノフに美食家を彷彿させる天性の資質があった。
 列車を舞台にした芝居そのものの形で進行するが、撮影は俯瞰や移動を多用して変化をつけている。作中、コール・ポーターがブロードウェイに書いた「I Get a Kick Out of You」が使われている。この曲はポーターが書いたあと、ニューヨークとパリの無着陸飛行に成功したリンドバーグの幼児誘拐事件を受けて書き直したという挿話がある。アガサもリンドバーグ誘拐事件にヒントを得たとされており、製作人の目配りが鮮やかだ。終幕<エジプトで事件>のセリフがあり『ナイル殺人事件』(1978年作はジョン・ギラーミン監督)の製作を予告している。
 師走は妙に笑いが恋しくなる。しゃべくり漫才の祖・花菱アチャコ×横山エンタツ、東京生まれの柳家金語楼、浅草で鳴らした榎本健一らの笑いで育った筆者には、テレビ時代の笑いはいまひとつ寄り添ってくれない。チャプリンが醸し出したペーソス、バスター・キートン、ハロルド・ロイド、アボット×コステロ、ローレル×ハーディらが誘ったおかしさ、英国人のウイットとユーモア。いい笑いに飢えている。
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火花

 『火花』(板尾創路監督)は漫才師・又吉直樹の原作。はじめ2015年の「文学界」2月号に掲載され、第28回三島由紀夫文学賞の候補にもあがった。153回芥川賞に選出されると単行本としても売れまくり、300万冊を超える大ベストセラーに。映画を監督した板尾創路もまた54歳のお笑い芸人ながら、2010年の『板尾創路の脱獄王』で長編映画に監督デビューを果たした。
 熱海の花火を見上げる場面から始まる。徳永(菅田将暉)は先輩芸人の神谷(桐谷健太)に出会い弟子入りを頼み込む。「その代わりオレの伝記を綴ってほしい」と約束を交わす。2年後、大阪から東京に移った神谷と再会して、奇妙な二人の日々が始まる。
漫才はボケと突っ込みが火花を散らす話芸である。たかが笑い、されど笑い。芸を描くとき、しばしばねばっこくなりがちなものだが、『火花』はさらりとしていて好感がもてる。桐谷健太が図抜けていい。優しさ、ナイーブさ、そのうえ男前だ。菅田将暉もうまい。芸人の酸いも甘いも心得ていると思われる板尾創路監督だが、人を笑わせようとする映画ではない。笑わせることに腐心する男の物語である。二人の友情は純粋だ。ラストは熱海の花火に戻る。情感がある。まるでルネ・クレールの手法だ。
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プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード

 『プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード』(ジョン・スティーブンソン監督)は興味深い。ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)は、1787年の歌劇<フィガロの結婚>がチェコでも評判となったのでプラハへ向かう。そのあとの歌劇<ドン・ジョバンニ>が完成し初演となった10月までの姿が描かれる。原題は『Interlude in Prague』、まさにふたつの歌劇の幕間の出来事である。映画は子どもたちの相次ぐ夭折もあって失意にあるモーツァルト(アナイリン・バーナード)をプラハに迎えての華やかなレセプションで始まる。仮面舞踏会が時代を映して豪華だ。
 そして妻コンスタンツェとの間に子どももいるにもかかわらず落ちるつかの間の恋。相手は歌手のスザンナ(モーフィッド・クラーク)。モーツァルトは元来、好色で猥雑な話や手紙が嫌いではなかったと伝えられるが、映画は端正な俳優の演技で心ときめく恋物語になっている。最後はヨーロッパでもとりわけ美しいと言われるエステート劇場(ノスティッツ劇場)で初演の<ドン・ジョバンニ>の指揮をとる。序曲を書き忘れ、開演間際に音符を書きつづる。プラハ市立フィールハーモニー管弦楽団が奏でる。
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永遠のジャンゴ

 『永遠のジャンゴ』(エチエンヌ・コマール監督)の主役ジャンゴ・ラインハルト(1910-1953)は、ジプシーの旅芸人を両親にベルギーで生まれた。DJANGOはジプシーの言葉で<私は目覚める>という意味を持つという。ギターやヴァイオリンを爪弾くうちにジャズに傾倒し、1931年にはヴァイオリニストのステファン・グラッペリ(1908-1997)と出会って、1934年から1948年までフランス・ホットクラブ五重奏団を率いる。旋律はジプシー独特の哀愁を帯び、当時ベニー・グッドマン楽団によってもたらされ世界を席巻したスゥィングのリズムと相まって、ジャズ・ファンをとらえた。一方でフランスを占領下に置いたナチスによるジプシー追放、虐待が始まる。
 映画は「黒い瞳」の演奏とともに始まる。この曲自体もジプシー女の表情を旋律にのせている。あえて記せば《ジプシー》は差別語だから《ロマ》に言い換える風潮がある。インド・アーリア系のロマは最大勢力には違いないが、ジプシーはそれがすべてではない。ましてGypsyという呼称自体はEgyptから来ているといわれる。ジプシーという呼称を消せば、ジプシーの存在自体を歴史から閉ざすことになる。言葉狩りで差別はなくならない。ジプシーを冠した名曲ヨハン・シュトラウス2世のオペレッタ「ジプシー男爵」、歌劇「カルメン」のジプシーの踊り、サラサーテの「ツゴイネルワイゼン」、タンゴ「ジプシーの嘆き」…をも抹殺するのか。
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否定と肯定

 第二次世界大戦が終わって72年になるのに、ドイツ・ナチスが人類の歴史に最大の汚点を残したホロコーストは、いまも映画に描かれ続けている。映画人の責務か良心か。『否定と肯定』(ミック・ジャクソン監督)は、英・米合作。少し視点を変えている。原作はアメリカの大学でホロコースト学などについて教鞭をとっているデボラ・E・リップシュタット。原題の『DENIAL=否定』の通り、ホロコースト否定論との闘いが主題である。
 デボラが立ち向かうホロコースト否定論者デイヴィッド・アーヴィング(ティモシー・スポール)は英国の歴史小説家で、1977年「ヒトラーの戦争」(早川書房から翻訳本)のなかで<ヒトラーはホロコーストに消極的だった>と記し、デボラは<ホロコースト否定論の最も危険な語り手の一人>と断じた。デイヴィッドはデボラを訴えるが敗訴。1989年には《否定》を強調する演説をし、2005年にオーストリアで逮捕され3年の服役についている。
 ものごとには表面に見える事実と、その奥に隠れているかも知れない真実がある。まして表面に見えるものは、川のこちらの岸からの眺めと対岸からの風景のように異なった側面を持つ。肯定と否定のなかで事実を追い求める法廷劇はスリリングである。デボラをレイチェル・ワイズが好演している。作者のデボラ・リップシュタットは10月に日本記者クラブで意図を語った。
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ヒトラーに屈しなかった国王

 『ヒトラーに屈しなかった国王』もナチスの時代の実話に基づくフィクションだが、主題は王、主権者、権力者など高い地位にある者は責任を伴うというノーブレス・オブリージュ=Noblesse Obligeを描いている。ノルウエーは1905年、スウエーデンと同じ君主をいただく同君国家から独立し、立憲君主制のノルウエー王国を樹立、デンマークからカール王子をホーコン7世(1905-1957)として迎える。1940年、ノルウエーはナチスに国土を占領された。ドキュメンタリー・フィルムで始まり、映画はドイツが降伏を迫るところから始まる。単独でドイツの公使と交渉の場に立つが、断固拒否して交渉は決裂。国王は国外でレジスタンス運動に身を捧げた。ナチスに抵抗した北欧の小国ノルウエーの誇りある歴史である。エリック・ポッペ監督は、国の運命を決定する3日間をけれん味なく描いている。イエスパー・クリステンセンが70歳を前にしたホーコン国王を渋く演じている。
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ギフテッド

 『ギフテッド』(マーク・ウェブ監督)。持って生まれた資質、才能をGiftという。ここに描かれる祖母、その娘と孫は、まさに数学に稀有の能力を身に着けていた。祖母は英国ケンブリッジ大学で数学を学んだ。娘は10億人に一人という天才だった。そしてその孫メアリー(マッケナ・グレイス)。小学1年生の最初の教室で、教師が出した足し算の問題をこともなく正解し続ける可愛くない娘。人の資質を最初に見抜き育てるのは親に違いない。しかし、孫に対する祖母と娘(母親)との間に葛藤がある。この映画は、並外れた資質を身近なものがどう受け止めるか…難しい問いかけを投げかけている。

 『はじまりは・ボーイ・ミーツ・ガール』はすこぶる純な映画だ。舞台はフランス。12歳のヴィクトールとマリーは同じ学級。マリーは成績がいいし家も豊かで豪邸に住んでいる。ヴィクトールは母親に先立たれ、自動車修理工の父親と暮らしている。成績は…。そんな二人にいつしか淡い恋心が芽生える。
 マリーは目を病んでおり、視力が落ちてゆくが、チェロを熱心に弾き、コンセルヴァトワールを受験しようとしている。フランス映画は子どもの描き方が巧い。主役の二人も自然でいい。監督は『赤ちゃんに乾杯』(コリーヌ・セロー監督1985)でセザール賞助演男優賞のミシェル・ブジュナー、今作が長編映画の3本目。原題は『点字に刻まれた心』、邦題とは少し印象が違う。
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ミスター・ロン

 『ミスター・ロン』がとてもいい。日本・台湾・香港・ドイツの合作だが、監督と脚本は日本側からSABU、主演は楊徳昌監督の『牯嶺街少年殺人事件』(1991)でデビューしたチャン・チェン(張震)。ミスター・ロンは台湾・高雄の殺し屋でナイフの使い手。東京・六本木の台湾マフィアの命を狙って日本に来るが、仕損じて北関東の田舎町に流れ着く。そこで出会った台湾人の母親リリーと息子のジュンの3人で物語が始まる。
 リリーは風俗で働いているとき覚せい剤を打たれ中毒になる。中毒から抜け出させるためミスター・ロンが手を貸したことから3人の絆が生まれる。土地の世話好きな住民たちとの微笑ましいつながりも生まれる。このあたりの描写が自然でいい。マフィアの一行がミスター・ロンの居場所を突き止めひと悶着あるのだが、それから先は置いといて、脚本と演出に人の優しさがにじんでいる。これはファンタジー?いやメルヘンかも知れない。最後は瞼が熱くなる。師走にふさわしい人情味たっぷりの作品である。
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ローガン・ラッキー

 スティーヴン・ソダバーグ監督の新作は『ローガン・ラッキー』。脚本を書いたのは正体を明らかにしない新人レベッカ・ブラント。ジミー(チャニング・テイタム)とクライド(アダム・ドライヴァー)のローガン兄弟、兄は高校時代アメフットのスターだったが、ひざの故障からプロになるのをあきらめた。クライドはイラク戦争で片腕を失う。このついていない兄弟が目論んだ強盗事件…。狙うはコカ・コーラ600が行われるシャーロット・モーター・スピードウェイの地下にある金庫。ノースカロライナのこのレース場は戦没将兵追悼記念日(5月の最終月曜日)の前日の日曜日に昼はインディ500が展開される、レーシングカー=Stock carによるモータースポーツの聖地。金庫の爆破のため伝説の爆破師であるジョー・バング(ダニエル・クレイグ)を脱獄させた。思うようにうまく運ぶか。ちなみにローガンの名前は、南北戦争で北軍の将軍をつとめ、のちに戦没将兵追悼記念日の設定に貢献したジョン・A・ローガン(1826-1886)から頂戴したと思われる。憎い
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探偵はBARにいる3

 『探偵はBARにいる3』の監督は橋本一から吉田照幸に変わったが、古沢良太が一貫して脚本を手がけているのでトーンは変わらない。大泉洋と松田龍平のコンビにも負うところが大きい。ハードボイルド風味にユーモアのスパイスも効かせて演出は達者。北海道の風景をうまく取り入れてもいる。大泉洋は探偵をすっかり手の内にし、松田龍平のクールな表情は得難い。北川景子、リリー・フランキー、田口トモロヲ、松重豊らの演技もが楽しめる。池頼広の音楽が画面に弾みをつけている。
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YARN 人生を彩る糸

 『YARN 人生を彩る糸』(ウナ・ローレンツェン監督)は一風かわったアイスランドからのドキュメンタリー。羊を飼い、羊毛を撚って糸を紡ぎ、キルトのような巨大な編み物を仕上げる。果てはトランポリンのような子供の遊具やサーカスのパフォーマンスの道具にもなる。「欲しがることと努力すること」をなくしたら人ではなくなる。「子供の頃よく遊ばなかったら大人になって欠点が出る。よく遊んだ子は次第に落ち着いてくる」という格言。
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め組の喧嘩

 『め組の喧嘩』((24年5月平成中村座)は粋で派手でにぎやかな芝居。口跡、きれのいいセリフ回し。橋之助に風格、惜しい役者を失った者だ。幕切れの締めくくりに、舞台の奥が開いて御輿が繰り出す趣向も中村座ならでは。映像で見ると舞台とまた違った味わいがある。
 『光』(大森立嗣監督)は『舟を編む』にも見られた原作者の筆致は展開も描写も綿密で細かいが、137分の長尺に演出が堪え切れていない。伊豆・利島を襲う津波の発端は少しあざといし、動機も弱い。<光>の意味も希薄。瑛太はいい。
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DESTINY 鎌倉ものがたり

 『DESTINY 鎌倉ものがたり』(山崎貴監督)は特上の娯楽作品である。1984年から連載が続いている西岸良平作のコミック「鎌倉ものがたり」の映像化。映画の主題は恋愛至上主義のラブ・ファンタジー。少し込み入ったスピリチュアルな話を、辻褄をうまく合わせた展開で見せる。江ノ島電鉄―江ノ電を上手に使いVFXにも抵抗を感じさせない。堺雅人はこの手のキャラクターが似合うし、高畑充希も天真爛漫に演じている。そのほか堤真一ら豪華キャスト。主題歌を宇多田ヒカルが作詞、作曲して歌っている。
 

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安曇野発 信州都市めぐり41

 
⑥茅野市


加藤 雅博

 
 前回お休みしましたが、信州都市めぐりを再開します。今回は「茅野(ちの)市」です。安曇野からは、長野道と中央道でわずか40~50分ほどの距離ですが、一般道路となると、松本市、塩尻市を経て塩嶺峠を越え、諏訪市を経由するルートで、よほど用件がない限り訪れることは少ない都市です。
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茅野市の位置図

 茅野市は県の中部やや東よりに位置する諏訪盆地の中央にあり、富士山に次ぐ広大な裾野をも持つ八ヶ岳連峰の西側北半分を占めています。標高770 メートルから1,200メートルにわたるゆるやかな裾野には多くの集落、耕地があって市民生活、産業、文化等の基盤となっています。
 
 JR中央本線、国道20号線及び中央自動車道が市の西南部を走り、茅野駅を中心に市街が展開。駅を核に市の中心部が放射状に発展してきました。東西23.55キロメートル 南北20.55キロメートル、面積は266.59平方キロメートル 。人口は10月1日現在55,826人(男27,866人、女27,960人)で19都市中9位です。平成17年の57,099人をピークに漸減が始まっており、地方都市の人口減は茅野市でも例外ではないようです。
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茅野市役所と市章

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茅野市のシンボル蓼科山

 茅野市の発展は蓼科高原の開発と無関係ではありません。茅野市を象徴する北八ケ岳にある蓼科山周辺はもともとシラカバやカラマツ、アシなどの植物が茂る高層湿原でした。この地の開発が始まったのは昭和13年(1938)。高原の中を流れる水温の低い音無川を堰き止めて溜池をつくり、農業利水として500ヘクタールの水田を潤す計画が進められました。溜池は「蓼科大池」と呼ばれ、戦後の昭和24年(1949)ごろに完成ました。
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茅野市の心のふるさと八ヶ岳

 同時期、蓼科大池付近を経由する路線バスが開設されると、池を活用した貸ボートやスケートなどレジャーが盛んになり始めると、次第に訪れる人々が増えてきました。地元の強い要望により「大池」がちょっと洒落た「白樺湖」へと改名されたのは、昭和28年(1953)のことです。
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白樺湖

 高原の観光開発が急速に進んだのは,昭和35年(1960)に滝ノ湯、小斉(こさい)、親湯(しんゆ)など、蓼科温泉郷の土地が地元の湯川財産区から民間に買収されてからです。昭和38年(1963)蓼科有料道路(現在無料、通称ビーナスライン)の開通もこの傾向に拍車をかけました。高度成長を経て別荘建設も徐々に進み、県内でも有数のリゾート地へと発展しました。
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白樺湖周辺のリゾート施設

 一時期に比べ、蓼科高原の集客力は落ちてきているようですが、蓼科に連なる車山、霧ヶ峰、美ヶ原の高原は行楽地としての魅力は残されており、何といっても首都圏から数時間といった地の利がありますから、元気な団塊世代の中高年層を主体にした登山、トレッキングの基地としての地位を保つことになり、観光立地の位置は続きそうです。
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茅野市のマンホールデザイン 土偶も描かれている

 蓼科の観光以上に、茅野市を代表するのは「縄文の里」としての「顔」。八ヶ岳山麓の諏訪地域は2~3万年前から人類の足跡が残されている歴史の古い土地柄です。諏訪湖周辺の台地に黒曜石の原石鉱脈があり、その使途に気付いた旧石器人たちによって数多くの石器が作られ、技術の向上で鋭利な道具へと発展していきました。1万年前ごろ、山麓の大地が針葉樹林からナラやクリの落葉広葉樹に変容するころから、山麓一帯に縄文文化が開花します。
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茅野市内の看板にも土偶の絵

 約5,000年から4,000年前の縄文時代中期になり、縄文文化が最も繁栄します。茅野市ではこの縄文時代中期の遺跡が最も多く確認されており、他の縄文時代の遺跡と合わせるとその数は230か所を超えます。
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運営が注目される茅野の文化の発信基地 市民館

 明治に入って最初の遺跡が発見され、昭和以降次々に新たな遺跡や、打製石斧、磨製石斧、石皿、凹石など多数の出土品が発掘されましたが、なかでも豊平地区の「尖石(とがりいし)遺跡」は特別史跡に指定され、規模と遺品の出土量で他を圧倒しています。
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茅野駅前に立つ「縄文のビーナス」「仮面の女神」

 そしてとりわけ茅野市民にとっての誇りが同遺跡から発見された「縄文のビーナス」「仮面の女神」の愛称を持つ2つの国宝。「縄文のビーナス」は昭和61年(1986年)に出土、平成7年(1995年)に、「仮面の女神」は平成12年(2000年)に出土、同26年(2014年)国宝に指定されました。全国の土偶の国宝は5体。うち2体が茅野市にあることになります。
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尖石縄文考古館の正門と2つの土偶レプリカ

 この茅野市の宝、縄文遺跡を全国や世界に向けて発信し、まちづくりに活かそうという取り組みが「縄文プロジェクト」。世界からも注目されている、人と自然が共生しながら培ってきた、調和した社会、人も自然も元気で豊かな社会を目指した様々な活動やイベントを展開しようというものです。縄文人の生き方の中に現代人の生き方や、現代社会が抱えている課題を解決する糸口を求めいくことが縄文プロジェクトの目的です。

 その一環として今年の夏から始まったのが「八ケ岳JOMONライフフェスティバル」です。3年に一度開かれることが決まりました。今年のフェスティバルでは、尖石縄文考古館、茅野市民館を舞台に、ふだんはふれることができない遺跡の特別展、縄文を知り楽しむ体験教室、「縄文検定」、「縄文を語る」講演会、シンポジウム、JOMONファッション制作ワークショップ、「竪穴式茶室」の公開などなど、実に多彩な催しが2か月以上にわたって展開されました。次回は東京5輪と同じ2010年。今回は見逃してしまったので、次回必ず観ようと考えています。
 
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竪穴式茶室「低過庵

 今回のイベントで披露された竪穴式茶室「低過庵(ひくすぎあん)」の製作者は、茅野市出身で建築史家・建築家の藤森照信さん。なだらかな傾斜の土地に半分埋まり、屋根上部が横にスライドして開くという遊び心満点の「青空茶室」。室内は6平方メートルで、大人が5~6人入れる。屋根は銅板ぶき。湯沸かし用の暖炉も設けてあります。
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樹上に建てられた「高過庵」

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空中に浮いたような「空飛び泥船」

 藤森さんは、故赤瀬川原平さんらと路上に隠れた建物を観察・鑑賞するユニークな「路上観察学会」にも参加し、独創的な発想の建築物作者として知られています。低過庵と同じ敷地に平成16年(2004)に地上10メートルの「高過庵(たかすぎあん)」、同22年(2010)には空中に浮かんだような「空飛ぶ泥舟」という茶室をつくって注目されています。
 
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茅野市神長官守矢資料館

 ついでに藤森さんが手がけた建築物がこの3つの庵から徒歩5分ほどのところにあります。建築家としてのデビュー作でもある「茅野市神長官守矢資料館(ちのしじんちょうかんもりやしりょうかん)」。 諏訪大社上社の長官を勤めてきた守矢家の1,600点の古文書を所蔵した資料館です。この建築物には縄文文化の香りがたっぷり漂ってきます。
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史料館への入り口

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諏訪大社上社前宮の看板

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上社前宮の鳥居

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上社前宮の社殿

 史料館からほど近いところに諏訪大社上社の前宮があります。諏訪大社は複雑で奥深い神社なのでいずれ別の機会に詳述することにしますが、長野県諏訪地方周辺を氏子とする諏訪大社は上社の前宮、本宮、下社の秋宮、春宮と4か所にあり、茅野市宮川にある上社前宮は諏訪大明神が最初に居を構えたところとされています。庵の見学とともに是非見ておきたいところです。
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「寒天の里」の看板
 
 リゾートと縄文に加えて茅野市のもう一つの顔が「寒天の里」。古くから茅野市に伝わってきた地場産業に、天然角寒天づくりがあります。この地に、寒天づくりが伝わったのは1830年ごろの江戸時代天保年間。テングサという海産物が原料の商品が、山国である長野県茅野地方で盛んになった経緯は以下のようなことのようです。
 
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「寒天の里」の看板

 玉川村(現:茅野市玉川穴山)の小林粂左衛門が、関西方面に出稼ぎに出向いたおり、丹波地方で寒天製造を知り、気候風土が諏訪地方と共通していることに気付きました。これは故郷の冬の農家の副業として適していると考え、2年ほど下男になって住み込み、製法を密かに身に付け郷里玉川穴山にて寒天製造を始めました。
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鏝絵美術館「天香館」

 茅野市周辺は、雪や雨の量が少なく、晴天率が高いため、寒天の融解や乾燥が適度に進むことなどが最適で恰好の副業になりました。さらに昭和初期、隣接する岡谷の製糸業が衰退すると生糸と入れ替わるように、この町では寒天製造が盛んになりました。このころは、寒天をなりわいにしていた店舗が商店街に並んだということです。寒天製造はこれからが本番。12月中旬から来年2月下旬まで。寒天を天日乾しする厳冬期の風物詩が間もなくお目見えします。
 
 茅野市めぐりの最後に大変珍しい美術館の紹介を。鏝絵(こてえ)を展示している「天香館」(茅野市ちの)です。鏝絵とは漆喰を用いて作られる伝統的な装飾技法のことで、左官職人が「こて」で仕上げていくことからこの名前がついています。土蔵の壁などに施された漆喰の装飾は典型的ですが、それを美術品にまで高めた職人たちがいるのです。
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天香館の入り口看板

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天香の作品「魚籃観音」縦3m横1.8m

 天文館は、鏝絵の名工として全国各地の公共施設も手掛けた左官・小川天香さんこと、小川善弥さんが残した鏝絵の作品の展示館として、孫の小川善弘さんが自宅敷地に建てたものです。ふだん、まったく見る機会がない世界を楽しむことができます。
 
 今回は何ともバラエティに富んだ都市めぐりを愉しみました。

 
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  安曇野 無頼庵
   加藤 雅博
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中高年の「元気が出るページ」12月号                       村上整骨院移転案内                                ①うにのおうちごはん歳時記第15回 クリスマスディナー 山田うに         ②安曇野発 信州都市めぐり 6茅野市 加藤雅博                   ③191回シネマトーク【『オリエント急行殺人事件』出発進行】 西島雄造

<うにのおうちごはん歳時記>第15回


毎日いただくおうちごはん。春夏秋冬、季節の彩りにあふれた食材や料理を取り上げて食の歳時記として連載します。

写真と文:山田うに



編集者・トラベルライター。よみうりカルチャーの野外講座・料理教室講師。ほかに『大人のカルチャーガイド』で美術館・博物館の企画展案内などを執筆。


 12月 クリスマスディナー



   八人の子供むつましクリスマス

 正岡子規の明治29年の句です。当時はどの家も子だくさんで、子供は富国強兵の日本を支える力だったに違いありません。
 クリスマスはキリスト教においてイエス・キリストの降誕を記念する祭日。主の降誕、降誕日ともいいます。ちなみに“降誕”とは広辞苑(六版)によれば「君主・聖人・高僧などがこの世に生まれ出ること」とあります。キリスト教会にとってはこの記念日はイースターに次いで重要な祭日で、宗派を問わず祝われる世界的な祝日です。福音書ではマタイ伝とルカ伝のみがイエスの降誕に触れていますが、いつ降誕したのかという日付に言及がありません。イエスがいつ生まれたのかを特定する史料は残っておらず、そのためナザレのイエスが12月25日に生まれたと主張するクリスチャンはいないと言われます。12月25日はイエスの誕生日なのではなく、あくまでもイエスの誕生を記念する記念日なのです。
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(Xmasディナー)

 クリスマスイヴのディナー。メインディッシュはミートローフのパイ皮包み焼き。トマトと芽キャベツをあしらってクリスマスカラーを演出します。写真奥はクリームチーズとスモークサーモンのカナッペ。ワインはスペイン・フレシネのカヴァ白です
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(サラダ)

サラダはブロッコリーとカリフラワーをグラスにあしらいました。これだけで華やか

 12月25日はキリスト教以前のローマ帝国では冬至の日でした。それが3世紀頃、太陽神=ミトラを崇めるミトラス教の“不滅の太陽”を祝う祝日となり、その後313年のキリスト教公認後にイエスの誕生を祝う祭りに移行していったと考えられます。秋から冬に輝きの衰えた太陽が、この日からまた力を取り戻す“冬至の日”はイエスの降誕を祝うのにふさわしい日だといえましょう。
 日本においても“一陽来復”があり、陰暦11月の冬至はこの日を境に「陰がきわまって陽がかえってくる」、悪いことばかりあったのがようやく回復して善い方に向いてくると言われました。縁起を担いで一陽来“福”と書いたりしますがこれは誤用です。東京早稲田の穴八幡宮は「一陽来復守り」を授けるのが有名な神社で、お守りを拝受するのに長蛇の列ができ、境内は露店がびっしりと立ち並ぶほどです。そしてお守りの授与は冬至の日から2月の立春までとなっています。
 これがクリスマスも似ていて、一陽来復ほど長期間ではありませんが、クリスマス期間は12月25日から1月5日のエピファニーの祝日の前日までがシーズンなのです。エピファニーとはギリシャ語のepiphaneia(現れ)が語源で、主イエスが神としてこの世に“現れ”たことの記念日です。

 日本でのクリスマスは一大商戦期で、11月には街にクリスマスツリーが登場し、12月にはクリスマス一色となります。しかしそれも12月25日までで、この日を境に街はあっという間に“正月商戦”に切り替わります。エピファニーの前日までがクリスマスだなどとは多くの日本人に無縁です。かく言う私も、この日ばかりはワインを用意し、見栄えのよい西洋料理を作り、デザートも添える食事で楽しみます。いわば中身のない宗教イベント。この気楽さが好きでもあります。

   自動ドア開くたびにクリスマスツリー在る(阪倉研伍)
   大阪に出て得心すクリスマス(右城暮石)
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(デザート)

 デザートはアイスクリームとプラムとクッキー。どれも市販ですが器を工夫するだけでおしゃれに変わります
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(東京コーラ)

 見つけました、東京コーラ。江東区の茶舗が販売元です。味はコーラそのものですが、茶舗らしく緑茶が含まれていて、最後にフッとお茶の味が口中に広がります
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中高年の「元気が出るページ」12月号                       村上整骨院移転案内                                ①うにのおうちごはん歳時記第15回 クリスマスディナー 山田うに         ②安曇野発 信州都市めぐり ⑥茅野市 加藤雅博                   ③191回シネマトーク【『オリエント急行殺人事件』出発進行】 西島雄造

村上整骨院(清瀬市)10月27日50m先に移転しました。
清瀬市上清戸2−3−4 1F-A

建物裏に駐車場あり

TEL・FAX 042-495-5572

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志木街道とけやき通りが交差する上清戸1丁目交差点角。
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<どんな痛みもご相談ください>
●骨折、脱臼、挫傷、ねん挫、打撲
●頚、肩、肘、腰、膝など
●交通事故によるケガ、首(むち打ち症)、腰、各部の痛み
●スポーツ障害、野球、サッカー、水泳などによる痛み
●若い時に起こしたケガの痛みの再発など
(主な施術) マッサージ、電気療法、はり治療、運動療法など
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診療時間
月曜日〜金曜日午前9:00〜12:00午後3:00〜7:30(木曜日のみ午後は休診)
土曜日9:00〜13:00
(日曜、祝祭日は休診)
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共通テーマ:健康

中高年の「元気が出るページ」2017年11月号                  村上整骨院移転                                   藤川川柳                                     ①うにのおうちごはん歳時記第14回 馬鈴薯 山田うに               ②安曇野発番外編2017年 安曇野の秋 加藤雅博                   ③190回シネマトーク【『ホリデイ・イン』恍惚の舞台】 西島雄造

(((190回 シネマトーク))))


【『ホリデイ・イン』恍惚の舞台】


 
西島雄造



 クリスマスの季節が始まる。数々の楽しみで賑やかな街に流れるのは「ホワイト・クリスマス」。アーヴィング・バーリンが『スイング・ホテル』(マーク・サンドリッチ監督1942)に作詞・作曲し、ビング・クロスビーが歌ってアカデミー歌曲賞を射止めた。ラジオ放送で流され、レコード化されるとヒットチャートでも首位を続け4500万枚が売れた。
 映画『ホワイト・クリスマス』(マイケル・カーティス監督1954)はパラマウントが製作した初のビスタビジョン作品。日本では12月17日に東京・築地の旧東劇でロードショウ上映された。クロスビー、ダニー・ケイ(1911-1987)、歌手でジョージ・クルーニーの伯母のローズマリー・クルーニー(1928-2002)、『踊る大紐育』(1949)でミス地下鉄に扮したヴェラ=エレン(1921-1981)、『ウエスト・サイド物語』(ロバート・ワイズ監督1961)のベルナルド役でアカデミー助演男優賞を手にしたジョージ・チャキリスも、クレジットなしでダンサーの群舞に連なっていた。
 ビング・クロスビー(1903-1977)は映画俳優としても成功し、アカデミー作品、監督賞の『わが道を往く』(レオ・マッケリー監督1944)では主演男優賞に輝いた。ほかにもグレース・ケリー(1929-1982)が主演女優賞の『喝采』(ジョージ・シートン監督1954)、ルイ・アームストロングらジャズ・プレイヤー総出の『上流社会』(チャールズ・ウォールターズ監督1956)、ボブ・ホープと『珍道中』シリーズなど多くの作品に顔を出している。
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ホリデイ・イン

[コピーライト]Broadway HD/Joan Marcus Photography/松竹


 11月10日から東京・築地の東劇で限定5日間だけ公開される『ホリデイ・イン』《Irving Berlin’s Holiday Inn The Broadway Musical》は、1965年に創立されたRoundabout Theatreの制作で、2014年にコネチカット、翌年にはセントルイスで公演のあと、2016年10月から翌年1月にかけブロードウェイのStudio54に進出した。映像化された舞台は松竹ブロードウェイシネマとして上映される。アーヴィング・バーリン(1888-1989)は60年間の長きにわたり作詞・作曲を続け一世を風靡した。ブロードウェイの舞台に19、ハリウッド映画に18の作品を書き1500曲もの楽曲を残している。『アニーよ銃をとれ』『トップ・ハット』『ショウほど素敵な商売はない』『イースター・パレード』…1918年のミュージカル『Yip Yip Yaphank』に書いた「God Bless America」はアメリカの第二の国歌になっている。
 映画は11月の第4木曜日に催される感謝祭に始まり、クリスマス、大晦日、バレンタインデイ、復活祭、独立記念日と季節の節目を軸に歌とダンスが豪華に展開する。縄跳びをしながらタップを踊る「Steppin’ Out with My Baby」やアル・ジョルスンがハリウッド初のトーキー映画『Jazz Singer』(1927)で披露した「Blue Sky」、そして「Cheek to Cheek」「Easter Parade」「White Christmas」など名曲の数々。マリリン・モンローが『ショウほど素敵な商売はない』(1954)でセクシーに歌い踊った「Heat Wave」をコービン・ブルーが見事に決めている。コービンは1989年生まれ、舞台に映画にTVに活躍は目覚ましく、2017年の夏には『マンマ・ミーア』でスカイを演じた。ほかに美声のブライス・ピンカムとローラ・リー・ゲイヤー、そしてトニー賞にノミネート歴もあるミーガン・ローレンス。振付のデニス・ジョーンズも2017年のトニー賞にノミネートされた。古くて新しい振付は将来有望だ。ブロードウェイの舞台を目の当たりに出来るから、ミュージカル・ファンは見逃せないが、5日間限りの上映とは何とも惜しまれる。
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ロダン カミーユと永遠のアトリエ

 『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』(ジャック・ドワイヨン監督)は芸術の秋にふさわしい作品である。ロダンといえば<考える人>を思い浮かべる人が多かろう。この彫像ははじめ<地獄の門>の頂上に刻まれた。いまでは世界の美術館に飾られ、東京の国立西洋美術館でも1953年に鋳造されたものを見ることが出来る。
 オーギュスト・ロダン(1840-1917)はパリの労働者階級の子として生まれた。ことしは没後100年になる。24歳のとき裁縫で暮らしをしのいでいたローズと結ばれている。映画はロダンが40歳のころから60歳代の終わりに近い日々を描いている。いまでこそ近代彫刻の祖として親しまれているが、当時の美術界は「ゾラ(小説家)もロダンも通俗」と評した。少し顔を出す印象派絵画のポール・セザンヌ(1839-1906)やクロード・モネ(1840=1926)はロダンを敬愛し、モネは1889年に<ロダンとの二人展>をも催し、生涯の親交を結んでいる。エミール・ゾラ(1840=1902)は中学の下級生で親友だった。
 主要な登場人物、彫刻家のカミーユ・クローデル(1864=1943)は19歳でロダンの弟子になった。奔放な作像と女としての魅力はロダンを惹きつけ、ローズとの三角関係が続く。映画の題名通り、このあたりの機微や、<地獄の門><バルザック像>の創造過程がていねいに描かれて興味深い。ロダンに扮したヴァンサン・ランドンは『ティエリー・トグルドーの憂鬱』(2015)から別人のような容姿で深みのある演技を見せる。カミーユにイジア・イジュラン。カミーユを描いた映画はほかにも、イザベル・アジャーニが扮した『カミーユ・クローデル』(ブリュノ・ニュイッテン監督1989)、ジュリエット・ピノシュの『カミーユ・クローデル ある天才彫刻家の悲劇』(ブリュノ・デユモン監督2013)がある。
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人生はシネマティック!

 『人生はシネマティック!』は『幸せになるためのイタリア語講座』(2000)『17歳の肖像』(2009)を手がけたデンマーク出身の女性監督ロネ・シェルフィグによる英国映画。舞台は第二次世界大戦に突入したばかりのイギリス。情報相映画局はもっぱらプロパガンダ映画を多作していた。新たな主題はシネマトークの9月号『ダンケルク』(クリストファー・ノーラン監督)で紹介した地上最大の撤退作戦で活躍した双子の姉妹。
 当時、男性は徴用され人手が足りなくなっていた。コピーライターの秘書カトリン(ジェマ・アータートン)の資質が見抜かれ脚本家としてスカウトされる。映画は117分のおおかたを映画製作現場に費やされる。素晴らしいセリフが心を揺さぶる<人生の1時間30分を捧げられる映画>。ファンが映画に求めるのも、こうした欲求だ。1935年にビング・クロスビーが歌ってヒットした「Red Sails in The Sunset」が時代を思い出させる。

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ブレードランナー2049

 1977年『デユエリスト/決闘者』で長編監督デビューしたリドリー・スコットが『エイリアン』(1979)に続いて手がけたハリソン・フォード主演の『ブレードランナー』(1982)。その続編『ブレードランナー2049』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)の時代設定は、第1作の2019年から30年後に。環境破壊から地球の住民は宇宙に移住し、遺伝子工学で開発された人造人間=レプリカントが労働力を支えていた…という第1作から2049年の米カリフォルニアへ。地球の温暖化で環境はさらに悪化し、貧困と病気が曼延している。レプリカントには感情が芽生え、人間に対して反抗的になっている。そこで旧型のレプリカントを解任するために、ロサンゼルス市警所属の新しいレプリカントKが派遣される。
 女のレプリカントが生殖能力を身につけるという展開から、いささか文学的な会話の積み重ねが少しまどろっこしく、けたたましく華々しい昨今のSF活劇を見慣れたせいか、163分の長尺に退屈する場面があるが、近未来的な細工は散りばめられている。エルヴィス・プレスリーの「Can’t Help Falling in Love」やフランクシナトラが歌う1943年の曲「One For My Baby」が挿入されるお遊びも。1977年の『スター・ウォーズ』でハン・ソロ、81年には『レイダース/失われた聖櫃』で人気絶頂だったハリソン・フォードがブレードランナー、デッカードを演じて30年後に再登場、75歳でさすがにお歳を召した。新ブレードランナーKにライアン・ゴスリング。ほかに美女多数。
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マイティ・ソー バトルロイヤル

 『マイティ・ソー バトルロイヤル』(タイカ・ワイティティ監督)はクリス・ヘムズワースとケイと・ブランシェットが運命の闘いに火花を散らす。どこか古代ローマと聖書の出エジプト記を思わせる場面を挿みながら、全編ひたすら闘争的、破壊的。物語の筋を追わなくとも、ディズニーとMARVELの映像術を見ているだけで充分に楽しめる。もうひとつの見どころはクリス・ヘムズワース。アメリカの雑誌ピープルが毎年選んでいる《もっともセクシーな男》に選ばれたのが2014年。第1回はメル・ギブソン、最新はドウェイン・ジョンソン。身長1.90メートルの素晴らしい筋肉質だ。地球を守るアスガルド軍団の一翼を浅野忠信が担っている。
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ゲット・アウト

 『ゲット・アウト』はジョーダン・ピールの監督デビュー作。ニューヨークで暮らす黒人のクリス(ダニエル・カルーヤ)と結婚を考えているローズ(アリソン・ウイリアムズ)の二人がローズの実家を訪問する。父親ディーン(ブラッドリー・ウイットフォード)は精神外科医、母親のミッシー(キャサリン・キーナー)も精神科の医師で、裕福に暮らしている。娘が黒人の男を連れ現れたが、自分たちは差別主義者ではないと強調する父親。それにしては邸の管理人も家政婦も下働きは黒人だ。
 ローズの亡き祖父をたたえる年に一度のパーティが催される。参会者はこぞって豊かな白人たちだが、一人だけ年上の白人女性を妻に持つ黒人の男の姿があった…。展開は予測出来ないが、後半になりサイコパス的な様相を見せ始める。ドラマの狙いは何か。一見、差別主義に一石を投じているようで、根っこはそうとも思えない黒人の扱い方である。
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セブン・シスターズ

 『セブン・シスターズ』はフィクションが事実を突き抜ける。モチーフは近未来の人口爆発。地球は食糧不足で飢餓にさいなまれている。欧州連邦による一人っ子政策が厳格に布かれ、二人目から子どもは児童分配局が管理し、地球上の資源が回復するまで冷凍保存されていた。ところがセットマン家に七つ子の姉妹が生まれ母親は死亡。祖父が引き取り、日曜=SUNDAYから月曜日=MONDAYまでを名前に、それぞれ週に1日だけ外出してカレン・セットマンという共通の人格を演じ30年を過ごしてきた。ある夜SUNDAYが外出したきり帰宅しなかったばかりか、アパートが武装した5人組に襲撃される。7人姉妹の運命は…。7人を演じ分けるノオミ・パラスがみどころ。グレン・クローズ、ウィレム・デフォーが共演。トミー・ウィルコラ監督はノルウエー出身。演出に見るべきところがある。
 『密偵』(キム・ジウン監督)がよく出来ている。武装抗日運動組織として金元鳳(1898-1958)が1919年に13人で活動し始めた義烈団が下地になっている。1920年の釜山警察署を手初めに、京城=ソウルに置かれた朝鮮総督府まで破壊活動の対象にした。映画では義烈団の監視を命じられた日本警察側のイ・ジョンチル(ソン・ガンホ)、同僚でありながら敵愾心に燃えるハシモト(オム・テグ)、義烈団の現場リーダーであるキム・ジンウ(コン・ユ)を巡り、せめぎ合い、確執、謀略取り混ぜながら、義烈団と日本警察の間でうごめく密偵をあぶりだし、140分のサスペンスを盛り上げてゆく。
 終幕ソン・ガンホの演技には哀愁が漂う。コン・ユ、オム・テグも巧い。時代考証にも手抜かりがないが、効果的に使われるルイ・アームストロングの「When You’re Smiling」の初吹込みは1929年、ラヴェルの「ボレロ」が作曲されたのは1928年。齟齬はなかろうか。警察の上司に鶴見辰吾。団長のチョン・チェサンにイ・ビョンホン。
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マスター

 同じ韓国の『マスター』(チョ・ウィソク脚本・監督)の主題は金融犯罪。架空の金融投資会社を設立し、数万人から巨額の金をかき集めてドロン。主犯の二人はベトナムに密航したあと焼死という怪しげな詐欺事件。これを追う知能犯罪捜査班長はマニラで追い詰める。実際にあった医療機器のレンタル事業に投資を呼びかけた<チョ・ヒパル詐欺事件>を土台にしている。143分の長尺だが、後半のマニラに舞台が移ってから画面は活気を帯び、ダイナミックな演出とカットバックで、クライマックスのカーチェイスも迫力がある。主犯を演じるイ・ビョンホンは男盛り、演技も円熟している。
 やはり韓国の『我は神なり』は10月号で紹介した『ソウル・ステーション パンデミック』と同様、ヨン・サンホ監督の2013年の作品。ダム建設で水没する村で、信者を集めて“奇跡”を演じて見せては、立ち退き料を寄進させるキリスト教の神父と長老。悪辣な詐欺グループの仕業だが、善良な村民たちは疑うことなく寄進にいそしむ。我は神なりという我は誰を指すのか。信仰の是非を問うわけではないが、終幕、監督のメッセージが提示される。 
 『ロキシー』(ゲイリー・マイケル・シュルツ監督)は大活劇を見せるわけではないし、ヴァイオレンス・ムービーとも言えない。むしろ普通の男と女ロキシー(ゾーイ・クラヴィッツ)とヴィンセント(エミール・ハーシュ)を普通に描いている。発端は自動車事故。ロキシーが車から転がり出る。屈強な男が「金はどこだ。逃げられると思うな」とわめく。目撃したヴィンセントが自分の車に乗せて助ける。
 行く先はヴィンセントが生まれ育った家で、いまは兄のJC(エモリー・コーエン)が守っている。久しぶりに帰ってきた弟を兄は歓迎し、二人で自動車修理工場を始める。ロキシーはJCの女ケイト(ゾーイ・ドゥイッチ)と同じ酒場で働くことになった。穏やかな日々が続き、ロキシーの心はヴィンセントに傾き始める。だがやがて、物語の始まりとなった事故が尾を引きはじめ、意外な展開になる。ここからの語り口がよく出来ている。
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セントラル・インテリジェンス

 『セントラル・インテリジェンス』(ローソン・マーシャル・サーバー監督)は“セクシー俳優”ドウェイン・ジョンソンあっての企画。CIA(アメリカ情報局)ものに名を借りたコメディ。前説が少し長いが、後半はテンポよく展開する。相手役のケヴィン・ハートが達者で、これからの活躍が楽しみ。
 『ポンチョに夜明けの風はらませて』(廣原暁監督)は早見和真の原作。高卒間近の三人の若者(太賀、中村蒼、矢本悠馬)が千葉周辺を行き当たりばったり走り回る。これをロードムービーと呼べるかどうか。とても一般的ではない若者たちの上っ面しか見えない。カメラを振り回したり長回ししたり、パンしたり、演出が定まっていない。そのうえ俳優が演技しすぎる。タイトルに引かれてみたが、タイトルがよく語られていない。
 『シンクロナイズド・モンスター』(ナチョ・ビガロンド監督)はカナダから。ヒロインのグロリア(アン・ハサウェイ)はニューヨークでライターとして働いていたが、勤め先をお払い箱になって酒に浸り、ついには同棲の男にも追い出されて故郷に戻ってくる。おりしも韓国・ソウルに巨大怪獣が現れ世界は大騒ぎ。ところが怪獣の性癖がグロリアとシンクロ…いくらSFとはいえおよそ説得力に乏しい。
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泥棒役者

 『泥棒役者』(西田征史監督)は、始まってすぐに舞台劇じゃないかと思っていたら、やはりもとは芝居だった。舞台劇を映画化することに異論はないが、舞台をただ映像化するだけでは意味がない。映画的技術、映像作法というものがある。舞台だろうと映画だろうと大切なのは登場人物の描き方だ。役名と俳優が漫然と並んでいるだけでは伝わるものがない。それぞれの性格を描きこみ、人物たちの感情が衝突したり破裂したりして、はじめて喜怒哀楽が生じる。喜劇も悲劇も同じだが、喜劇ほど難しい。丸山隆平、市村正親ほか。
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ラストレシピ
 
 『ラストレシピ』(滝田洋二郎監督)は一度味わったものは忘れない“麒麟(キリン)の舌”を持つ料理人の話。テレビで「料理の鉄人」などの演出を手がけてきた田中経一の処女作をもとにしている。主人公の山形直太朗(西島秀俊)は天皇の料理番をつとめていたが、誘われて旧満州に渡り、軍部の命令で中国の満漢全席でもフランス料理でもない<大日本帝国食菜全席>のレシピ作成にいそしむ。背景には盧溝橋事件に至る戦争前夜の軍部の陰謀が絡む。
 優れた映画には観客が予想しえない物語が紡がれる。この作品にも豊かな物語が描かれ興味は尽きない。滝田洋二郎監督の演出はていねいで過不足がない。西島秀俊の味わう表情には説得力があり、熟練した演技を見せる。妻に宮崎あおい、もう一人の現代の主役に狂言回しのような二宮和也。綾野剛が相変らずいい。
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中高年の「元気が出るページ」2017年11月号                  村上整骨院移転                                   藤川川柳                                     ①うにのおうちごはん歳時記第14回 馬鈴薯 山田うに               ②安曇野発番外編2017年 安曇野の秋 加藤雅博                   ③190回シネマトーク【『ホリデイ・イン』恍惚の舞台】 西島雄造

安曇野発番外編 2017年安曇野の秋


加藤 雅博


 今年2017年は台風に祟(たた)られた年として長い間記憶に刻まれそうです。10月になっても週末ごとに襲来する台風には天を仰ぎ、何度も恨みがましい言葉を吐いたものです。今回は都市めぐりのシリーズを休載し、悪天候ながら絶好の季節を迎えた安曇野のスケッチです。番外編2017年安曇野の秋――。
 
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大町登山案内人組合創立100周年記念のエスティバル
 
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100年祭会場 山岳グッズ展示販売
 
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子ども向けボルタリングの開放

 9月末から10月初め、大町で開かれたのが『信濃大町 山フェス「北アルプス100年祭」』です。長野県は3つのアルプスをはじめとする高山に囲まれ、「日本の屋根」と称される山岳県。平成25年(2013)に、7月第4日曜日を県独自で「信州 山の日」と制定し、」山の「恵み」に感謝し、「山の恵み」を将来にわたり持続的に享受していくことを全国にアピールしました。その後、昨年から国が遅ればせながら「海の日」に対応する形で、8月11日を国民の祝日「山の日」を新設したのはご承知のとおりです。
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学制登山と登山案内人の出発風景(山岳博物館資料)
 
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百瀬慎太郎(山岳博物館資料) 

 そんな山国県の中でも最北の大町で全国に先駆けて山岳ガイド団体「登山案内人組合」が誕生したのは大正6年(1917)のことでした。大町生まれの旅館・山小屋経営者にして山岳家、また歌人でもあった百瀬慎太郎によって設立され、今年でちょうど100年を迎えました。慎太郎は昭和24年(1949)に56歳で亡くなりますが、死の前年に綴ったエッセイでこう語っています。
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登山中の慎太郎(山岳博物館資料) 

 「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し。童謡ならぬ老謡を口ずさみながら、我ながらいつまでも老センチメンタリストを自分に発見するのである」。冒頭の「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し」は山仲間ではあまりにも有名な名句で、広く親しまれてきました。慎太郎は山と同時に人との結びつきを大切にした人物で、数多く書き残した文章にも岳人だけでなく万人に好かれる要素があったようです。
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北アルプスへの拠点となった對山館(山岳博物館資料) 

 案内人組合設立にさかのぼる大正2年(1913)、陸地測量部発行の5万分の1地形図、「白馬岳」「黒部」「大町」「立山」が発売され、大正5年(1916)には、大町駅が新設。新宿~松本から直接乗り入れる白馬岳、北アルプスへの登山口となり、一気に登山客の増加に拍車がかかりました。慎太郎の生家の旅館「對山館(たいざんかん)」も、日本の近代登山の幕開けで北アルプスに挑む登山家たちで大にぎわいでした。
 
 「登山案内人」という名前が使われるようになったのもこのころですが、登山客は増えているのに対して案内人の数が限られており、案内できる人を増やすことが急務となってきました。また、猟師のかたわらで行うような案内人の質に対する不満の声も多く聞かれてきました。
 
 一方、案内する側からみると、客の横暴に苦労することもありました。「對山館」は客に請われて案内人の世話もしていましたから、案内人と客とのトラブルに立ち会うこともあり、案内人をきちんと組織だったものにしなければということが差し迫った問題でもありました。
 
 そこで慎太郎は全国に呼び掛けて有力な案内人を集め、人員の充足を図るとともに質の向上にも力を入れる必要性を感じます。持ち前の人脈を通じて植物学、動物学、地質学などの学者に講義を依頼して、山に関する知識を案内人たちに習得させていきました。大町登山案内人組合のレベルの高さは、規約の中にあらわれています。
 
 第2条に「組合は善良にして敏捷なる理想的案内者の育成を目的とす」とあり、「理想的案内者の養成」を実現するために、さらに13項目からなる山での行動の規範を示した「案内者心得」が作られました。それらをみると、自然保護への姿勢や後継者作りをどうするかといったことにまで配慮されているのがわかります。
 
 こうした規約や心得を通して、単なる道案内ではなく、山についての高度な知識、エチケットを身につけた良識あるガイドの育成をめざし「大町登山案内人組合」は誕生しました。このことは百瀬慎太郎という人物の教養の高さを示してもいます。大町の登山案内人組合の誕生は隣接する白馬村をはじめ、全国各地に誕生しようとしている登山案内人組合の模範となりました。猟師たちの片手間仕事であった案内人の時代から、専門的な知識をもったプロとしてのガイド時代が始まったわけです。
 
 山岳案内人の確立に功績を残した慎太郎の文化人としての側面にも見張らされます。登山のため對山館に毎年やってくる毎日新聞出版局長となった石川欣一と知り合い、石川を通して慎太郎は幅広い知識人たちとの交流・人脈を広め、日本山岳協会会長でヒマラヤ・マナスル第3次登頂隊長の槇有恒との親交もありました。
 
 また、島崎藤村やロシアの文豪トルストイの作品に触発された文学への夢も抱き続け、中学を卒業後は若山牧水に入門して歌を学んでいます。
 
  大槍は穂先かくして明神の岳は棚雲の支柱の如し
  高山の嶺よりなだり落つる水此の水を飲みて命永らふ
  遠雲を眺めてあればま近くを影を落として走る雲あり
  大き渓深き黒部の谷だにの水音集まりて聞こえくるかな
  いくそたび我がのぼりけむ山々の姿を見れば眺めあかぬかも
  何事の涙ぞ四方にそそり立つ雪の群山に向かひて立てば
 
 などの作品が残っています。
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鹿島槍山頂の槇有恒と慎太郎(山岳博物館資料)
 
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慎太郎が小屋を建てた針ノ木岳

 他方、慎太郎の登山家・山小屋経営者としての経歴も錚々たるもので、大正12年(1923)3月、富山側から大町へ、雪中の立山・針ノ木越えを3週間かけて成功させるという当時として快挙を成し遂げます。その功績に喜びながらも、慎太郎は登山の普及には山小屋の存在が欠かせないことを痛感し、手始めに針ノ木峠への登り口に大沢小屋を、その後、峠には針ノ木小屋を建設し、登山家の間で熱狂的な愛好者に支持される小屋になっています。現在も毎年6月第1日曜に大町の山開き「針ノ木岳慎太郎祭」として開かれます。
 
 戦時中、登山者が減り、對山館が廃業するなど登山案内人組合の活動は一時休業状態になり存続の危機が何度も訪れますが、仲間は手を携えて乗り越えてきました。現在、組合には市周辺に住む約40人が加入。登山ガイドだけではなく、北ア北部地区山岳遭難防止対策協会のメンバーも兼ねて遭難救助や見回りなどにも当たっています。
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大町山岳博物館の記念企画展

 フェスティバルは大町文化会館を主会場に、トークイベントや、学生山岳部の座談会、アウトドアブランドの出展などが繰り広げられました。併せて大町山岳博物館では組合の歴史とアルプスの歴史を紹介する「100周年記念展」を開催。(記念展は11月26日まで)
 
 100年祭には山岳関係者の家族のほか、山岳愛好家、山ガールなども集まり、久々に晴れ上がったアルプスの下で初秋の日差しを楽しんでいました。案内人組合2世紀目に向けた活動を大いに期待したいものです。
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松本城公園で開かれた松本そば祭り
 
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国宝松本城も快晴ですっきり
 
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松本城天守閣見学も大人気 

 秋雨前線の停滞でぐずつく中、奇跡的な3連休の好天の下行われたのが「信州・松本そば祭り」。今年で14回目を数えます。松本城公園を主会場に3日間で15万7000人が来場しました。とくに最終日の9日には5万7000人の大盛況。
 
 飯山市のヤマゴボウの葉をつなぎ粉に使った「10割ぼくち蕎麦」、松本市奈川の「とうじ蕎麦」など県内蕎麦と、おろし蕎麦で有名な福井の越前蕎麦、岐阜県飛騨市の高山蕎麦など19のブースが並び、いずれも長蛇の列ができました。
 
 近年ブームで人気が高まっている城見学は松本城も例外ではなく、入場まで40分待ち、天守閣までは80分待ちと、蕎麦の列を超える集客ぶりでした。蕎麦の実の収穫は最盛期が過ぎてこれから県内各地で蕎麦祭りが次々に開かれ、蕎麦好きには堪えられないシーズンの到来です。
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池田町ワイン祭り
 
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あいにくの雨、テントが並んだ 

 主催者も参加予定者もヤキモキする中で開かれたのは筆者の地元・池田町のワイン祭り。地場産ブドウを使ったお祭りは今回で4回目。前売り券1000枚は数日間で売り切れる、このところ人気がうなぎ上りのイベントです。朝から雨降りの悪天候を衝いて会場のクラフトパークには30張以上のテントが並びました。
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生産農家のふるまい 

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生産農家のふるまい
 
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地酒の日本酒もふるまわれる
 
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wineの抽選会

 雨天決行のアナウンスは事前に行われ、払い戻しもないシステムでしたが、参加者は主催者発表で雨天の割には750人、75%とまずまず。昨秋に収獲されたソービニオン・ブラン、ピノソワールの新酒25種類のほか、地元酒蔵から日本酒も提供され、雨を避けながらテントの中で食事にあわせてお酒を楽しんでいました。
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バンドにあわせてダンスの輪ができる

 ステージでは地元のジャズバンドによるスタンダードナンバーが演奏され、時折雨が上がった合間を縫ってダンスに興じるグループの輪も広がりました。ワインづくりに力を入れている長野県は「信州ワインバレー構想」を打ち出し、4地区を重点地域に指定していますが、池田町は4地域のうち「アルプスワインバレー」の一角に位置します。
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安曇野の秋 黄金色の稲穂
 
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安曇野の秋 色付くカエデ
 
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安曇野の秋 色付くユリノキ
 
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安曇野の秋 色付くトチノキ

 サッポロビール、メルシャン、あづみアップル、あづみのワイナリー4社と契約しているブドウ畑は現在も拡張が続いています。苗が成長し、生産が落ち着くころ自前のワイナリー建設といった機運が出てくるかも知れません。そうなれば、県内でもメジャーなワイン産地としてちょっと誇りたい気分です。
 
 冴えなかった2017年秋でしたが、来年は大いに期待したいところです。
 

 すっきりした好天が懐かしいほど、晴れの日が少ない日々です。皆様お元気でお過ごしください。                                    草々

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 安曇野 無頼庵
  加藤 雅博
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中高年の「元気が出るページ」2017年11月号                  村上整骨院移転                                   藤川川柳                                     ①うにのおうちごはん歳時記第14回 馬鈴薯 山田うに               ②安曇野発番外編2017年 安曇野の秋 加藤雅博                   ③190回シネマトーク【『ホリデイ・イン』恍惚の舞台】 西島雄造

<うにのおうちごはん歳時記>


毎日いただくおうちごはん。春夏秋冬、季節の彩りにあふれた食材や料理を取り上げて食の歳時記として連載します。

写真と文:山田うに


編集者・トラベルライター。よみうりカルチャーの野外講座・料理教室講師。ほかに『大人のカルチャーガイド』で美術館・博物館の企画展案内などを執筆。


第 14 回 11月 馬鈴薯


 東京都心からおよそ60km。海抜1312mの権現山の麓に位置し、鶴川渓谷の河岸段丘に家や畑が点在。この地が山梨県上野原市の北部にある棡原(ゆずりはら)です。この棡原の名を有名にしたのが“長寿の村”でした。棡原は水田がないので主食はキビやアワ、そば、麦、芋類。これに野菜、山菜、川魚が添えられます。また家や畑が急峻な地にあるため、日常的に足腰が鍛えられます。さらに農作業や家事は家族全員の協力なしに成り立ちません。こうした「食」「動」「心」が合わさって長寿を育んだのだろうと言われました。棡原集落の入口にはドンと自然石が置かれ、石には「長寿村棡原」と刻まれています。
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( 棡原の碑)

 棡原集落の入口に立つ「長寿村 棡原」と刻まれた大きな石碑

 棡原の郷土料理は川魚、地粉のうどん、きびめし、こんにゃくなどがありますが、なかでも特徴的な料理が“せいだのたまじ”です。この暗号のようなネーミングの料理の正体はなにかというと、小粒のじゃがいもの味噌煮のことなのです。
 江戸時代後期、甲府の代官だった中井清太夫が飢饉対策にとジャガイモを九州から取り寄せ栽培させます。これにより棡原は飢饉の苦境が乗り切れたのです。棡原ではこのことからじゃがいものことを代官・清太夫に感謝して“清太夫芋”と呼び、のちに“せいだ”と呼ぶようになりました。また小粒のじゃがいものことを“たまじ”とも呼び、小粒のじゃがいもを無駄なく食べる料理を“せいだのたまじ”と呼ぶようになりました。地元の観光施設では“せいだのたまじ”がいただけます。
 料理法はというと…小粒のじゃがいもは皮を剥かず水洗いします。それを少量のサラダ油で数分炒め、炒め終わったらひたひたに水を注ぎます。そこに味噌と砂糖を加え煮ていくだけです。「調理のコツはずっと強火。煮っ転がしというより煮詰める料理なんです」と観光施設の方。そして翌日もう一度火入れします。これにより煮汁は照りがでてベッコウ色に輝き、じゃがいもにまとわりつきます。味噌と砂糖は甘辛く野趣に富んだ味に変わるのです。
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(せいだのたまじ)

 郷土料理のレシピをもとに作った自家製の“せいだのたまじ”。じゃがいもは地元の観光施設の売店で買いました。小粒のじゃがいもでないとうまくできません

 郷土料理になっているじゃがいも料理で有名なものが栃木県佐野市の“いもフライ”です。これは蒸したじゃがいもを3cm角くらいにカットし、串に刺してフライの衣をつけ、油で揚げたじゃがいもの串揚げです。揚がったいもフライに特製ソースをかけて、熱々をいただきます。このいもフライ、佐野の人たちにはあまりに日常的な料理なので、日本全国、どこにでもある料理だと思っていたそうです。しかし実際は佐野市、足利市、群馬県太田市など北関東の一部地域に見られる郷土食だったのです。いもフライは昭和20年代の後半、繊維工場に勤める女工さんから始まったといわれています。仕事の手を休めることなく、片手で簡単にいただけるおやつとして広まったと。佐野にはいもフライの店を網羅した「佐野名物いもフライマップ」も発行されています。
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(いもフライ)

 佐野のいもフライ。たかがじゃがいもの串カツなのですが、現地でできたてをいただくと格別です。ソースもいもフライ用なのです
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(いもフライマップ)

 佐野市観光協会が発行している“佐野名物いもフライ”マップ。20数軒が紹介されています

 こうしたじゃがいもの原産地はチリ、ペルーの高原地帯。スペイン人が16世紀に本国へ持ち帰ったといわれます。ヨーロッパではドイツ人が食用にし始めたといい、じゃがいもとドイツの縁の深さが窺いしれます。日本への伝来は慶長3年(1598)のこと(別説もあり)。ジャワの港ジャガタラ(現在のバタビア)からオランダ人が長崎に持ち込みました。この港名がじゃがいもの語源です。じゃがいもは男爵、メークイン、キタアカリなど多くの種類がありますが、各地域ごとに栽培されている在来種も根強い人気があります。冒頭の棡原の“たまじ”もこうした在来種のじゃがいもだったのです。

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読者投稿 藤川朝生さんの川柳

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10月度に入選した我流川柳です。 藤川朝生(朝生)

◎10月2日、あすなろ川柳会 
「さぐる」3句出し 

内偵のマルサを岨むシュレッダー 秀

古風吟「旅」3句出し   

伊勢参り終えて草鞋が熊野向く 秀
旅籠では枕の下に銭隠し 秀

互選「呆れる」2句出し 

優先席スマホが座り杖が立ち 11点 (最高点)
見え透いた嘘に閻魔も呆れ果て 2点

「鍛える」(即席10分間吟)

罰で持つバケツに腕を鍛えられ 秀
街歩き地図と歴史の知識増え 客
 
◎10月15日、第52回千葉県川柳大会
「挨拶」2句出し

手短な祝辞に拍手沸く宴  秀句
 
◎10月24日、悠遊川柳会 
互選「老春譜」 3句出し

老いてなお諸国訪ねる好奇心 2点
百観音結願成就高齢者 1点
傘寿過ぎ還暦前の妻娶り 5点

「独り善がり」3句出し

ハグすれば投票すると思い込み 秀
実力と思い忘れる人の恩 秀
幸運を実力あると思い込み 秀

「長い」3句出し

心臓の欠陥探るカテーテル 秀
長電話終わりそうでも終わらない 秀
たっぷりのお布施に読経長過ぎる 秀

「刺激」3句出し

騙された後で読んでる契約書 秀
覇者見入る少年の目に映える夢 秀

「自由吟」3句出し

十二単衣日日脱ぐ様に風邪治り 秀
背伸び止めあるがまま生き楽隠居 秀
 
 
◎10月28~29日、勝田台公民館祭(各人既発表の3句を展示)

 秘境の湯ネットに漏れて客溢れ
 鳥の目と虫の目で見る好奇心
 いつもある野菜に慣れて旬忘れ
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村上整骨院(清瀬市)50m先へ移転のお知らせ

村上整骨院(清瀬市)10月27日移転オープン

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東京都清瀬市上清戸2−3−4村野マンション1階
    
電話042-495-5572
マンション裏に駐車場完備
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(上清戸1丁目交差点角)志木街道とケヤキ通りとの交差点
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